私とパソコンと通信(超長文失礼、目次付けときました)
 パソコン・・というか、最初の機械はポケコンですが、さわりはじめたのは、小学4年ごろだと思います。うちの親もメカ好きで、いつだったか、今はなき「トポス」より、なにやらボタンのたくさん付いた電卓セットを買ってきました。そいつには、放電記録式の銀紙プリンタ(!)とカセットインターフェイスが付いていて、「計算の仕方を、機械に教えてあげなくちゃいけない」ということで、そいつで遊んでいました。この機械は、カシオの「fx-702P」という関数電卓で、BASIC言語でのプログラミングができるものでした。

 その次の年(小5)、親の仕事に付いて行った展示会で、パチンコゲームのできるパソコンに出会いました。適当に遊んでたのですが、どんどん面クリしていってしまい、次の人になかなか代われなかった記憶があります。このパソコンは、ROMカセットを交換すればいろいろなゲームができる、カシオの「PV-2000(楽がき)」というものです。このころは、まだ「MSX」な機械が存在せず、ファミコンが出るちょっと前ぐらいでした。このパソコンもBASICでプログラムが組めて、おまけに「ゲーム作成マニュアル」も付いていて、けっこう楽しみました。

 翌年(小6)、家に中古でしたが、NECの「PC-8001mkU」がグリーンモニターとともに来ました。この機械で初めて、私は「漢字の出るパソコン」を手にしました(それでも第1水準まで)。もっとも、最初に遊んだゲームは、ハドソンの「デゼニランド」で、こいつは英語の勉強にもなりました(表示はカナ日本語なのに、入力は英語!)。このパソコンを譲っていただいた師匠の家には、当時「PC-9801F2」があり、そこで初めて「MS-DOS」と「マウス」それに、「CANDY」(CADソフト)に触れました。(このころから、PCカタログ集めに精を出す・・)

 そして中1の秋、佐賀県工業試験場で2年に1回開催されていた、「第15回発明考案コンクールと開発展」に理科の工作を出品したときに、その会場で「パソコン通信」に出会いました。この時の師匠は、実は中1年の同級生S.Iさんのお父様で、ずっとシステム屋さんをされてました。その方の会社「エイブル」さんが運営されていたオンラインネットワークサービス「+C」のデモを会場で見せてもらい、チャットも初めて体験して、そこからパソコン通信を始めることになりました。(会場では「音響カプラ」が使われてました。)
 その「+C」は有料制だったので、入会はしませんでしたが、ちょうど同じ時期に、NHKの「パソコン通信入門」という番組があり、そのテキストの後ろに載っていた「ホスト一覧」で、福岡のBBS-FUKUOKAというネットに入会しました。当時は「CM-300」という「300ボー(!)のモデム」でアクセスしてました。
 そのころにはパソコンも「PC-9801U2」に変わり、ゲームとしては「Wizardry」で毎日、魔物退治に明け暮れていましたが、通信もやっと漢字でできるようになっていました。
 その後、当時無料で実験を行っていたPC−VANや、サガテレビのRACCO−NETなど、徐々にその手を広げていきました。およそ86年ごろの話。
 RACCO−NETに於いては、当時、土曜に放送があっていた番組「ジョイフルスタジオ・ヤングトゥモロー」(?)の1コーナーで、RACCO−NETの会員紹介で、テレビ出演していたりします。(ただいま、当時のビデオを捜索中・・)
 あと、開始当初はNTTが運営していた「かちがらす」へのデビューは88年です。「郵政の指導」の影響で、現在は佐賀新聞社のネットですが99年3月末で無くなりました。

 ホストと言えば、実は高校2年生のころ、1週間だけホストを開いたことがあります。(Junbow-NET) ホストプログラムはANNCCSという物で、BASIC言語で書かれたプログラムでした。

 高校3年生になると、受験などで、表立った活動はあまりしていません。(その割には、しょっちゅうOFFには顔を出していたという話も・・・)

 別のページで説明付けていますが、高校卒業後、社会人になりました。その91年5月の連休中、私は、佐賀の「SAGA-NETかちがらす」のOFFを蹴って、佐賀からペルシャネコさんとEO-NETのAIUさんとの3人で、福岡のネット「めんたいねっと」のOFFに行ったのです。その席で、「BBS-OMIS」のF-KAIさんという方と直接会って話をしている際、、以前にホストをやったことがあることを話したところ、「一度始めたホストは、止めちゃダメ」という教えを受け、ホスト再開を誓いました。
 ホストの名前を考えてたのですが、そのころは、SYSOPのことを「旦那」という風習があり、なんの旦那になろう・・と考えつつ、酒のつまみに添えてあったパセリをかじってました。するとみんながパセリを集めて、皿に森を作ってしまい、ついに、「あ〜、パセリの旦那だぁ」という声とともに、パセリの旦那が誕生したわけです。そしてその3ヶ月後、「
BBS-Parsley」はスタートしました。
 最初は1回線、しかも家の電話を使うから夜だけ運営というホストでしたが、友達や知り合いに支えられ、徐々に形ができていきました。