2011年5月


2011年5月31日(火)   休み。

伝えたいことは沢山に有るけれど、
何にも書きたくない日があっても良いかな?

済みません・・・。



2011年5月30日(月)  連合佐賀議員懇談会。

昨日のことですが、
久保田町から支援者の方が訪ねて来てくれました。

私が一人会派になったことや、
民主党県連での倫理委員会のことを
とても気に掛けて下さっていたそうです。
有難い気持ちが溢れました。


今日は
支援者との会合。


お昼はお二人の方との面会。


その後、連合佐賀に所属する
県内の議員の懇談会があり、出席。



2011年5月29日(日)  雨。& 佐賀伝承遺産研究会総会。

台風接近の影響もあり、
昨日から雨が降り続いています。

予定されていた
中学校体育祭は延期。

佐野記念館のボランティアが集まっての
除草作業も順延になりました。


お二家族のお葬儀に参列。


佐賀伝承遺産研究会総会。


(今日の独り言・・・)

「大型台風が来る!」と
いつになく張り切って防護作業をしてくれた夫。

幸いにも佐賀地方では
大したこともなく、結果、徒労?

四国沖で温帯低気圧に変わったそうですが、
東北地方への雨が心配です。


で、我が家の防護を元に戻すのも
夫はしてくれるのかしら・・・



2011年5月28日(土) 女性ネットワーク(結い)総会。& 地球市民の会総会。

今日は総会が続きました。

先ずは、
佐賀市女性ネットワーク「結い」の総会。

「結い」はパートナーディの一言メッセージや
劇団「おとめ座」などで出前講座の活動など、
男女共同参画社会の啓発に取り組んでいます。


議事終了後は
末岡暁美さん(郷土史研究家)による講演
『大隈重信の娘・熊子』

大隈卿の貴重な写真を使っての
末岡さんの講演。


私は末岡さんのお話は2回目ですが、
大隈卿の素顔が垣間見れる講演。


急いで、
市民会館での地球市民の会へ。

22年度事業、会計報告、
23年度の事業予定と予算。

佐賀大学の長谷川学長も
パネリストとして。


総会後のパネルディスカッションは
『東日本大震災に学ぶ私たちの生き方』

大野事務局長がコーディネートされた時間は
改めていろいろな事を考える時間でした。

パネリストのお一人、福岡参議院議員から
「復興の狼煙・ポスタープロジェクト」が紹介され、
被災地からの
一つひとつの言葉が胸に沁みます。

全ポスターに書かれたメッセージは

「一緒に悲しむことよりも
  あなたの仕事を一生懸命やって欲しい。

 それが沿岸を、岩手を
  元気にする力になると思うから。」



2011年5月27日(金)  幼稚園理事会、評議会。

中川副幼稚園と大詫間幼稚園が
4月1日に合併して
「川副学園」となり、
今日は川副学園初めての理事会、評議会でした。

多くのことを協議。


その後、場所を変えて
両園の先生たちも一緒に会費制の懇親会。

ざっくばらんに
とても有意義な時間でした。


(今日の独り言・・・)

福島原発の事故を受けて
玄海原発等の安全基準を見直しを審議した
臨時県議会が終了しました。

私は公務と重なったので、
傍聴に行けませんでしたが、
録画でネット傍聴することが出来ます。


プルサーマルを抱える佐賀県。
安全性の確保はもとより、
最終処分のことを
もっともっと議論して欲しいというのが本音です。

処理方法など十分な議論も無いままに
佐賀県を廃棄物の受け入れ先にする訳にはいきません。
今議論しておかないと、
未来永劫に禍根を残すことになります。



2011年5月26日(木) 商工会総会。& オープニングパーティ。

お昼前に友人から
東与賀町のとある施設に来られているとかで、
突然の電話。

民主党サポーターであるその友人は
昨夜私の夢を見ていたとかで、
いろいろ心配をしてくれていました。

で、別の友人にも声をかけて
昼食をご一緒に。

このところ、朝、昼抜きの時間が続きましたが、
お誘いのお陰で
ゆっくりと食事を摂ることができました。


佐賀市南商工会の総会。
その後は懇親会。

各テーブルを回って雑談・・・。


少し遅れて
中心商店街の中にお店が移動された
「く〜ぷらん」の移転新装オープニングパーティへ。
私のジャズ、シャンソンの先生のお店です。

シャレた店内。 常連客によるライブ。


生徒仲間や顔見知りのお医者さん達、
お店の常連仲間・・・
皆さんと楽しい時間を共有。

原田ママの恩師、
マーサ三宅さんからの花かご。
私たちシャンソン生徒からも
お祝の胡蝶蘭を。


これまでは愛敬町に在ったお店が
アーケード(は無いけれど・・)北端の
子どもの本「ピピン」の斜め前に移転しました。



2011年5月25日(水) 中部広域連合臨時議会。 講師。 倫理委員会。

介護保険や消防に取り組んでいる
佐賀中部広域連合の臨時議会。

佐賀市副市長になられた
御厨氏の広域副連合長に。
それと、統一地方選が行われとことでの
多久市選出の議員交代。

財源組み換えによる
補正予算。


本議会終了後、
議員全員行議会。

・介護施設の行政への金額不正請求についての
 現時点までの経緯や、

・佐賀市と神埼市の消防行政統合の
 具体的スケジュール。

・第5期介護保険事業計画策定スケジュール。

・広域消防局から東日本震災地での報告。

被災地での活動は
言葉に表せない大変な現状だったと思います。
職務とは言えども、本当にお疲れさまでした!


急いで、県立病院好生館へ。

平易な言葉で表現するのは
失礼とは思いますが、
発病によるしょうがいを乗り越えて
活動されている皆さん方は命と真摯に向き合い、
人生をとても大切にされている方に思えて
なりませんでした。

その方たちを前に
幾つかの報告を兼ねて話をさせて戴き、
ご意見も頂戴しました。


民主党佐賀県連での
倫理委員会。

政党に所属する議員が
同じ立場の議員から会派を別にしたことに関しての
倫理委員会開催で、
その経緯などの意見を求められました。

私としては自分の発言に責任をもちながら
きっちり述べてきました。

委員会での結論、処分は
後日に報告されますが、

処分を受けるとすれば、
・党員資格の停止
・離党の勧告
・除籍
があります。


県連での倫理委員会は
佐賀では初めてだそうで、
一議員としてはまぎれもなく不名誉なことです。
正直、口惜しいです。

その事は今日の冒頭で
述べさせて戴きました。


私は県連に泥を塗るような
それほどのことをおかしたのでしょうか・・・。
これまでも述べてきた
事の本質をしっかり見ていただいての
開催であって欲しかったと思っています。


ここに思いの全てを書くことを控えますが、
組織とはどういうものなのか?

倫理委員会のことが
大きく報道されたこともあって、
ご心配をお掛けしている支援者の皆さんにも
ご相談しながら、自分なりにもしっかりと、
今後のことを考えていこうと思います。



2011年5月24日(火)  拡大代表者会議。& 自治会総会。& メセナ。

10時からは拡大代表者会議。

4月1日から
新会派「さが未来」をつくりましたので、
私も拡大代表者会議に出席。


議題は幾つかありましたが、

議場でのクールビズについては
実施の方向になりそうで、
各会派内で意見集約されていきます。

議員の健康診断については
公費負担が1/2なされていますが、
それを今後どうするか?という意見を求められ、

私からは企業に所属している議員は
企業検診を受けるだろうし
国保の議員に関しては
市の健康診断や個人受診など、
市民と同じ扱いを望むとの意見を述べました。

その意見が可笑しいように
ブツブツ言われた声も聞こえましたが、
おそらく、県内で、
議員の検診も市職員を同じ扱いをしている自治体は
佐賀市だけか、あっても そう多くは無いと思われます。

議員の「権限」「特権」
きっちり区別したいというのが
私の見解です。


政務調査費の情報公開については
自主公開、つまり、情報公開の手続きを取らなくても
情報開示されていくこととなり、
大まかな情報はネット上でも公開されていく方向で、
詳細は議会図書室や、
情報公開室で閲覧できます。

政務調査費の
より透明性を求めての取組です。


拡大代表者会議終了後、
別件で執行部と意見交換。


14時からは
佐賀市自治会の総会。

来賓として祝辞を述べられる
秀島佐賀市長。


佐賀市には663自治会があり、
今日は482名の会長が参加されていました。

公民館分館運営問題など
多くの意見を抱えておられる中での
総会だったと思います。


功労表彰、退職記念感謝状、総会議事、
夕方からは恒例の懇親会でした。(会費は5千円)


また、今日は「メセナ」に参加。

通称「メセナ」は
「佐賀県企業メセナ協議会」といって
企業家の皆さんの研修会の集まりで、
お誘いを受けてオブ参加させて戴きました。

演題は
『「書く」「読む」は生きる力』
  〜 それなしに佐賀の地域力は育たない 〜

講師は
佐賀新聞社論説委員の園田寛さんと
書肆草茫茫 主宰の八田千恵子さん。
トーク形式の講演でした。

冒頭の
「どんな仕事にも社会的責任がある・・
 仕事には苦労が付きもの。
 苦労なしには良い仕事はできない・・・」と言われた言葉。

私の心に刻まれます。

今まで意識していなかったのですが、
佐賀県には文学館が無いのですよね。
九州で文学館が無いのは
佐賀と宮崎だとか・・・。

勿論、佐賀には文書館も無い。

佐賀県には文化課が無い。

歴史文化豊かな佐賀県で、
どうしてだろう???と
今更ながら不可解です。


「メセナ」での講演は
講師お二人の知識の引き出しを
もっともっと覗きたく時間でした。
有難うございました!



2011年5月23日(月)    自問自答。

風混じりの雨に
少し肌寒い一日でした。


精神的に参りそうな自分を
もう一人の自分が見ています。

頑張らなくてもいい・・・
長いものに巻かれた方が楽・・・
憎言を憎言で返せば?・・・


でも、
楽な方に逃げ込むのは
多くの人を裏切ること。

憎言で返すのは
私の人間性が許さない。

そんなこんなの毎日が続き
確かに精神的に疲れている自分・・・



2011年5月22日(日)   課題に結び付けることの重要性。

以前からの懸案事項、
介護に関することでの1つは
先ずは介護認定の再審査をお勧めしたところ
介護1に認定されたとの連絡あり。

要支援でもなかった方が
介護1に認定されたのは
本当は喜ぶべきことではないのですが、

幾つかの病院に掛かられている場合、
どの受診医で意見書を添えてもらうかによって
認定申請結果が変わる場合があります。

実際、介護サービスを必要とされる方でしたので
サービスの枠が広がったことを
喜んでおられました。


別件はしょうがい者の方に関することで
行政福祉の枠外にあたるので、
私の友人たちが一役買ってくれて
こちらも一安心です。


その他にも3つの案件を
早急に何とかしなければ・・・と
思う毎日です。


相談ごとを受けると、
それらを切っ掛けにシステム上の問題など、
行政に提言できることがあります。

その方の問題点は
おそらく複数の方の問題点でもあるはずです。



2011年5月21日(土)     視察余話。

皆さまの税金でもって行かせて戴いた
視察研修から
帰ってきてから留守中の用があふれていました。

それらを精力的に(?)こなして
久し振りにシャンソンの練習に。


さて、視察余話ですが・・・

高松市は自転車による街づくりを
進められてきた所。

国道沿いの歩道は
自転車道と人間道で仕切られています。
いたる所に立体の
自転車パーキングがありました。


南国市での自由時間に
丸亀商店街を歩いてみました。

各種提灯や、調理用品、
覘くだけでも楽しい店舗。
猫同伴もOKの
「まちネコ倶楽部」加盟店もあちこちに。


ここは
「第一種商店街再開発事業」に乗り
再開発プロジェクトがなされています。

進行中だったG地区再開発は
来年の春に完成予定だそうです。


高松駅と丸亀町を100円で結ぶ
「まちバス」や
路面電車を結ぶ長〜い商店街ということもあり、
とても活気づいていました。

それと
高松市が「自転車まちづくり」を
進めてこられたことも商店街の
活性化に一役買っていて、
アーケードの中を自転車で通る
沢山の方々が止まって買い物をしておられたり、

ハード事業とソフト事業の組み合わせた
先の先を見据えた行政投資で、
再開発されていました。


その他にも
視察項目以外にも
実際に視たり意見交換の出来る
楽しみの一つです。

今日一日で
2万歩近く歩きました。



2011年5月20日(金)   高松市。

視察研修2日目は
松山市
「高松市こども未来計画」

人口約40万人の市政をあずかる
高松市役所庁舎。
市役所ロビーでは
「就職応援・適職相談」コーナーが
設けられていました。
(2日間だそうです)



高松市では
平成17年3月に
「高松市こども未来計画」を策定し
22年度4月からは後期計画。

新たな行動計画により、
取り組みが進められていました。

参考にしたくなるような
沢山の資料を揃えて頂戴しました。


その基本理念は
「楽しく子育て♪笑顔かがやくまちーたかまつ」
まち全体で
子育て・子育てを支援を目指しています。

健康福祉課内に「子ども未来局」を設置され、
子ども未来局で放課後児童クラブも
所管されているようです。


「高松市こども未来計画」の
基本目標は

・「家庭・地域における子育ての支援」
・「子育てと仕事の両立支援の推進」(ワーク・ライフ・バランス)の実現
・「子育てを支援する生活環境の整備」
・「子どもの心身の健やかな成長に資する教育環境の整備」
・「子育てに伴う負担の軽減」


個々についての
具体的事例などの報告を受け
意見交換。

私からも幾つか質問しましたが
特記すべきは
・国が高校無償化を打ち出してからも
 市独自で高松市奨学金支給事業を続けている

・「子ども権利条例」は
 平成24年度制定を目指して
 検討会を立ち上げられるところだそうです。


「子ども未来ネットワーク」会議などには
様々な立場の方々が参加されているようでした。


戴いたパンフレットなどの
キャッチコピーが面白く、
例えば
父親向けの「たかまつ父親手帳」
  〜 ようこそ イクメン道場へ 〜

子育てハンドブック
「たかまつ らっこ」)は
楽(しく)子(そだて)から。

NPO法人の「わはは」に委託されているそうですが
乗車時間までの時間を使って
有志4名で
「NPO・わはは」に行ってみました。

「わははひろば」の入り口。


成程、成程・・・
「わはは」の謂われも
母親の輪・・・輪母だそうです。


帰りも再び
屋島などの瀬戸内海国立公園を
JRで渡りながら
新幹線に乗り継いで帰佐しました。


(今日の独り言・・・)

高松駅から岡山行きの
JR快速マリンライナーは
2階建て車両の下の座席でした。

丸で地面を這っているような感じ・・・。

窓の外はホームの下です。




2011年5月19日(木)   南国市。

私たち「文教福祉常任委員会」の
視察研修の1日目は
南国市の
「学校給食の取組について」

岡山まで新幹線で行き、
JR特急南風に乗り換えて
「御免」駅まで行くと、
ホテルの送迎車が迎えに来てくれていました。

高知市から車で20分くらい離れていて、
人口4万8966人(H23年4月1日現在)

高知龍馬空港があり、
空の玄関口と言われています。

ところで、
「御免」という謝ったような地名は
江戸時代の山内二代藩主の時、
奉行職にあった野中兼山は
物部川を改修し、荒地を開墾。

その中心に「まち」をつくって
そこに住む者には土地を与え、
租税や諸役を免除したので
このまちは諸役御免のまち「御免町」と
呼ばれたそうです。


いわゆる、先を見据えて
定住人口を増やしていったのですね。


南国市の
「学校給食の取組について」


南国市最大の小学校を退職された
西森善郎氏が
市に教育長として迎え入れられた時、

以前からの検案だった
地産米を使った各学校での炊飯方式の導入を
つよく申し入れられたそうです。

平成10年度からは
全ての小学校(13校)
中学校(5校)
市立幼稚園(1園)で
家庭用炊飯器を使って炊き立ての棚田米の給食です。

・旬の食材の利用、
・米づくり親子セミナー
・食育フォーラム
・学校菜園の収穫物を給食に

などなどの
学校給食改革をされてきました。


結果、
・食べ残しゼロ
・中山間地農業の振興
・学校教育から市民への食の啓発

今後も
・地産地消の拡大を図り
・生徒自身によるお弁当作りづくり(自立できる子どもを目指して)
・「和」の食文化の継承

ちなみに現在の給食費は
1食240円だそうです。


食文化として学校給食を考え
生産者の顔が見える給食や
食に対する市民啓発など

平成17年9月1日には
「食育のまちづくり宣言」
条例も制定され、
「食育推進計画」が市政にしっかりと
位置付けられていました。


小学校に入って最初の遠足で
「マイ茶碗」をつくるそうです。
月1回ほどはこのマイ茶碗で食べるとか。


教育委員会学校教育課からの
研修を受けている間にも
給食に向かう
子ども達の笑顔が見えてくるようでした。

ご参考までに
給食費滞納はH22年度で
1万5千円ほどだったそうです。


(今日の独り言・・・)

南国市の議会事務局のお計らいで
ホテルと市役所の間に在る
「長尾鶏センター」を案内して下さるとかで
少し早目にホテルを出ました。

尾長鶏という呼び名が一般的ですが
地元では長尾鶏と呼ばれているようです。

ニワトリは通常、1年に1度、
羽が生え換わりますが、
オスの尾長鶏は尾羽が生え換わらないため、
尾が非常に長くなるそうです。

一羽ずつ
「止箱(とめばこ)」と呼ばれる
縦長の箱の中に居て
尾の長さと美しさを保つためには、
鶏ごとに格納して育てなければならず、
「動く」ことは禁物だそうです。

身動きできない縦長の箱。
餌の入り口と上から明るさが
確保されていました。


扉を開けても逃げる気配のなかった長尾鶏。
ずっと箱の中で育てられていると、
そこに安住してしまうのでしょうか・・・。

日に何時間かは日光浴も兼ねて
庭に出されるそうですが、
扉を開けても飛び出さない鶏が
何とも切ない光景でした。

ちょっとしたら私たちも
狭い世界の中で動いているのかも知れません・・・


かの野村稔氏が
「古いものを見たければ、
    博物館か議会へ行け」と言われましたが、

少しは変わりつつあるとは言うものの
市民目線からやっぱりズレている・・・。
などなど考えていました。



2011年5月18日(水)   今日から視察。

19日、
四国高知県の南国市、

20日、
香川県の高松市、

両市に視察研修のため、
今日は南国市までの移動日です。

早朝、一つの所用を終えて
議会事務局へ寄り、
思ったより事務局での用事が早くに済んだので
集合時間の40分前には佐賀駅に着いていました。

観光協会のコナーや
近くのホテルのロービーで時間を潰し
11:13分発のJRでいざ出発。
しかっかり研修してきます。


今日から3日間の日程で
3つの常任委員会が
それぞの視察先に出向きますので、
佐賀に居る議員は1/4ということになります。


2011年5月17日(火)   プレゼント!

昨日の嬉野でのアロマ引退式の後、
岸川さんご家族と
「盲導犬育成アロマ基金」の理事たちとで
お疲れさん会を開いて下さいました。

最後まで参加して
皆さんと一緒にゆっくり温泉に浸りたかったのですが、
中座させていただき、
支所退職職員さん達を交えた送別交流会に参加。

会も盛り上がって
いろいろと意見交換。
参考になるご意見を聞かせて戴きました。


(今日の独り言・・・)

昨日は私の
ん歳?(忘れた)の誕生日でした。

議員活動をいつも支えて下さっている方から
大きな花束を頂きました。

カードに書かれた言葉は
「リラックス心で・・・」

私らしさを失わず・・・という意味合いが
込められていました。


濃いローズピンクと黄色の薔薇。
抱えきれない程の大きな花束は
議員当選の時以来で、
サプライズ!です。



2011年5月16日(月)   お疲れさん! 岸川さん&アロマちゃん。

盲導犬として嬉野市の岸川美好さんと
ともに歩んできた「アロマ」の引退式が
嬉野小学校で行われました。

私と岸川さんファミリーとの出会いは
私が議員になってすぐのことで、
未だアロマが岸川さんのもとに居ない頃。

いつもお連れ合いの洋子さんと手を繋いで、
市川昭介さん作曲の歌で
歌手活動をされていた頃。

H12年6月歌手デビューされ、
紅白出場を目指しておられました。


私もスタッフに一員として関わっている
知的しょうがい者就労支援の
体育祭などに岸川さんに
歌いに来てもらうお願いなどもしてきました。


H14年に盲導犬アロマが
岸川さんの家に来た時のこと、
アロマとの出会いで岸川さんご自身の
表情が変わってきたことなどを
昨日のことのように想い出します。


嬉野市の谷口市長のお計らいで
盲導犬アロマは嬉野市民としての
住民票を交付されました。
全国で初めてのことでした。

その後も川副町をはじめ、首長への表敬訪問、
マスコミとの橋渡しや盲導犬フェスタの準備など
連絡を取り合いながら、
私に手伝えることをできたことを
とても嬉しく思ってきました。


で、今日の盲導犬フェスタの司会役を頼まれ
泣き出しそうで自信はありませんでしたが
お引き受けしました。


場所は嬉野小学校。

岸川さんとアロマは盲導犬育成募金活動の他に
約100ケ所で講演会や触れ合い事業を
されてこられましたが、
嬉野小学校はその原点の場所です。

校長先生、教頭先生、
皆さんのご理解のもと、
最後はここでの開催となりました。

打ち合わせOK。

最初から泣き出しそうな司会役でした。
生徒さんは
多くの報道関係者に驚きながら
アロマの入場を待って
ワクワクしてくれています。



体育館の中には
生徒一人ひとりが書いてくれた
アロマへのメッセージで飾られていました。


沢山のご来賓やアロマを見送る方々に
ご出席いただき、開会。

第1部は
「触れ合い授業」

第2部は
盲導犬育成資金の贈呈式。

第3部は
アロマ引退式。


第1部では嬉野小学校
3年、4年生との「触れ合い授業」
アロマにとって最後の授業でした。

岸川さんから盲導犬アロマの話を聴いた後、
アイマスクをした生徒が
岸川さんと手を繋いで
アロマの誘導を受けて歩きました。

アイマスクをして
アロマと一緒に歩く生徒さん。
思ったより早足にびっくり・・・。
ご苦労さん、アロマ!と
頭を撫でてもらって、
アロマも別れを解っていたようです。


そして、生徒一人ひとりが
アロマの頭を撫でて
「ご苦労さん」をしました。


第2部は
導犬育成資金(150万円)が盲導犬協会に贈られました。
岸川さんの活動の中で
10頭目の育成資金贈呈です。

今日までお預かりした分や
ゴールデンウイーク中も
有田の陶器市で有志とともに募金活動をされて、
10頭目の基金が集められました。

来賓のメッセージを聴かれる
岸川さんファミリー。


第3部は
アロマ引退式。

嬉野市長からアロマに
感謝状が贈られ、
九州盲導犬協会からは「功労犬認定書」が贈られました。

嬉野市長は
「夢先案内人」という言葉を使われての
表彰状を贈っていただき、

また、「功労犬認定書」は盲導犬としては
初めてのことでした。

ちなみに、
繁殖犬としてアロマのおばあちゃん(アロマ1号)など
2頭がこれまで功労犬認定を受けています。

アロマはその優秀なおばあちゃんの名前を
もらったと聞いています。


アロマと一緒に活動するようになって、
盲導犬と一緒に入れない施設が多々あり、
盲導犬をもつことによって
「バリア」を体験した岸川さんは

盲導犬への理解を求めて
アロマと一緒に
全国47都道府県の行脚もされました。

そういった活動をともにしてくれたアロマに
岸川さんからお礼の言葉が述べられ、
ハネースが外されました。

参加者代表から
アロマに花の首飾りが次々にかけられ、

コロンビアレコード歌手の
後藤聖子さんから
アロマを代弁しての歌
「ありがとう」が歌われました。

「ありがとう」は
岸川美好さんの作詞です。



盲導犬は貸与ですので、
岸川さんから九州盲導犬協会へ
ハーネスを外したアロマが返還されました。


盲導犬として8年半、
アロマは10歳。

そのアロマを
鹿児島市の鵜戸俊博さんが
老犬ボランティアとして預かられました。

鵜戸さんはアロマが子どもの頃、
1年間預かられた
パピーウォーカーだった方です。

盲導犬がその役目を終えて
パピーウォーカーのもとに帰るのは
ほとんど無いことです。

アロマも鵜戸さんご夫妻を
憶えていました。

式典終了後、
生徒さんや皆に見送られてアロマは鹿児島へ
旅立ちました。

鹿児島に向けて出発の時。


鵜戸さんの車の中には岸川さんが揃えた
アロマの洋服や好物のメロンなど
いろんな品物が積み込まれていました。


アロマ!
盲導犬として、それに、講師の一員として、
本当に本当にお疲れさまでした!

お優しい鵜戸さんと一緒に
ゆっくりと余生を過ごして長生きしてね・・・。


長い書き込みになりましたが、
未だ未だ書き切れない思いでいっぱいです。

「盲導犬育成・アロマ基金」の理事の一人として
盲導犬普及に関わってこれたこと、
岸川さん初め多くの仲間の温かさ、
多くの触れ合い・・・
感謝の言葉を挙げればキリがありません。

私を通じてアロマ基金に募金下さった皆さま
有難うございました。

今後も九州盲導犬協会を通じて
募金は受け付けていきますので
どうぞ宜しくお願い致します。


(今日の独り言・・・)

岸川さんは別の盲導犬の貸与を望まないと
言われていました。

アロマと老後をともにしたいと考えられていましたが、
岸川さんが一緒だと、
アロマの頭から「お仕事感」が抜けない、
老犬ボランティアの方のもとで
ゆっくりと余生を過ごさせてやりたい・・・と。

これもアロマを大切に思う優しさです。

見送る時、皆の顔は
涙でグチャグチャになりました。


アロマとともにした時間は
私の人生の宝物でもあります。

川副の小学校、博愛の佐野常民記念館にも
お越し戴きました。

盲導犬を触らせてもらったことなど、
知り合いの子ども達は
今でも良く憶えています。

しょうがいのある方への理解も含めて
子ども達に多くのことを
岸川さんご夫妻とアロマは教えてくれました。


アロマと過ごすことになった
鹿児島の鵜戸さん宅には
もう1頭 8歳の犬が居て、

訓練の結果、盲導犬に向かなかった犬を
引き受けておられるそうです。
頭が下がります。


現在活躍中の盲導犬は約800頭、
対して、盲導犬を待っておられる方は
約2000人。

盲導犬、介助犬育成、
こういった予算付けを
国に強く強くお願いしていきたいと思っています。



2011年5月15日(日)    大隈祭。

今朝の新聞記事を見て
心配された方々から電話が入ります。

私、市議会と
県議会での事情は時期や理由などが
違うことをお伝えするも
県連に対する厳しいご意見を頂戴します。

新聞記事の影響は大きく、
私も倫理委員会に図られるという記事を見て、
不名誉なことでは・・と
心配して下さっていました。

代表、副代表の辞意表明、
ご心痛をお掛けしたことも含めて
多くの思いが私の胸に広がります。


さて、今日は10時から
大隈重信の生誕173年を称える
「大隈祭」

神事の後の式典では
主催者の秀島敏行保存会理事長、
原口代議士の挨拶の後、

大隈スピーチコンテストの受賞者
中学生1名、高校生2名からの発表。

大隈記念館スケッチ大会表彰式。

早稲田大学史料センター
檜皮先生の記念講演
「近代人としての大隈重信」

リレー講談紙芝居。
紙芝居を使っての講談「大隈重信物語」は
面白かったです。

野点でお薄を戴きながら
少しのんびり・・・。


夜は議会報告会の
私たちの班の反省会がありました。

反省会が終わって
川副町の友人たちと合流。



2011年5月14日(土)  議会報告会。& 県連常任幹事会。などなど・・・。

市内16ケ所での
「議会報告会:市民との意見交換会」

今日は私たち7班が担当する報告会が
勧興公民館で13時から開催されました。

20名ほどの市民の方が
集まって下さって
市政全般や議会に関して
熱いご意見を頂戴しました。


時間がダブっていた
民主党佐賀2区の常任幹事会は欠席。


17時からは
民主党佐賀県連での常任幹事会。

冒頭、原口代表が辞意表明。
大串副代表の辞意表明。
正直、驚きました。
この件に関しては預かり事項となり、
その後、幾つかの協議。

その他の事項で、
市議会会派のことと
県議会会派のこと。

幹事会の中で
私が一人会派を立ち上げた件については
かい摘んだ報告をしながら、
自分の中に虚しく割り切れないものが
残りました。

別会派議員への個々への対応については
倫理委員会において
協議されていくことになるそうです。



2011年5月13日(金)    あれこれと・・・・。

思い悩む日々・・・。

自分らしさを失わないためにも
原点を見直してみる必要がある。


私は間違っていないと思う。

目線をどこに置くのか
しっかり考える時期かも知れない・・・。



2011年5月12日(木)   原稿書き。

依頼された原稿の締め切りが迫っていて、
思うように纏まらない・・・。


午後からは
友人のお父さまのお葬儀に。

社会貢献をされてきたご立派なお父さまに
友人の原点が分かった気のした
お葬儀でした。


夜は友人が訪ねて来てくれて
小田和正のCDを届けてくれました。
お陰さまで車中の楽しみが増えました。


(今日の独り言・・・)

それと、
13年前の1998年にテレビ出演した時の
録画をCDにした物も届けてくれました。

「平成の大合併」という
サガテレビの2時間特番で、

当時の西村・佐賀市長や
今は亡き東与賀町の碇町長
豆田・前市議会議員
村岡総本舗の村岡安廣社長、
佐賀大学の田中先生などとのパネルディスカッション番組。

私が議員になったのは11年前なので、
当時は市民活動をしている一主婦。
ウブです。



2011年5月11日(水)  鮮豊会。& 議会報告会へ。

川副町鮮豊会総会へ。

総会終了後、
農業青年の皆さんとの
久し振りで顔を合わせた皆さんとの意見交換。

場所を変えての懇親会は失礼して
川副町での「議会報告会」へ。

参加者は私が老人クラブ総会の折りに
声掛けしていた地域会長さんが殆ど・・・。

雨の中の報告会でした。



2011年5月10日(火)  老人クラブ再生総会。& お別れ。& カチカチ。& 会合。

開店と同時に行き付けの美容院へ。
洗髪とブローをしてもらってスッキリ・・・。


10時からは
川副町北部老人クラブ(北早、上早)の
再生総会でした。

私の地元の北部老人クラブは
ここ2年間休止中だったのですが、
再結成しました。

来賓挨拶をさせていただき、
総会協議も順調に終わり、終了。


その後は急いで
鶴田先生のご出棺を見送りにお葬儀に向かい、
お別れをしてきました。

先生には佐賀の歴史、教育の大切さ・・・などなど
これまで多くの教えをいただきました。


サガテレビのスタジオへ。
岸川美好さんご夫妻と盲導犬アロマの
「かちかちワイド」出演の激励です。

松本アナ、市原アナと記念写真。
アロマも笑っています。


3日付けの讀賣新聞や
今日 10日の佐賀新聞にも紹介されましたが
10歳になったアロマは盲導犬を引退します。

リハーサル中にスタジオに入って行くと
私の姿を見付けたアロマが
喜んでくれました。

急きょ「パネルを持ってね」と言われたので
画面に一緒に映りましたが、
度々ご一緒したテレに局の皆さんに
アロマも労ってもらっていました。

出演が終わって・・・。
長い間、お疲れさま!



19:30からは
「歴史的まちづくり」のお会合へ。
22時ごろまでいろんな話が出されました。

佐賀のまちづくりを真剣に考える
仲間たちです。



2011年5月9日(月)   突然の訃報に・・・。

明治維新史研究会の前会長であり、
いつも私たちの応援をして下さった
鶴田 孝先生の突然の訃報。

昨夜遅くに友人から
連絡を頂いていたのですが、
体調があまり優れずに寝込んでいたので気付かず
明け方携帯の伝言メモを聞いてびっくりしました。


親戚の方がご遠方なので
お通夜の今夜は遅くまで
ご遺体とご一緒しました。

先生の笑顔や声・・・
多くの想い出が胸に溢れてきます。



2011年5月8日(日)  議会報告会。& 母の日。

午前中は幾つかの所用。

お昼前に
知り合いのお母さまの悔みに。
お葬儀前でしたがお参りさせていただきました。

「認知症家族の会」の代表として
ご尽力いただいている森久美子さんの
お母さまで、
認知症と長年付き合われた方です。

内蔵が思わしくないと
先日伺っていましたが、
お別れの時がきてしまいました・・・。


急いで開成公民館へ。

市内16ケ所で
「議会報告会:市民との意見交換会」を開催中で、
今日は私たち7班が担当する報告会でした。


今回は特に意見交換の時間を
設けていて、

開成公民館では
一般の方19名と議員仲間1名がお見えで
活発にご意見を頂戴しました。

・用排水に関すること(多量降雨時の農業用水確保と住宅地域の灌水問題)
・請願、陳情について
・議員発議はどのくらい?
・個々の条例について(時代に則していないものは?)
・補助金の形骸化の見直し
・原子力に関して
・有明海再生について
・本議会上の議員の態度について(居眠り、野次、私語など)
・バルーンフェスタ運営補助金に関して
・健康診断の公費補助について

などなど、
時間を延長しての発言を頂きました。


それにしても今日は暑かったです!
好天の休日の中、
ご参加下さった方々に感謝申し上げます。

私たちの班はもう1ケ所、
14日(土)13:00〜
勧興公民館での開催です。


今後の日程など、
議会事務局のHPのこちらからご案内致します。

お時間が取れる時間に
ご都合の良い会場にご参加いただければ幸いです。


さて、今日は「母の日」
私の母も夫の母も他界していますので、
写真の前に花を飾って手を合わせて、
しばし語らいました・・・。

娘や息子から
感謝メールやTシャツのプレゼント。
大切に着せてもらいましょう・・・。


(今日の独り言・・・)

今日、嬉しい出会いを戴きました・・・。

早速にメールも頂戴し、
感謝です!


ゴールデンウイークも終わりましたね。
如何お過ごしでしたか?

私は連休中に
是非やろう!と思っていことが
いっぱいあったのに半分も出来ずに
不完全燃焼に終わってしまいました。

体調がイマイチすぐれなかったことを言い訳に、
時間管理能力を猛省中です。



2011年5月7日(土)  ご結婚披露宴。

友人のご子息のご結婚披露宴へ。

日頃、家族ぐるみで
親しくお付き合い戴いているので
我がことのような気持ちです。

誓いのキッスをパチリ!
(カメラマンはオバタリアン)


夫とともに少し早目に挙式から出て
夕方からの披露宴は
新郎新婦の友人たちやご両親のお付き合い仲間で
たいそう多くの方がお見えでした。

大串代議士も上京時間ギリギリまで
出席されていました。

新朗と我が家の息子は2歳違いで
新朗の妹さんと我が娘は親友なので
あちこちから「おばちゃん!」と
若者が声をかけてくれました。

お二人の幸せを祈って、乾杯!



2011年5月6日(金)   今日もあれこれ・・・と。

午前中に幼保教育関連で
意見交換。

国、県に対しても
多くの事を伝えていかなければ
市政や現場は大変です。


その後は
議会棟での事務作業。


帰りに寄った佐賀市の玉屋デパートでは
「恵比須DEまちづくり」のフェアがあっていて
親しく話しながら、グッズを購入。

19年に合併した南部3町の
「恵比須様」も紹介されていました。
連休返上でお疲れさまです!


で、玉屋で傘を5本いっぺんに買ったので
途中会った方たちから
「その傘、どうしたの?」と聞かれ
その度に
「良い傘が安かったから、まとめ買いしたのよ・・・」と説明。
聞かれる度に、随分、売り込んで歩きました。

ゆっくりと買い物ができた
貴重な時間でした。

玉屋南館入口に置かれていた
七賢人パネル。
まん中から顔を出して、
記念写真を撮れば、佐賀八賢人。


帰り道、バスを待っておられる素敵な女性は
あれ?友人・・・
ご自宅までお送りしたら、
畑の新鮮な無農薬レタスを頂きました。

今夜はレタス鍋にメニュー変更です。



2011年5月5日(木)   「英国王のスピーチ」

市政に関する意見交換会。

その他の時間は
パソコンと向かい合う一日。

夕方から来客あり、
別々に見えたお二人は
偶然に知り合いで話が弾みました。
餃子を食べながら、乾杯!


お世話になった方のお悔みに。

89歳というお年に不足は無いとは言うものの
やはりお別れは辛いものです。
お訪ねする度に
手を握って励まして下さいました。


21時過ぎからの最終上映で
「英国王のスピーチ」を観ました。

観たかった映画で、
明日で終わるというので、
執筆での徹夜明けを押して行きましたが
つい、ウトウトとしてしまい、
夫から小突かれること しばしば・・・。

観たい映画は
やっぱ、早よ観ておかんとアカンわ。



2011年5月4日(水)   みどりの日。

今日は自然に親しむ「みどりの日」

「みどりの日」の元々は
昭和天皇の誕生日の4月29日でした。

昭和天皇が生物学者であり
自然を愛したお人柄だったことから
「みどりの日」とされましたが、
2007年より4月29日は「昭和の日」となり
「みどりの日」は5月4日に移動されました。


昔は飛び石連休とか言いましたが、
今は5月3日〜5日は3連休です。

そんな休日を
急がなければならないレポートや
依頼された原稿づくり。

「みどりの日」にちなんで(?)
3時間ほど庭の手入れも・・・。


夜は夫と気分転換を兼ねて
行き付けのお店で食事。



2011年5月3日(火)   憲法記念日。&政府議論はおかしい!

今日は憲法記念日。
憲法制定から64年目を迎えました。


国会は休日無しで審議が続いています。

約4兆円の第1次災害復興関連予算が
昨日、全会一致で可決され、
関連法案も含めて目白押しです。


にわかに増税論が上がっていますが、
災害復興財源としての増税には反対で、
それは経済オンチの考え方!だと思っています。


それに、
東電の財政責任論も曖昧なままです。
なぜ、最初から国民負担で東電を救済しなけれ
ばならないのでしょうか。

政府が「原発賠償機構(仮)」をつくって、
交付国債を機構に発行して、
機構は必要に応じてそれを現金化して
東電の賠償に充て、

東電は10年程度の分割払いで
機構に返済するといった案です。


東電が鼻血も出せない状態ならともかく、
国が立て替えて、
東電が利益から払い戻すというのもおかしい。

電力は総括原価方式のので、
必ず利益が出るようになっていて、
結局、国民が負担するだけ。

さらに他の電力会社に負担を課しとして、
もし、電力料金を引き上げて
財源に充てるなどというのは言語道断です。

先ずは、
「原子力環境整備促進・資金管理センター」の
積立金の約3兆円を使うべきです。

東電の存続を前提にして、
将来の電気料金を原資に賠償するというのは
いずれ電気料金が引き上げられると、
負担は結局、国民の肩にかかってきます。


普通の会社が倒産すれば、
負担は役員と株主、社員、
投融資してきた取引金融機関が分担します。

「東電は地域独占でつぶせない」というなら、
政府は今こそ先ず
地域独占体制を見直すべきです。

競争が活発になれば、
電気料金の引き下げも可能になるかもしれません。


また、東日本大震災の復興財源として
増税論が飛び交っています。
再建の青写真も決まらないうちに、
なぜ、いま増税論ばかりが先行するのでしょうか。

普通の「政府審議会」では、
委員同士が数カ月程度、議論を続けた後、
事務局を握る官僚が舞台裏で周到に根回しして
結論に誘導するのが常とう手段です。


増税論といい東電賠償案といい、
国民不在の議論になっています。

しっかり監視すべき局面です。

多数制民主主義の中で
選ぶリーダーを間違ったのでしょうか?



2011年5月2日(月)     意見交換会。

日中はクリーク等の現地視察と
土地改良区の方を交えての意見交換。


その後、ミニ集会。


今日の国会本会議で
約4兆円の第1次災害復興関連予算が
全会一致で可決されました。


夜のニュースでは
ビンラディン容疑者がパキスタンで殺害され、
テロリストの聖地にしないために
水葬されたとか。

ビンラディン容疑者とあります。
法と人間・・・考えさせられるニュースです。


さて、
このところ少々バテ気味。

今夜はニンニクをたっぷり入れた餃子、
外はカリカリ、中はジュワーっ・・と、
作りました。



2011年5月1日(日)  佐賀市民吹奏楽。

風薫る季節!
今日から5月です。

子どもの頃はいつもこの時期に
病気をしていました。

そんな訳で、母から
「木の芽立ちの頃は気を付けるように・・・」と
言われたものです。


今日の午後からは
夫に付き合ってもらって
佐賀市民吹奏楽の定期演奏会へ。