2005年3月


2005年3月31日(木)  「公開質問状」の回答が届きました。

今日、書留で「公開質問状」の回答を
町長から頂きました。
お忙しい中に感謝申し上げます。


公開質問状を出した経緯は、
14日(月)の議会散会後すぐに町長が挙手、
議長に発言許可を求められ、

その発言内容は
私を名指しして批判するもので、
執行部、議員着座のままの議場でした。

きっちりと議案質疑をしていることに対する
内容等への批判や

私が民主系無所属で活動していることを含めて、
議場という公の席で個人批判をすることは

議会制民主主義の根幹にも触れる
重大な問題と とらえ、
公開質問にした次第です。

公開質問ですので、
頂いた回答はここに公表します。


3月23日に提出した
「公開質問状」

3月30日付けで届いた
「公開質問の回答」


私の議員活動を支持して下さっている方々にも
この内容を報告しました。

ことの本質を理解されていない回答で、
残念です。


2005年3月30日(水)    戦没者追悼法要。

戦没者追悼法要の案内を頂き、
お参りをしてきました。

いつもお会いする おばぁちゃんのお顔も見かけ、
お元気そうな ご様子に嬉しく思い、

少子高齢者社会とは言いますが、
十分に楽しんで、安心して暮らせる
社会基盤を切に願っています。


私の一番上の兄も
戦地から還って胸を患い、
28歳で亡くなりました。

大正12年生まれのその兄が一番上で、
私は末っ子。
そんな訳で、今日のお参りの時にも
兄のことを考えていました。

私には兄の記憶は無いのですが、
とても優しくて、成績優秀だったそうで、
神戸高専を出た技術畑の人でした。
兄と私の笑顔は良く似ているそうです。


いつか、一番上の姉が
「優秀な人材を戦争で亡くしてしまった・・・」と
ポツリと言ったことがあります。
その姉の青春は戦争と共でした。


また、戦地に大尉で赴いた義父は
最期となった病院で付き添ってい私に
戦時中の話をよく聞かせてくれました。

戦友は特別な関係のようで、
晩年は部下の訃報の度に
大きく肩を落としていた義父でした。

そんな日の晩酌の相手は私でしたが、
今は懐かしい思い出です。


戦後60年が過ぎて、
今日の法要で手を合わせながら
改めて多くのことを思います。


6人の作家による「ナゴミのウツワ展」

2005年3月29日(火) ナゴミのウツワ展。& 母子・学校保健を考える会。

今日から佐賀市高伝寺前の
村岡ギャラリーで
「ナゴミのウツワ展」が始まりました。

6人の陶芸作家による作品展で
それぞれの個性が光る
素敵な作品ばかり・・・。

知り合いの伊藤さんも出品されるので、
初日の今日、行ってきました。

伊藤たか子の作品の
お湯飲みを2つ分けて戴きましたが、
値段も とてもお手頃です。
目の保養にも最適のひと時。

良い作品と出会う、良い時間、良い空間・・・
4月17日まで開かれていますので、
是非、出掛けてみて下さい。

伊藤たか子さんの作品です。 伊藤さんは感性豊かな素敵な女性。
作品の前で記念にパチリ! 


午後からは川副町の保健センターへ急ぎ、
「母子・学校保健を考える会」に参加。

2ケ月に1回のペースで開かれている
この会合は町内の医師、
保育園、幼稚園、学校関係者、行政・・・など
参加者の間口は広く、
私も議員になってからすぐに参加させてもらっています。

世話人の先生からの今日の挨拶の中にも
「この会で学んだことを
 それぞれの立場で役立てて戴きたい・・・」と。

16年度は
「しょうがい児童の教育」を取り上げ、
その中に見え隠れする問題点や
制度上の問題点などの意見交換でき、
地域交流もできました。

今日の会議で、
17年度のメインテーマは
「児童虐待」について と決まりました。

ご存知のように児童虐待については
「児童相談所」の対応でしたが、
児童福祉法が変わり、
17年度から「市町村の対応」となります。

で、川副町にも
「児童虐待連絡協議会」が設置されます。

「児童虐待」は潜在的なものを多く含み、
行政サイドが呼び掛ける内なる組織、
そして何よりも、誰もが見える
外向きの窓口の設置が急がれます。

議会事務局や庁舎の各所での意見交換で
午後の時間は過ぎていきました。


18時過ぎには夕食も終えて、
本を読んだり、
3月議会のデーターをまとめたり、
ゆっくり過ごした夜でした・・・・。


2005年3月28日(月)   Monday night FEVER!

お昼前まで、
アイスクエアで「有明佐賀航空少年団」の
緊急編集会議。
数人が掛け付けました。

その後は幾つかの用が入っていて、
結構、バタバタと・・・。


車椅子バスケットボールの
九州予選大会のことで
ある首長さんのところにお訪ねすると、
歓待して下さいました。
有り難いことです。


夜は、夫に今まで食べたことも無いような
会席料理をゴチになりました。
財布が軽くなったようで、済みませんです。

で、2次会に向かっている路上で、
私の友人とバッタリ会い、
2次会は洒落たお店で3人で飲みました。

私の友人と夫は高校の先輩、後輩とあって、
意気投合。
側で その話を聞いている私も楽しくなります。

友人と別れて、
私たちは3次会、4次会まで・・。
明日への活力が出てきます。

最後に行ったお店は閉まっていましたが、
思い出に残る夜となりました。

「ありがとう・・・」


パンチの効いたゴスペル 「F l a s h」
ペインティングがされたイースター玉子。
黄色は私のラッキーカラー!
皆さんにもお裾分け・・・。

2005年3月27日(日)  婦人会総会。ジャズ。&ジャズ・・・。

今日は地元校区の婦人会総会が
ありました。

来賓でもあり、会員でもあり・・・で、
婦人会の総会の時は
来賓席に座っているのが、
私には何となく しっくりきません。

午後からはジャズ仲間の発表会に
約束通り、行ってきました。
皆さんの歌を聴かせてもらって、
私の体もスイング・・・。

続いて、佐賀市文化会館での
「イースターコンサート」へ。

カンボジア教育支援・フロム・佐賀」の
チャリティ イベントとあって、
常日頃、意識高く活動されている方々が
お集まりのようでした。

ところで、イースター(感謝祭)というのは
春分の後の満月の夜の後の
初めての日曜日とか・・・。
今日が丁度、その日でした。

ワンドリンクと茹で玉子付きで、
ゴスペルグループ「Flash」(フラッシュ)の
パンチのある歌声と会場とが
一体になった楽しいイベントでした。

川副町の友人もこのグループに入っていて、
また、ピアノ伴奏は
娘のピアノの先生だったということもあって、
交流の深いグループです。


途中休憩の時に
私は会場に後ろ髪を引かれながら、
地区の総会に出るため川副町に戻りました。

イースターの今夜は
雨模様・・・。
気持ちの良い雨です・・・。


2005年3月26日(土)  船舶模型の世界。& 親父たちの夕涼み。

昨日から佐野常民記念館(川副町)で
「上村政利・船舶模型の世界
     〜 船に魅せられて 〜」が
始まりました。

作者の上村さんは諸富町のご出身、
現在は北九州市にお住まいで、
細部まで手作りに こだわった
船舶模型作家として 有名な方です。

いずれも市販の製作キットを使用せず、
設計図や写真も元に
細やかな手仕事による宝珠の作品ばかり・・・。

記念館館長の福岡博先生が
戦後、引き上げて来られた時の
「興安丸」も展示されていて、
先生は感慨深かったそうです。

上村さんとお話ししましたが、
海上保安庁などに設計図を貰ったことや、
それぞれの船の見どころ・・・などなど
とても親切に説明して下さいました。

日本丸、カティサークなど、数々の帆船。 設計図や写真をもとに作られた
細やかな手仕事の作品は見事です。


帆船あり、蒸気船あり、貨客船あり、
自衛船あり、巡視船あり、・・・
精巧に造られた数々の船舶模型の数々。

並べられた約60点の作品は、
圧巻です!

展示構成は
・早津江川と三重津海軍所
・世界の さまざまな船
・船の生まれるアトリエ

この機会に、
是非、多くのご来場をお待ちします。
入場は無料です。

木原慶吾さんもノリノリ!

で、夕方からは
佐賀市八幡神社と県庁楠風広場を結んだ
「親父たちの夕涼み」に行ってきました。

会場には
多くの知り合いが居られ、話も楽しく、
バンコを並べて、まさしく、
親父たちの夕涼みでした。

で、ここでもチャッカリと
「帆船模型展」のPRをさせて戴きました。

友情出演の木原慶吾さんの歌も
たっぷり聴けたし・・・
ノリノリで踊ったし・・・
美味しいオデン、おつまみ などなど
ご馳走さまでした。

今日までの準備、
さぞ大変だった事と思います。

桜の蕾は硬かったけど、
生憎の曇り空で観月は出来なかったけど、
寒くなくて 何より良かったですね!


2005年3月25日(金)  「公開質問状」を提出。

議会最終日の23日に
川副町議会議員・白倉和子から
町長宛に「公開質問状」を出しました。

昨日、24日付けの佐賀新聞、朝日新聞で
この件が取り上げられていました。
常日頃、町村議会事務局にお見えになる
新聞社2社です。


事の経緯は・・・

14日(月)の議会散会後すぐに、
町長が挙手、議長に発言許可を求められ、
議場は執行部、議員着座のままの議場でした。

その発言内容は
私を名指しして批判するものでした。


私は10日の議案第16号で、
塩害訴訟の「損害賠償額を定め和解する」議案で、
何故、控訴しないで和解に至ったのか?の見解を
町長に対して求めました。

また、14日に審議した
議案第16号「一般会計の補正予算」で、
「佐野記念館の人件費は減額補正」関して質疑しました。

記念館開館後の この半年はとても忙しく、
サービス残業にはなっていないか?

私の頭の中で、佐野記念館に関しては
残業手当てなど、
追加予算が上がるくらいに思っていたからです。


それらの私の質疑を踏まえて
14日の散会後に

町長から

・ 塩害被害裁判について
  先日の白倉議員のホームページにも、
  不服申し立てをしないのは納得がいくものではない・・
  という書き方をされていた。

  18日の議員全員協議会で、この事に関しては説明している。
  この間の本議会の質疑は納得いかない・・・。
    (私は議員全員協議会でも同様の発言をしています)


・佐野記念館の人件費について
  白倉議員は職員をいたわるような発言をされたが、
  以前に佐野記念館のバリアフリーについて
  いろいろと言われた。
  白倉議員はどう思っているのか分からない・・・。


・公正な政治活動について
  以前、白倉議員は
  「首長は政党に偏った選挙活動をするのは好ましくない・・」と
  いうような事を言われているのに、
  最近の白倉議員を見ていると、偏った政治活動をされている。
  それは いかがなものか。

と言ったものでした。

いずれにしろ、
きっちりと議案質疑をしていることに対する内容等への批判や
私が民主系無所属で活動していることを含めて、

議場という公の席で個人批判をすることは
議会制民主主義の根幹にも触れる
重大な問題と とらえ、公開質問に致しました。


今回の町長の態度に毅然と対処しなければ、
胸に付けているバッチは飾り物だと、
心底、思いました。



あれから、
私の支持者始め、何人かの方と相談しました。

多くの方々に力づけていただきながら
議員活動をしていける幸せを心から感謝します。


これからも自分に恥じないように、
胸を張って議員活動を続けて参ります。



なお、町長に提出した
「公開質問状」をここにリンクしておきますので、
ご意見を頂ければ幸いです。


2005年3月24日(木)     春の嵐。名残り雪・・・

この時期になって雪が舞っている・・・
風も強く、春の嵐でした。

今日は議会事務局に行ったり、
県庁に行ったり・・・。

また、
友人のお母様のお葬儀に参列。
可愛がっていただいたことに感謝しながら、
ご冥福をお祈りしてきました。


2005年3月23日(水)     議会閉会。

3月8日から始まった議会は
途中、当初予算特別委員会をはさみ
本日、全てが終了しました。

今日は
当初予算特別委員会の委員長報告、
各常任委員会の委員長報告、
議会運営委員会の委員長報告
などなどが行われ
11:30分頃に閉会。

長丁場だった3月議会。
議席の名札を静かに倒しました。

いつも思うのですが、
執行部、議員合わせて、
議場に女性が一人というのは
寂しいものです・・・。

午後からは議員全員協議会が開かれ、
行政改革推進についてや、
佐野記念公園事業についての
説明がありました。


そして、18:00からは
年2回、当初と年末に もたれている
執行部との懇親会。

3月末で退職される課長さん達の送別ということもあり、
いつもより多くの杯を交わしました。

新人議員の頃から
多くの事を教えて戴いた課長さん達には
面倒がらずに対応して戴き、
有難うございました。
退職されてからも宜しくお願い致します。

その後は2次会、3次会・・・。


多くの人に、仲間に、感謝しながら
今から熟睡します。
眠れないかも知れませんが・・・。


2005年3月22日(火)   行政改革推進委員会。

「議会だより」に載せる
一般質問の原稿を提出。

私は広報レイアウトに従って、
データベースで議会事務局に送ります。


午後からは
「行政改革推進委員会」が開かれました。

14人の委員で組織されていて、
江頭議員、坂井議員と私が
議会から出席しています。

行革の組織が
昨年11月に従来の総務課から
企画商工課に移動し、
行政改革推進係が設置され、

ワーキンググループが立ち上げられてから
60項目ほどがフル検討されてきたそうで、
遅くまで会議が開かれている場面も
よく見かけました。

「単独自立にむけた取組み」が
まとめられており、
人件費、業務経費、住民サービスの分野、諸々
かなりの行財政改革が盛り込まれています。

「PLAN・・・DO・・・CHECK」に従って、
事務事業評価のしくみの構築も
盛り込まれていました。

また、意見交換の中で
住民目線から見た議会に対する
厳しいご意見も頂戴しました。
議員定数削減を始め、今後 検討していきます。


行財政改革の内容は今後
区長会で説明され、
4月以降に町民に公表されていきます。

行革に取り組む行政姿勢が
窺えたものでした。


2005年3月21日(祝)  ラジオ出演。& あれこれ・・・。

ラジオ局に入ったのは本番3分前、
昼下がりについウトウトしてしまったのと、
路が異常に混んでいて、慌てました・・・。

ウトウトのせいで、
手にはクッションの生地の形が残っていたし・・・。

で、今日のラジオで取り上げたテーマは

・福岡、佐賀の大地震
・政治活動と収支報告

よく、人生には上り坂と下り坂と
もう一つ「まさか」
があると言われますが、

北部九州では大きな地震は
起こらないと言われていただけに、

昨日の地震はその「まさか」でした。

ちなみに、「まさか」とは
漢字では「真逆」と書くのですよね。

今日のコメントでは

・原子力発電所の地震対策。
 もう少し西南へずれていたら玄海原発。

それと、
弱者救済のシステムや、

災害時の緊急連絡網として、
携帯電話のメールが大活躍。

などなど・・・。


2項目目では
政治家は政治団体届けを出して
初めて、レポート作成や後援会活動が出来ます。

逆の言い方をすれば
政治団体届けを出していないと
レポートを作ったりすることは出来ないのです。

そこで、
3月末までに県の選挙管理委員会に提出する
政治団体の収支報告書について
話してきました。


余震が何度もあり、
夜には雨が降り始めました。

地盤の緩んだ被害地が心配です・・・。


2005年3月20日(祝)   思いもよらぬ大地震・・・。

10時53分、福岡、佐賀と中心に地震発生。
大揺れしました。
冷静な夫。犬のロッポはオタオタ・・・。
震源地は震度6弱という大きなものでした。

東京にいる娘から
電話のつながらないと、
悲痛なメールが入り、心配をしていたようです。

たまたま電話がつながった姪からあちこちに
佐賀の私たちに怪我は無いとの連絡を
とってくれたようです。


地震の揺れが落ち着いて
夫は大川の実家に向かい、
私は独り暮らしの知り合いの家を回りました。

川副町では津波警報が出ていたかったので、
その分 安心でしたが・・・。

思いもよらぬ大地震にびっくりで、
深夜、朝方も余震が続いていました。

全国にいる清渓セミナーの仲間、
議員仲間、友人たちからも
多くの心配メールを頂き、
有難うございました。


それから、このところ
HPの更新をしていませんでしたので
「パソコンの調子が悪いのかな?」
「心配しとるで〜」との連絡が入り、
済みません・・・。


2005年3月19日(土) 卒園式。& 幹事会。政治セミナー。

中川副幼稚園の卒園式。

卒業、入学など
来賓出席の多い時期ですが、
一番 感動するのが卒園式です。

園長先生の祝辞は
子ども達に向けられた
優しく話しかけるような言葉でした。

幼稚園のお手洗いをお借りする時、
可愛い便器に
ガリバーになったような気分になります。

卒園式の記念品は絵皿。
これは私の息子が
この幼稚園に通ったときもそうでしたが、
自分の描いた絵が焼き付けられたお皿で、
今も我が家の大切な飾り物です。

元気に幼稚園に通った子ども達を見ていて
何だか胸が詰まってきます。


で、午後からは民主党佐賀県連の
常任幹事会に出席。
原口代議士の国政報告に続き、
議事が進められていきました。


その後、アバンセで
「女性参画研究会・さが」の主催のセミナー
『政治っておもしろい パートU』に
向かいました。

会場に届いた時は終盤でしたが、
終了後、いろんな意見交換もできて
行って良かったです。

講師の寺町みどりさんの
著書は2冊とも読んでいましたので、
初めてお会いする感じがしなく、

また、久し振りにお会いした
議員仲間とも
お互いの「元気」を確認できました。


綺麗に飾り付けられた式典会場

2005年3月18日(金) 小学校卒業式。& 予算委員会。

午前中は校区の
中川副小学校の卒業式に出席。

いつにも増して
壇が花で綺麗に飾られていました。

校長先生から卒業生の一人ひとりに
卒業証書が渡され、
それぞれに言葉も
添えられておられたようです。

卒業生も在校生も
とてもお行儀が良くて、
感心してしまいました。


午後からは
当初予算特別委員会。

今日は特別会計についてで、

国民健康特別保険会計
  22億9471万2千円。

老人健康保健特別会計
  22億7217万5千円。

下水道特別会計
   4億9815万2千円。

今日で17年度当初予算の
すべてが終わり、
特徴を後日ポイント書きしてみます。


夜はアイスクエアで
「有明佐賀航空少年団」の月例会があり、
17年の事業計画などを話し合い、

博愛精神発祥の佐野常民記念館も
研修事業に入れたい旨でした。

また、今日から新たな幹部団員をお迎えし、
嬉しい限りです。

その後、同会場での
「アトピッ子地球の子ネットワーク」に参加。

阪神淡路大震災の際にも
活躍されたNPOグループで、
昼間の県庁での講演に続いての
お話を聴けるラッキーな機会でした。


2005年3月15日(火)〜17(木)  当初予算特別委員会。一般会計可決。

平成17年度当初予算の審査が
15日から始まり、
今日までの3日間、一般会計の審議をしました。

当初予算特別委員会中は
本議会は休会となり、
委員会で討論、採決をして、
議会最終日に委員長報告がなされます。


一般会計 54億1106万9千円
       (16年当初 63億828万円)

16年度当初予算と比べると
約8億9721万1千円の減額予算で、
地方財政は厳しいものです。

初日の15日は
総務常任委員会の所管するものが
質疑、応答され、

2日目は
産業建設委員会の所管事項、

今日は文教厚生委員会の所管に
関する事項でした。

今日は17時過ぎまで審議し、
一般会計当初予算は
全会一致で可決しました。


三位一体の名の下で、
福祉分野の国庫補助金の削減が目立ちます。


川副町においては
今回、税源移譲の部分が
国庫補助が無くなった合計を
上回っているようですが、

国からの受ける
「交付税算定の基礎基準額に入れる」という
言葉は空論です。

お金に色分けがしている訳わけでもなく
交付税そのものが
減少する一方ですから・・・。

地方の自由裁量で
予算付けが出来るなら良いのですが、
交付税の減額をカバーするものと約束された
臨時財政対策債も減額の一方です。


2005年3月14日(月)  議会。& NBCラジオ。& 佐大ゼミ準備会。

今日の議案は
平成16年度会計の補正予算審議で、
15時過ぎまで続きました。

一般会計・・・・
 65憶4342万4千円(14万1千円の増額補正後)

国民健康保健特別会計・・・
 22憶6960万3千円(1憶2584万6千円の増額補正後)

老人保健特別会計・・・
 23憶4385万円(4274万9千円の増額補正後)

下水道特別会計・・・
  3憶2477万2千円(4912万8千円の増額補正後)

活発な議案質疑が続き、
それぞれが全会一致で可決しました。


さて、今日は
NBCラジオでコメントを出す日で、
17時45分オンエア・・。

明日が所得税確定申告の締切日ですので、
選んだテーマは
「税制の話あれこれ・・・」


.申告納税制度の始まり

我が国の税制に申告納税制度が導入されたのは
戦後の昭和22年からです。


それ以前は税務署から一方的に
所得と納税額が決められ、
納税通知が出されるとい
った賦課課税制度でした。


.青色申告と白色申告がある。

【青色申告】
戦後、みなが進んで所得を申告をするように
政府が実施した優遇制度。
帳票類の記録が条件)

なぜ「青色申告」と言うのでしょうか?

青色はアメリカでは「正直者の色」であり、
透明とか正直とかのイメージを
持たせ
ているといわれている。

.サラリーマンは
確定申告の代わりに年末調整をする。

サラリーマンは月給から税金を天引きされる、
いわゆる源泉徴収です。

差し引かれた分が、
実際の所得税より多かった場合には
年末調整として返ってきて、
儲けた気分がして、嬉しいものです。


サラリーマンの源泉徴収制度は
昭和15年からのことで、
軍事費がかさんだという必要から生じた
戦時体制の徴収制度で、
その前はみんな確定申告をしていました。

戦争が終わったら廃止になるはずの制度が
徴税側の都合でそのまま残ったわけです。


16年度分からの申告の改正の部分で
特に多くのかたに影響があるのは
配偶者特別控除が廃止になること。

それから、
源泉徴収制度と納税意識、
「大蔵省」の名前の由来などなど・・・

そんなこんなのコメントを出してきました。


ところで、
確定申告はもうお済みですか?


夜は佐大公開ゼミの準備会があり、
17年度のことについて話し合いました。

話が思わぬ方向に行ったり
軌道修正したり・・・
雑談の中にも多くの示唆があります。

「今年は公開シンポジウムもしよう・・・」などの
意見も出て、しかも2回・・・。
興味深いゼミに進展していきそうです。


さて、今日はホワイトデーでしたが、
何だか、エビ鯛になってしまったようで・・・。
「ありがとう!」


2005年3月13日(日)  航空少年団。& 横田 滋ご夫妻の講演。

県庁近くで、えらく渋滞をしていると思ったら、
「佐賀レディスロードレース」が
あっていました。
大変賑わっていたようです。

そんな中、
有明佐賀航空少年団の
入団説明会があるため
10:00にはアイスクエアに集まり、

10:30からは入団を希望される
親子、祖父連れの参加者に説明会。

相浦団長の挨拶はいつも楽しく、、
その後、私たち幹部も自己紹介。

そんな訳で、
「船橋邦子さんを囲んで」には参加できず、
久し振りにお会いするのを楽しみにしていただけに
とても残念だったです。

ブルーリボンに願いを込めて・・・。

午後からは
『鹿島市女性のつどい』での
「横田 滋 ご夫妻」の講演会に
参加してきました。

先般、佐賀での講演に
行き損なっていたので、
今日、横田さんご夫妻にお会いできる
機会に感謝しながらでした。


マスコミ等で窺えるお人柄通りに
知的なご夫妻が訴えられる言葉は
胸に響きます。


何の罪もない多くのご家族が遭われた
拉致という国家犯罪。


そもそも、
最初の拉致事件が発覚したのは
1977年(昭和52)ですから
それから、もう四半世紀が経っています。

その上、警察庁が正式に拉致認定をしたのは
1997年(平成9)
最初の拉致事件から20年後のことです。

その間に起きた
大韓航空機爆破事件の実行犯による証言、

梶山静六国家公安委員長による
「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚・・・」という
国会答弁など、

北朝鮮による拉致には動かしがたい証拠が
幾つもありました。

何の情報も無いままに
四半世紀もの間、
思い悩んでおられたご家族のことを考えると

ここまで長引いたことに対して
これから日本政府と政治家は
どんな責任をとってくれるのでしょうか・・・。

外務省による事実隠しなどは
論外です。

この間、日本の最高責任者である総理、
外務省の責任者であり事務次官など
すでに辞めた方も含めて
きちんと今後の責任を感じていただきたい・・・。


拉致問題は
日本の主権を侵害」していることに他ならなくて、

北朝鮮の拉致のような国家組織での"誘拐"は
例がないと言われています。

だから日本政府は もっともっと強硬に
北朝鮮に対して交渉すべきだと思います。


こうしている間にも
月日は流れ・・・
人は年を重ね・・・


「国家」というものを
改めて考えさせられます。


時折、雪が風に舞っていた
一日でした。


古川知事の挨拶。
ジャーナリスト村田幸子さんによる
記念講演。

2005年3月12日(土)   アバンセ10周年記念式典。

アバンセが出来て
今年で10周年を迎えました。

ちなみにアバンセとは
スペイン語で「前進」という意味で、
公募により付けられた名前です。

式典の案内を頂いていて、
参加してきましたが、
久し振りにお会いするお顔が
いっぱいあり、嬉しかったです。

主催者、古川知事知事の挨拶、
稲田館長の挨拶、

来賓として
篠塚県議会議長、井元・前知事の
挨拶がありました。


アバンセの初代館長は
船橋 邦子さん(公募)
二代目館長、高田 弘さん、
現在の稲田 繁生館長と続いて、
今年4月からは新館長が決まります。

新館長の募集に
何でも40人以上もの応募があり、
海外からの応募もあったとお聞きしました。


女性参画社会を目指して、
また、生涯学習の拠点として、
佐賀県の核となってきたアバンセです。


2005年3月11日(金)    中学校卒業式。

グショグショでした・・。
涙が溢れる一日でした。
と言っても花粉症ではありません・・・。

今日は中学校の卒業式でした。

体育の授業中に怪我をして脊髄を傷め、
車椅子生活になった生徒が
無事卒業したこと・・・。

高校は第一志望校を受け、
15日の発表待ちです。
あんなに努力したのだから、
良い結果が出ますように・・・。

合格が決まったら、
バリアフリー予算はすぐに付けてもらえる旨の
約束は戴いていますので、
私も再度、然るべきセクションに行きます。

それから、
登校拒否の心と葛藤しながら
卒業した友人のお子さん。

どちらも何かと相談にのっていましたので、
私としても今日の日が
とっても嬉しかった!です。

卒業生の中に友人のお子さんも
何人かいました。(みんな大きく、逞しくなったなぁ・・・)

「ご卒業おめでとう!」


最近、考えれば考えるほど、
いろいろ悩み・・・、
落ち込んでもいましたが、

今日の卒業式に出て、改めて
「議員として、今の私に課せられたもの」
はっきり見えました。

そういった意味でも
今日の式に出させて戴いて
ありがとう!


2005年3月10日(木)    一般質問。& 議案審議。

一般質問は昨日、4人。
今日は1人。
議長を除いた17人の議員の内、
5人で全てが終りました。

勿論、一般質問だけが
全てではありませんが、
昨年の12月議会は4人・・・
このところ少ない質問者です。
議案質疑も然りです・・・。

議員定数削減、云々も
行革の検討課題になっているようですが、
その前に議会改革、活性化が課題だと思います。


さて、今日の議案質疑の中で
特記すべきものを後日まとめます。


多くの質疑をし、
いろんな事があって、
議会運営委員会で調整をし、

再開後、再び議案質疑。

「塩水被害の訴訟」和解議案においては
高裁に不服申し立てをしなかった
執行部(町長)の説明、見解は
納得のできるものではありませんでした。


時間を延長して
17時過ぎに閉会しました。

その後、数人の方と意見交換。


帰りの車の中で
いろんな事を考え・・・
自己反省もして・・・

信念の下、
やっぱり八方美人ではいけない!と
改めて思い・・・

下水道事業のこと・・・
市町村合併のこと・・・
自主財源生み出しのこと・・・

これからの町のことを真剣に考え・・・

議員の責務を感じながら、
重い頭を抱えて帰りました。


2005年3月9日(水)     一般質問1日目。

9:30に登壇して一般質問を終えました。
トップバッターというのは
いつもながら緊張するものです。

今回の私の一般質問は
@ クリークの環境保全について

A 市町村合併に対する考えを問う



町内のクリークには集落や個人の力では
到底、整備できない箇所が幾つもありますので、

市町村は管理責任者であることを自覚されて
各課連携しての対応を求めます。

ひどい箇所は
汚泥や枯れた水草が堆積して
埋まってしまっています。

国営水路が出来てから
完全に水が流れなくなった箇所も多くあります。


クリークの環境保全は
用排水の整備でもあると同時に
生活環境美化であり、川副町で重要なこと。

大々的な取組みを期待します。


2点目の質問
A 市町村合併に対する考えを問うでは

合併に対する町長の見解は
「いずれは、佐賀市との合併を考えている・・・」
というようなものでした。

来るべき合併があるならば、
あるいは、当面単独でいくならば尚更のこと、

都市計画を含めた川副町の青写真を
作っておく必要があります。

土地改良事業における農家負担問題も
現在の町財政を考えたとき、
議論の先送りは出来ない・・・いう答弁でした。


そして、一番大事なことは
住民への説明責任。

何もかも決まった上での住民説明ではなく、
広く意見を聞く形での会合を望みます。


勿論、その前に
首長の指導性ということがあり、
合併の是非、方向性に関しては
「どうしましょうか?」ではなく、

首長が しっかりした信念を示し、
私はこうしたいのだが、
それに対して皆さんはどう思いますか?
といったトップリーダーとしての方向性を示して、

多くの同意を得たなら
それに向かう住民への理解と
対外的手腕が重要です。

市町村合併はある意味、
妥協の産物とも言われています。
結果論から住民説明会に入ったのでは
意味がありません。


午前中は数人の傍聴者が見えておられ、
執行部とのやり取りを
聴いていただいたようです。

時間のやりくりを付けられての
傍聴に感謝いたします。

質問議員に許された時間を
1分残して終了。

質問が終った後の開放感は
例えば、学生の頃に
期末試験が終った時のよう・・・。

自席に帰ってから、
ああも 言いたかった・・・
何で、こう言わんかったのだろう・・・と
落ち込む事もしばしばですが、
今日は概ね良い質問が出来たと思っています。


議員が一般質問をする時に
2つの観点があります。

1つは、有効な答弁を引き出して、
施策に つなげたい時。

2つ目は、首長の見解を質しながら、
自治体の方向性を問う時で、

いづれも
議事録に残る重要なことです。

その意味でも
「前向きに考えます・・・」とか
「前向きに検討します・・・」とか言った
曖昧な答弁が無くなり、

「やれない事はやれない」
「出来る事は出来る」と
言って戴くのは嬉しいことです。


さて今日は
汗ばむぐらいの陽気でした。

梅の花は満開を過ぎ、
甘い香りを振りまきながら
花びらがハラハラと舞っています。

桃の花もこのところの陽気に誘われて
一斉に咲き始め、

桜は蕾を膨らませながら、
出番を待っているようです。

春を迎えに行こうかな・・・。


2005年3月8日(火)    議会開会。& 議案質疑。

今日、川副町議会が開会しました。
23日までの会期。
途中、
「H17年度当初予算特別委員会」が入ります。
(委員長・北村議員、副委員長・川崎議員)

9:30開会。
町長の所信表明があり(町のHPにUPされています)
議案の提案理由が述べられました。

その後、H17年度当初予算に対する
総括質疑があり、
幾つか質疑を出しました。
この件に付いては別途書きます。


午後からは特別会計の総括質疑。
ここでも質疑を出しました。


その後、委員会別に議案の勉強会があり、
庁舎を出たのは
17:00を過ぎていました。

帰りに再度、町内のクリークを見てまわり、
明日の一般質問のイメージを
膨らませていました・・・。

車の窓を少し開けて
春の息吹を感じながらの帰り道・・・。

明日から一般質問が始まり、

私は一番目に質問。
9:30に登壇します。


2005年3月7日(月)  全員協議会。& 議会運営委員会。& 明日は議会開会。

9:30から議員全員協議会が開催され、
今回 一般公募された嘱託員の報酬の
変更基準などについて、
執行部の説明を求めました。

二つ目の議事は
損害賠償事件の和解について。

ノリ排水によって、
イチゴ農家が被害を被ったとして
訴えられていた事件は
2000年(平成12)5月12日の
初公判以来、調停を重ね、

今年の1月14日に
ノリ排水とイチゴ不作は
「因果関係が認められるもの」とし、
980万3500円の賠償命令
出されました。

要するに、
原告勝訴。
川副町、南川副漁協が敗訴
したのです。

南川副漁協は福岡高裁に控訴したのですが、
川副町は控訴せずに
原告に対し賠償金を支払う
和解をし、(この場合も和解と言うそうです)

賠償額の4割にあたる
392万円1400円を支払うものです。

この案件は
地方自治法により議会の議決が必要で、
本議会で十分に議論したいと思います。


午後からは
議会運営委員会のメンバーで
県議会に行き、

・末安善徳 議員(県民ネット)
・中倉政義 議員(自民)
・松尾真介 議員(自民)

の一般質問の傍聴ができました。

で、私の横に座っておられた方が
「あれも寝とる・・・、あそこも熟睡しとる・・・」と
盛んに非難されていて、
県議会傍聴には初めて見えた
遠方からの傍聴のようでした。


県議会の帰りに皆で食事をして、
明日からの議会に備えて
早目の解散となりました。


さて、明日は議会開会。
当初ですので、
町長の所信表明があります。

また、17年度当初予算の
「総括質疑」が出来ますので、
「今年度、国との関連における地方財政」を
質疑してきます。

17年予算書において、
無責任極まりない!国庫支出削減の費目が
多々あります。
自治体単独予算は無理です!


全国知事会、首長会において
どのくらいの説明があったのでしょうか・・・。


それから、
今回の私の一般質問について、
数人の町民の方からご意見を頂戴しました。

「仕事の都合で傍聴には行けないけれど・・・」と
貴重なご意見を有難うございました。


川崎さんの発声で乾杯!
川崎さん、原口代議士、大串さん
この方が大串博志さんです。
今日の集いが初紹介の場となりました。

2005年3月6日(日)  「2005年・政権奪取の集い」

今朝は月1回の溝掃除。
少々眠い目を擦りながら、参加。

皆で一斉に掃除をすれば
気持ちが良いので、
月1回の溝掃除は隣保班で長年続いています。

掃除が終って雑談タイム・・・。
我が家の庭まわりも綺麗にして、
朝のひと仕事は
気持ちの良いものですね・・・。


午後からは
「佐野常民記念館」を覗いたり、
我が家で一般質問の資料を
読み返したりで、時間を費やし、

ソロプチミストの会には
とうとう参加出来ませんでした。


そして、16:30には
「増田会館・パル21」に到着し、
常任幹事会に参加。

その席上で、衆議院選佐賀2区に
民主党から出場予定の
大串博志さんが紹介されました。

続いて18:00からは
「2005年・政権奪取の集い」

開会挨拶、
民主党佐賀県連挨拶
原口一博後援会長の挨拶に続き、
原口代議士の国政報告がありました、

真に国民のことを考え・・・
この国の行く末を考え・・・
国民の負託に応えておられる姿には

いつもながら国政にかける
熱い思いが伝わってきます。


そして、大串博志さんの挨拶。

すでにマスコミ報道などでご存知かと思いますが、
大串さんは39歳。
金融庁にお勤めでした。

佐賀県(旧)有明町の生まれで
嘉瀬小ー付属中ー佐賀西高から
東大文科に入学。
卒業時は法学部だそうです。

その後、大蔵省に入省。

海外生活等を経られて、
財務省、金融庁。

16年間の役所生活にピリオドを打たれ、
国政への出場決意をされました。

「佐賀からの変革を目指し、エネルギーの続く限り
 佐賀の地を走り続ける・・・」と
話されていました。


現在の無責任政府を容認しない為にも
政権交代を望む一人として
彼の決意を全力で支え、
共に動いていきたいと思います。

民主党本部から
副代表の石井一代議士が
力の入った挨拶をされ、

続いて、
川崎稔さんの発声で乾杯!

乾杯のに先立っての川崎さんの挨拶は
日頃の活動報告と支援者への感謝の中に、
次期選挙に向けて新たなる決意が
うかがえました。

逸材の川崎さんには是非とも国政の場で
活躍して戴きたいと思います。


懇親会は和やかに、熱く、
会話が弾みました・・・。

お誘いしていた議員も何人か来てくれて
民主党の思いに共感してくれました。


朝から晩まで
久し振りにお会いする人、人、人・・・。

そんなこんなの一日でした。


帰宅後は毛布に包まって
一般質問の準備。


2005年3月5日(土)    鳥栖行き。& 佐賀に戻って・・・。

今日は土曜日なので、
犬の病院行きは午前中に済ませましたが、
元気を取り戻してきたロッポは
静脈注射を嫌がるようになりました。

このところ ずっと私の横に毛布を敷いて
寝せていましたが、
事無きを得て、良かったです!

血統書も何も無い、何処にでも居るような
愛想の悪い、風采の上がらぬ雑種ですが、
大切な大切な家族です。

鳥栖市での「原口一博・2005年の集い」
余興で盛り上がり・・・

午後からは所用が一つ。


そして、18:00からは鳥栖市内での
「原口一博・2005年の集い」に参加。

知り合いが会場に見え、
お会いするのを楽しみに行きました。

同じテーブルの皆さんと
私たちは意気投合!

会場の「ビアントス」には
多くの支持者が集まっておられ、
「祝舞い」あり、「フラダンス」ありで
大いに賑わっていました。

鳥栖事務所の皆さん お世話さまでした。


佐賀に戻って、
愛敬町に在る何とか言うパブに向かい
知り合いの方からのお誘いで、
川副町の面々がミュージシャンのライブでした。

嬉野町の岸川三好さんの
「盲導犬フェスタ」でお会いした方も
そのメンバーに居られ、思わぬ再会。

私が行ったことを喜んでいただき、
こちらの方が嬉しかったです。


2005年3月4日(金)    議員全員協議会。& 「まちおん」会議。

9:30から
17年度当初予算の説明を
執行部から受けました。


午前、午後に10分づつの休憩と、
昼食休み以外は
17時前まで、みっちり!数字を見ていたので
少々 数字当たり・・・。(って言葉あるかな)

次々に説明に来て下さった
執行部に皆さん、有難うございました。


そして、夜は
「まちおん」の会議に出席。

「まちから始まる音楽祭」と称して
始まった「まちおん」は今年で2回目です。

5月15日(日)の本番に向けて
準備が進められていて、

5月15日までに
幾つかのプレイベントがありますので
随時ご案内をします。

今年は川副町の友人にも
大いに協力してもらって感謝、感謝。
思わぬ人との出会いです。

今日の会議にも50人以上集まって
ワイワイガヤガヤ、
ネットワークの広がりを感じます。

今回は音楽と食(ホンモノ)との
タイアップ企画ということもあって、
市外からの参加者も多く、
この企画をそれぞれの町に持ち帰るのも楽しみです。

で、今回、私に割り当てられた担当班は
年齢を勘案されたのか、
(ウムも言わせず・・)
「656広場・オヤジバンド(シニアバンド)」

手が足りない・・・バンドは・・・と
心配していましたが、
多くの協力を得ることができました。

食とタイアップして
盛り上がっていきたいと思います。


企画、資金集めに始まり、
PR、当日スタッフ、会場案内・・・
それぞれが自分の持ち場で、
自分にできることに動いた昨年の「まちおん」が
ついこの間のように感じられ、楽しく思い出されます。


帰宅後は
再び、当初予算書とニラメっこ・・・。

8日に締め切りで
審議につかう資料を請求でき、
予算書は付箋だらけ・・・。
質疑をまとめています。


深夜になって、
冷え込んできましたね・・・。


2005年3月3日(木)  理事会。& NBC出演。& 「よみがえれ!有明海」

今日は中川副幼稚園の理事会が
ありました。

学校教育法の改正に伴い、
寄付行為(幼稚園の定款)を見直し、
それを機に他の文言も見直しの作業。

そして、17:45オンエアで
NBCラジオ「情報ファイル・さが」にコメント出演。

「ニッポン放送株争奪戦」
「17年度予算を見て。三位一体改革は国の赤字のつけ回し?」

2つのテーマのコメントを出しました。


NBC局を出て、県職員互助会館での
「よみがえれ!有明海」訴訟報告集会へ。

指名を受け、
現況報告と見解を述べてきました。

佐賀地裁の「工事差し止め」の判決を不服として
異議申し立てをした農水省ですが、
福岡高裁での慎重・公正な決定を求める
大事な時期です。


さて、今日はひな祭り。
美味しいお茶で桜餅を食べて・・・

子ども達が幼かった頃を
思い出していました。


2005年3月2日(水)    県議会傍聴。& 夜は会議。

今日は県議会で代表質問が行われ、
傍聴に行ってきました。

ちなみに、
代表質問は年1回の当初だけです。

午前中は
留守茂幸 議員(自民党会派)

午後からは
木下治紀 議員(県民ネット)

質問事項は重なっているものが多いのですが
切り口が微妙に違っていました。

知事の答弁には県政姿勢がうかがえて
勉強になりましたが、
全体的に答弁がぼやけている・・・
核心が見えてこない・・・
というのが率直な感想です。

代表質問では2回目以降の質問は無く、
丁々発止の論戦を期待していたのとは
全然違ったものでした。

やはり現地に行けば
ニュースでは うかがい知れない
参考になることが多々あります。


帰宅後、犬を病院へ連れて行き、
今日も注射を打ってきました。


19:30からは
「佐野常民記念館」ボランティアスタッフ会議。

月1回のペースで開かれる会議は
会の始めに
前回に出た要望・意見に対する
その後の対応が必ず文章化されて説明があり、
この姿勢には感心しています。

ボランティア会員同士の
情報の共有化に心掛けて、
会議を進めらておられるのが良く分かります。


さて、明日はNBCラジオで
コメントを出す日。

取り上げたいテーマは幾つかあるのですが、
話す時間が限られるので、
今、絞っているところです。

「ニッポン放送株争奪戦」
「17年度予算を見て。三位一体改革は国の赤字のつけ回し?」
「介護保険料の不可解??国民は損をしている?」
このあたりから話してきます。

内容がカタイので
せめて にこやかに・・・

読者の皆さんはもうお休みですか?

今日も一日・・・
お疲れさまでした。


2005年3月1日(火)     今回の一般質問。

県議会は2月22日から始まり、
今日から佐賀市議会が開会。
各自治体で議会が始まってきます。

我が川副町議会は
8日(水)〜23日(水)の会期予定と
昨日の議会運営委員会で決まりました。

3月議会は初日の8日に
町長の所信表明があります。
また、当初予算の「総括質疑」ができます。

一般質問をするのは5人で
予定では9日(水)に4人、10日(木)に1人。


私は一番目に登壇で、9日(水)9:30〜

通告している事項は

@ クリークの環境保全について
・ 町内のクリークには地元の力では
 到底、整備できない箇所が幾つもある。

 国営水路においての管理体制、ほ場整備済みの用排水路、
 ほ場整備がされていない用排水路、
 それぞれの環境保全は誰の責任の上で行うのか?

 特に ほ場整備がなされていない用排水路においては
 地元住民任せになってはいないか?
 地元の声にどう対応しているのか?

 行政の役目と環境保全に対する認識を問う。


A 市町村合併に対する考えを問う

・今年10月1日に新佐賀市が誕生するが、
 その後、川副町はどのような対応をしていくのか?
 合併に対する町長の見解を問う。


ところで、先日アバンセでの第7分科会に
参加された友人から
掲示板に嬉しい書き込みを頂きました。
分科会に関わった皆さんお疲れさまでした。


今日から3月。
弥生という優しい響きをもつ言葉・・・
ポカポカ陽気の一日でした。

新しい月の始まり、
元気にいきましょう!