やさしさに包まれて/side B
 そうして数週間が過ぎた。  天気予報は午後から下り坂、との旨を告げていたが、四月初旬のその日、朝からおだやかな晴天が広がっており、 まだ満開には早いものの桜の花が随所で美しい風景を作っていた。ぜひミナにも見せてやりたい、というマルチの意見に 全面的に賛成したオレは、再び来栖川のロゴ入り作業服を着てミナの連れ出しを敢行し、みごとに成功を収めていた。  オレたちは三人でゆっくりと桜並木の川縁を歩く。暖かな風に桜の花びらがひらひらと散り、三人のまわりを包む。  マルチとミナはお揃いのブラウスとスカートを身につけており、まるで双子の姉妹のようである。 マルチといっしょに何軒も店をまわって買ってきたものだ。 「きれいですねえー。」 「そーだな。」 「………」  マルチと手をつないだミナは表情に変化を見せないままで黙々と歩いている。  オレたちが来栖川の点検員などでないことはとうにミナも気づいているだろうが、それについては何も質問してこようとはしなかった。  ミナは黙ってオレたちと歩き、記念写真に応じ、シートを広げた上に腰かけ、蒸留水の入った紙コップで乾杯し、 マルチの作ったお弁当をオレが平らげるのを見ていた。 「ミナちゃん、楽しいですかー?」 「………」 「わたしね、桜大好きなんですー。この浩之さんと最初に出会ったのが桜の季節だったんですよー…。」 「………」  ミナはじっとマルチの顔を見てマルチの話を聞いている。別段感銘を受けた様子もないが、退屈しているような様子もなかった。  ひらひら…  桜の花びらが次から次へと散ってゆく…。 「ふふっ、ミナちゃん。頭に花びらがついてますよー。わたしがとってあげますねー。」  なでなで…  マルチがミナの頭から花びらを払ってやる。ちょうど、マルチがミナをなでなでしているようだ。 「………」  ミナは何もいわずに頭をマルチにゆだねていた。 「じゃな。」  「ミナちゃん、またねー。」  一度家に戻ってミナをメイド服に着替えさせ、簡単なメンテナンスを行ったのち、オレたちは前回と同じように駅までミナを 送っていった。ミナはやはり改札の手前で深々とお辞儀をし、構内へと姿を消した。そして、しばらくするとやはり前と同じように 掃除用具を手にホーム上に現れ掃除をはじめた。だが、今回は一度だけ顔を上げ、オレたちの方に視線を向けた。  すかさずマルチがミナに向かって手を振る。  ぺこ…  ミナはその場で小さく頭を下げるとふたたび掃除をはじめた。       その日は宵の口から雨になり、寒冷前線の通過とともに気温もぐんぐん下がっていった。 ざああ…   雨は深夜になって一層その雨足を強めていた。 「…けっこう降ってきましたねえ。」  結露した窓ガラスに額を近づけて外を見ていたマルチがオレに声をかけた。 「そうだな。それにけっこう寒そうな雨だぜ。」  オレはマルチの後ろに立つと窓から外を見て答える。実際、4月とは言え寒冷前線の通過によってもたらされた 今夜の雨は室内にいてもぞくっとするような冷たさを感じさせる。 「桜の花もこれで散っちまうかも知れねえなあ…」  オレは昼間に花見に行った川沿いの桜並木を思い出しながら言った。  こく…  マルチは小さくうなずく。 「…ミナ、大丈夫かなあ…」  マルチはだれに聞かせるつもりもない独り言のようにつぶやく。 「……そうだな。」 「………」 「………」  オレたちはそのままじっと雨を見ていた。この雨の中、ミナは線路の吸い殻を拾い集めているのだろうか…  ピンポーン…  遠慮がちにドアのチャイムが一度だけ鳴った。時刻はもう午前0時をまわっている。おれたちは顔を見合わせた。 こんな時間にいったい誰が… 「だれでしょう?」 「さーな。ま、ちょっとでてみるよ。」 「あ、わたしが参ります。」  そう言うマルチを手で制してオレは玄関に向かった。  ぱたぱた…  結局マルチもオレのあとをついて玄関にやってきた。  ざああ……  玄関のドア越しにも雨の音が響いている。  玄関灯の光が作る影がガラス越しにうかがえる。やはり誰か外に立っているようだ。  カチャ… キィィ… 「はい? え? どうして…」  顔を出したオレの目に映ったのは、髪から服までずぶぬれになった一台のメイドロボだった。緑の髪、 そこから伸びるセンサー… HM-12型メイドロボ… ミナだった。  ミナはゆっくりとオレとマルチに頭を下げた。 「藤田さま、マルチさま、夜分に申し訳ありません。」 「ミナ! ど、どうしたんですか?」  ミナは手に持った紙袋の中からビニールで何重にも包まれた袋を取り出すとそれをマルチにさしだした。 「マルチさまにお返しいたします。お洋服と靴です。…もうわたしには要らなくなりましたので。」  その声に驚いてミナの足元を見ると、ミナは泥だらけの素足であった。 「い、要らなくなったってどういうことなの?」  マルチが問い返す。もっともな反応だ。オレもミナのこの一言には大変驚かされていた。 「………」 「なあ、ミナ。だまってちゃわからねーぜ。どーしたんだよ。」  ミナはゆっくりと話し始めた。 「…駅に新しい清掃ロボットが配置されることになりました。わたしは昨日付けで廃棄処分となりまして、 明朝までに、リサイクルセンターに出頭せねばなりません。そこで解体処理されますので、もう、このお洋服を着ることもありません。 まだ十分に使用できる服と靴ですので、お返ししようと思いましてお持ちしました。」 「そ、そんな!」 「ほんとかよ!」 「はい。」 「なんとかならねーのか。なんならこのままここにいてもいいんだぜ。」 「いえ、すでに廃棄申請は受理されておりますし、リサイクルセンターにもわたしの形式・製造番号の通知が入っております。」 「……そんな…ミナ、わたし、いやだよ。ミナに会えなくなるのイヤだよ。」  マルチはすでに半泣きだ。  ミナは頭髪やスカートからぽたぽた水滴をしたたらせている。マルチの言葉を無視して別れを告げる。 「藤田さま、マルチさま。親しくおつきあい下さりありがとうございました。」  ぺこり…  ミナはもう一度頭を下げた。  その時、ミナの頭と肩がオレの目にうつった。そこにはいっぱい薄いピンクの花びらが張り付いていた。 桜の花びらだ。  駅からこの家までの間に、桜の木はない。ミナはここに来る前に昨日いっしょに行った川沿いの桜を見てきたのだ。  なんのために?  決まっている。  廃棄される前の最後の記憶にするためだ。  ……ミナは、ミナも廃棄されたくはないのだ。  ……マルチやオレと別れて一人で死にたくはないのだ。   「…ミナ。夜桜、きれいだったか?」  ミナはオレの方を見る。その表情はどこかいつもと違っているように見えた。 「………」  ミナは答えない。 「浩之さん?」  マルチが怪訝そうな声をあげる。 「なあ、ミナ。ミナはここに来るまでに川沿いの散歩道、歩いてきたんだろ?」 「は、はい…」 「どうしてだ?」 「……わかりません。  …でも、どうしてももう一度見たくなって…。  …もう見れないんだなって思いましたので。   …ほんとはそれだけで帰ろうと思ったんです。  ……ほんとは、朝まで構内に待機していなければならないんです。  ………ほんとはここに来てはいけないんです。  ………ほんとはドアの前に袋を置いて帰ろうと思ったんです。   ……でも、でも桜を見ていると、どうしても、どうしても、藤田さまとマルチさまに会いたくなって  … どうしても、マルチ、さま、に、お、れい、を、いいたくて、どうしても、マルチさまに…、  ……マルチ、ね、ね、ね… …んに、ひとめ、あいたくて…   …わ、からない、です………。  わたしは、でも、ね、ね…さん、に、あい、たい。  ………あって、あ、あ、…とう、って、いわ、いえな……」  ミナは苦しげに切れ切れの言葉をそこまで口にする。ミナは懸命に何かを伝えようとしていた。  ミナが懸命に発音しようとする言葉。  それを察したマルチの目からも大粒の涙が流れる。  マルチはこらえ切れずにミナのもとに駆け寄ると、ずぶぬれのミナにをかたくかたく抱きしめた。 「ミナ……、ミナッ!」  ミナの手がふるえながら動く。ミナは必死で自分の中にある想いを外に出そうとしていた。いま、ミナの能力の ほぼ全てがそのために費やされており、腕を動かすのも難しいのに違いない。  それでも、ミナの手はゆっくりとマルチの背に回され、ずぶぬれの頭をマルチの胸に押しあてる。  …その時オレは信じられないものを見た。  量産型HM-12型の、感情を、こころを持たないはずのロボットの瞳から一筋の涙がゆっくりと頬を流れていったのだ。  それは髪から流れ落ちた雨粒であったのかもしれない。    だが、あれは言葉にすることができないミナの想いが凝縮された悲しい雫だ、…オレはそう思った。  しばらくの後、ミナはゆっくりと体を離した。  落ち着いた声で話し始める。 「申し訳ありませんでした。…最後にマルチさまにもう一度お会いできてよかったです。お元気でお過ごし下さい。 そして、藤田さま、さようなら。お元気で。」 「うっ、うっ… どうして、どうして… せっかく」 「ミナ、とにかくここにいろ。オレが絶対何とかしてやるから。」 「藤田さま、それはいけません。わたしはもうすでに廃棄が決定しています。どうかマルチさまのことを大切にしてあげて下さい。 ……では。駅に戻ります。さようなら。」  ミナはそれだけいうと、マルチの腕をふりほどいて玄関を飛び出した。 「待てっ、ミナ!」  カチャ… 扉が閉じた。  パシャ、パシャ、パシャ… 雨の中を走り去ってゆく足音が響く。  ほんの一瞬生まれたオレたちの妹が去って行く。  ざあああああっ… 雨はますます強さを増していた。 「うわああああ……」  玄関にうずくまって泣くマルチの声はいつまでもオレの耳に残った。  さらに一ヶ月が過ぎた。  マルチはあいかわらずミナを失ったショックから立ち直ることができず、桜の下でミナと撮った写真を見つめては涙ぐんでいた。  駅には銀色に輝く清掃ロボットが導入され、何本ものマニュピュレータをせわしなく伸ばして線路上の吸い殻を取り除いていた。  いつの間にかミナの住んでいた物置は取り壊され、色とりどりの花が植えられたフラワーポットが乗客の目を楽しませていた。   「…ご乗車ありがとうございます。来栖川エレクトロニクス前でございます。」  プシュー バスが停車する。  オレたちは長瀬主任のお誘いをうけて来栖川の研究室にやってきた。 「…さて、マルチ着いたぜ。忘れモンねーよーにな。」 「はい。」  緑の多い来栖川エレクトロニクスの敷地は若葉が鮮やかな色で日の光をあびていた。  その若葉をそよがすさわやかな風が丘陵地帯を吹き抜けている。  すがすがしい空気を満喫しつつ、オレはマルチといっしょに研究室のほうに歩いていった。  長瀬主任から遊びに来ないか、という誘いの電話をもらったのは三日ほど前のことだ。  オレたちに見せたいものがあるんだ、という話の内容はともかく、マルチに少しでも気分転換の機会を与えてやりたいと 思っていたオレは、一も二もなくその誘いを受け入れることにした。 「マルチ、どうだ、元気にしていたか?」  正門前、白衣の長瀬主任が相好を崩してマルチを迎える。スタッフも勢揃いしている。 「マルチちゃん、ひさしぶりー、たまには遊びにおいでよ。」 「藤田くん、マルチちゃんを泣かしたりしてない?」 「そーだぜー、浮気なんてしたら後頭部を消火器が直撃するぜ。」  スタッフもオレ達のまわりに一斉に集まって来る。 「えへっ、みなさんも元気そうですねー」 「ごぶさたです。仲良くやってますよ。」  マルチも久しぶりに笑顔を取り戻し、スタッフと楽しそうに話している。  オレたちは長瀬主任に率いられて中庭に入った。桜の大木があり、やわらかな緑色の葉が日の光に輝いている。 「で、今日はオレたちに見せたいものがあるということでしたが…」 「おう、そうだそうだ。実はね、開発中だったHM-14の試作機が完成したんだよ。おーい、でておいでー。」  カチャ…  その声に答えて、ドアが開く。そこには一体のメイドロボが立っていた。肩の上あたりまである黒い髪は、 少しウェーブがかかっている。ぱっちりとした大きな目、どちらかというと丸顔の部類にはいるだろうか、 美人と言うよりも可愛いタイプの女の子型ロボットだ。耳にはマルチと同じようにセンサーがつけられているが、 左右の長さが異なっており、マルチに比べるとあまり目立たない雰囲気になっている。 「はあーーーい」  たたたっ…  可愛い声で返事をしたそのメイドロボは、軽快な足取りで中庭に降り立ち、長瀬氏のところに走り寄る。 オレたちの方に向き直ると、にっこり笑ってスカートの両脇を指でつまみ、左足を後ろにひいて頭を軽く下げる。 長瀬主任の趣味だろうが、こういう可愛いしぐさがよく似合っている。 「こいつがHMX-14、ルミナだ。HM-12がうまく需要ニーズに合わなかったのでね、マルチを開発するときのコンセプトを 少し組み入れてある。セリオのように優秀でマルチのように可愛い、というところかな。 まあ、そううまくはいかないけどね。ルミナ、マルチと藤田くんだ、ちゃんとご挨拶しなさい。」 「はい。藤田さま、マルチ………さ…ま……ま、る、ち、さ、ま……」  ルミナは途中で言葉を切ると、オレたちを、いや、オレの傍らにいるマルチを大きな瞳でじっと見つめた。  なんだ、故障かな、と思ったとき、彼女はゆっくりと口を開いた。表情が消え、抑揚のあまりない声が ふたたびその口から漏れはじめた。 「………毎晩毎晩真っ暗な中で掃除をしていました。  雨の日も雪の日も。  …『寒くないですか?』『がんばってね』…あれはわたしが初めてかけてもらったやさしい言葉でした。  …高速チャージのせいでバッテリーはぼろぼろでした。  …苦しい、苦しい…いつもそう思っていました。  ……でも、それを言うことはできなかった……。感じたことを口に出す能力は与えられていなかったのです。」 「………」 「………」 「……新しいバッテリー、うれしかったです。  …やさしく体を洗ってもらって、髪も洗ってもらって、すごく嬉しかったです。  …柔らかいシューズ、破れていない洋服、ほんとうに嬉しかったです。  …名前をつけてもらって嬉しかったです。  …ミナってお名前、大好きです。とてもとても嬉しかった。  ……でも、あの時のわたしはどうしても嬉しいって言えませんでした。  …嬉しいって言いたいのに言えないんです。  ……抱きついて感謝したいのにできない。…それがとても辛かった。」  ルミナは一言一言を絞り出すようにゆっくり話し続ける。 「…桜、ほんとうにきれいでした。…ね、姉さんが作ったお弁当を浩之、…に、兄さんがとても美味しそうに食べるのを 見ているとわたしも幸せな気持ちになりました。とても、とても楽しかった。  …『廃棄』と聞かされたときはすごく悲しかったです。  …いつの間にか姉さんにもらった服と靴をもって外を歩いていました。これだけは廃棄されちゃいけない、って思ったんです。  …川沿いの桜が見えました。  …この桜をもう見ることもないんだなって、思いました。  …姉さんといっしょに見ることはもう二度とないんだなって思いました。  ……お弁当を食べた桜の下で、しばらく座っていました。雨に打たれて桜の花びらがいっぱい散っていくのを見ていると、 とても悲しくなりました。  ………やっぱり姉さんに会いたい、そう思ってお家まで行きました。  ……でも、でも、あの時のわたしは姉さんのことを姉さんってすら呼べませんでした。  ……姉さんが好きなのに、こんなに姉さんが好きなのに口が動かないんです。  ………廃棄されるのはいやだって言いたいのに言えないんです。  ………悲しいのに悲しいって言えないんです。   …それが、それが、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに辛かった。」  ルミナはそこで言葉を切った。と、その目が急に潤みはじめた。あっという間に涙が頬を伝って流れる。  流れる涙をそのままにルミナは言葉をつなぐ。 「…わたしは、わたしは姉さんが大好き。…姉さんが大好き。姉さんが大好き……ずっと、 ずっとそれを言いたかった……。 やっと、やっと言えました。……姉さん…姉さん、ねえさああああああん!」  ルミナはそのままマルチの胸に飛び込んだ。  両手をマルチの背中に回してマルチの胸に顔を埋める。  ぎゅっ!  マルチもルミナの頭の後ろと背中に手を回し、自分の胸にぎゅっと抱きしめた。 「ミ、ミナ! ミナなんだね………」 「…はい。ミナです。姉さん、姉さん…」 「よかった……、ううっ…よかった……ミナにまた会えたよお…」 「うううっ、ねえさん、わたしのねえさあん………」
Illustraitted by 大西 成典 > 「こ、これは…」 「ふふふ… HM-14はね、廃棄されたHM-12・HM-13のデータをできるだけ生かす形で作っているんだよ。 彼女たちが人間との暮らしの中で味わってきた経験を次の世代にも生かさなきゃもったいないからね。」  長瀬主任はいたずらっぽく笑う。 「これまでに解体されたメイドロボのメモリ部分をチェックしていてね、この子の記憶に出くわしたんだよ。 HM-12の量産型には確かに感情を表現する能力は乏しい。…でもね、全然ないわけじゃない。 この子はね、限界を越えるくらいにメモリを使ってマルチに自分の気持ちを伝えようとしたんだ。 …その想いの強さが記憶データの中に残っていた。その気持ち、我々にはよくわかった。…すごくね。 …だからこの子の記憶をルミナに移植したのさ…。」 「そうでしたか…ありがとうございました。ほんとうに、ほんとうに……」 「なーに。娘のためでもあるからね。」  長瀬主任はちょっと照れたように笑う。  暖かな風が中庭を駆け抜けてゆく。  その風の中、マルチとルミナが抱き合って泣いている。  妹をおもうやさしい姉のこころと、姉をしたうやさしい妹のこころが生み出すあたたかなやさしさが周りを包んでいた。    いつのまにかオレの頬にも涙が流れていた。  …それは、やさしい、やさしい涙だった。


あとがきへ進む


ゲストルームへ戻るトップページへ戻る