2012年9月11日 福岡へのドライブ、久しぶり

だいぶ前嫁さんに「どこに行きたい?。」と聞かれ「五ヶ山ダム(の工事現場:福岡県那珂川町五ヶ山と佐賀県 吉野ヶ里町松隈小川内との県境)」と答えておいた。また数週間前に訪問看護ステーションの所長さんからも 「(9月16日の)長崎コミュニケーションフォーラムに同行出来ないからその代り9月中にどこかに外出しましょ。」と 言ってくれていた。
そして今日がそのドライブの日、ルートは長崎自動車道を東背振ICで下りて山の方に向かい東脊振トンネルを超え 五ヶ山ダムの工事現場を通り那珂川町から福岡市に入り野多目入口から福岡都市高速に入って福重JCTを経て西九州道・ 今宿バイパス・二丈浜玉有料道路を通って唐津経由で帰るコース。
朝幾分早い時間から経管栄養を落とし8時半には終えて10時に訪問看護が来るのを待っていた。10時丁度訪問看護師さん 2人が来て外出準備、着替えや車椅子への移乗をしてもらい自動車の助手席に乗り込み10時45分出発。運転は嫁さん、 僕は嫁さんが三河内ICから西九州道に入るものと思っていたが嫁さんは波佐見?有田ICから入った。西九州道佐世保 ルートは前にも対向車線にも相変わらず自動車の影すら見えなかった。ところが3分ほど車窓からの風景(茶畑など)を 眺めていると前から自動車の大軍が来た。それに前方にも自動車が見えたと思ったら急ブレーキをかけて止まった。 なんだ工事で片側通行か、それにしてもここでも1分間に1-2台ぐらいは自動車が通っているんだな。
武雄JCTから長崎自動車道に入り何年振りかにこの高速道 川登PA・武雄IC・西多久PA・多久IC・小城PA・佐賀大和IC・ 金立SAを通り11時45分過ぎ東背振ICで下りた。眠気に襲われていたせいかもしれないが不思議と懐かしくはなかった、 ただ金立SAを過ぎた後日の隈CCが見えるかなと思っただけだった(結局は見えなかったが)。僕の考えていた予定より 30分遅れだがまあいいか。
ICを下りた後すぐに同行してくれている看護師さんを通して嫁さんに「(東背振)トンネルの前後で(自動車を)止めて」 と伝えた。東脊振トンネルに続くこの道を通るのは多分6or7年振り、道の両側の木や竹が道の方に張り出してずい分 荒れている様に見えた。東脊振トンネルの取付道路に入り上の方を見上げるとループ橋が見えた、こんなのいつ 出来たのか。カーブを曲がりもうそろそろトンネル間近、道の駅吉野ケ里が見えたのに嫁さんは通り過ぎてしまった、 トンネルの手前には自動車を止める所はもうないはずなのに。がっかりだけどしょうがないな。トンネルが近付くと わき道があって「蛤岳・サザンカ群生地」の看板が…、このわき道を行くとおそらくあのルーフ橋を通って坂本峠から 斜め上に分かれて蛤岳へ向かう内山林道(1996年秋2歳7ヶ月の娘の手を引いてこの林道を通り蛤岳に登った)へ分かれる 交差点やサザンカ群生地の公園に接しているあの細くて通り辛い町道?に繋がっているんだろうな。通ってみたいという 衝動に駆られたが…、自分で運転してる訳でなし嫁さんには言えなかった。またの楽しみだな。
東背振トンネルの福岡側には工事事務所と駐車場があるからそこに止まればいい、僕は思い込んでいた。ところが トンネルを抜けたら事務所がない、駐車場もない、それどころか以前の取付道路が封鎖されていて以前工事中だった 高架橋が完成していて昔からある国道485号の九十九折に繋がっていた。僕は大きな勘違いをしていた、事務所は 五ヶ山ダム工事の事務所の一つではなくて東脊振トンネル工事の事務所だったんだ、高架橋はダムの周回道路の 一部ではなくてトンネルの取付道路だったんだ。五ヶ山ダムのホームページの書き方に騙された。確かに高架橋を 国道485号と繋ぐ必要はあった、坂本峠の福岡よりすぐ手前の林道(立派な道に作り替えたのだから県道に 行政処理しろよ)が中原から県道に繋がっているから。それにしても以前の取付道路を何故封鎖したしたのか?、 国道から真っ直ぐに伸びている以前の取付道路の方が九十九折の国道よりずっと安全だし絶対早いのに。それに 封鎖するくらいなら何故作ったのか?、東背振トンネルの開通を早めるためだけだったら費用対効果はあったのか。 以前の取付道路と国道との分岐点はダムの底に沈むから封鎖される時期は同じなのに、まあ坂本峠からの林道を 通って今福岡県境で封鎖されている中原と佐賀橋を結ぶ県道を利用して五ヶ山ダム下流になる国道と繋げば遠回りでも 当面は東背振トンネルを利用出来る様になるだろうに。
トンネルを出てからも嫁さんは自動車を止める所が見つけられずにそのまま走らせていた。不思議な事に僕は 九十九折りと取付道路の入り口の封鎖バリケードは見た記憶があるがそれからしばらくは記憶が飛んだ。覚醒したのは オリンピアなかがわの看板が見えた時、僕が一番見たかった佐賀橋付近から五ヶ山ダム設置現場辺り・道周辺の景色・ 昔よくワラビ取りに行ったところ等々は目に入った記憶がない、あ〜あ情けない!。
南畑ダムを見ながらまたダム下流の九十九折の道沿いの風景を見ながら山を下り不入道・山田・那珂川役場前を通って 那珂川町の町中に入った。この道は過去何度も通ったがもう結構変わっていて寂しい事だが懐かしさは感じなかった。 町中の道善や片縄を通ってももう寂しくなるだけだった。しかし福岡市に入って老司交差点を通った時池田米穀店の 3階建てのビルが見えたのは嬉しかった、なんせ池田米穀店は僕のアパート時代の11年間毎月プロパンガス代を払いに 行っていた店だから。
那珂川病院の前のコンビニでしばらく昼食休憩(那珂川病院もいつの間にこんなにも大きくなって びっくり)、 野多目交差点から福岡都市高速に乗って一路西九州道拾六町入口へ。実際この福岡都市高速にのるまではお金を払って 野多目から姪浜(拾六町)まで都市高速にのるものなどいるものかと思っていたが野多目から拾六町まで以前は1時間以上 かかっていたのに都市高速にのったらほんの10分足らず、こんなに短時間で着いてしまうとは、これなら都市高速を 利用する人も多いかもと思えてきた。ただ残念な事は福岡都市高速には防音壁があって周りの景色が余り見えない事、 だから案内板を頼りに今この辺りを走っているんだろうなと昔見た情景を思い浮かべて懐かしむだけだった。
西九州道から今宿バイパスを経て二丈浜玉有料道路に入り「牧のうどん」を見た時、昔日向峠を越えて実家に戻る時 よくここでうどんを食ったもんだとの記憶がよみがえってきた。料金所を通り過ぎ2つほどトンネルを通ってそろそろ 唐津の海がきれいに見える駐車場だなと思っていると目の前に異様な光景が広がった。以前真っ直ぐに下って 行っていた道が異様に分岐している、なんだりゃあ!、訳が分からん。案内板を見ると真っ直ぐが西九州道伊万里方面 ・左に入ると二丈浜玉有料道路伊万里唐津市街方面、???。僕としては新しい道を行ってみたかったが同行して くれている訪問看護ステーションの所長の「海を見に行きませんか。」という強い提案に賛同して二丈浜玉有料道路を 通り浜玉町に出た。
浜玉町に入ると今度は嫁さんが「けいらんを買いたい。」と言い出した。僕は知らなかったが「けいらん」は浜玉町の 名物として有名な様で今体調が悪化し入院している義母に持っていきたいという、優しいな。嫁さんと同行している 訪問看護師さんたちが話し合いながらようやく諏訪神社近くのけいらんで有名な(らしい)お店を見つけ購入して 浜崎海岸へと向かう。浜崎海岸に来るのは僕は初めて(東?唐津海岸には昔何度か来た事があるが)、浜辺はかなり 後退して狭くなってきているが海岸沿いまで車道が整備されていて海のすぐ近くまで行けた。海は結構強い風が 吹いていて4-5人のウインドサーファーが海の中で波と風に戯れて遊んでいた、こんな風景を見 雰囲気を味わうのは は久しぶりだなあ。


けいらん
30分ほど海を眺めてから浜辺を後にし鏡山のすぐ西の道を通って唐津ICから西九州道(国道497号?? 伊万里唐津道路?)に のりひと区間、(現在のところ終点の)千々賀山田ICで下りて(初めての道だから下りた場所もよう分からん、なんで こんな所にインターを作ったのか疑問!)案内板を頼りに国道202号に出た。この国道周辺はほとんど変わっては いなかったので次に何が見えてくるのか想像出来て嬉しかった。ところが北波多(唐津市)の町中を過ぎしばらく行くと 僕の記憶と様相が一変、新しい道が出来上がっていた。前々から南波多(伊万里市)の方から新しい道を作ってはいたが それが神社の向こうから川を渡ってこういう風に繋がるとは、少し驚いた。でもまあ以前の山すそ(谷あい)の道は いつ山肌が崩れてもおかしくはない所に位置していたからこの新しい道の建設は大いに納得出来る。僕は前々から 西九州道の佐賀県〜長崎県ルートは必要なのかと思っている。本当に費用対効果はあるのか!、もし県の事業なら 佐賀県や長崎県は西九州道を建設するのか?、たとえ費用対効果がなくてもどうしても必要な道路なのか?、そもそも お金を出してまで誰がこの高速道を利用するのか、とつい思ってしまう。
伊万里市に入ってからは車窓の景色を見ながらあの頃は何をした/この頃はこうだったとずっと思い出に浸っていた。 やがて道の駅南波多を過ぎくじらの店?が見えてきた。この店の後方の小山が数年前の大雨で崩れ一時通行止めに なったのか、今は整備されて全然崩れそうな箇所には見えなかった。小さな峠?を越えしばらく行った時嫁さんの様子が おかしい事に気が付いた。所長も同じように感じた様で「大丈夫ですか?。」と嫁さんに声をかけた。すると嫁さんは 「ちょっと眠たくて。」との返事、そこで所長は「どこかで少し休憩しましょう。」と提案、嫁さんは近くの コンビニの駐車場に自動車を入れた。そこで上の方を見上げると国道202号と垂直に巨大な高架橋が見えトラックや 自動車が通っていた。所長に「あれは何?、どこからどこまで繋がっているの?」と聞くと、「去年出来たんです。 ○○から(分からんかった)脇田まで。」と説明してくれた。僕が「松浦バイパスと繋がっているの?」と聞くと 「いいえ、その手前から。そのうち通りに行きましょう。」と言ってくれた。それにしても数年通らないだけで道は 変われば変わるもんだ、全く驚いてしまう。
唐津に着く前から膝が痛かった、たぶん那珂川病院前のコンビニで脚の装具を外したから。そう思って看護師さんに ここで脚に装具を着けてもらった。そして十数分休憩してから家路に着く。家に着くとすぐに助手席から車椅子へ・ 車椅子からベッドへと看護師さんたちに移乗させてもらった、膝が痛かったから支えてもらっても立てないかもと 思っていたが大丈夫だった。看護師さんたちが帰ってからひと眠り、今日はすごく疲れた、けどすごく楽しかった。
訪問看護師さんそれに嫁さん、いつもありがとうございます。