2014年
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12月
12月31日 大晦日
今日は大晦日、また1年たいした進行もなく生き長らえた。でも秋になってから身体がちょっと変と感じる事もある。 症状が次の段階に入ったかなあ。最低あと2年半は在宅で過ごせるような状態でいなければいけないのに。来年の 大晦日も同じ様な事が言えるといいな、頑張れ僕の身体。
午後1時過ぎ今年最後のお風呂に入れてもらった。これでさっぱりした身体で新しい年を迎えられる。 ありがとうございました。

12月31日 チビ
退院した日で迎えてくれたのはモモだけ、チビはこの日僕の部屋をちらりともしなかった。でも退院した次の日から チビが昼夜となく気まぐれに気まぐれに遊びに来てくれるようになって僕の脚の間で眠ってくれる様になった。チビ 暖かい、しかし重くなったな。下手したら足でコールが押せない時が来るかもしれない。でもまあいいや、それもまた 運命だなあ。

12月30日 今年最後の訪問看護/訪問リハビリ
今日で今年の訪問看護と訪問リハビリも最後、今年も1年間大変お世話になりました。
火曜日の訪問看護は短め、今日は4日前退院したばかりだから特にだ。眉と口の周り・耳の後下があれて赤くなって いる様だし背中とお尻あたりがひどく痒い。夏以外に背中がこれほど痒くなったの初めてなんじゃないかな。やっぱり 10日ぐらい車椅子に座らなかったからだろうな。顔をしっかり洗ってもらって2人になってから背中に薬を 塗ってもらって車椅子に座らせてもらった。そして年末の挨拶、所長に少しばかり頼み事があったのだがまあいい。 ありがとうございました。
12時前にH先生とNさんが来て車椅子からベッドに戻してもらった。実はH先生の足で両膝を挟んで車椅子から立たせる やり方は苦手だ(昔の所長も同じ様なやり方だった)、完全に膝が伸びきるまで膝に力が入らないから。今日は上半身の 測定とリハビリ、H先生によると肩の可動範囲は少し広がったそうだ。その後Nさんに肩・腕・手のH先生に肺のリハビリを してもらった。1年間ありがとうございました。H先生のリハビリは新しい境地でした。

12月28日 年賀状終了
昨日のうちに嫁さんと年賀状用のあて名をチェック、嫁さん用の裏面の挨拶&絵柄も「かわいい」と了承をもらった。 後は印刷のみ。今朝下の息子を呼んで「年賀状の印刷を手伝って」と依頼「(午後)4時に。」と約束を取り付けた。
午後4時息子が部屋に来てくれて年賀状の印刷スタート、まずは宛名の印刷、プリンターにはがきが限られた数しか 入らないので何度か呼ばないといけない。何とも面倒臭いけど仕方ない。宛名の印刷が終わったから息子に「(僕の 指示によって)はがきを2種類に分けて。」と頼んだら息子が「分類表を作って、後でむこうで分類してくるから。」と ぬかしやがった。「なんでそんなに面倒臭がるんだ。分類表を作る方が余計時間がかかるだろう。」と怒りの表情で 伝えると理解して分類してくれた。次に2種類の裏面の印刷、時間はかかったが何とか終わった。これで今年の仕事も ひと段落かな。

12月12日〜26日 レスパイト入院
今回のレスパイト入院は正直つらかった、レスパイト入院ってなんなのかって考えさせられた入院だったし。
初日予定通り11時頃いつもの神経難病病棟に到着、今日の病室の受け持ち担当看護師は(僕のお気に入り看護師の1人) Gさんだったのでナースコール用スイッチ設定等すんなり入院出来たなったなと思っていた。ところが午後遅く突然 主治医から「今回の入院中は車椅子には座れません、立ってからの車椅子移乗は看護師の間から危険だという声が 出ていますから。立つ訓練はリハビリの先生にやってもらう予定です。」と宣言された。入院中ずっと座れないなんて ガーン、12年前の10月呼吸不全に陥り気管切開をし人工呼吸器を着けて2週間経ったあの日主治医の指示で看護師さんに 車椅子に座らせてもらってからずっと車椅子に座ってきたのに…ショック。もうレスパイト入院なんて絶対したくない と思った。その後E看護師長が来て白々しい質問を、僕を車椅子に座らせない事は最終的にあなたが決めた事だろう。 だったら自分で言えよ。もうこの師長の言う事は何も聞かないからなって思った。それでも15日(4日目)の朝師長を 呼んでもらって「スライダーボードを使っての移動で車椅子に座りたい」とお願いした。その時の返事は「看護師と 検討する。」、翌日の返事は「主治医に確認する。」、翌翌々日の返事は「主治医と受け持ち看護師と相談する。」、 ヤル気あるのかと師長に対しての不信感が増していった。19日ミーティング(出席者:主治医・師長・受け持ち看護師・ リハビリのS先生、ケアマネージャー・訪問リハビリのH先生・妻+僕)、そこで問題に上がったのはベッドサイドに 座らせてもらった時「突っ張る」という事。医師の間では筋肉弛緩剤の服用を検討しているとの事だったがリハビリの 先生2人が「それでは立てなく可能性もあるし(自分たちの)リハビリの最中に身体が突っ張るという動作は一度も 見られないからまだ早いのでは。」と主張してくれた。実は今回問題になっている突っ張るという動作、僕は病院側の 勘違いだと思っている。前回の入院で始めてリハビリの先生に車椅子に座らせてもらった時に先生にベッドから 起こしてもらってベッドサイドに座らせてもらった際に僕がお尻を前にずらし足を床につけるために意識的に身体に 力を入れ伸ばした事をリハビリの先生が突っ張ったと勘違いしてしまった。家では看護師さんやヘルパーさんによく 後ろから身体を支えてもらってああやって足を床に着ける動作をやっていたからついやってしまった、この方が足の 幅や位置が立ち上がるのにしっくりいくので。でもあの時のリハビリの先生の「突っ張った」という言い方や周りの 看護師の雰囲気に異様なものを感じたので2回目の車椅子移乗の時や今回のリハビリのS先生の立つ訓練の時は あの動作はもう封印しお尻や足の位置合わせはリハビリの先生に任せる様にした。だからもう基本「突っ張った」と 言われる事はないはずだ。また受け持ち看護師のTさんも僕の気持ちを懸命に代弁訴えてくれた。その結果ボードを 使って車椅子に座れる事になり、21日〜25日車椅子に座れた。しかし前半は車椅子という言葉さえ口にしなかった 看護師さんが後半は「○時から車椅子に座ります?。」って、この違いはなんなんだとちょっと不信感。
今回の入院中に受けた検査は初日胸と背骨のレントゲン、4日目に脈が速くなって血圧上昇+息苦しくなって主治医に ヘルプ→5日目の午後心電図(ハイパー&24時間)、そして4日目と11日目に血液検査、血液検査が2回あったのは 気になるがあとは異常なしとしよう(心電図は異常なかったと主治医に言われたし)。
4日目体に異常が生じたのはたぶん諸々のストレス、車椅子に座れない事への苛立ち・不安+新しく病棟に来た看護師 (新人2人含む)の病室担当が2日目から3日間続きコミュニケーションに時間がかかる事にイライラ&自分へのケアの やり方をいちいち尋ねられる・指示しなければならない事への苛立ち+目の前には24時間管理の患者さんでしょっちゅう 生体モニターのアラームが鳴っている事にこの患者さんはここに居て大丈夫なのかと心配(&また同じ病室で見送る事に なるのかもという不安)。午後3時半過ぎから心臓がドキドキしてきて脈が速く血圧が上がっているのが自分でも 分かって少しずつ息苦しくなって、ナースコールを鳴らした時来てくれたのがS看護師(僕のお気に入り看護師の1人)で なかったらもっと悪化していただろう。眠れば治るだろう事は分かっていたが寝れない、少し回復基調にあったから 10時まで我慢して(夜が長くなるから)10時に看護師さんに眠剤を入れてもらって寝た。翌日ほぼ回復。
リハビリは楽しかった、今回の辛い入院生活の中で唯一の救いだった。初日前の患者さんのリハビリを終えたN先生 (僕の担当)が僕の所に来て「来週は不在、代わりの先生が来る。」と。4日目の月曜日(15日)の午後2時過ぎリハビリの S先生が来てまずは測定をして肩・腕・手&脚の可動範囲の確認、S先生は堅実なリハビリの先生の様だ。しかも関節を ギリギリまで曲げて確認していた、初めて僕の身体に触るリハビリの先生はほとんどの先生が最初から関節を強く 責める事は出来なかったのに。S先生は最初から僕の好きなタイプのリハビリ先生の様だ。訪問リハビリのH先生も ここのS先生も珍しい、まぁ患者の性格によるのだろうが。思った通りS先生の関節可動運動訓練は結構厳しかった、 久々に運動して身体が温まる思い・運動して息が切れる感じを味わせてもらった。実際に立つ訓練より可動訓練の方が 相当きつかったと僕は思ってる。なんせS先生はここ十数年来使っていなかった筋肉の部位を押さえて「この筋肉を 使って動かして。」とか「(最後まで力を入れて)手足を動かして。」と言うんだもの。このリハビリが毎日なら疲れが 残ったかもしれないが週2回程度なら心地良く感じた。S先生のリハビリは山登りの様なリハビリだなあ。22日 (月曜日)のリハビリは立つ訓練をして3回目に車椅子に座ること+座った後肩や腕を動かしてもらった。24日&25日は 担当のN先生のリハビリ、立つ訓練のやり方には少し物足りなさを感じたが可動訓練は懐かしかった。N先生の リハビリは少しずつ効果が出てくる中長期戦のリハビリ・ジョギングの様なリハビリだと思う。N先生の可動訓練に S先生の教えを自分で少しばかり加えてみたが効果はあったのか。まあいいや。「ALSは過度なリハビリは禁止」という 話をよく耳にするが僕はそうは思っていない。確かに病気が適当に進行する前動ける間は過度な運動をした結果疲労が 残って転倒でもし骨折でもして動けなくなったら元も子もなくなるが、この程度は少し無理したら出来るとリハビリの 先生が判断した運動は積極的に進め取り組むべきだと思っている。そしてベッドの上の生活になったらなお更強く 動かしてもらうべきだと思う、少々無理しても。僕は12年前に人工呼吸器を着けた時上半身で動かせるのは表情筋と 右手の中指と薬指だけだった。でも日々の訪問看護師さんと定期の理学療法士さんのリハビリで今の僕の上半身の 関節の動きがある。僕のFB友達で呼吸器を着けているALSの方でリハビリの先生の見守りでベッドサイドに腰掛けている 人もいる。僕はリハビリは少々無理をしても取り組むべきだと思っている。僕の家での立つ訓練をする時は 「ベッドから起きる→立ち上がる訓練×3回→ベッドに戻る」を1度も呼吸器を着けずにやっているが病院では 区切りごとに何度も呼吸器を着けた。病院でも立つ訓練の1回目の2回目の間の1度だけ呼吸器を着けるで 済ませたいのだが。
18日午後に病棟のクリスマス会があった、僕は12月のレスパイトはだいたいこのクリスマス会に合わせて設定して もらっている。ただ今年はベッドをギャジアップしての見学、しかも会場のホールが暑かった。僕はベッドでの見学が あれほどしんどいとは思っていなかった(ベッドでの見学はおそらく初めて)、疲れた。クリスマス会の出し物は クリスマスソングの合唱と寸劇、えっハンドベルの演奏はないの、残念!。僕はハンドベルを一番楽しみに していたのに。ともかく看護師のみなさま、お疲れ様でした。
22日(日曜)にIさんがお嬢さんを連れて会いに来てくれた。僕が落ち込みの底にいた時だったからとっても嬉しかった。 Iさんと話が出来て少し気が晴れた。24日?には10月に異動になったTさんも会いに来てくれて色々な事を話してくれた。 新しい仕事の内容よりも人間関係に悩み辞めようと思ったと言う。Tさん頑張れ!、今は新しい知識と技能を 蓄える時、その内きっと良い事があるさ。
退院の日(26日)朝の経管栄養を退院時間午後1時半を考えいつもより早めの6時から落とした。お風呂は「退院の日は いろいろ忙しいかろう」とのA看護師の配慮で昨日のうちに入れてもらった。カニューレ交換も昨日終わり今日は浣腸・ 便処理、それも10時過ぎに終わりしばらくゆっくり。11時から昼の経管栄養入れ着替えを済ませ迎えを待った。13時半 時間通り迎えが来て担当看護師のTさんに見送られながら病院を後にした。今回の入院中は辛かった分T看護師には お世話になった。Tさん、ありがとうございました。

12月11日 入院前日
明日から入院だというのに何にも出来ていない、データの整理もバックアップも年賀状の制作も。やる気も起きない、 なんてこった、どうしよう。諸々のストレスと何となく寝不足気味で身体が疲れている。レストバイトが少々 待ち通しいなんてこんなの初めて、家の中がちょっとごたついているから少々逃げ出したい気分なのかなあ。 なんてこった、情けない!。レスパイト入院中に気持ちを建て直さなければならないな。
明日は午前9時半に迎えに来るって、早い!。しんどいな。

12月10日 Nさんのリハビリ
訪問リハビリのH先生、男児誕生おめでとうございます。
今日H先生の奥様が退院するという事でお迎え諸々のためにお休み、代わりに午前のリハビリはNさんが脚全般と肩・腕・ 手を動かしてくれた、すごく丁寧にそしてH先生並みに厳しく。敢えてH先生とNさんの違いを捜すとすればほんのほんの 少しだけNさんの方が動かし方が微妙に早いかな、それと声掛けの量。どちらも経験の積み重ねが育むもの、1年目で このレベルまで到達するなんて「すごい!」と僕は思う。H先生の指導のたまものだろう。Nさんは良い指導者の下に ついた、幸せ者だ。
脚のリハビリが終わったところですでに11時過ぎ、「時間が押しているから上半身のリハビリはさらっと流す ぐらいだろう」と思っていたがこれまた丁寧。腕を頭の上方に拳上してもらった時に「肩の可動範囲少し 広がったでしょう」と話しかけようと思ったが…文字盤を使うと時間がさらに長くなってしまうので思いとどまった。 Nさん、丁寧なリハビリありがとうございました。

12月8日 往診?
今日午後3時過ぎ昔(もう12年以上前)お世話なっていた老人健康施設の医師T先生と社会福祉士?のMちゃんが 訪ねてきた。実は訪問リハビリはこの施設に属している。だから2-3ヵ月に1度こうして先生の訪問が必要なのらしい。 けれどT先生は僕のALSという病気をあまりご存じじゃないのかも、なんせ僕を目の前にして「しゃべっている内容は 理解出来ているの?。」って聞いてくるくらいだから。ただこれはこの先生流のジョークかもしれない、看護師さんが 車椅子移乗前のリハビリのためにベッドに上がった際に笑いながら「ベッドが壊れるんじゃない?。」って冗談を口に したし前回の訪問の時は僕の病気について「少し学習したじゃん」と感じたもの。まあいずれにしても 気分のいいもんじゃあなかった。
今回の訪問の目的は僕の車椅子移乗の様子を見る事だったと思うが…先生どう感じたのかなあ。

12月7日 四日連続
チビか夜中に僕の脚の間で寝てくれた、今日でもう4日連続だ。この4日間寝ている時とっても温かい。この頃チビが 一番一緒に居てくれる(ゲージの中のリンを除いては、リンに僕は何にもしてあげていないしだいたいリンは僕の事を 人間と思っているのかな!)。最近のチビは僕の所によく遊びに来てくれるし、チビよこれからもずっと遊びに 来ておくれ。

12月5日 往診
今日は我が家の掛かり付け医T先生の往診日。気管切開患者のほとんどが2週間に1回のカニューレ交換になっている 様だが僕は未だに毎週カニューレ交換してもらっている、その方が気分が良いから。診察・処置が終わった後年末年始の いつカニューレ交換するかという話になった。僕は12/12-12/26にレスパイト入院する事になっている。予定通りに 行くと今年最後のカニューレ交換は26日、1週間後は1月2日でT先生の医院は当然正月休み、12/30は早過ぎるし1/5は 微妙。結局この時のカニューレとの相性を見て12/30に交換をお願いするか判断する事にした。
それにしてもカニューレ交換の度にこんなに肺の調子が変わるとは。ここ数週間のカニューレは肺に空気がどんと 送り込まれるタイプのカニューレだった、前回のカニューレは特に。ところが今回のカニューレは多分普通。けど 今までの数週間空気がずっと入り過ぎの感があったから今回のカニューレは少し息苦しい感じがした。まあすぐに 慣れるだろう。

12月3日 リハビリ 少し変更?
昨日のリハビリの最後にH先生から「新規の患者さんで僕と水曜日の同じ時間帯しかリハビリを利用出来ない方が いらっしゃるので調整が付くまでNさんが先発で来るという事で良いでしょうか?。」と提案?があった。僕は当然 承知、Nさんなら十分僕のリハビリをこなせると分かっていたから。
そして今日のリハビリ、H先生は結構遅れて到着、H先生最初の方のリハビリは患者の状態を一つ一つ確認しながらの リハビリだから。H先生不在の間にNさんは脚のリハビリを終え脚に装具を装着、Nさんは脚の装具を着けるのが上手い。 あとは立つ訓練を残すだけ。ただNさんの立たせる訓練は大分スムーズになってきたがまだまだ不安はあり、今日も カニューレがNさんの肩で塞がりそうだったし。だいたいH先生と同じやり方で僕を立たせる事が可能なのかと。
新しい訪問先とは時間調整が付いたそうだ。

12月1日 寒い!
今季最大級の寒波がやってきた。朝方目が覚めたら…肩が胸がお腹が脚が寒い。あわてて(右足の裏で)コールを押して お袋に1枚掛け物を増やしてもらったがまだ寒い、昨夜はこれで十分だったのに。なんて寒さだ、冬(=12月)はまだ 始まったばっかりなのに。昼になっても肺の中が冷えてほとんど身体が温もってこなかった。こんな時はチビが僕の 脚の間で眠ってくれたらと思っていたら…嫁さんがチビを連れてきてくれてきてくれて脚の間で寝かしつけてくれた。 暖かい。こんな寒さの厳しい日にはチビアンカが一番、チビこれからもどんどん遊びに来てくれよ、なっ。


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11月
11月30日 小倉百人一首
娘が高校1年生の冬に小倉百人一首の大会(高校での)に出ると聞いたので小倉百人一首を覚え始めたのだが、あれから もう5年未だに百首全部を覚えていない。今83首、今年の春に百人一首を覚えるついでに超苦手な子分を勉強し直そうと 考えていたのだが…難しい。
百人一首と検索して良いのを2サイト見つけたから(1つのサイトは文法付)まずは手始めに2つを組み合わせて一つの ホームページに作り上げて、それを保存して12月12日からのレスパイト入院の時に少しは新しい1種をいくつかでも 記憶の中に追加したいし出来れば古文の材料もそろえて勉強したいと思っているのだが…組み合わせて作ってる 百人一首のホームページの制作にかなり手こずっている。まだまだ時間がかかりそう。年賀状も作らないと いけないし…、間に合うか。

11月28日 今日もまた…、疲れた
今日は通院日、でもなんだか疲れていてリフト車で移動していても外を見る気にもならずほとんど目をつむっていた、 まあこの時期は見る物もほぼないけど。病院に着き救急処置室に入ると今日の外来に僕の顔馴染みの看護師さんが 見当たらない、顔は何回も見ている看護師さんたちなのだけど。僕(呼吸器装着患者)に慣れてない分もう一つ段取りが 良くない、ストレッチャーに移ったらバイタル測定の前にまず痰の吸引だろう。先生がカニューレ交換をするその前に まずカニューレのひもを外さないとカニューレを交換できないだろう、先生が起こる前にさっさと外せよ。 という事で文字盤で「ひも」と伝えたのだがピンと来てはくれなかった。疲れるなあ、もう。

11月27日 疲れた
木曜日は新しい訪問看護Sの担当日、正直言って文字盤の使用過多でどっと疲れた。H看護師さん、よくある例だが 「あ・か・さ・た・な…わ」行を僕の言おうとしている言葉によく入れちまうし「゛」「゜」「ー」(濁点・半濁点・長音)を よく飛ばしてしまう。慣れるには回数しかないって十分すぎるほど耐えてるけど、みんなそろそろ 慣れて欲しいなぁ。

11月26日 リン、ほぼ回復?
2週間ほど前から体調を崩していていたリン、動物病院の先生によると「リンはひどい便秘で嘔吐を繰り返したり便汁が 出たりしている。」という事らしい。でも一昨日くらいから固い糞の塊が一塊出たらしくそれ以降少しずつ鳴き声が 聞こえる様になってきたし、ずっと毛布にくるまって寝てばかりいたリンが少しずつ動く様になってきた。ゲージにも 登る様になってきたし餌を催促する声も聞こえる。元気になってきたのかな。良かった。
一方チビは最近僕の側に近付いても来ない。この前吸引の時に太ももがばたついたからチビは僕の脚の間が嫌に なったのかもしれない。寂しいなあ。

11月24日 旗日
昨日の日曜日は勤労感謝の日で祝日、そんでもって今日は振替休日でお休み、当然訪問看護はない。代わりに ヘルパーさん2人が朝のケアに来てくれた。今回もFさんとNさん、Nさんは社協のヘルパーさんの中では若手という事で 重度障害者に対する介護対応という方面でベテランから中堅へ世代交代を図っているのだろうと僕は思ってる。
今日のケアの主体はNさん、僕のケアの主をやるのは初めてなので少し顔がこわばってるかな&ケアが丁寧で少し時間が かかり過ぎかなとも思ったが利用者にとって丁寧は悪い事ではない。一連のケアも無難にこなしてくれたし、 満足!。

11月22日 ナイスコンビ
今日の朝のケアのコンビは訪問看護師のFさんとヘルパーのAちゃん、僕がケア(今日は土曜日だから洗顔→洗髪→清拭 →下洗い)の途中で物ありそうな顔をするとすぐにどちらかが文字盤で僕の言いたい事を聞いて対応してくれた。僕の ストレスはほぼないに等しい。楽ーぅ!。それに大便が月曜までもてそうになかったので(僕の便処理は基本月曜と 木曜の週2回)スケジュールにない便処理をお願いしたら笑顔でOK、二人ともオンスケジュールの様に対応してくれた。 この二人が僕にとって今はベストコンビかな。
昼の車椅子椅子移乗は同じくF看護師さんとヘルパーMさんのコンビ。Mさんは自信さえ持てば上手なヘルパーなのだが 今日も不安そうな顔をして部屋に入ってきた。今日も問題なかったのだからもっと自信を持って、所長に言い返した あの時の様に。

11月21日 チビはお袋が嫌い?
チビはお袋が嫌いな様だ。今朝なんか4時前に呼吸器の回路の水抜きをして欲しくて右足の裏でコールを押してお袋を 呼ぶと、お袋が僕の部屋に入ってきた途端ベッドから下りて部屋を出て行った、昨夜10時過ぎから僕の脚の間でじっと 眠っていたのにだ。お袋が水抜きを終え電気を消し部屋を出て行きしばらくするとチビの鈴の音が聞こえて脚が 重くなった、チビが僕の脚の間に戻って来てくれたのだ。チビは少しの間毛づろいをしていた様だがまた寝た。
ところが30分?後身震いして僕の右足がコールを押してしまった。当然?お袋は起きて僕の部屋に来る、僕の部屋の 障子が開いた途端チビは出て行った。お袋に僕が口文字で「間違い」と伝えるとお袋は電気を消して戻っていった。 そしたらまたチビが戻って来てくれて脚の間で眠ってくれた。
さて5時半過ぎの模様、お袋にパソコンをセットしてもらおうと足でコールを押してお袋を呼んだ。お袋が部屋に 入って来るとまたもやチビが逃げた。間違いない、チビはお袋が嫌い or 恐れているんだ、訪問看護師さんが脚以外の 部位をケアしていても逃げないのに。まあしょうがないか、お袋はチビがいたずらをした時声をあげて叱るし手も 上げる。猫の可愛がり方を知らない人だもの。

11月19日 訪問理容
今日は正午前から訪問理容、いつも馴染みのKさんたちが来てくれた。そしていつも通り散髪、消えたノートパソコンの 画面で頭を映して見るとまあ髪がすっきり。この時期に髪を切ると頭が寒くてたまらないかなと思っていたが今回は 思っていたほど寒くは感じなかった。
実はKさんが散髪をしに来てくれる時いつも補助についてくれる彼女が以前勤めていた会社の4つ前の事業場にいた 内勤していた女性に顔や雰囲気がよく似てるのだ、職場を離れて14年半たつ今でもこの彼女に会う度にそう思う。 内勤していたあの女性もこんな風に年を取っているんだろうなあ。ああそうそう病院にも前の職場にいた女性に似た 看護師さんが2-3人はいる。不思議と男性にはいないけど、それだけ女性との付き合いが浅く男性との付き合いがより 深かったんだろうな。

11月17日 危機一髪?
今日の午後からの車椅子移乗はもしかして危機一髪だったのかも?。
今日のパートナーは行きも戻りも久しぶりに所長とFさん(Iさんが研修だから?)、立たせてもらって上半身を腰に 乗せるために押してもらって身体をまっすぐに伸ばそうとしたら、右膝が折れて不安定な状態になった様だ。 様だというのは僕は看護師さん達に両脇を支えてもらいながら左足一本で立てていたから。幸い倒れる事はなかったが 所長によると危なかったそうだ。月曜日だから自分たちは力が有り余っているかもと所長は言うし、僕は昨日が 日曜日で車椅子に座ってないからいつもより脚に力が入りにくかったし。看護師さんたちにお尻を押して腰を 伸ばしてもらう時は少し力を加減してもらわなければならないな。

11月15日 リン、体調悪し
リンの体調がまたおかしくなった。昨日朝から嘔吐していたし便秘もしているらしい。通院している間にもかなりの量 嘔吐していたらしい。リンは2年前行方が分からなくなって1週間後見つかった時には下半身不随(たぶん交通事故)・ 痩せこけていて生きて行けるかなと思うほどだった。その時の後遺症で時々こうして体調を崩す。嘔吐を繰り返す リンを見かねて自分も体調がすぐれない中で昨夕嫁さんがリンを動物病院に連れて行った。帰ってきた嫁さんに 「なんだって?、どうだって?」と聞くと「原因は(またもや)不明。便はまだ下まで降りてきてないって。」との 答え。注射を打ってきたそうでゲージの中のリンにほとんど動きはなかった(Webカメラで見ていた)。夜嫁さんが餌を 用意しても見向きもしなかった。でもしばらくしたら水は飲み始めたし食べはしなかったものの餌の臭いはかいだから 少し安心した。
真夜中と朝方真っ暗中でリンのカリカリと餌を食べる音が聞こえてきたのでまた安心、だけど夜が明けてもリンの 鳴き声は聞こえてはこなかった。しかし朝のケアの時にゲージの方からゴトゴトと音が、清拭で背中を拭いてもらう 時にゲージの方を見たらリンがゲージの棚の上に登っていた。ケアが終わった後しばらくしたらリンの鳴き声が 聞こえてきて僕には餌が欲しいと言っている様な気がして、法事から下の息子を迎えに来た嫁さんに「リン、お腹 減っているんじゃない」って告げて餌をあげてもらった。リンはむしゃむしゃ、これで元気が戻ったかなって 思ったら…、僕が車椅子に座っても静か、いつもなら「ゲージから出せ」って大騒ぎするのに。また心配になって 看護師さんにリンを見てもらった。まあ嫁さんが帰ってきて顔を見せたら騒ぎ出したので安心したが。やっぱりリンは 嫁さんがいないとだめだなあ。

11月14日 通院日
今日は通院日、リフト車に乗って車窓から外を見てももうこの時期は楽しい風景は見られなかった。車椅子からの 視線では上方は見えないものなあ、山の紅葉の様子も分からなかった。
病院に着いた時嫁さんが「ひどいめまいがする。」と言いそのまま診察を受け1時間の点滴、その間に僕は主治医の 診察と診察を受けそのままストレッチャーの上で待機。しかし待っている間に外来の看護師さんたちが僕の視界から 消える事が何度かあった、合図の歯ぎしりをしても気付かなかった。こんなんじゃあ僕はゆっくりした心持ちで 待ってはいられない。それで「脚をもんで」という名目でヘルパーのFさんを呼んでもらって僕の傍にいてもらった。 声の出せない患者の視線から外れる時はそれなりの準備をしてから離れるべきだと僕は思う、呼吸器を着けている僕の 傍を離れるのならなお更だ。
しばらくして嫁さんの点滴が終わる時刻に合わせて車椅子に移りリフト車に乗り込むとそこへ嫁さんが戻ってきた、 嫁さんの体調はまだ戻ってはいない様だ。僕に出来る事は待つだけ、もし主治医に「入院したら。」と言われたら そのつもりでいたが…。何も出来なくてすまない。

11月13日 まあまあかな
今日は新しい訪問看護Sの2回目のケア。所長が見守り役で今日の担当はHさん(Oさん[責任者]と訪問看護を実習している 看護師さんが見学)、色々な経験を積んでいるだけあって摘便に色々な工夫が読み取れた、だから僕が思っていたより 上手い。それに文字盤も前回より上手くなっていた。これならあと何回かすればコミュニケーションは大丈夫だろう。 驚いたのは実習とかいう看護師さんが文字盤を使うのが上手かった事、初めてだというのにたいしたもんだ。それと ヘルパーのHさん、僕の所にはたまにしか来ないのに僕の便処理において看護師さんの補助をいつも上手くこなす。今 ヘルパー吸引の研修会に参加していると聞いているがそれが終わったら(ケアマネージャーにプランを組んでもらえば) 普段(出来れば日曜祝日)僕の所に入ってくれるのかな、そんな口ぶりだったけど。
次は午後3時からの車椅子の座位、車椅子に移る時はHさん/ベッドに戻る時はOさんとHさんが来てくれた(所長が指導役/ ヘルパーNさんが補助)。車椅子移乗の際ベッドから立ち上がる時Hさんが腰を抱え込んで立たせようとしたが体幹の弱い 僕はそれでは立ち上がれない、所長に脇を支えて(少し)前方かつ上へ引き上げてくれるようアドバイスしてもらった。 それなら僕が膝を伸ばして突っ張って身体をある程度支える事が出来る。僕を車椅子に座らせた後所長とHさんが 反復練習、それを僕はほほえましく見ていた。ベッドに戻る時の担当はOさん、補助のNさん二人で無難に こなしてくれた。慣れていけば大丈夫そうと思えてきた。

11月12日 肺が寒いなあ
今年は特に肺が寒い。ここ4-5日は寒さが厳しくなったのでなお更、痰も固くてすっきり出なくなってきてちときつい。 こんなに肺が寒々感じるなんて…年々肺の壁が薄くなってきているのかな。肺が特に寒く感じる時はくしゃみと鼻水が 出てきて風邪と似た症状に陥る、当然体調もひどく落ちる。しかし肺の中から冷えてくるので寝て呼吸をゆっくりする以外に対策はない。最近はモモやチビが脚の間で眠ってくれるので足がポカポカして助かってる、でも猫は 気まぐれだから…。
今日は朝8時頃からモモがベッドに上がってきて(外で遊んでいて窓から何回か読んだら入ってきた)左脚の上で眠った。 そして10時過ぎ訪問リハビリの先生が部屋に入ってきても右脚のリハビリをしても微動だにしなかった。肝が太いのか ただ鈍感なだけなのかよく分からないが。モモが動き出したの左脚のリハビリのためにモモを移動させた時、ようやく 目が覚めたのかベッドから下りていった。リハビリの後しばらくして今度はチビが遊びに来た。けれど昼一番から 入浴車だったのでスタッフが部屋に入ってきた途端出て行った。時間が悪かった、入浴車の後来てくれたら僕もチビも 都合が良かったのに。残念!。

11月10日 ギブアップ
上の息子にスキャンしてもらった数V対象の模試の問題、あと小問1問がどうしても解けない。色々な考え方ややり方を 試してみたがどうしても解けなかった。ついにギブアップ。今夜息子にそう話して考え方をカメラに撮ってもらった。 今どきの高校生はこんなところからヒントを見つけられるのか。一方の積分の範囲 の(a〜1)の部分と他方の文字列 の(1-a)の部分を見て をこの範囲で積分した結果と解かるなんて信じられない。 僕はヒントを見て考えてようやく理解出来たのに。最近の数Vは知らない事も出てきているし難しいなあ。

11月8日 我が家の猫たち
昨日の夜寝る時に足が寒かったので嫁さんにチビを脚の間に連れてきてもらったら今朝6時まで時々寝返りを 打ちながらもそのまま寝ていてくれた。そして9時前に今度はモモが来て10時に朝のケアが始まっても寝ていた。 それでもさすがに清拭の邪魔になると看護師さんが布団ごと縁側に連れて行ってもずっと眠っていたそうだ、モモは よっぽど疲れていたみたいだ。そしてケアが終わって看護師さんが布団を持ってきたらモモも中にいてそのまま脚の 間で寝た。モモが動き出したのは午後3時過ぎ車椅子移乗準備のために布団をもう一度動かそうとした時、もう 寝飽きていたのか逃げた。
ベッドに戻ってしばらくしたら今度はチビがベッドに上がってきて僕の脚の間で眠った。僕が夜寝るまではさすがに 一緒に居てはくれなかったがそれでも3-4時間はいてくれた。今日は猫三昧の一日、楽しかった。

11月7日 インフルエンザ予防接種
今日午後からのT先生の往診の時にインフルエンザの予防接種を受ける。実は正午前から少しだけだが鼻水が出始めるし 体調が落ちてきてるなと感じていた。だけど僕の体調はおおむね肺の寒さ加減次第。今年はずっと肺が身震いするほど 寒いから2週間後に体調がどうだかどうせ分からないと思い黙って予防接種を受けた。
車椅子に1時間座らしてもらいベッドに戻った後からくしゃみが出始め少し寒気がしてきた。パソコンに入力する元気も 珍しく無い。それでツムラの漢方を服用していつもより早めに寝る事にした、寝る事だけが僕にとって唯一肺が寒く ならない方法だから。上手くいけば明日には体調も良くなっているかもしれないし。

11月6日 初看護
新しい訪問看護Sの看護師さんが今日から稼働、朝のケア(洗顔・浣腸&便処理)は現在お世話になっている看護師さんが 見守る中?で初めて全てのケアしてもらった。始めはいろいろあるかもしれないがお互いに慣れていくしかない思った。 午後からの車椅子移乗には朝来たFさんとOさんが来てくれて所長が主のOさんがサブの介助をしてもらって車椅子に 座った。初めてだからこんなもんだろう。あと1ヵ月のうちに慣れてもらうしかない。しかし看護師3人×ヘルパー5人の 組み合せ、不安はいつ払拭されるかな。

11月4日 突然の停電
午後9時頃突然停電、停電時間は4-50分にも及んだ。昼間も夜も快晴だったので想定外の停電に超びっくり!。停電は 見はたす範囲全て真っ黒との事、結構広範囲らしい、只事ではないという予感がした。それで真っ暗な中懐中電灯 1本でまず嫁さんに吸引してもらい長期戦に備えた(人工呼吸器も吸引器も幸い充電対応)。ご近所さんから僕は 大丈夫かと声掛けがあったらしい、ありがたい事だ。僕の家は九電の緊急連絡先に登録してもらっている(保健所経由) から嫁さんが緊急停電マニュアルに基づいて九電に電話して「どのくらいで復旧するか?。」と尋ねたところ 「こちらには停電が発生しているという情報がまだ入って来てない。そう急に復旧予定時間と原因を調べて 連絡します。」との返事があったそうだ。約15分経っても関連部署に停電情報が入らないなんてこのシステムはあまり 役に立たないなと思った。3時間経っても停電が復旧しなければ病院に連絡して救急車で運んでもらおうと嫁さんと 決めた。
4-50分して電気が点いた。こんなに長時間の停電なんて九電でも珍しいのではないかな、僕の記憶にもない。 午後10時頃かかってきた九電からの連絡によると「原因はまだ不明、設備の老朽化による可能性もあるが。」と 恐ろしい事を。しかし万が一の際に備えての良い予行練習になったというべきだろう。

11月3日 文化の日
今日は文化の日、日本国憲法が公布された日、旗日だ。訪問看護はお休みなので今日のケアはヘルパーのFさんと Nさんの2人、新しいコンビた。今度のコンビはどうかなって思っていたが何の支障もなくケアは順調に終わった。 やはりFリーダーの力量かな、手順が???って思うとこもあったけど。これで気管吸引もしてくれたらいいのだけれど。 24日もよろしくお願いします。

11月2日 コミケンフォーラム
今日彼杵町(三つ隣町?)で開催されたながさきコミュニケーションフォーラムに行ってきた。同行者は7名(訪問看護師 2人/訪問リハビリの先生2人/ケアマネジャー/嫁さんと娘)、町の移動サービス(リフト車)を利用して所要時間片道 4-50分で行ってきた。コミケンフォーラム参加の主な目的は情報収集&視線入力HeartyLadderの体験と長崎大学工学部 教授の石松先生の顔を見る事、何があるかな。
コミケンフォーラムは今年で12年になるらしい。このコミケンフォーラムを通して色々な方々と知り合いになったし いろんな入力ソフトや入力方法を知った。石松先生も佐世保高専の三橋先生もHeartyLadderの開発者吉村さんとも 以前のこの場所で知り合った。それに今日も新しい発見があった。ワンキーマウスというアプリケーション& そのソフトの使い手Sちゃんの凄い事、僕の目も追いつかないほどの(ポインタ?)スピードで操作していた。Sちゃんも 僕と同じ様なパソコン操作の経過をたどってきてると思った。まあ僕はワンキーマウスではなく特別支援学校の 遠藤先生にいただいたロジクールのボールマウスを右足の親指でボールを回転させてポインタを動かし左足の小指で 左クリックボタンを押していたのだが。それにしてもあのポインタ(十字線)のスピード どのくらいの(手の)指の速さで 操作しているのだろう,僕はあの速さでは到底出来ない。Sちゃん本当にすごーいぃ!。Sちゃんが帰る時何か声を かけたくて立ち止まってもらったが「がんばってるね」としか言えなかった、もうすでに懸命に頑張っている人たちに 「頑張れ」は厳禁なのにそれしか浮かばなかった。情けない…。
昼休みに福祉機器展示・体験コーナーへ行き吉村さんが現在開発中の視線入力HeartyLadderを体験、どうしても左下の 4キーに視線が持っていけない。それに文字表示画面が気になってまた誤入力を嫌って僕は視線を慌てて 動かしてしまう。駄目だ、移り目癖のある僕は視線入力に向いてない。後でキーに視線を合わせたらタイマーが現れ 一回転して赤丸に変わったら入力されたしるしと気付いて少し慌てなくなった。それに右下を見てから視線を左に 移動させたら左下のキーに視線が合いやすい事も分かってきた。そんな時吉村さんが「見つめタイマーモード」から 「スイッチモード」にモード変更する事を提案、僕の視線がキーに合ったらまばたきをして娘に合図を送る→娘が スイッチを押す。このコンビで「こんにちは」と入力出来た。(ほっとひと安心した。)ここで時間切れ。ちなみに僕が 初めてHeartyLadderを知ったのも10年前のコミケンフォーラムだったなあ。
午後からは長崎大学の北島先生の講演、アベノミクスが介護の現場や我々障害者に及ぼす影響についての話を聞かせて いただいた。ただ 久しぶりに長時間車椅子に座わっていたので講演の途中から腰と右ひざが痛くなった。講演の間は なんとか我慢したが我慢出来なくなり交流会の場でリハビリの先生に動かしてもらった。それでかなり 楽になった。
町の移動サービス(社協のリフト車)が迎えに来て16時半過ぎ帰宅の途についた。娘は石松先生が連れて帰って くれるとの事、お世話になります。家に着き訪問看護師さんに着替えをしてもらった。いっぱい汗をかいていた… らしい、自身ではよく分かっていなかったが身体は相当疲れていた様だ。それでもパソコン。
みなさん本日は本当にお世話になりました、そしてありがとうございました。


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10月
10月31日 通院日
今日は通院日、車椅子でのリフト車の車窓から見える田んぼではほぼ稲刈りが終わっていて稲穂が見える田んぼは 10枚くらい。稲刈りはほぼ100%コンバイン、たまーにやぐら?を組んで稲を干してある光景が見えるだけ。僕も この光景を作りたかった。循環農業、僕が稲藁の出る作り方・刈取りをして牛飼いさんにそれを譲り牛の糞を肥料として 田んぼに運んでもらう、それがやりたかったのだが…。たまーに青々とした田んぼがある。きっと早く稲刈りが 終わった田んぼだろう。このまま放置していたらどこまで大きくなるのだろう、ここに牛を放したら…って思うのは 僕だけ。
病院に着くとバイタルを測っている間にもう主治医が来た。診察前に主治医と嫁さんがコミケンフォーラムについて 打ち合わせする声が聞こえてきた。その後診察と処置、思いのほか早く終わって帰宅しようとリフト車に乗り込んだ時 チェックの服を着た女性が手を振る姿が見えた。よく見ると以前僕がいつもレスパイト入院している病棟にいた 看護師のSさん、「お久しぶりです、やせた様に見えますがお元気でしたか?」と言う気持ちを込めて目を合わせた。 そして帰宅、汗をかいたので訪問看護師さんに着替えをしてもらった。この2-3日急に汗をかく様になった。 何故だろう。

10月30日 ソフトバンクホークス、日本一
8回まではこのシリーズで一番良い試合だった。摂津(+森+五十嵐)とメッセンジャーの本当に見事な投手戦、流れはやや ソフトバンクに傾き気味だったが阪神のそしてセンター大和の超ファインプレーが流れが動くのを防いでいた。0-0の 緊迫した試合、そして8回裏1アウト1-3塁のチャンスで李が三振しバッターはまたもや松田、このシリーズでは チャンスにことごとく松田・中村に回ってきた。このシリーズにおいて1-3塁で松田がバッターボックスに立つのはもう 何回目だろう、昨日の初回のタイムリーを除けばことごとくチャンスをつぶしてきた。1stストライクを目一杯 振り回していたからこの打席もダメかなと思った。けれどタイムリーの時はセンターを狙って1点を取ってくれた。 さすがマッチとすぐに思い直した。げんきん。
けれど9回表抑えのサファテが今までの良い試合をぶち壊した。上本・ゴメス・福留にフォアボールを与え1アウト満塁、 続く西岡がファーストゴロ→明石から細川に渡りホームフォースアウト→細川がファースト方向に投げたボールが 西岡に当たりボールが点々とする間にゴメス生還 同点?→細川がアピール→西岡がインフィードを走ったという事で 守備妨害でアウト→ソフトバンク日本一奪回。信じられない終わり方だった。
勝因はずばりソフトバンク投手陣がゴメスとマートンをほぼ完ぺきに抑え込んだ事だろう。初戦はこの二人の活躍を 許し阪神に完敗、けれど第2戦の先発武田の大きく曲がり落ちるスライダーに阪神打線が合わない事を感じ取った キャッチャー細川が第3戦以降落ちるカーブを有効に使い阪神打線を目覚めさせなかった(摂津や森のカーブなんて 見た事なかった)。その意味では細川・武田が功労者だ。それにしても秋山監督をヤフオクドームで胴上げ出来て 良かった。秋山監督、10年間お疲れ様でした。

10月29日 今夜の我が家の猫たち
10回裏中村の劇的なライトポール際に飛び込む3ランホームランでホークスがサヨナラ勝ちで3連勝。終盤同点に 追い付かれたし流れは阪神に傾きこれはやばいって思っていたが…、第一打席でヒットを打っていい感じになっていた 中村がライトポール際に起死回生の3ランホームラン(よくファールにならなかった!!)で勝利、日本一にあと1勝と 迫った。これであと3戦安心して見れる(第7戦は大隣だし)。
チビは試合直後にも僕のベッドに上がってきて脚の間で眠った(ベッドに上がってくるのは今夜は3回目)、珍しく朝 6時まで寝ていた。リンのゲージが僕の部屋に来てからチビがよく部屋に遊びに来るようになった。嬉しい。リンと チビは本当に仲良しだなあ。モモは夜中と朝方僕の部屋に来てゴトゴト、外に出る方法を探しているらしい。モモが 僕の部屋に来るのはそんな時だけ、ちょっと寂しいかな。リンは朝5時になっても騒ぎ出さない、あきらめたのか。 でもゲージによじ登る様になったし少しずつ元気になってきた、安心。

10月28日 ホークス連勝(2勝1敗)
ホークスが日本シリーズvs阪神で武田投手(第2戦)・大隣投手(第3戦)の好投で2連勝、打撃陣は相変わらずでチャンスは 作るもののタイムリーを打てず投手を楽にしてやれなかった。下手したら流れが阪神に移って負けていたかも 知れなかったのだ。見てて恐ろしかった。野球通から見れば面白い試合だったかもしれないが僕らファンから見れば 打つべきところでは打って欲しいな。全く投手様様だ。でも先発投手がこれほど上手く投げてくれるとは思えない、 大隣は次も期待してるが武田は今年一のピッチングだった。武田はストライクが先行する日はある程度安心して 見ていられるのだがそんな日はめったにない。一試合ぐらいは打ち勝ってほしいなあ。

10月27日 あと1問
上の息子からスキャンしてもらった数V対象の問題、ようやくあと小問1までこぎつけた。選択大問3問をこなすのに 10日もかかってしまった。複素数問題ではx軸に実数をy軸に虚数を割り当てる事によりベクトルと 同じ様な考え方をする事が出来ると息子からアドバイスを受けてそうやったつもりなのだが、計算にかなりまごついて なかなか求める結果にならず何度も計算をやり直す羽目に陥った。イライラしていた事もあったが、計算能力が結構 落ちてるなと感じた。
大問Eは苦手な指数だったので後回し、大問F行列を大昔やった事を思い出し出し取り組んでみたが計算に何とも 自信がなくて何度も確認、これにもいっぱい時間を要した。そして指数式の微分・積分、これにもかなり苦労はしたが 2問は何とか解いた。けれどあと1問が解けない、解く手がかりすら思いつかない。どうしよう…。

10月26日 日本シリーズ開幕、ホークス完敗
今日からプロ野球日本シリーズが開幕、ホークスの相手は強力巨人打線を打撃で打ち破り4連勝で上がってきた阪神、 このところ湿りがちの打線・ピリッとしない先発投手陣のホークスがどこまで戦えるのか。4:6でホークス不利と僕は 見てる、残念だけど。
阪神打線やはりすごかった。ホークス先発スタンリッジは無難な立ち上がりをしたと思うが、4回阪神の4番ゴメスに タイムリーを浴び1点を奪われ、続く5回4番・5番・6番の連続タイムリーで5点を失った。この時点で試合はほぼ 決まった。ホークスの打撃陣は相変わらず打てなかった。ホークスにとっての救いを見出すとすればリリーフ陣が その後点を取られなかった事と代打松中のヒット。僕は代打松中がホークス打撃陣の刺激になってくれる事を 期待している。それにしても鳥谷・ゴメス・マートン・福留と続く阪神打線は怖いなあ。

10月24日 リン、病気
数日前からリンの具合が悪いらしい。昨日なんか下痢だけでなく嘔吐も、それで嫁さんがリンを動物病院に 連れて行ったそうだ。夕方嫁さんに「リンの具合は?、原因は?」と聞いたら「原因は不明。注射を打って(栄養剤?) 消化の良い餌をもらってきたからそれでしばらく様子を見ようって。」と。僕はリンがこのまま餌を食べなくて下痢や 嘔吐が続いたらリンが死んじゃうんじゃないかって心配したが…、夜病院から出してもらった消化の良い餌を食べる 聞こえたからちょっと安心した。昨夜の内はリンの無く声は聞こえなかったが今朝は少し聞こえたし午後僕が車椅子に 座った時に嫁さんがゲージの扉を開けたらリンがゲージから出てきていつもよりゆっくりとだが動き回ってくれたので 少しずつ良くなっているのだなと安心出来た。
嫁さんもこのところ朝晩の冷え込みが激しくなってきたのでリンの体調が悪くなったのかもしれないと考えた様で 昨日の夕方からリンのゲージを僕の部屋に持ってきた。僕はWebカメラでリンの様子を垣間見て楽しむ事にした。これで リンに何かあっても分かる…。

10月20日 ホークス 日本シリーズへ
クライマックスファイナル、ホークスはまたもや最終戦でファイターズを何とか下し日本シリーズへ駒を進めた。 勝因は大隣投手の好投に尽きる、またファイターズが若返りの時期であった事それにクライマックスシリーズの アドバンテージの1勝、かな。打線は9月の不調を引きずって相変わらずの低調、今日はまだ少しはましだったけど。 ファイナルステージの6試合、試合ごとにチャンスは2度3度と作るのだがあと1本が出ず得点を奪えなかった(大谷投手の 投げた5試合目はワンチャンスに集中し4点を取ったがあとは完璧に抑えられ結局逆転負け)。こんな貧打線では投手が 1-2点に抑えなければ勝ち目がなさそう。こんな打線で日本シリーズ戦えるのかなあ。

10月19日 数V?、難解
もう数週間も前になるだろうか上の息子に数V対象の数学の模試の問題をスキャンしてもらったが…、苦戦している。 必須問題(大問4問)は何とかこなしたが選択問題(大問3問)は用語が分からないやつ(複素数空間)や指数・対数(僕の 苦手な)・積分・極限が入り混じった問題(まだ解き方の予想付かず)と行列、行列を最後に見たのは大学1年の 線形代数でだから36.5年ぶり、いずれもインターネット基礎を見てからorヒントを捜しながらの作業になりそうだから まだまだ時間がかかりそう。解けるかな?、息子に親父の威厳の一片だけでも見せたいのだが。
大問@の点数稼ぎの問題でも 2/5 解からなかった(log x・1/xの微分・積分)し、数Vってこんなに 難しかったかな。

10月17日 往診の時に…
今日は掛かりつけの医師T先生の往診日、そのT先生が帰りさな今回公布?された『難病の患者に対する医療等に関する 法律』に対して不満を漏らした。T先生はいつも穏やかかつ優しいお医者さんで行政を批判するする姿なんて初めて 見た。T先生によると知事指定の指定医(「難病指定医」もしくは「協力難病指定医」)でないと結果的に難病患者の 往診は出来なくなるという。僕らは報道やFBで特定疾患の難病数が増える事その代わり患者負担が発生する事は 聞いていたがこんな事は初めて知った。先生も言っていたが田舎の方では往診をしてもらえない難病患者もたくさん 出てくるかもしれないな。そんな時行政は指定医を責任もって紹介してくれるのだろうか。福岡のAさんの事が頭を よぎった。

10月16日 ハプニング
午後の車椅子移乗の時にちょいとしたハプニング、いつもの車椅子移乗の手順では、(すべてしっかり支えてもらった 上で)ベッドに座る→後ろから身体を支えてもらって足場を整える→立ち上がる→(両方から脇を支えてもらっての) 腰伸ばし→看護師さんが一人で両脇を支えてからヘルパーさんが右足を斜め前に動かしして腰を90°回転→車椅子に 座るのだが…。今日の車椅子移乗の時にヘルパーさんが手順をひとつ抜かしてしまった、看護師さんが一人で僕を 支えて立たせる姿勢を取る前に脇から手を外してしまった。僕は腰折れし上半身が前のめりに倒れた。看護師さんが 片方の脇を必死で持ち上げてくれこむまでには至らなくてみんなひと安心だったが…。自分ではかなり腰を曲げる事が 出来た様なので逆に嬉しさもあったが本当に床に倒れていたらどうなっていたのか、そう考えると恐ろしい。
木曜日に車椅子移乗介助に来るヘルパーさんは5人、月1回のペースもない。ヘルパーさんがやり方や手順を忘れるのも 仕方ないのかな。

10月14日 股関節の痛み
股関節の痛みは左右とも以前からずっとあった。でも痛み方がこの1年ですっかり変わった。以前は股関節の内側が 痛かったり外側が痛かったり痛む箇所が動いていたが、最近は内側がある条件で結構痛む、それも右脚は股関節だけで なくそこに繋がっている太ももの筋(and筋肉?)までも。そこで8月(入院前)に股関節のレントゲンを撮ってもらったら 「加齢による不具合(?)は見受けられるが骨には異常なし」と。H先生にも前々から股関節の痛みについても詳しく 告げようと思っていたのだが、痛む時の状態とか痛む条件とかどういう風に説明したらいいのか分からなくて今まで ずっと延ばし延ばしになっていた。今日の午前中車椅子に座った時に右股関節に痛みがあって今日はそのタイミングで H先生が来たので股関節の痛みについて話した、でも今回も詳しくは話す事が出来なかった。また今度…。

10月13日 体育の日
今日は体育の日、昔は50年前に東京オリンピックが行われたその開会式の日が10月10日という事でちゃんと意味のある 日だったのにハッピーマンデー法の施行で日付が定まらない祝日に変わってしまった。以前は10月に運動会が 多かった事もあって意義も見いだせたが今となっては何の意味もない。何の意味も見つけられない様な祝日なら 止めてしまえ。
という事で今日は祝日で訪問看護はお休み、10時50分前の定刻にヘルパーさん2人が来てくれて今日の行事(洗髪・清拭・ 便処理)をきちんとこなしてくれた。今日はFさんとYさんのペア、このペアは今日で二度目、世代交代を 図っているのかな。僕も相手も大分慣れて何の支障もなく無事終了、来月(文化の日)もよろしくお願いします。

10月11日 アクシデント
今日の午後定期通りに車椅子に座った直後アクシデント、なんと呼吸器のアームの止めネジが緩んでいて倒れてしまい 呼吸器の回路が途中から外れたらしく空気が来なくなってしまったのだ。基本の大きい回路の外れはすぐに見つけて 繋いでくれたのだがそれでも空気が送ってこない。そのうち(2-3分?)息苦しくしくなってきたので蘇生バッグで 押すよう要求したらAちゃんが対応してくれた。Aちゃんが人に対してバッグを使ったのはたぶん初めて、 緊急事態だったのだから仕方ないか(少し強かったかな)。僕が「嫁さんを呼んできて」って頼んでいる間にIさんが ようやく呼気チューブが呼吸器本体から外れているのを見つけてくれて事なきを得た。
それにしてもIさんとAちゃんのコンビの時何か起こるな。というよりアクシデントが起こった時のパートナーが Aちゃんで助かっているなあ。

10月10日 通院日
通院日、今日は新しくお世話になる事になっている訪問看護Sの所長さんも挨拶のために同行するとの事。実習生もいて 外出準備に全部で6人、狭い部屋に人が多過ぎて気持ち的にちょっと息苦しさを感じた。まあ所長さんに車椅子への 移乗の様子を見てもらえたのは良かったけれど。病院へ向かうリフト車の車窓から田んぼの様子を見ると稲刈りの 終わっている田んぼはまだ半分以下、今年はなんだか遅いみたい。中には先週の台風の影響か稲穂が倒れている 田んぼもあったなあ。稲が倒れていたら昔はとっても苦労したが今のコンバインなら大丈夫なのかなあ。
病院に着いてバイタルを測り終えたらすぐに主治医が来た。こんなに早いなんて久方振り、診察もカニューレ交換も すんなり終了、今日は早く帰れたなあ。

10月9日 新しい看護師さん見学 No2
先週の木曜に引き続き新しくお世話になる訪問看護Sの(別の)看護師さんが朝のケアと昼からの車椅子移乗を見学、 第一印象ではこの看護師さんとは何となく馬が合いそう。ためしに文字盤で会話してみたらそこそこは話せた、 ひと安心。けれど昼3時からの車椅子移乗の時ある事に気が付いた、この看護師さんもI看護師さん並みに背が 低いんだと。ベッドサイドから立たせてもらった時も(車椅子に座るために)身体を90°回転させられる時も僕は膝を 踏ん張って出来るだけ真っ直ぐに立とうとと努めているつもりだ。だけど背の低いIさんの場合は僕はIさんに 立った時からずっと寄り掛かっている、回転する時も。僕を上に支えるのに腕の力をかなり使っている筈だ。それが 出来るのは多分Iさんに見かけ以上のパワーがあるから。小柄なこの看護師さんは力あるかな、大丈夫?。

10月8日 解けた(と言っていいのかなぁ?)
下の息子から先日相談を受けた問題、解けたって言っていいのかな。実は昨日問題文の一部でパソコン検索してみたら Yahoo知恵袋がヒットした。その中で描かれていた作図をよくよく見てようやく問題の意味が解かった。問題は 対称について当たり前の事を言っていたのだ。「辺BCに関して点Oと対称な点をA'とする」、自分の勝手な思い込みと 回りの少し曖昧がかった言葉に惑わされて問題の本質を読み取れなかった。情けない。図形の問題は元々僕にとって 苦手な部類に属する問題なのだが…、それにしても僕の数学の力は確実に落ちてるなあ。

10月6日 看護学校実習生
看護学校実習生2週目、先週の学生さんは割と積極的で男性はある程度力を込めてのマッサージ&関節を動かして くれたし(気持ち良かった)女性は文字盤を使ってのコミュニケーションに努めてくれた(文字盤を使って会話するのが 初めてとは思えないほど上手かった)。今週の学生さんは少しおとなしそう、特に女性の方が。それが第一印象で 気になった。さて何を言ってやろう、最後に気持ちを込めた「がんばれ!」を添えれば少々指摘してもこの子たちの 勉強になるのだから。
そう思って今日のバイタル担当の男性の学生さんの時に脇に体温計がきれいに挟まっていないと指摘しようとして ガリッと僕固有の合図の歯ぎしりをしたら、体温計が鳴って計り終えたと勘違いされお礼を言われてしまった。 指導は難しいなあ。

10月5日 ALS協会佐賀県支部交流会?
夕方まですっかり忘れていたが今日日本ALS協会佐賀県支部の交流会が催されたはずだ。かくいう僕は参加してない、 支部長からの交流会開催案内のチラシのメールを見た時に僕の不参加の意志は決まった。なぜって、どうして 事務局からの連絡じゃないのか。トップしか動かない組織は長続きしない(トップがワンマンで下を意のままに 動かしているのならまだましだけど)、そんな組織僕は嫌いだ。もうひとつ、佐賀んもんとは元々反りが合わなかった。 気になった事は一つだけ、昔リハビリ等でお世話になっていたU先生の講演に人集まったかな。後でU先生がアップした 写真を見たら人は結構集まっていた。良かった。

10月4日 三角形の○心
1週間ほど前下の息子ら数学の図形の問題を見せられて「解かる?。」と質問された。下の息子から質問があるのは 珍しい、だから何とかしてやりたかった。でも…。理解出来ない事が二つ、証明の問題なのだがこの問題の中に 使われていた対称の意味が解らず(なんだかいつもの対称と使い方が違う様な気がして)どうしても作図出来なかった。 当然の事ながら問題が解けるはずもなく…。もうひとつは問題の中に「垂心」と言う言葉があった事。なにこれ、 知らない。息子に聞いたら「三角形の各頂点から相対する辺に垂線を引いたら3本の垂線は1つの点で交わる、この点が 垂心」と、そうなるんだというのが僕の感想、40年も経つと習う数学の内容も変わるんだと初めて実感した。
息子の説明を聞いて一応理解はしたが頭の中にモヤモヤしたものが残ったのでインターネットで垂心を検索してみた。 すると垂心の証明がぞろぞろ、その中に「三角形の5心」と興味をそそられる言葉が見えた。重心・外心・内心そして 今回の垂心、あと一つは…、「傍心」。傍心は図を見ても興味は湧かなかったが、外心・内心・垂心・重心の証明を してからでないと問題を解いちゃいけない・この問題は解けないと思った。外心・内心の証明は自分の力だけでなんとか 出来たが、垂心はどうしても照明の仕方が分からなくてインターネットでカンニング(ベクトルを使えば証明出来ると 思ったが高校1年の息子はまだベクトルは習っていない)、重心もベクトルでは解いた事があるが図形(補助線を引いて) ではない。そこで息子に重心の証明のやり方を尋ねたらその説明の中にまたもや「中点連結定理」という見知らぬ 言葉が、未だに証明中…。

10月2日 新しい看護師さん見学
今日の朝のケア&昼からの車椅子移乗の時新しくお世話になる予定の訪問看護Sの看護師さんが見学に来た。 この看護師さん見てるよりも手を出したがる看護師さんの様だ、それだけ熱心という事だろう。ただ文字盤を 使い慣れていない(もしかして初めてかも)事もあるのだろうがコミュニケーションがスムーズに出来る様に なるまでにはかなり時間がかかりそう。古い文字盤を訪問看護Sに渡して「練習してきて」って言う訳にも いかないし…、今それが最も不安かな。


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9月
9月30日 肺のリハビリの時の呼吸
昨日から看護学校の実習生が訪問看護Sに来ている。嫁さんが昨日から実習生が看護師さんに同行してくるという事を 伝えるのを忘れていたらしい、昨日見た時びっくりした。その実習生が昨日今日とリハビリをしてくれていたが結構 気持ち良かった。朝のケアの車椅子に移乗、いつもより時間が短いと思って車椅子の背もたれを一段上げてもらったら 少しきつかった。11時50分前H先生登場、ベッドに戻る前に「右・左の順で行きましょう。」と声をかけてもらって いたから膝折れしかかったけどH先生が上手く支えてくれたから片足重心移動がまあ上手く出来てベッドに戻れた。
ベッドに横になってからH先生の肩・腕・手・肺のリハビリ、今日も腕が(僕にしては)よく上がった、さすがH先生。肺の リハビリの時いつもは吸う時に力を入れるのだが今日は吐く時に力を使うようにしてみた。するといつもより呼吸の 間隔が少し長くなった。2年半?前今の呼吸器に代えてから呼吸回数が増えていたのがしばらく気になっていた。来週の 肺のリハビリの時も吐く時に力を使う様にしてみよう。

9月28日 保育園最後の運動会
退院した日からずっと道向こうの保育園の方から音楽やドラム?の音が聞こえていた、運動会の練習らしかった。そして 今日が運動会本番、ただ僕が50数年前5年間?通った保育園(当時は僕の家の隣 30数年前に道向こうに建て替えた)が 今年度末の統合に伴い無くなると聞いていた、本当に寂しい。それで嫁さんに頼んで最後の運動会の模様 運動会の花 園児による最高のパフォーマンス マーチングをビデオに撮って来てもらった。久々に見たがやっぱり可愛い!。 この日のために園児は毎日練習してたもの。
僕はこの保育園にいっぱい思い出がある。園児の時悪戯して暗いオルガン収納庫に入れられたとか、小学生の時の 日曜日保育園に忍び込んで紙芝居をしてた&床下に潜り込んで札幌オリンピックの記念硬貨and十円玉を拾った(もう 時効・これがきっかけで僕は硬貨を集め始めた、身体が動かなくなって止めた)、小中学のキャッチボールの相手は 保育園のブロック塀、大学受験の追い込みの勉強をしている時(高校3年の2月)のBGMは園児の歌うピンクレディの 『SOS』、etc.。

9月26日 通院日
退院してから初めての通院日、この2-3日手術した左腕のキズの真ん中奥が時々ちくちくと痛むのが気になっていた。 車椅子で乗り込んだリフト車の車窓から所々に彼岸花が見えた。「彼岸花の花の朱色は目立つなあ、何故だろう」 なんて考えていた。そしたら病院に着く少し前に一つの考えが浮かんだ、それは彼岸花には葉っぱが無いから、それに 群生してるしね。子供の頃は竹の棒きれで彼岸花をなぎ倒していたのに(すっぱり切れるから気持ち良かった)。やっぱ この時期は彼岸花だな。彼岸花はいいなあ!。
病院に着きバイタルを測り終えて看護師さんが主治医に連絡を入れるとすぐに主治医が来た。そして僕に「(キズの) 具合はどうですか?。」と話しかけていつも通り診察とカニューレ交換・呼吸器のチェックを終えて戻っていった。次は 皮膚科の診察、隣の診察室(第2救急室)から皮膚科の先生の声みたいなのが聞こえてはいたが救急の患者さんだった様で (マムシに噛まれた?)しばらく待つ事になった。まもなく先生が来て左腕の手術跡を見て「かぶれてますね、 なんでかな?。」と、僕は痒いのはキズ治っているからなのからと思っていた。先生は「塗り薬を出しておきます、 そのうち治るでしょう。あとは3ヵ月毎に確認しますね。」とお気楽な事を言って戻って行った。3年前?同じ様に左腕の 皮膚ガンを切り取る手術を受けた後も同じ事を言われたが、皮膚科の先生の交代があったとはいえやらなかったでは ないか。今回はどうかな?。

9月25日 訪問看護Sを増やす、らしい
先週の木曜日だったかいまお世話になっている訪問看護Sの所長から「もう一ヵ所訪問看護を増やしたい」と相談?が あった。この手の話はもう1年以上も前から時々出てきていた。どうせ拒否する事はもう不可能と考えて「まずは早めに 見に来て」と言っておいた。すると今朝のケアの時新しい訪問看護Sの看護師さんが全員で見に来た。2ヶ月ほど前に 開設したらしいが全員で来れるほど時間があるのかと逆に心配になった。第一の問題はコミュニケーション、文字盤を どのくらいで使いこなせる様になってくれるかだ。だけど新しい訪問看護Sの所長ともう一人の方、前にどっかで あった事がある様な気がするな。

9月23日 秋分の日、リハビリあり
今日は秋分の日、訪問看護はお休み。けれど訪問リハビリは来てくれた。先週のリハビリの後H先生が「秋分の日にも 来ますが車椅子移乗もしましょうか?。」って、リハビリに来てくれるだけでも嬉しいのにその上車椅子にまで 移乗させてくれるなんて超嬉しい。H先生、ありがとうございます。
午前11時過ぎH先生が現れてリハビリ開始。まずは車椅子への移乗、脚と首に装具を着けベッドに座ってから脇を 支えてもらって立ち上がる。H先生は僕を左足重心にして右足を斜め前に移動せ今度は右足重心にして腰を回しながら 左足を右足に沿えるように移動させて車椅子に座らせた。上手いなあ。12時ベッドに戻る時間、先週H先生に車椅子から 立たせてもらう時膝折れしそうになったのでその反省から今日は少し足を前に出してから立たせてもらった。ベッドに 戻って肩と腕と肺のリハビリ、腕は先週より上に上がったという自覚はあったけれど先生によると胸の動きも先週より 良くなっているみたいと。やっぱりH先生のリハビリは楽しいなあ。

9月22日 今日もモモが…
今日もモモが脚の間にお休み、朝の経管栄養の途中(8時頃)にモモがベッドに上がって来てお休み、モモは結局朝の ケアの看護師さんのリハビリの途中で居心地が悪くなって下りて行った。そして夜も僕の部屋をウロチョロしてる 気配は感じていたが8時過ぎにモモがひょいとベッドに上がってきて脚の間でくつろぎ始めた。それから餌を食べに 行ったり水を飲みに行ったりしばらくどこかに散歩に行ったりしていたがその度に3回ともまたベッドに上がってきて 脚の間眠ってくれた。結局朝4時前までいてくれた。暖かったし嬉しかった。
モモは僕の間の居心地の良さ思い出してくれたかな。

9月21日 どうしたの?、モモ
我が家の不良娘モモ、いつもは朝餌を食べたら夜の餌の時間まで外をうろつき回ってなかなか帰ってこないのに今日は ちょっとだけ散歩して帰って9時過ぎにベッドに上がってきて脚の間で寝てしまった。どうしたのモモ、具合でも 悪いの?、それとも寒いから?。結局5時間も寝ていた。その後餌を食べて僕の部屋を出て行った。具合は悪くは なさそうだな。また来てくれたらいいな。
チビは朝餌を食べて外へ遊びに行ってからずっと外。いつ帰ってくるのかなっていたら午後6時過ぎに餌の近くで 鈴の音がした、代えてきたらしい。最近のチビは餌を食べる時は僕の部屋に来るがそれ以外は近付かない、これから 寒くなったら少しは遊びに来てくれるかな。寂しいな。

9月19日 往診、かかりつけ医T先生&施設T先生
今日は2つの往診(施設の施設長兼医師T先生の往診は僕は直前に聞いたのだが)、午後2時にはかかりつけ医T先生の 定例(2週間に1度:通院しない週の金曜日)の往診、カニューレ交換・胃ろう確認&付け替えをしてもらっている。 インフルエンザの予防接種は有効期間を考えて11月の初めに打つそうだ。
午後3時過ぎ訪問看護師さんたちが僕の車椅子移乗の準備をしているところへ施設長T先生の往診、T先生は僕の車椅子移乗を見に来た風があった。施設に訪問看護ステーションと訪問リハビリテーションが併設している、その施設に僕は12-3年前デイケアで通っていた。訪問看護とはそれからの付き合いだ。T先生は僕の病気をだいぶん理解してもらってきた様だ、僕が移乗するのを見て「(思ったより)長く呼吸器を外していられれるのですね。」と言っていた。少しは安心してもらえたかな。

9月17日 リハビリ&入浴車
今日は朝10時過ぎから下半身のリハビリ、そう思っていたが今日はまず測定をやりたいと。測定をやってもらうのは 何年ぶりだろう、はるか昔だからもう忘れてしまった、懐かしいなあ。H先生が腕や脚を曲げて固定しNさんが測定、 あの測定器も懐かしい。昔の記録があれば比較してもらえるのだが、申請書コピーしとけばよかった。それから脚の リハビリ、左の方が少し硬いそうだ。病院でお腹の手術箇所にドレンが入っている間の2週間は強いリハビリは 禁じられていたから仕方ないか。最後に支えられて立つ訓練、今日はH先生の訓練にしてはいつもよりベッドが少し 高めだったので比較的上手く立てた。僕は立つ訓練の間僕の自発で呼吸がもてるかが気になっていたが 心配なかった。
午後1時過ぎからは入浴車、左腕のキズはシャワーOK/浸けるのはNG高入浴車のスタッフに迷惑をかけそう。いよいよ 湯船へ、約ひと月ぶりの湯船、最初は少し熱く感じたけど…気持ちいいー。左腕のキズのところはスタッフが 代わりばんこで持ち上げてくれていた。お腹のキズにドレンが入っていた間は紙おむつをしていたからお尻から 太ももにかけて痒い、背中と腰も。そこをゴシゴシ洗ってもらってベッドに戻ってから汗疹と保湿の薬を 塗ってもらった。久しぶりの入浴車はとっても気持ちがよかった、なあ。

9月16日 久しぶりのH先生のリハビリ
ひと月ぶりにH先生のリハビリ。火曜日は朝10時からケア−車椅子へ移乗−車椅子座位−ベッドへ移乗−リハビリと 引き続いてあるから結構慌ただしい。火曜日ケアを担当する訪問看護師さんも忙しい、10時40分までにバイタル測定・ 洗顔・リハビリと終らせないといけないから。その上今は左腕のガーゼ付け替えがあるからなおさらだ。ただ今日は 40分遅れてくるはずの看護師さんが勘違いして20分早く来てしまったから時間通り進んで10時40分から車椅子へ移乗。 そこへH先生も顔を見せた、ひと月近くの入院で僕の立ち上がる力がどのくらいなのか・車椅子へ移乗がどんな風なのか 早めに様子を見に来たそうだ。
車椅子に座っている時にH先生は手のリハビリをしてくれて「指はほとんど変わりないですね。」と言った。病院でも 肩・腕・手ついでに右足はN先生に十分リハビリしていてくれたもの。40分後看護師さんが来て車椅子からベッドへ移乗、 その時H先生が一人で立たせて移乗させてくれたのだが膝になかなか力が入らなかった、椅子がベッドより低かった事も あるのだがやはり弱っていたか。それから肩・腕と肺のリハビリ、肩や腕も関節や筋肉の動きをひとつずつ確認しながら 入院前と同じ様にギリギリまで動かしてくれたし肺のリハビリは久しぶりで気持ち良かった。やっぱりリハビリは 楽しい、特にH先生のリハビリはすごく楽しいな。これからもよろしくお願いします。

9月15日 敬老の日
今日は敬老の日、ハッピーマンデーが適用されてから昔の様に9月15日が敬老の日になるのは珍しい…。うちにも 80歳代の年寄りが2人いるが(僕の両親)何かしてもらってるって事はないだろうな、親父は口をきかないしお袋は何事も 口うるさくて敬われている様には見えないものな。僕はマチばあちゃんが大好きで典型的なばあちゃん子だったが、 敬老の日に何かしてあげていたかな!?。
祝日は訪問看護は休み、今日も2人のヘルパーさんが朝のケアに来てくれた。今日は珍しくF&Yのコンビ、何か あったのか?or世代交代?。洗顔の時にはいつも片方のヘルパーさんが脚のマッサージをしてくれる。僕はKさんの 力加減がお気に入りなのだがFさんのマッサージもなかなか、少し強いかもと心配?していたけど(以前の経験)。他の ケア(清拭&下洗い)もちょっとやり方は異なったが何の懸念もなく無事終わった。いつも思う事だが吸引もしてくれたら いいのにと、清拭の時背中を拭くために横を向くからどうしても痰が出てきてしまう。その度嫁さんを呼ばなくては ならないのが面倒。社協のお偉いさんヘルパー吸引認めてくれないかな。ともかくありがとうございました。

9月14日 ルーター、ようやく稼働
新しいルーターを買ったのが4月下旬、ルーターだけでは動かないと気づいて新しくADSLモデムを買ったのが5月中旬、 それからメーカーとこの4ヵ月十数回やり取りをしてそれでも上手く動かす事が出来なくて…、それが今日下の息子の 部屋(2000年8月に僕ら一家が僕の実家に引っ越してきてから8ヵ月余りいた僕の元の部屋)のモジュラーにモデムと ルーターを接続・設置してもらったら(下の息子に)ようやく動く様になった。今の僕の部屋はNTT電話の家庭用 交換機から4-50m屋内配線を伸ばしていたからその線抵抗が障害になっていたのだろう、まあ僕はそれだけではないと 思うが…。それにしても良かった。
新しいモデム・ルーターの設置に5ヵ月もかかった責任は僕にある。ひとつは自分で設置できなかったから (不可抗力だが)。もう一つは下の息子が配線なんか間違うはずがないと思い込んでモデムとルーターの配線を 確認しなかった事。はっきり言ってルーターに同梱されていた簡易ガイドには配線について簡単な図しか表記が 無かった、ルーター等の設置に慣れていない者なら間違えても仕方ないと思う。でも僕がもっとちゃんともっと しっかりと配線を見ていたら何かがおかしいと気づいたはずだ。そうしておけばこの3ヵ月無駄にしなかったかも しれない。やはりちゃんとした取扱説明書を付けて欲しいなあ、いや付けるのがメーカーとしての義務だと思う。 今度お礼のメールを書く時にそう指摘しよう。

9月13日 立って移乗出来た
退院翌日今日のケアの担当は朝のケアも午後の車椅子移乗も訪問看護師のIさんとヘルパーのAちゃん、Aちゃんなら (若いけど)上手くフォローしてくれるから少々の事なら何か起こっても大丈夫だろう。
朝のケア、洗顔・洗髪・清拭・下洗い・左腕のキズの付け替え、看護師のIさんは丁寧だけどちょっとのんびり屋さん、 最初から少し遅れ気味だけど時間内に終わるかな。Aちゃんが洗顔している間Iさんはリハビリ、Iさんの脚のリハビリは 大満足なのだが腕は片手ずつ拳上して欲しいな。次に洗髪、洗い手はIさんなのだが洗う力加減が僕にとって絶妙の 強さで気持ち良かった。病院の看護師さんの洗髪は年配者の入院が多いためか優しくなりがち、物足りないと 感じる事が多い。先発が終わった時点でもう11時を回っていた。結局朝のケアが終わったのは12時、Aちゃん次の訪問先 大丈夫かな。
昼3時からは車椅子への移乗、看護師のIさんは身長は150cmもないけど僕を力強く支えて立たせてくれる。退院した 昨日も車椅子からベッドへの移乗は膝がまともに伸ばせるか(車椅子の方がベッドより高さがかなり低いから)不安を 持っていたが、Iさんが僕の脇を持ち上げて立たせて支えベッドへと移乗させてくれた(F看護師がフォロー)。今日も 全く不安なく移乗させてくれた。車椅子からベッドに戻る前ちょっとしたアクシデントがあった、吸引器が 吸わなくなったのだ。僕がAちゃんを介して「嫁さんに電話して呼びの吸引器がどこにあるか聞いて欲しい」と 伝えようとしたところIさんが自分で予備の吸引器を探し出して取り替えていた。I看護師も頼りになる様に なっていたなあ。


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8月
8月19日−9月12日 左腕皮膚がん手術のため入院
19日に左腕の皮膚がんの切除手術のために入院、今回の入院は皮膚科入院だから主治医がいつもの神経内科の先生と 違うから何かと不自由な事がありそうな予感。昼過ぎに皮膚科の先生から手術の説明があったがよく分からなかった。 分かったのは手術時間が長くなるって事、まあそれが1番の不安だけどね。その後手術部の看護師さんが挨拶に来た。 今回の手術には10年以上前から馴染みのTさんはつけないとの事、代わりにイケメンのSさんがついてくれるという 事だった。しかしS看護師はTさんほど文字盤は上手くない、それに僕の仕草には慣れてない。それが第二の不安に なった。それで病棟の師長さんに「手術に対する不安は?。」って聞かれた時に「手術の時間が長い事と看護師さんに 文字盤に慣れて欲しい、焦ったり興奮したりすると血圧が高くなる」と答えた。ら「先生に安定剤が使えないか 聞いてみましょう。」との事だったが…、先生の返事は「痛みの度合いを確認しながら手術するから無理です。」と。 耐えるしかないな。
21日手術の日、手術は14時からの予定で前の手術の具合次第では遅くなる事もあると言われていたのだが朝 「前の手術が中止になったから手術は13時半からになりました。」と、早くなるのは心の準備が出来ないじゃないか。 昼の経管栄養を半分にして早めに済ませたら看護師さんが点滴を打つとの事、そこで「出来れば右手に」と頼んだら 見事に成功、長い事枕を作ってもらってあげていただけある。良かった。そして手術室に向かった、意外に 落ち着いていた、手術室のエントランスの天井のわずかなあらまで垣間見えたほどだった。S看護師さんの文字盤の 使い方にも大分慣れてきたし僕への対応もとっても親切で僕に対してもかなり気を使ってくれているのも分かるし 何とかなりそうだ。それに主治医が手術室に来てくれた事で僕を更に落ち着かせた。
まずはお腹から移植する皮膚を剥ぎ取る手術、皮膚を剥ぎ取る部分のマーキング(午前中先生が左腕とお腹に描いた、 見せてもらったら目をアラビア風?に抽象化したような不思議なデザイン)周りに麻酔の注射を打ちそれから針?状の物で 剥ぎ取る部分にあちこち刺し痛みが無い事を確認した上で皮膚を剥ぎ取って縫い付けた(お腹はだぶだぶだから皮膚を 縫い合わせる事が出来るらしい)。なるほど、これじゃ僕を眠らせる訳にも行くまい。ここまででもう1時間強、やはり 長丁場になりそう。ここで先生が手術気を着替え次の段階へ。左腕の皮膚層のがん組織の周りを大きく切り抜いて さっき剥ぎ取ったお腹の皮膚で傷口を覆って保護する手術、左腕のマーキングの周り(と中?)に麻酔注射を打ってから 皮膚層を切り取ったもよう。そしてお腹から取った皮膚を縫い付けて傷口を何かで押さえつけているらしかった。 しかし僕の我慢もそろそろ限界、かなと思い始めたところでS看護師さんが「マッサージをしましょう。」と 言ってくれて肩や右腕や脚をもんでくれた。その掌がとっても温かかった。しばらくして手術が終わって先生や S看護師さんから「終わりました。お疲れ様でした。」と声をかけられたらほろりと涙が…。情けない、僕も大いに プレッシャーとストレスを感じていたって事か。手術室のエントランスに戻るとそこに主治医とT看護師の顔が見えて またもやぽろり、今度は安堵の涙。病室に戻った後で嫁さんに手術時間を聞いたところ3時間ちょっとらしかった。 もっと長く感じたが…。
手術後左腕のキズは鈍くて重い痛み おなかはちくちくした鋭い痛みが時々襲ってきた。と言ってもそれほど強い 痛みではなく僕としては拍子抜け。だから先生が処方してくれた痛み止め(ロキソニン)はこれから痛みが強くなって 眠れなくなるかもとの予感が頭をかすめた時に服用した、ほんの2-3日。抗生剤も点滴でいくのかなと思っていたが 錠剤との事で手術後すぐに外れた。すべて順調?。ところがお腹のキズからの出血がなかなか止まらなかった、ほんの わずかずつだけど。お腹のキズには縫い合わせた皮膚の底からしみ出してくる血を取り出すためのドレンが 入っていた。先生は(8月)26日に抜くつもりだった様だった。けれど血はキズを覆ってあったガーゼに目いっぱい 付いていた、鮮血も。それで先生はドレンを抜くのを見送った。29日抜糸は済んだがお腹からの出血は少なくは なっていたけれど依然として続いていた。結局お腹のドレンが抜けたのは(9月)4日、退院は12日に決まった。
ドレンが入っている間はお腹のキズの近くにある腹筋に力が入る動作は禁止されていた、当然立ってからの車椅子 移乗も禁止(その間はベッドをギャジアップしての財)ついでにお風呂に入る事も許されていなかった。でも 作業療法士のNさんが毎日リハビリに来てくれて関節の可動訓練&右足の筋力トレーニングをしてくれた、熱心にかつ 優しく。ありがたかった。ドレンを抜いた次の日お風呂でシャワーを浴びたし支えられて立ち車椅子に座った。しかし 翌日翌々日は車椅子に座らせてもらえなかった。理由は土日で人手が無いからと。けれど僕はこの様子に異様なものを 感じた、もしかしてこの病棟の看護師さんたちは僕を車椅子に座らせたくないのか。案の定8日(次の日の月曜日)僕の 受け持ち看護師のTさんが「車椅子の移乗に関してリハビリの先生を交えて話し合いの場を持たせて欲しい。」との 話があった。突然こんな話を持ってくるなんてやはり看護師さんたちの間で僕の車椅子移乗に関して何かあったんだ、 看護師さんに立たせてもらってからの車椅子への移乗は入院中における僕の一番の要望でここ2-3年ずっと やってもらっていたのに突然何が起こったんだ、と驚きもしたし僕は冷静に話は聞いたつもりだが失望の色を 隠せなかった。僕が車椅子に移乗する時いつも5-6人の看護師さんが集まってくる。家では2人の女性(訪問看護師2人or 訪問看護師とヘルパー)に移乗してもらっているのだから病院でも3人いれば十分だと思うのだが…なぜかいっぱい 集まってくる、僕は自分が移乗の担当になった時のための見学と理解していたが。それに支えて立たせてくれるのは 最近は男性看護師ばかり、僕の脚の力を上手く利用する&もう1人にお尻を持ち上げてもらえれば(orベッドの高さを 上げる)女性看護師でも十分立たせられると思うのだが。もしリハビリが立つ訓練を受け持ったら病棟は横抱きでの 車椅子移乗は毎日してくれるのかな。僕は横抱き移乗より立たせてから移譲させた方が看護師さん達も楽だと 思うけど。
入院が長くなって良かった事は二つ、この1-2年の間にこの神経難病病棟に入ってきた看護師さん達とも話が出来る様に なった。特に2年目の看護師さんには他の看護師さん達と同じ様にこちらから頼みごとをする事も出来る様になった、 たぶん。二つ目は視線入力意思伝達装置マイトピーを体験できた事。この機器なんと100万円以上するらしい。しかし 視線入力の心臓部キャブレーターがメガネをかけているせいかかつまた寝ている体勢だったからかなかなか上手く いかなかった。左右下スミの視線の認識がほとんど出来なかった。それに視線入力自体が難しい様式であると改めて 感じた。見つめるモードの場合は視線を落ち着ける画面が文字表示ウインドしかない、油断するとすぐ違う文字を 入力してしまう。まばたきモードにすると何とか入力は出来たけれど油断のまばたきで誤入力を起こした。スイッチの 入力操作に慣れきっている僕にはかなりの調整と慣れが必要な様だ。僕はまだまだ視線入力は必要になりたくは ないな。僕は画面のあるエリアを見てまばたきをすればスイッチをONさせるくらいの視線入力でいいのだが。
退院の日(9月12日)迎えは午後1時半朝と昼の経管栄養をいつもより1時間ほど早めに落として迎えを待った。その後 しばらくしてから看護師さんに時間を聞いたら午後1時15分と、着替えをしていたらもう迎えのヘルパーさん・ 訪問看護師さんの顔が見えた、いつもなら大体少し遅れてくるのに。今日は訪問看護師さんに家のやり方で車椅子に 移乗してくれるよう頼んでおいた、女性2人でも車椅子に移乗させる事が出来るって事を病棟の看護師さん達に 見せようと思って。しかし病棟の看護師さんたちは関心を示さなかった。帰り支度が出来たので玄関へ、珍しく 看護師さんの見送りはなかった。帰路車窓からは彼岸花が見えた、いつの間にか 早いものだ。リフト車が家に着いた時 庭にはモモとチビがいたらしい。わざわざ僕の出迎え?、まさかね。家に入るとゲージの中のリンが珍しいもの?が 喜多と目をキョロキョロさせていた。まあ僕の出迎えなんてこんなものだろう。
病棟の看護師さんたち、1ヵ月近く大変お世話になりました。支えてもらって立ってからの車椅子移乗は数回しか 許されませんでしたが、2週間以上お風呂に入れなかった時の3回の洗髪・寝る前の手足の運動、心づかい 嬉しかった。

8月18日 一八夜
今日の夜は我が地区(旧称:部落)の夏祭り一八夜、だのに高校生の息子二人は朝早くから学校へ、昔僕が高校生の頃には 一八夜の日には朝六時半?からお寺の本堂にみんな集まって一八夜の準備にいそしんでいたのに(まあ昔は高校の補講も 19日から始まっていたこともあるけどね)。今と昔じゃ一八夜の意義や意味もかなり違ってきているんだろうな。
午後になって息子たちが帰ってきたがまだお寺に行こうとはしない、今はそれで良いのか?。夕方浮立の集合の合図の 花火が上がる少し前に息子たちは出かけて行った。出来れば息子たちが一八夜でどんな役割を与えられているか 見てみたいが無理だな。やがて時間が経って浮立もお寺の境内に入ってクライマックスを迎えた様で…最後の花火が 上がりだした(連発花火の音がした)。これで今年の一八夜もおしまい、一八夜の浮立・どてまかしょ・ジャーモン (我が地区特有の仕掛け花火)、僕の若かりし頃の思い出でもある。残念ながら我が家の息子たちは一八夜にそう 思いいれはなさそうだが。

8月17日 娘帰る
14日の日に家に帰ってきた娘が今日の午後2時過ぎに大学のある街に帰って行った。娘がいると僕は楽しいし安心感が ますがそれも今日で終わり。今回もいろいろ話してくれたしいっぱいやってもらった、句集(かたこと:宗本智之著)も 読んでもらったしルーターの再挑戦にも付き合ってもらった。ありがとね。
io-dataのルーター、4月末に買ったけど未だに動かせない。今回の挑戦は7月の初めに回答をもらった分、ずい分 遅れたが娘に手伝ってもらって15日の夜にようやくやれた。回答に従ってやってみたところ恥ずかしい事が解った。 モデムとルーターのLANケーブル接続が違っていた。僕が接続を確認しなかったばっかりに/僕が接続出来ないから ばかりに、無駄な3ヵ月を費やした。でもこれでようやくうまくいくと思ったが…。初めてルーターの設定画面が開け ルーターの設定がようやく出来た、しかしモデムとルーターを(正しく)つないでもブラウザが開けなかった。また 失敗、いいところまで来ているはずなのだが。またメーカーサポートに問い合わせか。このio-dataのルーターとは 相性も悪いし、もうもう一つNECのルーター買おうかな。

8月15日 通院日
今日は珍しく雨の中の通院、19日に入院なのだから今日わざわざ通院しなくてもいいと思うのだが、入院は皮膚科  この通院は神経内科なのだから別ものと。確かにそうだ、それが今日の通院でよく分かった。主治医に「入院中に 股関節のレントゲンを撮って欲しい」と依頼したら「今回の入院は皮膚科だから自分出来ない。」との事、 面倒くさい。もし入院に熱でも出たら皮膚科の先生に依頼する事になるんだろうな、僕の状態をよく知っていない 先生なのにああ面倒臭い。
結局主治医の診察とカニューレ交換の後今日股関節のレントゲンを取る事になった。結果は「骨には異常なし。 (加齢により)股関節に少し空間が出来ているけど。」と。何故股関節のレントゲンを撮ったかって。説明が難しいな、 前からあった痛みなんだけど股関節を動かした時(腰と太ももがある角度になった時/右2ヵ所・左1ヵ所)に最初の 回に出る痛みの種類が変わったから、かな。

8月13日 入院前最後の水曜日
入院前の最後のリハビリ&入浴車、今回の入院は少し長くなりそうだし立ってからの車椅子移乗の許可がいつ出るか 分からないから今回は退院後車椅子移乗出来るか本当に心配している。マジ不安!。それにお風呂も今回はいつ 入れるか、なんせ今回は傷口が皮膚がん切除部と移植皮膚剥ぎ取り部の2ヵ所だから傷がある程度治るまでは 難しいだろうし。痒くなりそうだなあ。
という事で今日はリハビリと入浴車をいっぱい楽しんだ。まずリハビリ、久しぶりのH先生、股関節・膝・足首・指と それに付随する筋や筋肉 今日は特に何かを確認しながら動かしている様だった。立つ訓練、今日はある程度上手く 立てたが次はどうなるかなあ。そして午後一に入浴車、どこが痒いとかあそこが痒いとか言っても入浴車なら十分 対応してくれるが…病院では言えないだろうな。いろいろ耐えるしかないね。

8月12日 久々に海に行く
今日はついに海に行く日、今日は朝7時から経管栄養を入れ今日海に同行してくれる訪問看護師さん達を待った。そして 10時過ぎ訪問看護師さん達それにケアマネージャーのTさん・社会福祉士のMちゃんが本当に来た。もう一人の 訪問看護師さんと訪問リハビリのH先生ももう少ししたら来るという、嫁さんも入れて総勢7人が僕一人を海に 連れて行くために集まってくれた、ありがたかった。
午前11時を過ぎに出発、今日はどこの海に向かうのだろうと思っていたら伊万里市街地の方に入っていった。 久しぶりに通るこの道、半分は40年ほど前の高校生の時にかよった懐かしい道だった。訪問看護Sの所長が道沿いの 建物や通りの様子を色々とおしゃべりしてくれた、その中にたまーにだが知ってる名前もあって嬉しかった。そして 元山元病院内の敷地に入りみんなして足湯用の温泉水を大きなタンクに汲み込んだ。僕は海へ行って車椅子のまま海に 入って浸からしてくれるって事しか聞かされているだけだからどこの海へ向かうかも知らない。さあ出発、所長の口に する町名や地名からするとどうやら黒川方面へ向かっているらしい、このリフト車の車高では車椅子の僕には 車窓からの景色は見えない。伊万里大橋入口も通り過ぎたし行先はいまりんビーチの様だ。
いまりんビーチ到着、リフト車から下りたら涼しい風が吹いていて気持ちいい。今日のビーチは思っていたより全然 暑くなかったし海水浴客も多くはなさそうだ。海の見える所に連れて行ってもらって久しぶりに海を見たら、感激!、 涙が出そう。僕は今でもやっぱり海が大好き、と改めて感じてしまった。
さて砂浜は15mもある、これほど長さを車椅子に座っている僕をどうやって海まで連れて行ってくれるのだろう。 と思っていたら秘密兵器があった。それはダンボール、それが見事にはまった。順繰りに敷かれていくダンボールが 砂の上に絶妙に道を作っていった。ナイスアイディア!、すごく良いやり方だ。誰がこんな方法を考えたのだろう、 スゴイ!。そして足がついに海の中へ、久々に味わう海の水は思っていたよりも冷たかった。でもとっても気持ち 良かった。昔はこんな海の中で5月末から泳いでいたのか、今思うと昔の自分は凄かったんだなあ。更にみんなに導かれ 僕の車椅子は海の中へ、そして腰まで浸かったところでストップ。目の前に広がる海、心地良い風と水の冷たさ、 超気持ちいい。
そこでみんなで記念写真そしてしばらく静かな波と戯れながら海…や家族づれの海水浴客を見ていた。楽しそう、僕が 元気だったらうちの家族もこういう場面に何回も何回も付き合わされていただろうに…、すまない。10分-15分波と 戯れていただろうか、みんな言い出せない。そこで僕が「戻ろう」と口にした、さらば海よ、楽しかった。帰りも ダンボールの道でおおむね順調、芝生に着くと「海水のままじゃあ痒くなるから。」と例のタンクの温泉水で足腰を 洗ってくれた。そこまで考えていてくれたのか、様々な気遣い ありがとうございます。最後にもう一度海を 見せてもらってからリフト車に乗り込みいまりんビーチを後にした。まだ後ろ髪を引かれたが仕方がない。
帰りは途中から(僕は知らないこの数年間?に出来た)新しい?道に入った様だった。そして馴染みのバイパス& 202号を通り家に到着。車椅子のままお風呂場に直行しシャワーで下半身を流してもらってからベッドへ、そして 着替えをしてもらって解散、みんな次の仕事場へ向かった。僕も余韻を楽しむ間もなく訪問歯科、けれど訪問歯科が 終わったらすぐにパソコンをセットしてもらって嫁さんが撮った今日の写真を鑑賞。写真を楽しみながらもFBへ今日の 楽しさと嬉しさを投稿。不思議な事に疲れは感じなかった。
所長・Fさん・Iさん、H先生、Tさん、Mちゃん、それに嫁さん、今日はありがとうございました。本当に本当に 愉しかった。

8月10日 下の息子初吸引
先日と今日の2回下の息子に嫁さんが吸引を教えた、自分から言い出したのか上の息子に「そろそろお父さんの吸引を しろ。」とせっつかれたのかは分からないが。そして嫁さんが出かけている間にコールを押すと下の息子が来てくれて 僕が「痰」と言うと「(手順は)どうだっかなあ?。」と言いながらもちゃんと吸引してくれた。2回しか 教えてもらっていないのに・初めてなのに、心配するほどではなかった、まあまあ上手かった。

8月9日 チビも久しぶり
台風11号が九州の東方を北上、雨が降っている内は家の中にこもっていたモモとチビも雨が止んだ途端外へ散歩に 出かけて行って夜まで帰ってこなかった。そんなチビが夜10時ごろ何を思ったか2ヵ月ぶりに突然僕のベッドに 上がってきて脚の間でひと休み、モモが入ってきたらベッドサイドまで様子を見に行ったが再び脚の間に戻って来て 眠ってしまった。このまま朝までずっと寝てくれるのかとちょいと期待したが…、隣の部屋の天井でコトリと音が したらむくっと起き上がって行ってしまった。寂しかったなあ。

8月8日 往診
今日はパチパチ算盤の日。僕は算盤にはいっぱい思い出もあるし思い入れもある。子どもたちにも僕自身の手で算盤を 教えたかったが出来なかった。
今日は掛かりつけ医のT先生の往診の日、カニューレ交換をしてもらってから次回の往診の日について嫁さんと 打ち合わせをおこなっていて皮膚がんの話しに移った時に、ほくろ状の気になるものが右頬にも首にもある、背中にも 何か出てきたと言い出した。僕の頭は左腕の手術の事と脚で立つ事をどうやって維持するかで目一杯なのにこれ以上 情報を入れるなよ。

8月6日 入浴車
水曜の午後一は入浴車の時間。今日のメンバーは僕の気の許せる人たちばかり、楽しいおしゃべりを聞きながら気楽に 入れそう。今日はこの夏初めてcoolの入浴剤を使ったが違いはよく分からなかった。スーっとするシャンプーも 勧めてくれるのだが…頭が冷えて風邪をひきそうなので使うのが怖い、情けない。今日のお湯の温度はいつもより少し ぬるめ、上がってからいつもいっぱい汗をかくから。今日ぐらいが丁度いいのかもしれないな。気持ち良かった。
いつもの事だがお風呂でいくら身体を温めても1時間もすれば肺から身体が冷えてくる。掛け物で調整しているのだが 頃合いが難しい。困った身体だ。

8月5日 久々モモ
激しい雨が上がった昼過ぎ?からいつものごとくどこかにぶらっと散歩に出かけていたモモが寝る時になってようやく 帰ってきて、ほんとにほんとに珍しく僕のベッドに上がってきて僕の脚の間で寝始めた。しばらくして一度僕の部屋の トイレに水飲みに下りて行ったが…すぐにもう一度ベッドに上がってきて脚の間ですやすやと眠った。嫁さんによると 「(モモは)外を遊び回ってとても疲れたのだろう。」という。まあそれでも久しぶりの事でとっても嬉しかった。
真夜中目が覚めたらもうモモはいなかった。

8月3日 後輩結婚、嬉しい!
今日は会社に勤めていた頃の後輩の結婚式、6月末になると毎年サクランボを送ってくれる後輩だ。近くの式場なら 駆けつけてお祝いのひと言を言いたいところだが遠くっちゃ僕の今の状態では移動手段がない。何かしたいのだが…、 電報ぐらいしか思いつかなかった。無力…。

8月2日 Mさん完璧
今日午後3時からの車椅子移乗は先週に引き続き訪問看護師FさんとヘルパーMさんのコンビ。最近のMさんの安定感は 目覚ましい。脚の装具のつけ方もこの数ヶ月安定してる、ヘルパーの中で足の指を伸ばすのに一番時間をかけるのは Mさんだし装具を着ける時に足の指に最後までちゃんと手を添えて指が曲がらない様に一番気を使っているのもMさん、 だから最近Mさんが脚の装具を着けるのはとっても安定している。それに他の動作も最近はとっても安心、Mさんはもう 完璧に近いなあ。


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7月
7月31日 海水浴に行こうって
今日の朝のケアの担当は所長とIちゃん、その所長がケアの後僕に「海には行ってましたか?。」と聞いてきた。僕は 「海に行ったらまず最初に沖合に向かって出来る所まで泳いで行って、そこで上向きになって浮いたまま平泳ぎで しばらく休憩してから浜辺に戻ってきてた」と答えた、要するに「海大好き・泳ぐの大好き、だった」と 言いたかったのだ。そこへ嫁さんが「夏は海、冬はスキー、山にも行ってて1年中真っ黒だった。日焼け止めクリームを 塗るとか紫外線対策を全くしていなかったからこう(皮膚ガンが出来た)。」と横から口を挟んだ。所長は「色白だから そうは見えませんね。」と言ったが、嫁さんの言う通り嫌子供の頃から真っ黒だった。日焼けが健康のバロメータと 思っていたほどだった。
その所長が「海水浴に行きませんか?、H先生とも話しているんですよ、水に浸かってみません?。」と提案があった。 外出はほぼ諦めていたのでびっくり、でも嬉しかった。海水浴って言葉をこんなに身近に聞くの何年振りだろう。 田舎に引っ越しした年に家族みんなで唐津の浜辺に海水浴に行ったからたぶん14年振りかな。水に浸かるのは無理でも 砂浜に足は触れてみたいものだなあ。

7月29日 手術日決定
今日左腕の皮膚ガンを剥ぎ取る手術の日が8月21日になったと連絡があったと聞いた、左腕の皮膚患部を切除した上で 皮膚移植をするという。皮膚移植は時間が半日かかるって皮膚科の先生が言った、局部麻酔でそんなに長時間手術室に いるなんて耐えられそうもないから嫌だ。今回で手術室で皮膚がんの切除手術を受けるのは2回目だけど、今回は 何となく不安だなあ。入院は皮膚科の先生の都合で19日との事、退院は患部のケアが必要ないと皮膚科の先生が 判断した日以降、だから今回は少し長くなりそうな予感、嫌だなあ。
今回の入院で僕が最も危惧しているのは立てなくなる事、リハビリを手配してもらわねば、これまでの入院の様に 看護師さんたちに一度立たせてもらってから車椅子移乗をしてもらえる日は手術後何日目からか。今回はおそらく 抗生剤を点滴で入れなければならないだろう。僕は血管が見えなくてその上細いからIVHか。それに移植する皮膚の 取り位置次第でリハビリは左腕以外でも制限を受ける。ああ、不安!。

7月29日 歩かせてみたいって
今日の車椅子移乗 当初火曜日のリハビリの時間変更を聞いた時から懸念していた事項があった。それがついに今日 現実に起こった、二人目の訪問看護師さんが10:45に来れなかった。後ろ(リハビリ開始時間)が11:50と決まっている 以上二人目の看護師さんが遅れれば遅れるほど車椅子に座っている時間が短くなる。今日は訪問看護が二人体制だった 上に緊急事態が起こったそうで1時間近くも遅れた。だから「今日はもう車椅子には座れない」と諦めていたが、所長が H先生と相談して強引に15分座らせてくれた。そして正午にH先生が車椅子からベッドに戻してくれて(例の足を 互い違いに動かす動作で)リハビリ開始、火曜日は肩・腕・手・肺のリハビリ、今日は可動範囲がいつもより少し広かった 様な気がした。またいつかこんな風に看護師さんが遅れる事があるかもしれないな。
でも感激した事もあった。上半身のリハビリの時H先生が立つ訓練の際に左右の足を互い違いに動かす練習の意味と ひそかに抱く自分の夢を話してくれた。H先生の夢の一つに「僕をもう一度歩かせたい」ってのがあるという。昔 描いていた僕自身の夢を思い出した、60歳までにALSという病気を治す方法が見つかったらそれからの5年間懸命に リハビリして身体を動かせるようにして「もう一度屋久島に登る、宮之浦岳の山頂に立つ」という夢。この前 レスパイト入院した時もリハビリのN先生にも「夢のためにもこれ以上身体が固くならない様にしなくちゃね。」と 言ってもらったしね。最近僕の心の中に「もういいよね」と弱気の虫が頭をもたげ始めていたが…、こんなに応援・ 支援してもらっているのだから僕も前向きに頑張らなくっちゃ ね。

7月27日 必殺仕事人2014 観覧
今日夜の9時から「必殺仕事人2014」が放映された。「必殺仕事人」は昔から僕の好きなテレビ番組かつ時代劇の一つ、 藤田まことが亡くなった今でも年に1回夏に放送してくれる、テレビ朝日様様です。今回ももちろん下の息子に頼んで 録画してもらった、今度いつ見るか分からないがとりあえず。

7月26日 グラフ、終わった
ようやくアンケート集計表(Excelデータ)のグラフ作成作業が終わった。33個のグラフに9日間もかかってしまった、 情けない。それにグラフの作り方も分からない事がいっぱい、タイトルのつけ方も分からなかった、ラベルの幅を 調整する事も出来なかったし段組みする事も出来なかった。どうするのだろう、このままじゃあ少しモヤモヤするしMicrosoftのグラフのヘルプで検索して調べてみようかなあ。
中途半端なグラフの知識でグラフを作ろうとすると時間がかかる。県支部事務局で集計/グラフを担当した方も 苦労したかもしれない。それにしても集計/グラフ作成に2ヵ月は時間がかかり過ぎ(配布から約4ヵ月だもの)、僕は レスポンスが大切だと思うのだが。事務局で集計を担当した方は3Dグラフ表示が好きだった様だが僕は美的センスが ないから3Dグラフは使いこなせない。それに僕を含め年配と呼ばれる人には2D(平面)グラフの方が分かりやすいと 思うのだが。

7月25日 通院日
今日は通院日、車椅子に座らせてもらって廊下に出ると蒸し蒸しが肌にまとわりついてかなり暑い。エアコンの効いた 部屋にずっといるから(暑いとは聞いていたが)これほど暑いとは思わなかった。玄関を出たらまず聞こえてきたのは 「ギャンギャン」と鳴くクマゼミの声、とても懐かしい思いがしたが…、外はもっと使った。
病院に着き救急処置室に入りバイタルの測定を済ませるとまず皮膚科の先生、予期していた事だが左腕の生検の結果は 皮膚がんの再発。「切除手術は次の(9月末の)レスパイト入院する時でどうか?」と尋ねると、「そこまで待つのは 危ない。」という事で「皮膚科として入院するか?。」と提案あり、レスパイトのひと月前倒しを検討してもらう事に なった。手術の方法として僕は患部の単純切除/縫合を希望しているが、先生としては患部を広く切除しなければ ならないので縫合しても傷口が開く可能性があるらしい。それよりも解放?or切除後皮膚移植が考えられという。 解放 よく分からないが家に帰ってもケアが必要、皮膚移植 手術時間が半日とは耐えられない、どちらも嫌だ。 何とかしてくれないかな。
しばらくして主治医登場、聴診の時「ドキドキしてますね。」と言われてしまった。カニューレ交換をしてもらった後 帰路に着く。今日の外来の看護師さんの対応もうひとつだった、いつもと同じ看護師さんたちなのに。どうして!?。

7月23日 散髪
髪の間に時々汗が溜るから退院したらすぐに髪を切ろうと思っていた。それで退院した日に訪問看護Sの所長に散髪の 手配を依頼した。そして今日が散髪(かつ入浴車)の日、正午過ぎ訪問理容リリアンのKさん&さん(いつもの昔 勤めていた事業所の知り合いに似てる方)が来てくれて、僕の身体を気付かいながらも約40分丁寧に髪を カットしてくれた。自分ではどのくらい切ってもらったか分からないが結構バッサリと切ってもらったはずだ。 その割には頭は涼しくならなかった、おかしいなあ。
リリアンさん、いつもありがとうございます。

7月22日 意味が分かった
火曜日は朝10時から40分間で洗顔/リハビリのケア、そこにもう一人訪問看護師さんが来て15-20分かけて脚と首に 装具を着けベッドから車椅子に移乗、それから50分近く車椅子に座って11時45分に訪問看護師さんと訪問リハビリの H先生が来て僕を車椅子からベッドに戻し1時間余りH先生による肩・腕・手と肺のリハビリ、そして1時間ぐらい 休憩してから午後2時から訪問歯科。かなりせわしいし車椅子に座るまでは眠くて身体が動かない…、まあ仕方ない。 朝のケア40分は短いから洗顔と脚だけを動かしてもらう事にした。
車椅子からベッドに移る時にH先生がいつもと違う動きをさせた。いつもはベッドサイドで車椅子から立たせてもらい ベッドになだれ込むように座るのだが、H先生は立たせてから腰をきちんと伸ばさせ右脚重心にしてから左足を少し 後ろに引きそしてベッドに座らせた。僕は右脚重心で立つのにはあまり慣れてないので少し膝折れしそうになったが、 H先生がフォローしてくれた。先週龍訓練の時に足を前後に出させたり戻させたりさせたのはこのためだったのか。

7月21日 海の日?
今日は海の日らしい。という事で今日は祝日で訪問看護はお休み、それでいつもの様にヘルパーのF&Kコンビがケアに 来てくれて便の後処理・清拭・洗顔をやってくれた。この2人吸引は出来ないが全然心配はなかった。そしてケアも無事 終了、この2人には月曜が祝日になった時いつもお世話になっている。ハッピーマンデー制度のせいで月曜が祝日に なる事はかなりある。その度にこの2人が来てくれる。本当にありがとうございます。
社協のトップも何とか早く吸引を認める介護事業所になると変心してくれないかな。

7月20日 エクセルでグラフ
今月17日にようやくアンケートの集計結果がN支部長からメールで来た。アンケートの配布から約4ヵ月、県支部 設立総会からも3ヵ月が経とうとしているのに事務局からの連絡はこの間一切なかった。こんな事で県支部が 維持出来るとは僕にはとても思えない。僕はまめな連絡こそが県支部維持の道だと思うのだが、僕と支部長はじめ 佐賀管区の人間とは考え方が全く違う。
アンケートの集計表はエクセルで作った。当然集計結果もエクセルで返ってきた。そのエクセルデータを見ていたら 無性にグラフを作りたくなった。金曜日に始めてもう三日、Excel2010のせいもあるがグラフのやり方を思い出さず なかなかはかどらなかった。この調子じゃいつまでかかるかな?、まあいいか。

7月18日 背中が痒い
背中が痒い。台風8号が鹿児島を横切った日の朝方から背中が痒くなった。あの日の朝暑かったのに病院側はなかなか 冷房を入れてくれなかった。おそらく出来かかっていた背中のあせもがあの時一気に成長したのだろう。全く病院の 空調ってどっちを向いて入り切りさせているのだろう、っていつも思う。どんなに暑くても寒くても時間になりゃあ さっさと空調を切ってしまうし夏季の日中の冷房なんか寒くて鳥肌が立っこともあるくらい。病院は一斉空調だから せめて病室に風量調整の設備を整えてくれていたらいいのに。
退院してから1週間の今日T先生の往診の時カニューレ交換の後に「背中のあせもの薬が欲しい」と頼んだ。今度の 薬 効いてくれればいいが。

7月16日 下半身リハビリ
水曜日のリハビリは下半身、「今日はNさんにやらせてもらえないか。」とH先生は言う、僕は先週の実績もあるし 不安も支障はなかった。
Nさんのリハビリはこの3ヶ月で確実に上手くなっている、まだ1年目だというのにこれはすごい。ただ右アキレス腱& ヒラメ筋を伸ばす時今日はH先生と同じ様に力攻めで伸ばしに来た。でもH先生ほど力のないNさんにはこのやり方は 無理だ。先週はうまく伸ばせたのだから恐らくやり方が違うのだろう。先週は訪問看護師のFさんと同じ手首をてこに 使った上手いやり方だ。それに足の裏に沿えた手の位置がもう少し指先の方だったと思う。はたしてNさんが次回までに あのやり方を思い出すか、楽しみーぃ。後でH先生に「ヒラメ筋(足首)のリハビリの効きに左右でこんなに差が あるのか?」と尋ねたところ「右の足首の方がかなり固い。」との返事、思い当たる事がある。しょうがないか。
僕のリハビリは立つ訓練以外もっぱら関節の可動訓練、筋力訓練はどうなんだろう。それに立った時今日から足を 前に出す練習が加わった。あれにはどんな意図があるのだろう、片足重心は分かるが。

7月15日 リハビリの時間変更
今日から朝のケアの時間・リハビリの時間が変更になった。制度とレセプトの問題らしいがよく分からない。県には 確認を取って進めていたらしいが担当者が代わって一変したらしい、よくある話だ。これまで火曜日のリハビリは 夕方だったが、今日からはケア10:00-10:40/車椅子への移乗10:40-about11:00/車椅子座位11:00-11:50/(当面) 看護師さんとH先生による車椅子→ベッドへの移乗&リハビリ(上半身)11:50-。ケア40分は少し短いか、また朝だから 車椅子に座った時少し身体がしんどい。朝の経管栄養を少し早めないといけないか。

7月13日 有朋自遠方来 不亦楽
昨日今日と中学・高校を共に過ごした友人が家に訪ねてきてくれた。有朋自遠方来 不亦楽だ。[朋有り、遠方より 来たる。亦た楽しからずや。(論語) 高校時代漢文が全く駄目だった僕がこんな風に漢文を使うのもおかしな話たが、 この方が何となく合うような気がした。]
昨日来てくれたのはT、中学・高校・大学の夏休みにはよくつるんで遊んだ。初めてTを見たのは中学1年の最初の生徒会の 時、僕の後ろに座っていてちょっとかっこよかったし何より隣に座っていた女子が可愛かった(Chiちゃん)。Tは 頃合いを見て勝手に話しかけてくれる、それがいいし楽。一緒にやんちゃしていた頃の話をいっぱいしてくれた。Tが うちに来た時によく話すのが中学3年?の夏休みの事、自転車で坂道を下っていて(ブレーキが効かなくて)カーブを 曲がりきれなくて家に突っ込んだ時の事(彼の話によると風呂場だったらしい)、他にもアクシデントはいっぱい あるのだがこれがよほど印象深った様だ。この時は「おまいどこの息子ね?」と聞かれたから親父の名前を答えたら この家がお袋の親戚だったらしく電話だけで許してくれた。 他にも「お互いモテ期は一度だけだったな」などと周りに 聞かれたら気まずそうな余計な事も、まあ僕のモテ期?はその通りだけど。いろんな話をしてくれて1時間半、 楽しかった。ありがとう。
今日もまた小・中・高校の同級生のHが来てくれた、今晩夜行バスで帰るからその前に顔を見せたとの事だった。昨日に 引き続きでとっても嬉しい。なぜこの時期かって、我が町は7月盆だから。Hの家の事で最も記憶に残っているのは犬の 事、Hの家では広い庭の片方(田んぼ側)に広範囲にワイヤーを張ってそれに犬のリード(鉄の輪っか付)を通し飼い犬が 庭中を走り回れるようにしてあった。犬が楽しそうに走り回っている様子が印象に残っている。Hは来ると話しを しながらもいつも手足をマッサージしてくれる。今日はパソコンを使って話しをした。いつもは入力している間相手を かなり待たせる事から申し訳なく思えてパソコンによる会話はあまり使わないのだが、待ってくれるのを分ってるから パソコンを使ってみた、まあ3-4会話だけど。それに文字盤も使ってくれるし…。あまり時間はなかったが楽しかった。 ありがとう。
二人ともいつも本当にありがとね。

7月4日−11日? レスパイト入院
今日(7月4日)からレスパイト入院、病棟に11時までに入って欲しいという事で9時45分には訪問看護師さんたちが来た。 この時間帯のお迎えは辛い。そして10時15分には家を出発し11時前にはいつもの神経難病病棟に入った。病室は 人工呼吸器装着患者には狭いと思う1号室、またここかという想いもあるが仕方ない。病室に入ると顔なじみの 看護師さんがずらり、2ヵ月ぶりだけど懐かしい。それからピルケーススイッチをオーバーテーブルの底の梁に 貼り付けてもらって病衣に着替えてからお風呂に入れてもらった。お風呂に入れてもらった後すぐに昼の経管栄養を 入れてもらいながらひと休憩、最近寝不足気味だったからゆっくり寝たって感じがした。
初日の午後は忙しかった。まずはカニューレ交換と血液検査、血管が見えにくくて細いから看護師さんがいつも 苦労している。次にすぐさま皮膚科の先生が来て左腕のほくろ状のもの2個を切り取って生検に回すそうだ。傷跡は 全部で6針縫ったとの事、けれど最初の糸は細くて切れたらしい。それで先生が看護師さんに「ナイロンの3号」と 指示する声が聞こえた、それほど傷がきついのだろう。そして続け様に胸のレントゲンと心電図検査が来て検査終了。 左腕の生検結果は退院する日には出ないという。それ以外は異常なし、たぶん。まあ少なくとも今取り立てて治療する 箇所はないという事だろう。
入院中の大きな事件と言えば2日目の早朝同じ病室で僕の正面にいた患者さんが亡くなった事、前日の夜あの患者さんが 脚が痒いと言いながらもぞもぞさせていて看護師さんが薬を塗ってあげているのをこの目で見ていたのに。この日の 僕はやけに疲れていたのかぐっすり眠っていた様で、朝方騒然?とした雰囲気で目が覚めた。響くのは家族の 「お父さん」と呼ぶ声、やがて静寂。人の死はあっけない、これでそう思うのは何度目?、2人or3人or4人…。 この光景に出会う度に自分の死の瞬間を予感させる。僕の家族はあんな風に呼びかけてくれるのか?・悲しんで くれるのか?・寂しく思ってくれるのか?。分からない…、レスパイト入院の時と同じ様に家族のスケジュールに 入っているのでは、なんてね。出来得る事ならばこの様な今日明日にも死を迎える事が解っている患者の場合には 1人部屋でゆっくりお別れをさせてあげてあげた方がいいのではと。今回は無理だけど。
今回のリハビリは月曜からの4日間連続、充実していた。まずは左足のパソコン用スイッチ、この1年入院する度に お世話になっているリハビリのN先生がピエゾのスポンジスイッチを試してみましょう。」と勧めてくれた。そして 火・水・木の3日間左足の足の裏にスポンジスイッチをセットしてもらってやってみたら使えると思えた。あとはPC側の HeartyLadder環境設定で@同じ様に足の裏でスポンジパットを押しているつもりなのに時々二度打ちになる現象を どうやったら解消出来るかを検討してもらってA点滅間隔を7or6にすれば僕のせっかちな性格にも合ってくると思う。 それにピエゾのスポンジスイッチは家で使っているノートパソコンに入れているオペレートナビTTでも スイッチスキャンの設定さえ調整すれば使えると思う。これで憧れの両脚使い実現、かな。
手脚のリハビリの関節可動域維持訓練もギリギリまでいっぱい攻めてくれてありがたかった。ただN先生が言ったひと言 「関節を動かしていて抵抗が出てくるところ以上に動かしたら痛いはずなのに。」が気になったが。また筋力運動の後 一部の筋肉に若干疲れを感じる事もあったがその疲れもあとには残らないものだった。本当に満足。しかしいつも 動かさない方向に動かすよう(足の甲を上げる&膝を曲げて脛を太ももに近づける)指示されてもどこの部位/筋肉に どういう風に力を入れていいのか体が忘れてしまっているのにはまいったなあ。
退院の日抜糸は午後1時からと聞いていたの朝一に皮膚科の先生が来たのでびっくり、抜糸があるから昼の経管栄養は 中止したのに。そして午後1時半お迎えが来て車椅子に移り玄関へ移動、そしたら通院でY君が来てて、第一印象 「痩せたな!」って。5月に共にレスパイト入院した時に「食事に苦労してるよう。」と聞いて心配していたのだが…、 胃ろうを造る事に決めたという。しょうがないか。 Y君と「またね」と挨拶を交わし家路についた。家に入ると廊下に リンが、部屋に入ると部屋の入り口にチビが、けどどちらも僕に少しも気づく様子もなかった。 それも寂しかった。

7月3日 入院前日
今日は夜半から時々雨が激しく屋根を叩いて結構うるさい。昨日の天気予報では昼には上がるという事なのだが。
明日からレスパイト入院、一応1週間の予定なのだが初日に左腕の皮膚の生検が入っているらしい(1週間後に抜糸との 話も聞こえてるからある程度の大きさくり抜くのかも)しその結果次第かな。僕の左腕は皮膚癌の前科持ちだから。 まあ最近寝不足気味だから1週間?ゆっくり寝てくるか。
通常入院前日にはデータの整理とかバックアップとか区切りとしていろいろ作業をしているが、今日の僕はちっとも その気が起きない。何故?。
でもまあこんな事もあるさ。こんな時はゲームやYahoo GyaOでアニメでも見て時間つぶしでもするしかないな。

7月1日 今日のリハビリ
今日夕方のリハビリではH先生が用事で遅れてくるという事で肩・腕・手のリハビリをNさんが そして肺のリハビリを H先生がやってくれるという。まずNさん、H先生の教えに習い僕の場合は関節を痛みの出そうなギリギリまで 動かしてくれる。ベテランのリハビリ師さんでもいくら依頼してもここまではくれないのに、リハビリの資格を取って まだ1年目だというのに注意深く僕の要望の限界点まで動かしてくれる。肩・腕・手のリハビリとしては満足だ。しかし H先生が来てからH先生の目を意識したのか動かし方がほんの少し早くなった。ちょっとした事でいろいろ変化する…、 人間って面白いな。
次はH先生のリハビリ、今日は肺のリハビリだけなのでいつもより気合が入っているのか今日の先生の胸の押し方が ちょっと力強い、肋骨が痛みだすギリギリのところだ。そしてお腹も刺激を受けてグーグーお腹が鳴りだす始末。少し 恥ずかしい、かな。H先生によると今後火曜日の上半身のリハビリは肩・腕・手のリハビリはNさんが担当して後半の肺の リハビリはH先生が担当するというやり方を導入したいらしい。でもこんなやり方もありだな。


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6月
6月30日 今年も半年が終わった
今日でいつの間にか今年も半分経った。早いものだ。この半年僕はいったい何をしたのだろう。よく分からない。 形あるものは何も残っていないなあ。

6月29日 ルーター再挑戦
今度また新しいルーターを買おうと思ってNECのAtermの機能詳細ガイドを見つけて読んでいたら「ツールの インターネットオプションのセキュリティで高またはカスタムとなっていたら信頼できるサイトにルーターの IPアドレスを登録しないと開けない場合がある」と書いてあった。そこでこの前買った新しいルーターのIPアドレスを 信頼できるサイトに登録しておいた。
そして今日下の息子に手伝ってもらって実験を行った。@パソコンとルーターをLANケーブルでつないでルーターの URLにIPアドレスを入力して開いて見たら「ネットワークに接続されていません」のエラーが出た。次にAパソコンを 無線設定したらブラウザ画面が設定画面に変わった。という事は今まではLANを認識していなかったって事、おかしい、 無線でしかルーターの機能をはたしていないって事だ。まあいい始めて基本画面を拝めたのだから、と思って「目で 見るマニュアル」の手順に従ってそのままかんたん接続を続けたら「モデムをつなぎなさい」とのエラーメッセージが 出た。そこでBルーターにモデムをつないでかんたん接続をやり直したら今度は「インターネットに 接続できませんでした」のエラーメッセージ。プロバイダーのユーザーID&パスワードを入れてないのだから インターネットにつながらないのは当たり前、プロバイダーのユーザーID&パスワードをルーターに入力するために かんたん接続をやっているのに本末転倒だ。やっぱりこのルーターは欠陥だ。こんな製品に他からクレームが 入っていないのが不思議なくらいだ。この2ヵ月の僕と子供たちの徒労を返して欲しい。今度は信頼できるメーカーの ルーターを買おう、IO-dataは駄目だ。

6月27日 Yahoo GyaO アニメ
W杯サッカーブラジル大会、結局アジア勢はどのチームも1勝も出来なかった。
さてYahoo GyaO 無料配信アニメ、月曜日の[仮面ライダークウガ]は終わってしまったが[メジャー(第2シリーズ)]が 始まったし他にも面白い物がいくつかそれに興味を持てそうなタイトルも数個(全然聞いた事ない)、夕方しばらくは 飽きなそう。
仮面ライダークウガ、おそらく僕が子どもたちとテレビで見た最後の仮面ライダー。内容は全く覚えていないから 最初だけ見たのだろう、たぶん途中で入院してそれから見なくなったのかもしれない。もしかしたらこの年度は 気管切開した年度なのかもしれない。この年度は何回も入院したし気管切開した時は4カ月も入院してたから。 それにしても仮面ライダークウガを最終話まで通してみたがこれは面白しろかった、これは仮面ライダーシリーズの 中でもかなりの傑作だった、仮面ライダーシリーズの中でも名作のひとつに上げていいだろう。それほどまあ 面白かった。

6月25日 W杯サッカー対コロンビア戦
今日朝5時からワールドカップサッカー 日本vsコロンビア戦、やはり日本はコロンビアにかなわなかった。4-1、 頑張って攻め続けた結果だからしょうがない。もし引き分け以上狙いの試合なら結果はもう少し違ったものに なっていたかもしれない。やはりFIFAランク1桁の実力は全然違う。でも今日の試合の日本の1点は本田の斜めからの アーリークロスに岡崎が頭で合わせてゴールしたもので素晴らしいゴールだった。こんなゴールが常時決めれる様に なれば日本チームの得点力もグーンと増すだろうに。結局日本の属するグループはFIFAランク通りの結果に 終わった。
日本チームの敗因はコートジボアール戦及びギリシャ戦でどちらもこの4年間で築き上げてきた日本のサッカーが 出来なくて勝ち点3が取れなかったからだろう。特にギリシャ戦の引き分けは結果的に痛かった、ギリシャの選手が レッドカードくらって退場になって10人になったから勝てる可能性の大きくあった試合だったのに。たらればは ないって分かっちゃあいるがもしあの試合に勝っていれば違った結果になっていたかもしれない、痛かった。

6月24日 リハビリ中止
今日の午前中のケアの時訪問看護師さんから「リハビリのH先生が急用で来られないから夕方のリハビリは中止です。」 との伝言が入った。リハビリの中止はこの半年で雪が降った時以来今日でわずかに2回目、よほどの緊急事態がN先生の スケジュールの上で起きたのだろう。H先生が来られないのなら肺のリハビリを除けば新人のNさんにリハビリを やってもらっても構わないと思うのだが、しかしそうもいかない理由があるのだろうなあ。

6月23日 我が家の猫 No.?
1週間ぐらい前の夜1年ぶりぐらいに突然モモがベッドに上がって来て僕の脚の間で寝てくれた、いつモモが部屋を 出て行ったか分からないけど。そしてチビは最初嫁さんが僕の脚の間に寝かしつけてくれたのだけど、それから この2-3日はチビは自分からベッドに上がって来て脚の間で眠ってくれている。時には脚が熱いなって思う事もあるけど でもとっても嬉しいなあ。
ああ、そうそう、嫁さんの昔の携帯電話にモモがうちに来たころの写真が入っていたそうでSDカードに移してメールで 送ってくれた。見ると可愛い。うちに来た時は生後2-3ヵ月か、こんなに小さかったんだ。その頃僕はレスパイト 入院中でモモがうちに来た事を知らなかったが、家に帰ってきてモモを見た時とっても嬉しかった事を今も 覚えている。

6月22日 プロ野球交流戦 優勝決定戦
昨日ソフトバンクが巨人に勝って交流戦の優勝は今日の最終戦ソフトバンクvs巨人の勝敗に委ねられた。それにしても 秋山監督には今日の最終戦にどうしても勝って交流戦の優勝を勝ち取るという気持ちかあったのか 疑問を感じた 試合だった。次の試合が金曜日と大きく間が開くのになぜ主力リリーフ陣を使わなかったのか?、まあ主力 リリーフ陣を使う前に点を取られ過ぎた(2回で7点)ってのも大きかったのだが。それでもあそこで(2回裏)森投手を リリーフに出せるくらいだから森福や岡島を出せたはずだ(森は3回裏頭からでもよかったはず)、本当に本気で 優勝するつもりだったのなら。結局優勝は10-5で巨人だった。まあ3番内川不在の中ソフトバンクは交流戦よく やったよ。

6月20日 W杯サッカー対ギリシャ戦
今日朝7時からW杯サッカー 日本vsギリシャが行われテレビ放映された。日本もギリシャも決勝トーナメント進出の ためにはどちらも勝たなければならない試合、日本は初戦のコートジボアール戦と違って積極的に攻めたが(途中から) 10人の相手の固い壁を崩せず0-0のスコアレスドローに終わった。ギリシャは10人になってから引き分け勝負に 切り替えたらしい、ゴール前を固めたギリシャのディフェンスを崩す事が出来なかった。日本が決勝トーナメントの 常連になるためにはまだ何かが足りないのだろう。それをある友人は戦法ミスという、高いディフェンスで固めた相手に 何故グラウンダーを多用しなかったのかと。僕は@サイド攻撃が少なかった事に疑問を感じるAコートジボアールが 日本戦で得点を上げた様な速いクロスによる得点等得点能力・技術の未熟さがまだあると思う。コートジボアール戦では 本田が上手く合わせたが…、今日のギリシャ戦では内田のクロスにフリーの大久保が上手くヒット出来なかったし 永友の速いクロスに吉田は準備すら出来ていなかったのではないか。
さて25日の朝5時からの対コロンビア戦、おそらく2点以上の差をつけて勝たないと決勝トーナメントに進めない (ギリシャが勝つのが前提)大事で難しいいや困難に近い試合だ。すでに決勝トーナメント進出を決めている コロンビアが主力をベンチに残してくれないかな。

6月18日 入浴は難しい
今日水曜日は午前中リハビリ・午後入浴車、ここ2-3日の雨とともに気温が上がらなくなってリハビリにはちと辛い 気温かなと思っていたがそうでもなかった。H先生はやはりすごい、リハビリの途中痛みが僕の想像の範囲と違う位置に 出た時に痛みが走る位置を伝えるとその位置が痛まない様にして所定の位置の筋肉や筋を伸ばしてくれる、僕には どこをどう違う様に動かしてくれているのか全然分かんないけど。それに立つ訓練の時も立つために必要な膝回りの 筋肉を出来るだけ使わなければならない様に仕向けてくるし、立った後の背中を伸ばす訓練でも何度も何度も僕を おだてて僕のやる気が萎えない様にしてくれる。そのおだてる声に促される様に僕はもう少しだけ頑張ってみようかと 思わせてしまう。いつもながらの上手いやり方。
昼一番にお風呂の時間、少し肌寒め?だからよーく温もってから上がろうと思ってそうしたのだが着替えの最後の方には くしゃみが出る始末、頭には汗をかいているっていうのに全く難しい身体だこの身体は。いつもより掛け物も1枚余計に 増やしたっていうのに風呂をあがってしばらく経つといつも肺が身体の芯がだんだん冷えてくる、1時間ぐらい ひと眠りすればそんな事もないのが。本当に難しい、この身体は。

6月16日 ルーター未だ動かず
今日メーカーからインターネット問い合わせの返答メールが来た。家族にこれ以上頼んで苦労させるのは嫌だからもう 諦めると書いておいたのだが、またもや2つの事を試して欲しいと書いてあった。だが僕はこれ以上やるつもりはない、 今度はNECのルーターを買うつもりだ。それでNECのルーターの機能詳細ガイドを見ていたらルーターのIPアドレスを 「信頼できるサイト」に追加しないと開けない事があると書いてあった。最後にこれだけは試して…、駄目だったら 新しいルーター(NEC製)を即座に買おう!。

6月15日 サッカーW杯 コートジボアール戦
10時からサッカーW杯ブラジル大会 日本vsコートジボアール戦、それに合わせて朝の経管栄養をきっちり10時前に 済ませテレビにかぶりついた。さて試合だが日本は2-1でコートジボアールにボールの支配率という点から見れば 完敗?かな、FIFAランク20位台と40位台とではこんなに攻撃に入った時のスピードが違うのかと思い知らされた。 日本はパスサッカーをさせてもらえなかった?しクロスもそれに合わせたヘティングのスピードも日本とは違った スピードだった、2011年の女子W杯決勝の時の澤選手を思い出した。コートジボアールは日本と相性の悪い タイプだった様だがギリシャは果たしてどうかな。
あ、そうそう、コートジボアールは昔でいう象牙海岸の事らしい。

6月13日 通院日
通院日、車窓から見える田んぼにはもうあちこちに水が張ってあった。もう6月中旬だもんな、当たり前の風景なんだ。 病院に着いて救急処置室に入りストレッチャーに移ると外来の看護師さんたちの雰囲気がこの前の僕に安どを 与えてくれた時とまた違っていた。僕はなんか看護師さんたちの対応にイライラしてきた。それなのに嫁さんは 地域連携室の相談員さんと話していて僕を見ていない、僕のイライラは少しずつ大きくなっていった。
診察はまず皮膚科の先生から、左腕と右頬のほくろ状のものの定期観察。実は僕は2年前?左腕のほくろ状の皮膚ガンの 切除手術を受けた。その事もあり嫁さんも訪問看護Sの所長もほくろ状のものに敏感なのだ。診察の結果皮膚科の先生は 左腕のほくろ状のものが大きくなっていろ様で気になるという。Probably 7月4日からのレスパイト入院の時に 病理検査を受ける事になるだろう。
次に主治医の診察とカニューレ交換、ついでに人工呼吸器の吸気圧を1下げてもらった(17→16)。本当は在宅で吸気圧を 帰るのは怖かったから僕はプレッシャーサポートを下げてもらうつもりでいたが上手く伝わらなかった様だった。 時間が経っても全然苦しくない支配も少し寒くなくなった、結果オーライだなあ。

6月11日 ねむい
今日はリハビリの時も入浴車の時もいや一日中眠かった。リハビリの時に目が開く様になったのは立つ訓練の少し前、 入浴車の時は入浴の時間いっぱいほぼ目が開かなかった。だから入浴車の看護師さん達には心配をかけた様だ、 すいません。
入浴車の時間まで目が開からなかったor目を開けたくなかったのはたぶん初めて。でも何故?、寝不足かな。最近夜の 睡眠時間は3-4時間だし経管栄養の時もあんまり眠れていないしなあ。
今日は便(下痢)が来なくて済みそう、かな。

6月10日 今日のリハビリ
体調未だ戻らず、下痢はもう一つ回復してこない。今日もまた午前中11時半から車椅子に座った時に完全に水便という 訳ではないが下痢してしまった。これからもまだ下痢が続くんだろうか、なんだかまだまだ不安いっぱい。
今日の夕方のリハビリは上半身(肩・腕・手)と肺、訪問リハビリのH先生から「今日の上半身のリハビリはNさんに させてもらえないか。」という頼み事があったからそれでいく事にした。その前にH先生が「もしかして呼吸器の設定を 変えましたか?。」って変な事を聞いてきた。それで「吸気量を見て欲しい。」と頼んだらその答えがなんと 700ml近くあると。何て事だ、多過ぎる、こんなに多かったら肺が寒いはずだ、いつもなら500ml前後のはずなのに。 このまま吸気量700ml近くが金曜日まで続いたら主治医に吸気圧を少し下げてもらわないといけないな。 でもなんで…。
さてNさんのリハビリ、確実に上手くなってる。こういう言い方は彼女に失礼か、この2ヵ月間様々な患者さんたちに 接し色々な現場を経験してきた事で自分が学び身につけた理学療法の技術を十分発揮出来る様になってきていると 思える。もちろんH先生の熱心な指導があったからこそこんなに早く開花したのだろうが。それにしても驚かされる程の 伸びた。今後色々な研究会や研修会に参加させてもらえればまたは自分から意欲を持って積極的に新しい知識と技術を 取り込もうという姿勢でい続けれればすごいリハビリ師に成れるだろう。

6月8日 ルーター
メーカーに検査をしてもらうために送ったルーター、メーカーの修理係りから異常は見つからなかったとメールが 入った。ただ念のために同じ機種の新しいものを送ってくるという、僕のパソコンと同じOS(Windows7 Pro 64bit)で ルーターの基本設定画面が開ける事を確認したものを。送ってもらったルーターでも設定画面が開けなかったとしたら どう考えればいいのだろう。@僕のこのパソコンとこのルーターとの相性が悪いAオペレートナビTTを使っていると ルーターの設定画面が開けないB他の理由、@ならば家にあるXPパソコンでルーターの設定画面を開いて見る (http://192.168.0.1/)Aならば息子に設定を頼むしかない。
今日ルーターが家に届いた。けれど夕方下の息子に「時間あるか?」って聞いたら「忙しい。」と断られた。いつに なったら息子の時間が開くかな。

6月8日 回復せず?
金曜日にT先生の往診によりカニューレ交換をしたから下痢もう治ると期待していたが、良くはなってきたが回復とは また程遠い状態だ。お腹はまだい幾分冷えてはいるが(自分では)下痢がこのまま続くほどとは思っていない。水便は 少しは形を成してきたが完治にはまだ少しかかりそうな雰囲気。どうなる事か。悩ましい。

6月5日 下痢
昨日の朝から何となく腹が冷えている感じがしてお腹がグジグジしてて、リハビリの直前にほんのちょっと軟便が 出てしまいリハビリの時に脚の関節を開く運動をする度にお尻の穴が開いてガスが出て立つ運動の前についに便が 出そうにになって、H先生と嫁さんが相談して立つ運動だけ昼からに後回しにしてくれた。そしてやっぱり入浴車の前に 下痢した。その下痢がまだ今日まで続いている。難儀な事だ。
嫁さんはこの時期特有のものではないかというが、僕はストレス?それともやっぱり今回のカニューレが胃を冷やす タイプのものだったか?と思うのだが。何にしても明日カニューレ交換してもらえば分かる、下痢するほど胃を冷やす カニューレに続けて当たった事は僕はないもの。さてどうなるかな…。

6月3日 寒い、何故こんな時期に
昨日九州が梅雨入りしたらしい。先週ずっと暑かったからもう毛布をしまったのに梅雨入りしてからまた寒くなった(と 僕が感じているだけかも)。こんな風に寒いと感じる日はチビに脚の間で眠ってくれたらいいのに、ここ数日餌を食いに 来るかたまにふらっと遊びに来てすぐに出ていくほかは僕の部屋へはちっとも近寄ってこなくなった。最近チビは夜は 下の息子の部屋で寝ているらしい、寂しいかな?。

6月1日 静かな日曜日
日曜日の今日はみんな朝早くからお出かけ、嫁さんは実家で梅もぎりの手伝い(僕が元気だったら率先して行って 売り物にならない梅をいっぱいもらってきて梅干し漬けるのに)/上の息子は高校総体の会場の手伝い/下の息子は 佐賀セラミックロード車いすマラソン大会でボランティア、だから家の中は不気味なほど静か。
四半世紀続いた佐賀セラミックロード車いすマラソン大会も25年目の今年で最後らしい。実際に見に行ったのは 2001年の一度っきりだったが、その時僕もいつか500mレースくらいには出たいという意欲をかきたてられた。 結局何も実現させ得なかった。セラミックロード車いすマラソンが終わるのは残念だし寂しいなあ。


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5月
5月31日 驚いた
今日の午後3時からの車椅子移乗の担当は訪問看護師のIさんとヘルパーのMさん、ちょっと不安なペアかなと 思っていたがMさんが見事にリードして僕の不安を掻き消してくれた。以前はびくびく/おどおどのMさんだったが その姿はもうどこにもない、安心感一杯のMさんになった。自信を持っただけで人間これだけ変わるのか、と久々に 思い知らされた。褒め方も大事だな、苦手だけど。

5月30日 通院日
通院日、前回の様な外来の看護師の対応だったらと大いに不安だったが、同じ看護師さんたちなのに今日はスムーズ。 ほぼ文句のつけようの無い対応だった。強いてあげれば吸引が浅かったかな。でもなんでこんなに違うの、なんで。 不思議、でも良かった。
先生が来て診察とカニューレ交換、最近気管切開部の表面に少し肉げができているそうでちょっと痛い。診察の後 主治医と嫁さんが話していて「レスパイトは七夕を挟んででいい?。」と聞いてきた。僕はOK、その時期を嫁さんも 望んでいる筈だ。嫁さんは今年は口に出していないが7月6日に用事がある事は知っているんだぞ。その後先日の訪問で 保健師さんが教えてくれた「訪問歯科の支払いも主治医の必要との指示書があれば公的費用(特定疾患対象)に出来る」 という話題に移った様だ。けれどこの病院では前例がないらしく指示書に必要な書類の様式を捜している様だった。 来月からリハビリの1日も介護保険なるし介護保険の枠は出来るだけ残しておきたい。そうしないと僕も裁判を 起こさなければならなくなるかも。まあ近くに24時間対応の介護事業所ができるor宝くじで6億円当るが先だけど。
病院からの帰路リフト車の運転手さんに少し遠回りしてもらって波佐見町に新しくできた道[キャノン波佐見工場下− 木村郷間 県道1号線バイパス]を通ってもらった。これはまさにキャノンのために作った道だと思う。キャノン側は 山だったからずっと山を切り開いて道を作ったかと思っていたが山はすぐに終わり田園風景になった、そしていつも 通っている道[県道107号線]につながった。この半年(もっと?)いつも通っている真っ直ぐなこの道を途中で幅広く 盛り土をし東に湾曲させたものだから「何をするんだ、この野郎」と思っていたが、キャノン通りの(出口)交差点を 作っていたか、それもキャノン通り優先で。波佐見はキャノン御大名だな。でもまあしょうがないか、焼き物が斜陽な 中では雇用も税金も大企業キャノンに頼るしかないもの。しかし御手洗は要注意!。

5月29日 思っていたより小さな会社だった
今日新しく買ったルーターを製造・販売しているメーカーの事を調べてみた。あんなにも多くの品目を扱っているのに 従業員数がなんと500人未満の会社だった、僕はこの10倍以上の会社だと想像していたのに。あれだけの品目もあるのに これだけではどこかに抜けが出ても仕方ない人数だ。だからと言って僕の勝ったこのルーターのあの不安定さは 許されるものではない、取扱説明書が無いのも。こんな状況をこの会社の品質管理はどういう風に 考えているのだろう、僕が昔勤めていた会社ならこんな品質管理はあり得ない。
始めはこの製品/サービス・サポート体制のていたらくをこの会社の社長に直訴しようと思ったが、この数の従業員で あれだけの売り上げを上げる会社なら頑張っている筈だし訴えても変わるとは思えない(おそらく社長の方針だから)。 それでサポートの指示通り修理係に送る事にした、しゃーないな。

5月28日 あまり口を出さない方がいいねかな
昨日のリハビリも今日のリハビリも手足は新人のNさん、1ヵ月前は何かおどおどと動かしていたが昨日も今日も僕の 関節の動きに注意を払いながらも思い切りよく動かしてくれた。Nさんは何人もの患者さんに触れる事で何かリハビリの コツの様なものを掴みつつある様だ。
それにしても僕がリハビリの途中で気になった事・気付いた事を時々口にするものだからその度にリハビリの時間が 伸びてしまう。今日なんか1時間20分、迷惑をかけている。困った事だ。あまり口を出さない方がいいねかな。

5月26日 新しいルーター動かず
新しく買ったルーターのメーカーにインターネットを通じて何度となく改善を重ねてきたが相変わらず基本設定画面に 届かない。昨日初めて「Magical Finder」を使って基本設定画面が開けたがあれはどうやら違う画面だった様だ、 インターネット接続設定が無かったもの。インターネットに接続出来ないとパソコンの楽しみは1/10、このルーターは もう交換しないと使えないなと本気の本気で思った。だから昨日のメーカーへの問い合わせの中に「人を派遣して 欲しい」または「ちゃんと検査した製品を送って欲しい」と書いた。
しかし今日のメーカーからの返信は「切り替えスイッチをルーター専用にしてMagical Finderを試して欲しい」or 「検査を希望するなら着払いで結構ですからルーターを返送してください」と。「希望するなら」、ほぼルーターが おかしいのに(メーカーも自覚はあると思えるが)なんて事を。このメーカー駄目だな。

5月23日 少しは上手くなったかな?
最近の車椅子移乗の片方はいつも看護師のIさん。Iさんは身長が低い、だからIさんが僕を立ち上がらせた時にいくら 僕の脇を持ち上げていても僕の膝は伸びない。だから僕はIさんに寄り掛かるしかないのだ。でもそれだけでは僕は脚の 力を使う事が出来ないので移乗はIさんともう一人に委ねっぱなし。こんなやり方でIさん壊れないかな。
昨日は危うかったけど今日は上手かった。パートナー次第かなあ。

5月21日 忙しい?水曜日
今日は水曜日、午前は訪問リハビリ/午後いちに入浴車、ついでに午後4時から保健所の保健師さんの訪問、少し忙しい 水曜日になりそうだ。
まずはリハビリ、リハビリ最後の立つ訓練では立ち上がるのにだいぶんH先生の力を借りたが腰を伸ばす練習では 先週よりもかなり力が入って自分でも良い出来だったと思う。H先生もこの出来を褒めてくれた、全くH先生は褒め上手 もっと頑張ろうかなって気を起こさせる。今日のリハビリの後は久々に運動したなって気になったな。
午後いちは入浴車、担当はよく知ってる3人と数回目?のヘルパーさん、やっぱり慣れてない方は力加減でどうしても 遠慮が出てしまう。そこが困るかな。入浴中の井戸端会議の中で日曜日の「タビ好き」は我が町有田だと聞いた。 見なきゃ!。それにしてもお湯が冷えなくなったなあ。
お風呂の後ちょっと(薄めの)塩水を飲ませてもらいそしてひと休み。そして4時前玄関のチャイムが鳴って保健師さんが 到着、今年度残留の挨拶と緊急時の対応について再検討に来たと。これまでの緊急時の対応は救急車で主治医のいる いつもの病院に向かう事になっていたが保健師の言うには町の(総合?)病院に様態が一応落ち着くまで立ち寄って それから主治医のいるいつもの病院に向かうってプラン。でもはたして我が町の病院が人工呼吸器を着けていて 文字盤でしかコミュニケーションのとれない僕に対応できるのか、大分不安。

5月20日 痛みスケール
先週HPに訪問リハビリの時の痛みの度合いについて3/10が長く続いた場合にも痛いと合図すると書いた。するとH先生に 「そんなに痛みを我慢しているのですか。」と言われてしまった。3/10ってそんなに痛いの、決して我慢出来ない 痛みって程じゃなかったのに表現を間違えた?。痛みのスケールってどんなの、さっぱり分かんないや。その事を H先生に伝えると(うまく伝わったかは大いに疑問?)「痛みの基準を調べてみます。」って、どんな物を持ってきて もらえるのか何となく楽しみ。

5月18日 病気?、チビ
けさ早く寒気を感じたので23℃暖房設定でエアコンを入れてもらった。だんだん気温が上がってきたので9時ごろ エアコンを切ってもらい夜まではそのまま過ごせた。夜になって暑さで眼鏡がくもり息苦しさを感じ始めたので 嫁さんを呼んで「冷房を入れて」と頼んだが嫁さんから「毛布を外したら。」と納得させられ(毛布を外すのはまだ さすがに怖かったので)他の掛け物で調整する事にした。でもその時は「冷房を」と言いたいほど暑くて 息苦しかったのだ。室温は25℃、それほど暑い訳でもない。けどこんなに息苦しいのは何で。
チビは朝から具合が悪そう。朝からずっと僕の脚の間で寝ていたし餌も全然食べなかった。大丈夫?って思っていたら 夕方になって急に動き出し外に出て行ったそうだ。元気になったのかな。外から戻ったチビはもう元のチビ、 いつもの様に廊下をドタドタ走り回っていた。このままチビが元気が無いままだったら病院に連れて行ってもらおうと 思っていたから少し安心した。

5月17日 一日の長?
今日の午後3時からの車椅子移乗の担当は訪問看護師はIさん(指導役にFさん)・ヘルパーはお久しぶりのMさん、僕の 看護・介護にまだ不慣れな二人だから初めはちょいと不安を感じていたが今日のMさんはちょっと違って脚の装具の 着け方も上手くて安心出来た。これが「三日会わざれば括目して見よ?/一日の長?」と思ったほどだ。それほど今日の Mさんは安心出来た。いつも落ち着いてやれば今日の様に出来る筈なのに。がんばれ、Mさん!。

5月16日 通院日、ひどかった
通院日、今朝早く目が覚めたから行きのリフト車の中では眠くてたまらなかった。それにしても退院してからの1週間で 通院なんて初めて、なんでだ。僕は来週再来週が主治医が用事でいないからなんて思っていたが2週間後も通院だし… なんで。
病院に着いて救急処置室の入り口付近でリフト車から下りていると「ここからは入れないから玄関から回って 下さい。」と、救急患者がいるらしいが出来ればリフト車から下りる前に言って欲しかったが…それは難しいかな。 救急処置室(第2)に入ると今日は僕の看護についた事のない看護師さん達ばかり、そしてその不安が的中する事に。 僕は病院に着いてストレッチャーに移るとすぐに痰を吸引して欲しいのだが僕の呼吸(タイミング)が分からないのか なかなかその段取りにならない。僕のイライラは高まるばかり。それに伴い血圧もどんどん上昇、でも看護師さんは 吸引したからだと思っていて主治医が「今日は血圧が高いね。」って尋ねた時もそう答えていた、全くなんて事だ。 今日ほど早く帰りたいと思った事はなかったな。

5月14日 久しぶりのリハビリ
昨日今日と久しぶりのH先生の訪問リハビリ。いつも思うのだがリハビリの時いつの時点でH先生に痛みを訴えるか 迷ってしまう。僕が痛みを訴える基準は、@痛みが 4/10 に達した時 or 3/10 の痛みが続いて耐えられなくなった時 A痛みが僕の予想と違う位置に出た時(3/10かな)。だけとH先生のリハビリはゆっくりそして少しずつだんだん強く 曲げてくるからいつ痛みを合図するか迷ってしまう。
昨日今日のリハビリは特に3週間ぶりだからいつ合図するか普段より一層迷ってしまい難しかった。病院ではほぼ毎日 車椅子に座る時一瞬でも立たせても立たせてもらっていたから立ち上がる訓練にはほとんど不安は感じていなかったが 腰を伸ばすのには不安があった。案の定3回目は息切れし腰を伸ばす力はもう入らなかった。まあその内腰を伸ばす力も また戻ってくるだろう、かな。

5月12日 ADSLルーター
この2-3年ルーター(ADSL対応)の調子がおかしい。パソコンしている途中でよくインターネットがつながらなくなって ルーターの電源を入れ直してもらわなくなる。このルーターも買ってからもう何年になるか、もう10年くらいかな、 もう壊れてもおかしくないか。それに息子からも「ルーターそろそろ買い換えない。」って時々言われるし 1ヵ月くらい前から超本気でADSLルーターを捜し始めた。
パソコンで某メーカーにネットで「ADSL回線につなげるルーターはあるか?」と問い合わせ紹介されたルーターを 買い求め下の息子に僕の入院中にルーターを使える様にしておいてくれと頼んでおいたのだが、入院終盤に息子が 「ルーターに電話線をつなぐ口(2芯モジュラージャック口)が無い。」と言ってきた。取扱説明書を見せてもらったら ルーターと電話回線(or光ケーブル/CATVケーブル)の間に両者をつなぐ機器があるらしい。「電気量販店でその機器を 買ってきて取り付けてくれ」と嫁さんと息子に頼んだが後日嫁さんから「店員さんもそんな聞き知らなかった。」と 告げられた。
退院してからメーカーとNTT西日本にネットで「その機器の名称とどこで帰るか教えてくれ」と問い合わせたが色好い 返事は来なかった。けれど今日夜遅くとある事をふと思いついた、ルーターとモデムは別物じゃないかと。そう 考えると総てつじつまが合う。今使っているルーターを注文する時「ADSLルーター」で検索してADSLモデム内蔵無線 LANルーター Web Caster 6400M を買った際にルーターには必ずモデムが内蔵されていると勘違いしたのかも しれないと。だったらまたADSLモデムを買わなければならない。よしNTT西日本に相談してお薦めのを買おう、 そうすれば今度何か不都合があった時にはNTTに頼める。

5月10日 困った!?
今日は退院してから初めてのケア(当然だろ)、今日のケアの担当の訪問看護師は4月から新しくステーションに入った Iさん(補助?がFさん)、Iさんは明るいし前向きだから少々強く要望を言っても大丈夫だろうとつづけさまに言ったら 涙ぐんでいた。この1ヵ月Iさんは僕の前ではかなり強がっていたのだろう。この状況にどう対処したらいいのか、 困った。でも慣れてもらうためには気が付いた事は言わなければならないし…、言うべきか言わざるべきかこれから どうしよう。なんか疲れたなあ。


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4月25日−5月9日 レスパイト入院
今日(25日)から2週間の予定でレスパイト入院、10時過ぎ(今回もさらに早っ)社協のリフト車に乗り込み30分後?病院に 到着、いつもの神経難病病棟に向かい案内されたのは1号室それも窓際のベッド。僕は窓際嫌いなんだよな、なんせ 気付いてもらえない事があるから。ベッドに移り早速ナースコール用スイッチの設置、今回も右足でオーバー テーブルを蹴り上げたら順調に鳴った。やはりオーバーテーブルの底の梁に貼り付けたピルケーススイッチは感度が 良い。これで今回の入院もナースコールに関してはほぼ完ぺき、ひと安心。
何の巡り合わせか分からないが今回の入院では僕の看護が初めてor2回目の看護師さんが僕の病室を受け持つケースが 多かった。それをどう考えるか、慣れてないとイライラしながらも手順を示し促すか、あるいは気持ちを切り替えて これからこの看護師さん達とは長い付き合いになる可能性が大きいのだから体調が悪くないこの機会に早く僕の 対処法に慣れてもらえる絶好のケースととらえるか、難しいところだ。まあ僕は高い境地には上がれない心のさもしい 人間だから時にはイラつきながらもそれを出来るだけ顔に出さないように努めて後者の気持ちを持ち続けようと 試みるのが精いっぱいだったなあ。けど慣れた看護師さんが受け持つ時の安心感・安堵感は格別っー。
今回の検査は血液検査だけ、だが土曜と月曜の2回、なんで。ちょっと不安心が起きかけたけど主治医からなんにも 言われなかったからまあいいか、たぶん変わりなし。
初日同室の患者さんをリハビリするリハビリテーション科のN先生を見てnice ideaが浮かんだ。@どの看護師さんでも パソコン操作が出来るようにセット出来るスイッチを捜す(今のピルケーススイッチは家人しかセット出来ない、病院で パソコンをしたいと思っても無理だろう)Aスイッチ操作もコールもすべて右足を使っているので(左足の筋肉の衰退を 少しでも遅らすためにも)左足を使うスイッチを捜す、そこで今回の入院中にピエゾ(電圧)センサーを試してみたいと 思った。ピエゾセンサーを選んだのはもしかして左足の親指と人差し指を閉じる動作and左足の親指を下に曲げる動作 (左足はこれしかできない)両方で使える可能性があると思ったから。そして嫁さん→僕の担当のT看護師経由で リハビリ科に伝えた。けど祝日(昭和の日)開けN先生から「主治医の先生からオーダーが入ったらスイッチを試して みましょう。」との返答、それで僕は改めて看護師さんに「(主治医の)F先生にリハビリの手配を依頼して欲しい」と 依頼した。全く病院ってとこは面倒臭い、主治医経由というのは病院にとって当たり前の事だけど。
でも僕のナイスアイディアは甘かった。ピエゾセンサーは親指を下に曲げる動作では反応しなかった、左足の親指と 人差し指を閉じる動作でも反応したりしなかったりしなかったり、結局N先生は親指と人差し指の間にピエゾセンサーを 挟む事を選んだ。そして連休明けピエゾセンサーの実験開始。しかしN先生がいくら調整してくれても僕の 想像していたほどスムーズには動かなかった。ピエゾセンサーが反応する事もあるししない事もある&遅れて 反応する、家のNECのノートパソコンのオペレートナビTTとこのDellノートのHeartyLadderとのタイミングがあまりにも 違うので戸惑ってしまった。翌日(昨日)のリハビリの時間N先生がピエゾ(圧電)センサーの取り付け土台改良や指の挟む 挟む位置の調整を色々とやってくれて大分良くはなったがまだまだ違和感がある。それに挟む位置でこれほどON/OFFの 対応が代わっては看護師さんがセット出来るのかと不安になった。けれどN先生がこんなに懸命にやってくれているのに 「次のセンサー(バルーン)を試してみましょうか?」なんて言える訳がない。どうしようか。手足のリハビリも4日間 きちんと対応してくれた。それに1時間の車椅子移乗も看護師さんたちがほぼ毎日やってくれたし…体力&残された 筋力も弱くはなっていないだろう。ありがとうございます。
「迎えは午後1時になる。」と退院する4日前嫁さんに言われ「そんなの無理、せめて1時半にしてよ」って言ったのに 実際の迎えは社協の都合とかで12時半と、無茶な事を言いやがる。昼食の時間で食事介助もあるし休憩に入る看護師も いる、病棟はさぞ困るだろうと思っていたら病棟はいつもの通り、看護師さんたちは迎えが来たらいつもの通り首と 脚に装具を着けて車椅子に移乗させてくれて見送ってくれた。家への帰路は入院前とは景色が変わっていてツツジは もうほぼ終わっていた、そろそろ田んぼは田植えの準備に入るのかなあ。
家に着いても我が家の猫たちの出迎えはなかった、寂しーい。

4月24日 入院前日
入院前日、いつもならデータバックアップで忙しいはずの一日だが今日は何故だかなんにもやる気が起きなかった。 どうして!?。せめて僕のホームページ(僕の雑記帳)ぐらいは昨日今日の分を仕上げたいと思って今やってるがなかなか 言葉が浮かんでこない。困った!。
チビは先週の入浴車の日(エアコンを消した日)以来餌を食う時以外僕の部屋にちっとも遊びに来なくなっていたが何の 気まぐれ化一昨日のリハビリの時(夕方)からキャットタワーのてっぺんに休みに来てそれ以降ちょくちょく遊びに 来る様になり昨日一昨日と僕の脚の間寝てくれた。僕がしばらくいなくなる事を感じたのかな。でも嬉しい!。

4月22日 新人さんのリハビリ
今日の夕方の訪問リハビリの時H先生が「肩と腕と手のリハビリを(新人さんに)やらせてもいいですか?。」と依頼が あり僕はもちろんOK。最初に「怖がらないで」と促したがやはりおっかなびっくりのリハビリ。でもまあしょうが ないか。いつもレスパイト入院している病院のリハビリの先生でさえ看護師さんを通して「強く」と 告げてもらっていてもなかなか僕の満足するまでは動かしてくれないから。
けど新人さん、後半の左肩は結構動かしてくれた。また1-2ヵ月後僕のリハビリをしに来るというからどれだけ 成長しているか楽しみ。

4月20日 日曜日、何する?
日曜日は相変わらず暇、今日は何をする?。昼過ぎからパソコンをしながらテレビ鑑賞、タカジンのそこまで言って 委員会を見てから3時過ぎにソフトバンクの試合にテレビを替えたら敗色ムード濃厚、結局完敗。それからYahoo GyaOで アニメを見た。残念ながら先週金曜の更新で「クロスゲーム」が終わった、感動のラストシーンだったが甲子園で光が 投げるシーンはなかった。まあ甲子園で優勝させて光と青葉との恋の行方まで描くとなるといつまでたっても 終わらせられないだろうが。
それにしても「クロスゲーム」も「ちはやふる2」も終わったしこれからどのアニメを心待ちにしようかな。

4月18日 車椅子移乗
今日の車椅子移乗の時新しく訪問看護Sに加わったIさんが初めて立たせる方の役に回った。僕はIさんが立たせる役の 方に回るのに懸念を持っていた。なんせIさんの身長は150cmないという、脚にヒールの装具を着けた僕とは身長差が 30cmほどある。これで僕の脇に手を添えて僕が心もち前かがみになって膝を伸ばすタイミングに合わせてベッドから 立ち上がらせることが出来るのか・ベッドサイドで僕を1/4回転させるために僕の身体を若干傾ける片足(左足)重心が 出来るのかと気になっていたが…。結果ベッドからの立ち上がりは問題なし、車椅子に座るために横向きになるには (病院に入院した時の車椅子移乗とほぼ同じ)Iさんに身体を預けるしかないと悟った。
でもIさんこんなやり方で腰痛めないかな。

4月16日 エアコン ON/OFF
そろそろ暖かくなってきたのでもうエアコン(暖房)を消そうかとかいつ厚手の布団を薄手のに替えようかとか 迷っている。ためしに今日エアコンを切ってみた。午前中の訪問リハビリは大丈夫だった。午後一(1時過ぎ)の入浴車も もうお湯が冷めにくくなったなとは思ったけれども何も異常なし、ただ湯船から上がった後少しは寒いかなと 思っただけだ。しかし夜になって外が少しずつ寒くなってきたら僕の身体もやはり寒さを感じてきた、特に肺が冷えて 堪らなかった。まだエアコンを一日中消すには僕にはまだ早すぎる様だなあ。エアコンを消したらチビも全く姿を 見せなくなったし…なあ。

4月15日 訪問リハビリ新人さんも文字盤
今日も午後の訪問リハビリの時H先生が新人さんを連れてきた。そしてリハビリ(火曜は上半身)している途中新人さんに 僕と)文字盤で話してみたら。」と声をかけた。新人さんが何を話していいか迷っている様なので僕の方から声を かけたいと合図して「この1週間同行してどうでしたか?」と声をかけた。そしたらちゃんと文字盤による僕の言葉を 理解してついてた、いくらかは練習してきたとは言っても実際に文字盤を使うのは初めてだろうに、たいしたもんだ。 けど長い文章を僕が文字盤で話したら初めのあたりを忘れてしまうみたい。そう思うのならメモすりゃいいのに、 この子普段からメモする習慣ないみたい。始めはなんでもメモる習慣をつけた方がいいのに、まあその内身を持って 思い知るだろうが。

4月14日 新人訪問看護師さん始動
今日あたりから新しく訪問看護ステーションに来たI看護師さんがそろそろケアを受け持つかなと思っていたがついに 今日から初めて一人で始動。今日のケアは洗顔と清拭それに便処置、訪問看護師さんのケアの仕方は前も三者三様、 僕のケアは初めてだったからかもしれないがIさんのケアのやり方も独特かなって雰囲気がした。
途中Iさんのケアのやり方に気になるところが出てきた。言うべきか言わざるべきかしばらく迷ったが、これから長い 付き合いになるのだから気になるところは早めに修正?してもらった方がいいと思い注文を付ける事にした、全部じゃ ないけど。この前から色々と注文を付けているけど気を悪くしないかなぁ。

4月12日 ナイスケア
今日のケアの担当は看護師は一日Fさん・ヘルパーは午前中のケアはIちゃん/午後の車椅子移乗はKさん、おかしな 言い方だが安心して任せられる一日だった。数ヵ月前に事業所を辞めたヘルパーのKさんが担当の時はいつもこんな ゆったりした気持ちだったが…、久々にこんな気分を一日味わった。なんせ二人とも上手いから。
昨日の通院でカニューレを交換した後から空気の入りが悪くなった&痰の出が悪くなったと感じてまた相性の悪い カニューレに当たったと思った。ところが今日の昼過ぎになって急に痰が大量に出て吸引してもらった後突然空気の 入りがよくなり、よくなり過ぎて肺がスースーする様になり胃まで冷えだした。何で急にこうなったか分からないけど こういう風に入り過ぎるのもまた困ったもんだ。

4月11日 通院日
今日は通院日、街路樹のツツジはまだ咲き初めでまだきれいくない。低く四角く刈り込まれた街路樹のツツジの間には 相変わらずぺんぺん草?がいっぱい、誰も気にならないのかと思う。僕がもしも元気だったら…草取りをするかな。 今日はえらい眠くてこれらの街路樹以外はあまり目を開けていられず車窓からの風景はほとんど見えなかった、 車窓から見える風景が通院する時の道すがらの楽しみなのに…情けないなあ。
病院に着いても今日も救急処置室の扉はすぐには開かなかった。前回の通院外来の時から僕の担当に代わった 看護師さん達で僕に全然慣れてないと言えど何かがおかしい(段取りでもなく要領でもなく…なんだろうなぁ?)。 前回は初めてだった事もありこのままじゃ看護師さんが主治医から叱られるんじゃないかっていらぬ心配をしてしまい いくつか文字盤で声をかけたが…今日はお任せした、が(僕を移乗させるため車椅子の位置まで下げた) ストレッチャーをなかなか定位置まで上げようとしないし最後まで?なんか変だった。
しばらくして主治医が来て診察と処置、その時主治医から厳しい言葉が発せられた。なんと僕が今使っているバルーン タイプの胃ろうは毎月胃ろう交換する必要があるという、それかジャンパータイプの胃ろうに変えるかと。実は昔 一度だけジャンパータイプの胃ろうを使った事があるのだが、1年後交換する時に胃ろうチューブの先(胃に入ってる 部分)が抜けなくてとてもとてもきつい目にあった(結局内視鏡の中を先端がハサミの蛇を這わせて胃の中に入れ胃ろう チューブの先端を胃の中に切り落としてチューブを抜いた)。もう二度とあんなきつい思いはしたくはないが毎月 内視鏡はもっときつい。どちらも厳しい選択だがジャンパー式胃ろうを選択した。交換はゴールデンウイークを はさんだ次のレスパイト入院期間中、今度のジャンパー式は僕との相性がよければいいのだが。

4月9日 末息子高校入学
今日は下の息子が通う事になった高校の入学式(県内の県立校は全部今日)、嫁さんが息子の入学式に参加するため 午前中不在だったから昨日からちょっとばかり調整してもらった。昨日が下半身のリハビリ+立つ訓練・今日が上半身の リハビリ(肺のリハビリ含む)に代えてもらった。朝の経管栄養も普段よりかなり早め、だから午前10時過ぎからの リハビリの前に1時間ばかりパソコンで遊べた。そして今日はリハビリのH先生と新人さんが一緒だったから僕が パソコンを操作しているところを新人さんに見せる事が出来た。新人さんには僕が実際のところどうやってパソコンを 操作してるかは分からなかっただろう。けどこんなどこも動かせない身体でもパソコンは操作出来るって事は 伝わっただろう。それが新人さんに何らかの良い影響を与えてくれればいいのだが。
それにしても末の息子が高校生になるとは、離職してからもう丸14年が経とうとしている。あの時幼児組に属していた 末息子がもう高校生か、早いものだ。あの時から僕の心の中の時計はほとんど動いていないが周りはきちんと 動いているらしい、当たり前の事だけれど。もう夢は破れたかな…。

4月7日 チビ1歳
今日はチビの1歳の誕生日、モモは去年の朝4匹の仔猫を生んだのだ。そしてそれぞれの子猫がもらわれていき家に 残ったのがチビ(正式名レオ)、もらわれていった仔猫たちが今どんな暮らしをしているかは知らないが残り物に福が あったと僕は思っている。チビはみんなにいっぱい可愛がられているし僕もチビの事をすごく気に入っていて愛情を いっぱい注いでいるつもりだ、ただ僕の身体はどこもほとんど動かないから餌も上げられないし抱っこもなでなでも した事ない&出来ない。はたしてチビは僕の事をどう思っているのか、僕を眺める事もないのに…。

4月5日 お互い慣れが必要かな
いつ聞いたのか覚えていないが訪問看護ステーションの所長から「(新しい看護師の)Iさんとは1週間同行します。」。 今日は5日目(実働3日目)僕に対しての初めての実質ケア、まだしょうがないのだが文字盤でのコミュニケーションが もう一つスムーズにいかずイライラ、吸引も僕の深さではなく気管は少し浅め・口腔は深すぎで嚥下反射が起きる。 文字盤でその事を伝えてもなかなか上手くはいかない。でもIさんが僕固有の吸引の仕方に慣れてさえくれればうまく いく様になるだろう。お互い我慢比べかな。

4月4日 お花見
今日午後3時からの車椅子移乗の時間に訪問看護師さんたち(今日は特別に3人)がお花見に連れて行ってくれた。 山田神社は城山(唐船山)の山陰(北側)にあり枝垂れ桜や山桜はまだ残っていた。八重桜は境内のはほぼ満開・川に 向かった石垣傍の八重は周りより気温が低いのか咲き始め、ツツジはもう咲き初め、そして白い石楠花は七分咲き (他の色の石楠花はまだ)だった。椿の花もまだ残っていて色んな花が楽しめた。
帰りに竜門ダムを一周してきたが道の半分辺りまで桜の花びらでいっぱい、もう新緑の季節に変わっていた。 山田神社から竜門ダムまでの道を久しぶりに通ったが見知らぬショートカットバイパス道が一つ増えていた。ムムッ、 いつの間に!。
訪問看護師さん、ありがとうございました。

4月2日 水曜日
さて水曜日、訪問リハビリ(下半身)と入浴車の日。午前10時過ぎからの訪問リハビリに合わせ経管栄養はいつもより 早い早い時間に始めた。そして10時過ぎリハビリのH先生登場、いつもの事だが11時頃まで眠くて目が開からなくて H先生には申し訳ない、なんせ朝5時頃から起きているから。
H先生の立つ訓練は僕の太ももや膝の筋肉をよく使わせる。入浴車の時自分の太ももを見ていつも思うのだが僕は自分の 太ももが他の部位の筋肉に比べてそんなに萎縮していない、たぶんずっと立つ訓練をしていたおかげだろう。大昔 (17.4年前)九大病院に検査入院した時退院する日主治医に「5年以内に車椅子生活に車椅子生活になるでしょう。それを 遅らせるには運動してください。」と言われた。それで山歩き&スイミング&ジョギング、それが出来なくなると 万歩計一万歩ノルマ&散歩→掴り100回スクワットと自分なりに頑張ったつもりだ。H先生のリハビリはあの頃の事を ちょっと思い起こさせる。

4月1日 辞めたって?
今日から新年度、異動の季節。訪問看護師のMさんが辞めたという。昨日も午後の車椅子移乗の時訪問に来たのに 辞めるって挨拶もなかった(お袋にはあったそうだが)、もう12-3年以上の付き合いだったのに。それだけ僕が 嫌われていたっていう事だろう、まあお互い様だけど。この1-2年は目を合わす事さえなかっなあ。
今日所長が新しい訪問看護師さんを連れてきた。技量は分からないが見た感じ穏やかそうな人だ。覚えてもらう事は まだまだいっぱいありそうだがそのうち慣れるだろう、お互いに。


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3月
3月31日 平成25年度も今日で終わり
平成25年度も今日で終わる、今年ももう3ヵ月が過ぎた、早いもんだ。この1-2週間テレビでは4月からの消費税8%の 話しとそれに伴う駆け込み需要の話しばかり。しかし僕には今日になっても消費税5%→8%がピンとこない、なんせ 買い物に行き売り場を見に行く機会が無いから。僕が買い物出来る場はネットショッピングだけ、ネット ショッピングは税込が多かったから。さて4月に入ったら駆け込み需要の影響で需要が落ち込むのか、政府の対策は 公共事業only、これでアベノミクスが去年前半の様に上手くいくのか大いに疑問。株価はどうなる、安倍政府は 財政再建は無視か。税と社会保障の一体改革の約束は守られるのか。なんか不安いっぱい、かな。

3月29日 もめてる?
1週間ほど前僕が国会議員のH氏とF氏に対して日本ALS協会佐賀県支部設立総会への参加をお願いするメールを 出した事で事務局内が混乱しもめてるらしい。僕は在宅療養における看護&介護の大枠を討議し定めるのは政府行政・ 立法府なので支部と地元選出国会議員と何らかの形でつながりを持っておくことは必要だとずっと思っているので こうしたのだが…、まずかった様だ。アンケートからも「皆様方と喜びや悩みを共有したく」という文言が消えている (僕が事務局に一番強調させたかった事)し、僕は事務局とは考え方も違う、相容れない仲の様だ。
いっその事勝手に国会議員に失礼なメールを出して両者を不快にさせた事でまた協調性が見られない人間は佐賀県 支部にはそぐわないという事で事務局の方から入会を拒否してくれないかな。そうすれば僕も国会議員のH氏とF氏に 支部設立総会への参加をお願いしたメールを取り消して欲しいというメールを出しやすいし。こんな事でもめる (僕にとってはそう思える)事務局なんてもう嫌になっちゃった。僕と事務局とは考え方が違う様だし今回は支部入会は 止めようかな。

3月28日 通院日
通院日、今日のリフト車の同行はNさん、本人は一人で付くのは初めてととても不安がってたが僕はNさんの同行に全然 不安はなかった。だってNさんは一生懸命だし底抜けに明るく振舞ってくれるから。リフト車車内でもあそこに花が 咲いてるとか向こうの桜は満開だとか熱心に説明してくれた。楽しい車内だった。
病院に着いても迎えが来ない。何故かなって思っていたら僕についてくれたのは初めての2人(うち1人は10年前から 知っているN看護師さん)、僕の外来の段取りをよく承知してない様でいつもよりワンテンポ遅れる。この遅れが 主治医の機嫌を損なわないか少し心配。今日は僕の主治医の受け持ちの患者さんが多いらしく珍しく30分以上待つ事に なった。間もなく主治医が救急処置室に来て診察とカニューレ交換、しかし交換した後初めてカニューレ近くから妙な 音がしたし息苦しさを感じた。主治医に「このカニューレはおかしい」と訴えると主治医がアンビューバッグで 押す事を支持、10回ぐらい押してもらい呼吸器を着けてみると息苦しさはなくなっていた。
切る我が町の桜の名所の一つ[炎の博記念公園]をリフト車が通ってくれて車の中から桜見物、もう満開だ。今年は 桜を見物出来た、良かった!。

3月26日 入浴車
午前中(10時過ぎ)楽しくもありまあ激しい(僕にとっては)訪問リハビリを受けその後しばしパソコン遊戯、そして 午後1時過ぎから入浴車。天気予報では暖かくなったと言うが僕の身体はまだその暖かさを感じてはくれない。しかし 浴槽に注がれたお湯はいつも温度のはずなのに今日はたし湯をする必要がなかった。それどころかお湯の暖かさに 耐えられず足を浴槽の縁に上げてもらう始末、身体は正直だ。どうやら僕の頭(脳)と感覚の方が気温についっていって いない様だ。
さておいしくお風呂をいただき入浴タイム終了。しばらくうとうとしてから少し塩水を飲まして(流して)もらってから またパソコン遊び、パソコンをしてないとコールに届かない時不安だしパソコンでもしてないと時間がすごーく長ーく 感じてしまってやってられない。パソコンしかやる事ないんだ。

3月24日 DellノートWindows7へ
もうすぐWindowsXPのセキュリティサービス提供が終わる。Dellデスクトップパソコン(2003年7月購入)と違ってDell ノートはもともとVistaだったのをXPにダウングレードしてたのだったしCPUもツインで購入当時(2009年9月?)いい物を 選んでメモリーも200G以上あるものだからWindows7にグレードアップしても今度は大丈夫だろう。
先週だったかDellノートのプログラムを削除しようとオペナビで操作してみたら何度もフリーズした。これは もしかしてオペナビのせいかなと思って今日は上の息子にハーティラダーをつないでもらって試したら…、やはり フリーズした。仕方がないから息子にプログラムを削除してもらう事にした。僕からの削除のリクエストは筆自慢と ウイルスバスター、ついでに息子が不要と思われるもの数個のプログラムを削除して再起動したら、オペナビが以前の 様に自動起動した。どうやらメモリー不足でオペナビの自動起動ですら働くなっていたらしい。またついでに集計表の 見出し部分になるセルのウインドの固定もしてもらった。これで安心して事務局に送信出来る。
DellノートがXPで円滑に動かないのははっきりしたからこの機会に上の息子にWindows7にアップグレードしてもらう 事にした。そしたらアップグレードの途中で購入した時に40Gに固定してもらっていたCドライブがほぼ満杯なのが 分かってびっくり(写真も動画も意識してDドライブにいれていたのに)、グレードアップするためにはCドライブでは メモリー不足のメッセージも出た事だしWindows7はDドライブに入れてもらう事にした。結局2時間ぐらいかかって DellノートはWindows7で無事動く様になった。最後にウイルスバスターをインストールしておしまい、息子よ Thank you。
さて入力・会話補助ソフトとしとて何を入れるか、僕としては本当はオペナビで行きたいのだがオペレートナビTTに なってから面倒臭い制約もあるしHeartyLadderとMyVoiceを入れる事にした。さてどちらの息子にいつインストールして もらうか。


3月23日 アンケート集計表完成
金曜日の夕方からALS患者用のアンケートを集計するためにエクセルで集計表を作り始めた(またまた頼まれても しないのに)。基本的に前ワードで作ったアンケートからコピー&ペーストするだけなのだが量が多くてなかなか 進まない。結局今日まで3日間かかってしまった。集計表は99人分、表がでかすぎて本当に集計のためだけしか 使えない。その上このパソコンに入っているOffice2010のExcelではツールバーのファイル(F)/ホーム(H)/挿入(N)以外 何故だか選択しても何も表示されなかった。これではこんな大きな表なのに見出し部分が固定出来ない。何てことだ、 事務局に任せるしかないか。けど事務局にExcelに詳しい人いるかなぁ。
何としても事務局に設立総会までに集計させなければ。どんなプレッシャーかけようかな。

3月21日 春分の日
今日は春分の日で祝日。訪問看護も来ないし往診もない、暇だからほぼ一日中(経管栄養以外は)パソコンしてた。 金曜日はお気に入りのYahoo GyaOの(無料配信)アニメの3つが更新される日、これらのアニメを観覧しながら暇に任せて ALS患者アンケートの集計表を作り始めた、たとえアンケートが回収されてもあの動きの鈍い事務局じゃあ集計するのに かなりを時間を要するだろうと感じたから。僕が集計表を作って送れば事務局の尻も叩けるし…。
それにしてもこの集計表作るのに時間がかかりそうだなあ。

3月19日 訪問理容(床屋さん)
髪が伸びていた。入院前に切ろうかなとも思ったが風邪ひくのが怖くてできなかった。退院てすぐ訪問看護に 「2週間後に髪を切りたい」と頼んだ、翌週1週間(9日-15日)は寒くなると天気予報で言ってたから。
そして正午過ぎ訪問理容到着、いつもお馴染みの二人。この床屋さんにお世話になるようになってもう13年目だ。 嫁さんが気軽に「短めに。」という、まだ寒の戻りもあるだろうに。そのリクエストに応えて床屋さんはばっさはさと 髪を切っている様に思えた。これは午後からの入浴車が終わったら頭が冷えそうだ。この時期になってもう寒さは うもうんざりだ。このまま暖かくなってくれればいいのだが。

3月18日 最近の我が家の猫たち
我が家の猫たちは相変わらず気まぐれ。チビは退院してからずっと夜になると僕の脚の間で寝てくれていたしモモは いつとはいえないが毎日の様に僕の部屋に来て猫タワーのてっぺんに陣取っていたが、ここ2-3日はモモもチビも僕の 部屋に近寄りもしなかった。ところが今日の夜チビが突然ベッドに登ってきて朝まで僕の脚の間で眠ってくれた。 やっぱりモモが猫タワーのてっぺんにいてしかもチビが脚の脚の間に寝ていてくれると嬉しいな。
チビが猫タワーのてっぺんで休んでいてもモモはちっとも容赦がない。猫タワーをのしのしって登って行って前足で チビを邪魔だって追い出して自分がぐっすりと休んでしまう、全く自分の生んだ子じゃないってやり方に見える。 追い出されたチビは仕方なく部屋を出てしばらくしてから戻って来て僕の脚の間にきて眠ってしまう。かわいい奴だ。 嫁さんや下の息子はチビの事を顔の模様が変だ(鼻の回りがモモそっくり)とかなんだかんだ言うけれど僕にとっては 総てが可愛い。なんせ自分から度々僕の部屋に遊びに来てくれる唯一のやつだもの。
リンのゲージはいつも居間と縁側の往復、だから僕はリンの姿を見る事はほとんどない。だから僕が車椅子に 座っている時に嫁さんに出来るだけリンをゲージから出してもらう様にしている。今日は残念ながら朝から 下痢してるという事で出してもらえなかったが…。

3月16日 暇な日曜はYahoo GyaOでアニメ
最近は夕方になるとYahoo GyaOで無料配信のアニメを見ながらこの日記を書いている。このところのお気に入りの アニメは[ちはやふる2][クロスゲーム][スラムダンク][ダイヤのA][バクマン][ロスト(これは米国のドラマだけど)]、 バクマン以外はテレビで見た事はないが結構面白い。今僕が特に気に入っているのは[ちはやふる2]と[クロスゲーム]、 毎週金曜日の更新が待ち遠しくてたまらないほどだ。『ちはやふる』のDVD-Box買おうかなぁ。
昔からながら族だったからアニメを見ているだけじゃもったいないというか暇でしかたないというか、昔からの癖で 結局何かをやりながらじゃないと暇過ぎて…。何とかならないかなこの癖。

3月14日 下の息子、中学卒業
今日は下の息子の通っている中学校の卒業式、当然下の息子も今日卒業、おめでとう。まあ中学の間この息子は勉強も クラブもよく頑張っていた、まあクラブの方は(持病?)アレルギーで汗をかくと痒くなって堪らなかった様で熱中は 出来なかった様だ。でも3年間続けた、よく頑張った。
この息子は僕と違って努力家だ、家でも僕と違ってよく勉強していた。息子が何になりたいか・この先どうしたいか僕は ちっとも知らない。けど中学の延長みたいな感じで高校に行った僕と大学へ進学する事を見つめて高校を選択した 息子とは大きな違いがある。人付き合いという点で心配はあるが本当に大したもんだ。まあ僕は家での息子しか 知らないから外での息子は案外社交的なのかもしれないな。

3月12日 H先生のリハビリは厳しいなあ
昨日夕方は上半身と胸/今日の朝10時過ぎからは下半身のリハビリ、H先生は手足の可動域をゆっくりだがギリギリまで 動かしてくれるので満足しているのだが、たまにギリギリを超えた時の痛みが本来来ると予測している間接と筋の 痛みと予測してない所に出る痛みと色々あるので予測してない所に出た痛みをどうやって伝えるか迷ってしまう事が ある。たとえば昨日の右腕を横から上に上げる可動運動で僕は引っ張ってる事により肘から先が痛かったのにH先生は 肩の関節を気にしていた。
H先生のリハビリはなかなか厳しい、まあ僕はそこが好きなのだが。訪問看護師さんの車椅子移乗の際にはベッドを 目いっぱい高くして立ちやすい様にしているのだがH先生の立つ訓練の時は少し低め、今日なんか膝の角度が90度に 近い角度、まず膝の上まで上半身を傾け膝に出来る限りの力を入れて膝を伸ばして立ちあがった。普段なら 立ち上がれない角度なのだがH先生が引き上げてくれたから何とか立てた。立ち上がってからもH先生は背中を 伸ばし続ける事を求めてくる。だけど僕には背中を伸ばし続けるだけの背筋・腹筋はない。だから何回か背中を伸ばす 動作を繰り返す。これもまあ力がいるし結構疲れも残る。でもこれが僕が望んでいるリハビリだ。H先生は褒め 上手だから僕も頑張れるのかな。

3月10日 まあよかった
退院した金曜日言い合いの様な気まずい形で別れたので今日所長だったらどうしようと思っていたが朝のケアは もう一人の看護師さんだった、ラッキー(まあ一時逃れなのはわかっているけれど)。それに便を4日も出していないのは 久しぶりだから朝から下腹が張って気持ち悪かったが、この優しい看護師さんでも流石に「弁処理を先にして」とは 言えなかった、まあすぐに出そうにもなかったしね。そしてこの看護師さんの朝のケアの間に僕の気持ちも少しずつ 落ち着いてきた。
けれど昼の車椅子移乗の時間にはいよいよ所長が登場、でも所長は大人だから金曜日の出来事はおくびにも出さず 普段通りの振る舞い、流石。これで僕も普段通りでいいのかな。良かった!。

3月8日 退院翌日土曜日、不運?
今回の入院前から大便の量が少なくて腸の調子がもう一つだった。それは入院してからラキソベロン(下剤)を いつもより多めに使ってもこの前入院した時ほど聞いてはくれずいつもなら下痢しそうなほども使っているのにあまり 効き目が出てこなかった。そこで一昨日嫁さんが訪ねてきてくれた時に訪問看護ステーションによってから帰ると 言っていたので「土曜日(今日)に便の処理をして欲しい」と伝言しておいたが上手く伝わらなかった様だ。そして 昨日退院してきて家に着いた時に再度明日の便の処理をお願いしたところ、僕には看護師さんがすごく嫌な顔を した様に見えた(訪問看護ステーションにもそれなりの事情があったのだろうが)。ついにこんな嫌な顔をされてまで 頼む必要はないとキレてもう頼むを止めた。
今日の担当は一日僕と相性の悪い看護師さんらしい。でも朝のパートナーは超気の良いIさん、僕の気持ちを 思いやってこの看護師さんのハイペースではなく自分のゆっくりしたペースでやってくれた。この看護師さん相手に なかなか出来るものではないのに。そして昼の車椅子移乗の時のパートナーは介助は上手いし僕の信頼している ヘルパーの一人Kさん(まあ朝のパートナーがIさんだったから昼はKさんかなとの想像はついたけど)、Kさんは相手の ペースに惑わされる事はないし頭もいいから臨機応変に対応してくれる。今日もこのままいくと危ういかなと思う 場面もあったが上手く対処してくれた。今日はパートナーが良かったとも思う。そういう意味では運が良かったのかも しれないな。

2月28日−3月7日 レスパイト入院
今日からレスパイト入院、今回は初めて?町の移動サービスを利用した。朝9時半訪問看護師さんが到着、9時45分に リフト車がもう到着。早い今回もまたお迎えが早過ぎる、お迎えが早いと本当に身体が疲れるんだよな。まあ病棟が 11時に入ってくれというのだからしょうがないか。
病院着くと病棟・病室に移動、今回は病棟はいつもの神経難病病棟でも病室は久々の1号室、本当に北側の病室は 久し振り、ああ何年振りだろう。病室に着くとすぐにベッドに横になり体制を整えてもらって最後にスイッチを セットしてもらう、ナースコール用にオーバーテーブルの底に貼り付けて足の甲(or足)で蹴って押すスイッチを ピルケーススイッチに代えてから感度がぐんとよくなってちょっとスイッチに触れただけでもコールが鳴る様に なった。すごく安心だ。ただ毎度のごとくこのスイッチ楽過ぎて右足が上がらなくなるかもと心配かな。
今回入院初日に検査が勢ぞろい、まず足の付け根から動脈の血液を主治医が取って血ガスと血液検査、次に心電図、 夕方胸のレントゲンが来て今回の入院中の検査は終了。入院前に主治医に事前に「午前中痰が出にくくて少々 息苦しい事が多いから少しだけ吸気圧を増やす事を検討して欲しい」とメールでお願いしておいたが、血ガスの結果を 見て吸気圧を1増やし呼吸回数を1減らす人工呼吸器の設定変更をしてもらった(血液中の酸素濃度の数値が少々高く 血液が少しアルカリ性に傾いてるとの事)。でも呼吸器が定圧式の僕に呼吸回数の変更が聞くのかなと思っていたが… 車椅子に座った時に呼吸器のモニターを見てみたら少し呼吸器の回数が減っていた。このトリロジーという呼吸器を もう1年半使っているが仕組みが未だにわからん。
今回のレスパイト入院は正直言って少々疲れた。初日二日目を除いて毎日が1-2年目の看護師さんの担当で僕の介護の やり方を文字盤でどうして欲しいと話しながら実際にやってもらった。ただしもう僕の看護・介護にすっかり慣れている 2年目の看護師さんには全てお任せ、僕を担当するのがまだ2回目の1年目の看護師さんも何も言わなくても僕の看護・ 介護を無難にこなしてくれた。まだ僕を担当するのが2回目の新人さん?でももうこんな風に変わるのか、たいした もんだ。今回初めて看護してくれた他の1-2年目の看護師さんたちも2回目はこんなに上手くなるのか、次に会う時が とっても楽しみだ。
春はお別れの季節、2月末にまた2人お馴染みさんが異動していった。3月末にもまた何人か異動になるだろうしSさんも 辞めると言う。毎度の事ながら寂しいもんだ。まあその分次の出会いもあるけど…でもやっぱり寂しいかなぁ。
今日7日予定通りレスパイト入院から無事帰宅、家ではモモが「おかえりー」と迎えてくれた。かどうかは分からないが ともかく僕が帰って来た時には隣の部屋にはモモがいた。そして僕がベッドに横になるとモモは早速猫タワーの いただきで眠り始めた。夜にはチビも僕の部屋にやってきて僕の脚の間で寝てくれた。2匹の猫に囲まれて至福の ひと時、かな。


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2月
2月27日 ネットワークカメラ、直った
Panasonicコールセンターから2度目のメールをもらったが前回とほぼ同じ内容、Internet Explorer 11&Windows8 (or7)とネットワークカメラの検証情報だが今回も何を言いたいのか分からなかった。けどよく見ると上の方に 互換表示情報にネットワークカメラのIPアドレスを追加しろと。何を今更言っているのか 金を払って ネットワークカメラを設定してもらった時に何もかもやってもらったはずなのにと思いながらも、試しに 追加してみたら…写った、何故。ブラウザのバージョン情報を確認してみたらIE11と、そうだったかな、IE10じゃ なかったかなと。もしかして自動更新が起きた時にいつの間にかIE10→IE11に変わったか、変わると互換表示情報は リセットされたのか。こんな事があるのか、信じられん。

2月27日 久々のバックアップ
レスパイト入院の前日、久々にバックアップを取った。まともにバックアップを取るのは約1年ぶりかな、情けない。 まあまとも取ったのはドキュメントデータとピクチャだけだけど。そのうちビデオとメールデータも バックアップしよう。

2月25日 ネットワークカメラが使えなくなった
数日前Windows Updata(自動更新)が発動されてからネットワークカメラBL-C111をWebサイトで起動させようとすると セキュリティログイン画面が英語表示に変わり、ログインするとStartページはいつもと同じ表示なのだがカメラ (シングルマルチ&)をクリックしてもカメラの画像(動画)が表示しなくなっていた。
サポート画面を表示させネットワークカメラのサポートのメール質問入口を見つけカメラの状況と共に出来れば昔の 知り合いから回答が欲しいと記しておいたのだが願いはかなわなかった。回答の内容も僕にはよく分からなかった。 結局は電話をしてサービスに助けを呼べって事か。でも今の僕にどうやって電話が出来る、出来る訳ないじゃないか。 それが一番問題なんだよ。

2月23日 アンケート出来た
水曜日の夜Nさんから返事のメールが帰ってきた。それによると支部設立の準備は1年も前から始まっていたらしい。 そして支部を運営するための人材も集めたらしい。(ただ僕は中部保健福祉事務所管内の事情は全く精通してないから 集まってくれた人たちの人柄も力も知らないので僕の妙な見方からすればそれなり?と思ってしまうかもしれないが。) こんな事の場合ある程度のメンバーにはもっと早めに情報を流してもいいと思うのだが、いつもの事ながらあの地域の 秘密主義(身内意識)は嫌になる。まあそこで僕も少しは何かしなければと思いだし患者アンケートでも作ろうかなって つい思ってしまった。
まず見本はないかなと思って[ALS アンケート]で検索してみたら島根県支部のALS患者アンケート結果報告が ヒットした。良しこれをまねて作ろうと始めたが8ページもある、これは大変だ。初めは参考にして入力してて 途中からはコピー・ペーストを使いだしたが結局まるまる3日もかかってしまった。もうかなり疲れた。
今日の夜会長に就任予定のNさんと(仁義を通すためにも)島根県支部事務局にWordで作ったアンケートを添付した メールを使って作業終了、これを使うかどうかは会長にお任せした。

2月21日 通院日
最近朝の経管栄養が終わった後若干息苦しくてまいる、きっと痰が肺辺りにくっついて出てこないからだろう。その上 今日は通院日、11時半過ぎ訪問看護師さんとヘルパーさんが来て通院の準備に入る。それまで僕の身体は全然動く事は ない訳でその後いっきょに車椅子移乗・リフト車に乗り込み移動となるのだから通院日の僕の身体は結構しんどくなる 訳だ、それも今日は特に。
リフト車の車窓からこの時期余り華やかな彩は見えない、水仙と白梅がちょこっと、せめて紅梅や菜の花がどんと 見えればなあ。僕はだるくて通院路ほとんど目をつむっていた。病院でカニューレ交換した後は気分が少し回復、 帰路はゆっくり車窓からの風景を眺めていた。山で目立つのは今は杉林の赤がかった色あいと山を侵食し続ける 竹林だけかなあ。

2月19日 下の息子、希望高校合格
昨夜下の息子とお袋が「明日が合格発表だね。」と話しているのが向こうの部屋から聞こえてきた。「合格発表は いつだ?」と聞こうと思っていたところだったので丁度良かった。そこで10時からの下半身のリハビリの後パソコンで [佐賀県特色選抜試験]で検索してみたら受験した高校のホームページで13時に発表するとの事。自分の大学受験の 合格発表を待っている時よりドキドキした、不思議なもんだ。3月の一般入試なら合格して当然との思いがあるが今回は 合格者24名の狭き門と聞いてるし息子から「誰でも出来る程度の問題の数学でミスったから駄目かも。」と 聞かされていたからだろう。
午後1時前もって用意していた高校の合格発表のページを更新し嫁さんを呼んで見てもらった。すると「四苦八苦 あった。」と、あとは息子が帰って来てから「合格した。」と報告するのを知らんぷりして待つだけ、そしてさも 当然って顔して「おめでとう」って言うだけだな。

2月18日 日本ALS協会佐賀支部設立?、本気らしい
日曜日佐賀市のNさんから「日本ALS協会の佐賀支部を設立する」とメールが入った。僕は昨日の朝3時間ほどかかって 僕の中にあった疑問を返信という形でぶつけた。佐賀県は難しい病気(etc.?)に関しては変な地方だ、東部(鳥栖管区)は 久留米/佐賀中心部(中部管区)は佐賀市内/北東部(唐津管区)は福岡/西部は長崎県&嬉野の総合病院に頼っている。 だからなのかこれまでの患者・家族会はまとまり&主義・主張がなくて参加してもちっとも面白くなく最近の僕は 「出来れば早めに自分の声をデータ化して録音しておいた方がいい」と言うだけのために参加している様な ものだった。
ただメールの文面から見るとどうやら本気らしい。そうなると僕も少しは重い腰を上げねばなるまい、まあ返信した メールの回答次第だけど。

2月16日 久々、キャットタワー
夕方久方振りに猫タワーを僕の部屋に持ってきてもらった。そしたら現金な事にチビが僕の部屋によく遊びに来る様に なった。モモがプリンターの上にいる時はチビが入って来たら威嚇する様に唸り声を上げて来るなと追い払う様な 雰囲気、それを嫌うかの様にチビはモモがいる時はなかなか僕の部屋に入って来なかったのに。モモとチビ親子が 一緒に僕の部屋に居るとやっぱりかなり嬉しい。モモの様子はネットワークカメラでチビの様子はWebカメラで 見えるしね。猫2匹を見てるとちっとも飽きないな。

2月14日 車椅子移乗中止(初めて?)
今日の午後からの車椅子移乗は中止、僕の具合が悪くて僕から「今日車椅子に座るのは止め」と言い出した事はあるが 訪問看護ステーションの都合で所長が「車椅子への今日の移乗を取り止めさせて欲しい。」言ったのは今回がおそらく 初めて。訳を説明してもらったから納得できたがもし一方的に押し付けられたら大いにはぶてただろう。いつも目一杯 お世話になっているから理由さえ話してもらったら(納得しなくとも)「承知」と答えるのが礼儀だろう。 もちつもたれつ、ね。

2月13日 下の息子、入試
今日は下の息子の二回目の入試、県立高校特色選抜試験?というらしいが僕らの時代にはそういう制度なかったから よく分からないけど息子の志望する高校は今回の合格者24名の狭き門らしい。昨夜は一応息子に「がんばれ!」と声を かけたが本当は「(一般入試もあるのだから)気楽にいけ」と言うつもりだったのに。今朝息子はいつも通りの雰囲気で いつも通りの時間(7時前)にいつも通り出かけて行った。
下の息子が帰ってきた様な影が向こうの部屋に見えたので息子を呼んでもらって「どうだった?」と聞くと「数学で 数問凡ミスをしてしまった。」との返事。よく覚えているもんだ、よほど悔しかったのか。ともかくこの息子は昔の 僕よりずっと頑張っている。息子たちが将来どんな事をやりたいのか話してくれないが、 ともかく何かをがんばれ。

2月12日 高校入試の問題なのに複雑、ようやく解けた
息子が数学の問題で超難問を捜して欲しいと頼まれたのでパソコンで見つけた問題、その中で解答が載ってなかった K高校のH23の入試問題を解いてみた。問題を読んだ時解く方向性は大体見えたが、いざ解き始めると思っていたより ずっと時間がかかった。
まず辺の長さを出すためにルートの中にルートを含む数式を解く必要があった。これは原理さえ解っていれば 2次方程式として解ける[a+b=○/ab=△]のだが、我々の時代は習っていないし今も普通は高校1年でやるらしい。しかし 有力私立校の入試問題数学には必ずといっていいほどこれがある。そして以後の計算は分数と√の組み合わせの 積み重ね、当然計算は複雑になりややこしい。有名私立校を受験する中学生は時間内に終わるのか、不思議だ!。 僕はあの問題を計算してみたが自分の計算が正しいか途中全く自信がなかった。受験する子達みんなものすごい 計算力だなあ。

2月11日 旗日なのに訪問リハビリ
今日は建国記念日で祝日、当然訪問看護はお休み。でも旗日なのに訪問リハビリは来てくれるという、こんな事 初めてなので信じられなかった。そして午後4時過ぎリハビリのH先生の登場、患者さんの都合で確かにいつもより 早めに来ると言われていたが僕が思っていたよりももっと早くてそろそろオシッコでもして準備しようかなと 思っていた所へH先生の声がした。
さて火曜日は上半身と胸のリハビリ、いつもの事ながら腕を横からあげてもらうと真横ぐらいでもう上がらなくなるし 痛みも走る。もう何年もこうだ。それに胸もの方もH先生は少し胸の動きが良くなったと言うが僕はまだそういう自覚は 出てない。でも訪問看護師さんからもずっと肋骨が硬くなってきたと言われていたしそうだったらいいな。

2月8日 ヘルパーさんによってずいぶん違うな
今日の午後の車椅子移乗は久しぶりのヘルパーさん、もう何回も経験していてかなり慣れているはずなのに今日も やっぱり不安。このヘルパーさんは心配し過ぎ怖がり過ぎる、だからかえって動きがずいぶん鈍くなっていると 思うのだが。もっと自信を持って、ヘルパーさん。大丈夫だから、きっと上手くいくから。

2月6日 高校入試用数学 超難問要望
昨夜下の息子が急に僕のところに来て「図形と関数関連のものすごく難しい問題を捜して。」と言い出した。後で 嫁さんに聞いたところによると「息子が持っている問題集にもう飽きた」らしい。下の息子が頼み事をするなんて 初めての事なので今朝一番からパソコンで張り切って「高校入試難問」や「有名私立高」で検索してみたがなかなか 適当な問題が見当たらない。図形の問題は何とか難しいそうな形のついてる問題をいくつか捜したが図形と関数両方に 関連する問題はなかなか無い、特に息子要望の二次関数に関するのは。難しい!。いっそ自分で作ろうかなとも 思ったが問題をひねる事は出来ないし数学における高校と中学のレベルの差が分からない、何とかしたいのだが。 センター試験の数学が終わったら自分の選んだ問題解いてみるか。

2月5日 寒い
一昨日までは寝ていても少し汗ばむくらいだったのに昨日から立春寒波とか言って雪が舞い散るほどの寒さ、全く 身体がついて行かないよ。身体が寒々肺が冷え冷えしてもうやってられないよ、まあその分午後の入浴車はすごーく 気持ち良かったけど。ほんとにこんな三寒四温が今後もずっと続くとしたら身体がどうにかなっちまう。春はまだまだ 遠し、だな。まだまだ不安。

2月3日 節分?
今日は節分?らしい、すっかり忘れていた。我が家で「鬼は外、福は内」の声がしたのはいつだった。昔は下の息子が 毎年鬼のお面を作ってくれていたっけ。恵方巻きがまだ流行っていなかった、しかし僕はもう気管切開はしていたな。 もうかなり前だったのは確かだ。でも今もやっはり我が家で豆まきの声がしないのは寂しいなあ。いつか子どもたちが 大人になって子どもが出来たら豆まきするのかな。

2月1日 Kさん、上手い
もう2月、はやーい。
午後の車椅子移乗は先週と同じペア、どうして!。教えないパートナーでKさん気の毒って思っていたが…、Kさん たいしたもんだ。誰がパートナーでもKさん凄く上手い。それに一度話したことはちゃんと覚えてくれている、本当に たいしたもんだ。
センター試験 数学T・数学Aがようやく終わった。結局解くのに1週間もかかってしまった。まあそのくらいかかるとは 覚悟はしていたけれど、でも去年の問題より難易度も計算レベルも去年のより全然下って感じなのにやはり情けない。 さて明日から次の数学U・数学B、今年の意欲の欠如や凡ミス、どうなる事やら。


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1月
1月31日 通院日
今日は通院日、車椅子に移乗させてもらって外に出ると「日向ぼっこしたい」と言い出したいほどの暖かさ、だけと リフト車の高窓から外を見ると青空が無い、これがPM2.5の影響か、真っ白だ。この時期は路傍の花もほとんどない。 寂しいなあ。
病院に着いて救急処置室に入り主治医を待つ。今日は主治医の外来の患者さんが多かった様で珍しく30分近く待った。 どんどん進んでいけば何も考えなくて済むがじっとしているといろいろ考え込む、朝から下半身がだるい→短絡的に 熱が上がるかもしれないと思った。それで主治医が入ってきた後万が一の場合を考え解熱剤を処方してもらった。ただ カニューレ交換をしてもらった後は肺の調子が上がってきたので帰りのリフト車の中でもう熱は出ないかもと思った。 同じ規格のカニューレを装着?してもらっているのに1回1回つけた感じが違う、体調も。不可解and不思議なもんだ。

1月30日 何てこと!、作図を間違えてた
センター試験 数学T・数学Aの第3問(2)、解くには解けたが答の欄と桁が合わない。どこかで間違った。そこで初めから 検算をしてみたが間違いは見つからなかった。もしかしたらと考えて問題をもう一度読み直してみたら、なんと 読み違えてた。情けない!。作図が違ったら答が違う、当然だ。本当に情けない…。

1月29日 センター試験 数学T・数学A
今週の日曜日から今年のセンター試験 数学T・数学Aを解き始めたが今年はなんか変、解きたいと意欲が心の中に 湧いて来ないのだ。センター試験数学はもう4-5年取り組んできたがこんな事初めて、55歳という年齢(加齢)のなせる 行か。
今日まで大問を3問解いてみたが第3問の前半までは基礎的問題で教科書そのもの。こんなのも初めて、今まで比較的 程度の高くない問題はここまでさせる必要があるのかと思わせるほどの計算を強いていたのに。第3問の(2)は 考えさせられたがこれも変、答が一つだけの設問だったのだ。これほど考えさせる問題なら今までならば途中の 解いてゆく過程に配点があったのに。今年の数学はおかしい。
センター試験の問題はまだまだいっぱいあるのにこんな事で続くのかなあ。

1月27日 今回のカニューレは相性が…
先週の金曜日の往診でカニューレを交換した時から少しばかり違和感を覚えてはいたがそれがこんな形で 出てくるとは…、すっきりとした痰がなかなか出てこないのだ。痰が少ないという事は一見良さそうに思えるが実は そうではない。ある瞬間粘っこく固まった痰が一気にはがれ出て気管に詰まり塞いでしまう可能性があるのだ、早急に 吸引してもらわないと生死の淵をさまようかもしれない可能性が…。予防として時々訪問看護師さんや嫁さんに アンビューバッグで押してもらっては異端仕様としているが、今回は痰が出ない。次のカニューレ交換が 待ち遠しい。

1月25日 今日の車椅子椅子移乗
今日の午後3時からの車椅子移乗ではヘルパーのKさんが初めて一人で移乗介助応援をする日、ただ今日のパートナーが 悪かった。
車椅子に移乗する前に「ベッドに座った時に足の幅と向きを整えて」と伝えておいたのに、(ベッドに座った時に)足が ぶらぶらしているのに動こうともしない。他の2人は何も言わなくてもちゃんとしてくれるのに、何考えてるんだ!。 仕方がないので自分でズルズルと腰を滑らせて足を着いたが今日は運良く足が良い位置について助かった。 立ち上がって腰を伸ばしてもらった時も二人で脇と腰を支えてもらっているのにこのパートナーの腕が伸びているのか 彼女の反対側にいつもの様に僕の身体は傾き加減だ。そして車椅子からベッドに戻る時も立たせてもらう前に2度ほど 前屈をしてもらうのだが彼女の時だけ車椅子が前にずれて立ちにくくなってしまう。本当に相性の悪い相手だ。
Kさんはというと脚の装具を着けるのもその他の動作も比較的上手かった。ただKさんには僕のアイコンタクトが 通じないので僕が「いい」という意思を示しているのに勝手に駄目と判断してやり直してしまう。そこは 困ったもんだ。

1月24日 珍しく忙しい?金曜日
今日は金曜日、今日は珍しく色々行事が詰まっている。
朝のケアの今日の担当は所長、リハビリしてもらっている途中から移動用リフトの方に話が移った。所長はどうしても 移動用のリフトを使いたがってる、僕は移動用リフトの置き場所がまた縁側になる事を気にしてる。話している途中で 気付いた事があった。僕は立つのに力がいるので所長はリフトを使いたがってると思ってた。しかし所長はそうでは ないと言った、立たせた後車椅子に移るまでに立った姿勢を保持しているのがかなりしんどくなったからと。驚いた、 そして考えさせられた。
T先生の往診の時間までパソコンでお楽しみ、午後2時からのT先生の往診でカニューレ交換してもらった。でも今回の カニューレなんだかちょいと相性が悪そう、どこがどうとははっきり言えないのだが。こりゃあ1週間 苦労しそうだな。
往診の後はすぐに健康福祉事務所の保健師さんの訪問。今日は年始のご加減伺いの訪問だったと思うが、メールで予め 質問しておいた今年度の臨時国会で法制化された『医療費プログラム法』に基づく特定疾患患者医療費改定の 進捗状況を説明してもらった。特定疾患範囲が増し苦しんでいる今はまだ特定疾患に含まれていない患者の医療費が 削減されるのは大歓迎なのだが、その穴埋めは我々今の特定疾患受給者に医療費負担を発生させる事で賄う。政府は 自分たちの負担削減を狙っているからあの手この手で我々の負担増を狙っている様だ。
午後3時半近くから訪問看護師さん2人に車椅子に移乗させてもらって1時間を過ごす。後はパソコン、今日は Yahoo GyaOで僕のお気に入りの無料配信アニメの更新の日、ゆっくり楽しもう。

1月22日 
今朝はこの冬一番の冷え込み…らしい。隣の伊万里市では今朝の最低気温は-2℃と、寒いはすだ。人工呼吸器を 着けてる僕は直接外気が入っているから外気の温度が左右する、特に僕の場合は(昔は呼吸器を着けている患者はみんな いつも肺が寒いと感じていると思っていたが、実はそうではない事を知った)。今年の冬僕は肺が冷えて堪らない、 使い捨てカイロを胸においていてもそのカイロの暖かさも感じないほどに。
昨日の朝から一日ちらついていた雪もうちの周りには積もっていなかったそうだが、北部九州の所々には雪が 積もっていたらしい。その証拠にというのは変だが訪問リハビリのH先生が昨夕「峠に雪が積もっていたら明日 来れないかも。」と言っていた通り午前10時過ぎからの今日のリハビリは中止になった。九州高速も雪のため一部 不通との話も聞こえたし激しい所もあった様だ。
お昼からは入浴車、寒さが厳しかったからかとっても気持ち良かった。

1月21日 もしかして?
昨日今日と車椅子に移乗させてもらう時に一番若い訪問看護師さん(と言ってももうすでに40代には入っているけど) だけが立たせる役をする、何故。もしかして所長の古傷が再発した?、もう一人の看護師さんがどこか痛めた?。 まずいな&不安!?。
なんせこの彼女僕との相性はあまり良くないし立たせ方が他の二人とかなり違う、どこか思いやりが無い気がいつも しているのだ。この不信感がさらに僕の身体を硬くする、悪循環。どうしよう、どうなるの。

1月19日 我が家の猫たちは
リンは寂しさによるストレス?と僕の部屋の床が冷えるせい?で12月下旬からずっとお腹を下していた。そこでリンを 晦日前にゲージを居間に移した。それでりんのお腹の具合も良くなったそうだ。けれどリンと大の仲良しのチビも それから僕の部屋に来なくなった。しかし先週の半ばから半月ぶりに僕の部屋に入って来て久しぶりにまた脚の間で 寝てくれるようになった、ニャンコ湯たんぽ復活だ。それからほぼ毎日チビはまた僕の部屋に来るようになった。 とっても嬉しい!。
モモは相変わらず唸り声を上げながらチビを追いかけ回している、9ヵ月前自分の生んだ仔猫なのに。モモは昼間は 今もしょっちゅう放浪している。でも天気が悪いと家の中にいてたまに僕の部屋のプリンターの上で寝ている。 その姿をネットワークカメラで見るのも楽しい。

1月18日 上の息子、修学旅行に行く
今高校生の息子は修学旅行で新潟のスキー場に行っている、今日は2日目。息子が出発する前に一応僕の20年ぐらい前の 僕のスキーの実体験に基づいてスキーの入門ガイドを作って(実は3年前に娘の修学旅行の時に作ったのだが)持たせたが 少しは役に立っているだろうか。たぶん明日の昼過ぎまで滑ってディズニーランドに向かって移動するのだろう。
それにしても3年生がまさにセンター試験に取り組んでいる時に2年生といえど修学旅行なんていいのだろうか、とちと 思う、まあ例年の事だけど。それに女子しか修学旅行に行けなかった僕らの時代(38年前)に比べれば行けるだけ いいよね。

1月17日 通院日
今日は1月ぶりの通院日、朝嫁さんから「今日の診察予約時間はいつもより30分遅れの午後1時半になってる。だから 訪問看護師さん達も30分遅れで来る。」と伝えられ僕は朝の経管栄養が終わったらまた少しパソコンでもしようかなと しばらく考えた。結局はボーっとしながらテレビを見て過ごしたが…。
12時半過ぎリフト車に車椅子のまま乗り込んで病院へ向かった。朝から痰のでが悪かったせいかあるいはこの冬の 寒さで身体が弱ったのか13年間通院していて一番身体がきつい気がしてた。眠ってしまおうと思っても眠れない、 景色を眺めようと思っても景色が目に入らない。ただ県境向こうの拡幅工事現場の歩道の舗装工事も遂に全部 完成しているのが見えた。
病院に着いてストレッチャーにならせてもらってもまだ身体はしんどかった。その上主治医が来るまでの間 人工呼吸器の定期点検をすると、しんどさ倍増かな、気分的に。しばらくして主治医が来て診察と処置(カニューレと 胃ろうの蒸留水?の交換)、問題もなく無事終了。カニューレを交換したら身体もずいぶん楽になった。帰路は景色を 見ながらゆったりした気分で帰宅、今度は(元)工事現場もゆっくり見えた。まだ大丈夫。

1月16日 我が家でも受験シーズン始まる
今日は下の息子が私立高校の入試を受験(まあ僕は今日は度胸試しだと思っているが)、我が家でも受験シーズンが 始まった。下の息子が今年高校受験、来年は上の息子が勝負の大学受験。下の息子の高校受験は試験当日余ほど体調を 崩すとか大ごとさえなければまず問題なく希望の県立高校に合格するだろう。問題は高校での過ごし方、僕は中学の 延長とのとらえ方で今日さえ楽しければいいとの想いだけが先行し何の目的もなく何となく勉強もしてたけど、下の 息子は性格から見て高校で僕の様な過ごし方はしないだろう、しないと思いたい。 どんな目標を見つけてくれるか…。
上の息子は現状お気楽に考えている様に僕には見える。その上昔から催しのある日にはよく体調を崩す体質と来ている。息子は僕の中学・高校の頃より自分の方がずっとクラブを続けているので体力的に勝っていると思っているかもしれないが大違い。僕には山/川/グランド遊びと百姓手伝いで培った異常とも見える体力があった。30キロの荷物を肩に担いで歩き回れるか。上の息子がすべき事は飯をもっといっぱい喰ってこの体質がもう出ないようにする事とこれからのさらなる勉学等に対する取り組みかな。僕にはもう何のアドバイスも出来ないけど…頑張れな!!。

1月15日 訪問看護の存在?
今の訪問看護ステーションにお世話になってからもう11年近くになる。気管切開をして在宅生活をする様になって すぐに今の訪問看護ステーションにお世話になる様になった。あれから同じだけの年月が流れみんな当然それなりに 年をとった。どうにもならならない定め、みんな少しずつ体力が弱ってきているのだろう。
以前もあった話だが1週間ぐらい前にまた訪問看護ステーションをもういっこ増やしたいという話が出た、それだけ今の 訪問看護ステーションの看護師さんたちの体力が弱ってきたと所長や嫁さんや周りの関係者が強く感じているという 証拠だろう。紹介された訪問看護ステーションは翌月から始めるらしいから今の内なら曜日や時間を自由に 選べるという話だった。だから車椅子に座らせてもらう事を条件に会ってみようと思ったが、話が全然違って 来れるのは水曜の午前中と木曜だけ、その上一人しか来れないらしいから車椅子に座らせてもらうのは最初から ヘルパーなしじゃ無理って話じゃないか。土日はお休みらしいし向こうの条件に合うのは例え全曜日フリーでも 木曜日しかなかったじゃないか。木曜は午前のケアも午後の車椅子移乗もヘルパー介助がつくしそれもそれぞれ別の 事業所のヘルパーときてる。初めてだけのコンビ?で僕はいつ心休まるのか。慣れればと言うがいつになったらコンビの 良好な関係が築けるのか、看護師3名×午前中のヘルパー3-4名・午後のヘルパー5名もいるから組み合わせは数ヵ月 かかる事になる。この状況に誰も不安は感じないのだろうか。
それとも僕が「一度立ち上がってから車椅子に座る」と言い張っている事がおかしいのか。僕の生き続ける糧だけど… もう座るの止めようかなぁ、みんな疲れている様だし。こんな状態で周りに迷惑・苦労ばかりかけて生き続けるって なんだろう、もう耐え続けるのにもつかれた…しさ。

1月13日 成人の日
今日は13日だというのにハッピーマンデー法に基づく成人の日、旗日なので訪問看護は当然?中止で朝のケアには2人の ヘルパーさんが来てくれた。今日の担当はFさんとYさん、珍しい組み合わせだがFさんがリードしてくれて何事もなく 無事終了。途中で気管切開部の痰の吸引の必要が生じ嫁さんを呼んで吸引してもらい一度中断はしたが僕としてはまあ 満足なケアだった、リハビリもどきもしてくれたし。これでヘルパー吸引してくれるようになれば…なあ、もっと ヘルパーを利用出来るのに。
我が町の成人式は昔から1月3日(昔から町に残る新成人が少なかったから苦肉の措置?)、ハッピーマンデーによる 日にちの変動も関係ないないし我が町の成人式には結構新成人が集まるそうだ。間もなく二十歳になる娘も今年の 成人式に参加、娘は洋服で出かけたが着物を着せたがる親も多い様だ。35年前合併した僕らの町では元々成人式の 着物は禁止だった。僕はこの政策は見栄も張らなくて済むし派手にも成らなくても済むしgoodな政策だったと 思うが…、いつ変わったのだろう。それにしても成人式のの式典も新成人の行動もかなり変わった様だなあ。

1月12日 いつもの暇な日曜日
今日は日曜日、暇だ。正午から都道府県対抗駅伝(女子)を見てそれからパソコンで自分のホームページの「僕の日々の 雑記帳」を打ち込みながらYahoo GyaO!で無料アニメを楽しんだ。でも僕のお気に入りの無料アニメの更新日は3つとも 金曜日、だから日曜日になると見るものがもう無くなってしまっている。仕方がないので今日は 「名探偵コナン 劇場版」と「よろしくメカドック」を楽しんだ。
この2つともテレビでは現役で見た事はないが、「名探偵コナン 劇場版」は昔嫁さんが子どもたちを連れてよく 見に行っていたから、「よろしくメカドック」は大昔僕がまだ現役のサラリーマンだった頃週刊漫画雑誌で見た事が あるマンガだったから。時間つぶしにはなったしまあ面白かった。

1月10日 通院しない金曜
今日は通院なしの金曜日、朝のケアは洗顔・リハビリ・歯磨き、今日のケアの担当はいつものごとく仕事が丁寧な方。 ちゃんと僕の顔を見ながらケアしてくれる人だ。頼りになる。午後2時にT先生の往診、それまでパソコンをしながら ひと休み。T先生に往診してもらう様になってからもう10年以上、いつもお世話になっております。T先生にはいつも 診察とカニューレ交換をしてもらっている、いつもいつもありがとうございます。田舎で痰を吸引してくれる ヘルパーさんも出てこない地域なのに、呼吸器を着け在宅生活を始めてほぼ11年も自宅で暮らせているのはT先生や 訪問看護師さん・リハビリの先生・ヘルパーさんそして家族のみんなのおかげだ。本当にありがとうございます。
午後3時からは車椅子移乗の時間、今週4回目の車椅子移乗も無事出来た。やっぱり先週の土曜日に車椅子から 立ち上がれなかったのは足の位置取りが悪かったからだろう。ひと安心!。

1月8日 H先生のリハビリは結構厳しい
昨日今日とH先生の2週間ぶりの訪問リハビリ、H先生のリハビリは相変わらず痛みを覚えそうになる寸前のギリギリまで 関節等を動かしてくれる、ほんと嬉しいほどに。
今日水曜日のリハビリは下半身の関節の可動訓練と立つ練習。可動リハビリが終わってすぐ首と脚に装具を着けてから ベッドサイドに座らせてもらい立たせてもらう時、H先生は僕が立つための脚の筋肉を十分使わなければならない様な 身体の持ち上げ方をする。これが結構というより僕の出せるギリギリまで大いに力がいる。H先生もかなりしんどい 思いをさせる、こんなリハビリの先生初めてだけど僕はすごく満足。それにH先生はすごく褒め上手、立った時僕が 膝・太もも・お尻・腰・背中に力を懸命に入れて背筋を伸ばさざる得ない様に仕向ける。たいしたもんだ。これから 僕の身体がどうなるか楽しみだ。

1月7日 我が家の猫たち
リンの12月下旬から続いていた下痢はリンが僕の部屋に居る事でほとんど相手にしてもらえない時間が多い事による 寂しさからのストレスが原因でないかと考え晦日の日に居間にゲージを移してもらったところ、居間が床が冷えない 事もあって(ホットカーペットが敷いてある)リンの下痢は治ったそうだ。ただそれからリンと仲良しのチビも僕の 部屋に来なくなった。チビが脚の間に眠っていてくれないと暖かくないしとっても寂しい。まあ天井裏のネズミが気に なるのか一日に一回は僕の部屋の敷居に上がって天井をうかがっている。それを眺めれるだけでも嬉しいけど…。
不良娘のモモママはしょっちゅう外に出て行く、帰ってくるのはエサの時間と寝る時だけというありさま。だけど最近 寒くなったからかモモは家の中にいる事が多いと聞いている。でもモモも僕の部屋に近付こうとはしない。これまた 寂しい。結局たまーにチビを敷居の上で見る以外我が家の3匹の猫ちゃんたちを正月以後見ていない。

1月6日 無事車椅子移乗出来た
今日の午後の車椅子移乗の担当看護師は所長とFさん、土曜日に車椅子からベッドに戻る時立ち上がれなくて膝から 崩れ落ちたのは足の位置取りのまずさと相性の悪さのせいだと僕は確信に近く思ってはいたが一抹の不安?はあった。 だけど今日の所長とFさんのコンビならベッドから車椅子への移乗も座った後の車椅子からベッドへの移乗も正月前と 変わりなく&何の問題もなく無事出来た。良かった!、本当に安心した。二人の取らせてくれた足の位置はほぼ僕の 思っている位置、立ち上がるためにはやはりこうでなくてはいけない。誰かさんは聞く耳を持たないから。
それにしても今日の所長の感じからすると土曜日の事報告してないな。

1月5日 娘が整理手伝ってくれした
年末までアルバイトをしていて12月30日家に帰ってきた娘が今日大学のある街へ帰っていった。帰る時挨拶に来た娘が 少し悲しそうな顔をするものをしたものだから僕も思わず少しばかり涙がこぼれた。こんなんじゃもし娘が嫁に 行くとでも言ったら僕はどうなるのだろうか、まあそれまで僕が生きていればの話だけど。
娘が家に帰ってきている間に僕が前々からずっと気になっていた脇机の整理をしてくれた(僕が懸命に頼み込んだ事に 応えてくれた?のかな)。僕が一番気になっていたのは廃棄したパソコンのディスクの廃棄とその他整理、ディスクも 大分捨ててもらったから引き出しの中もかなりすっきりしたらしいし何がどこに入っているかもぼちぼち思い出した。 ついでに僕の思い出話も聞いてくれた。ありがとう。

1月4日 嫌な予感が当たった
年末年始の休みで4日間ずっとベッドに寝たままで一度も車椅子に座っていなかった僕は、今日の車椅子移乗の時間に 最初からかなり不安を感じていた。その上午後3時の車椅子移乗の時間に顔を出したの僕の不得手なあの看護師さん、 (ヘルパーさんはIちゃんとKさんで快調?かな)、僕の心の中の不安感はさらに多く膨らんでいった。
さてベッドから車椅子に移乗させてもらう時(もちろん首と脚に装具を着けて)、立った際彼女の押す力が強くて いつもの様に右に傾いて今日は右ひざが伸ばせなかった。1時間超後車椅子からベッドに戻る時車椅子から立たせて もらった際膝が折れて崩れ落ち膝まで付いてしまった。原因はよく分かっている、立つ前両膝がいつもよりずいぶん? 折れていて?(いや伸びてなくて)後ろにあったから。看護師さん達には「足が前の方にないと危ない」とちゃんと 言っておいたのに。この看護師さんはいつも自分の想い通りするからなあ、仕方ないか。この時は何とかベッドに 上げてもらったが、今後こんな事が何度もあったらどうしよう。

1月3日 箱根駅伝
昨日起用は朝8時からテレビで箱根駅伝、今年は東洋大学が往路・復路の完全優勝、本当に今年の東洋大学は抜群に 強かった、特に復路が。復路は首位を一度も譲る事なく、それどころか2位駒澤大学との差を各区間ドンドンつけて、 すごかった。結局1位東洋大学と2位駒澤大学の総合タイムは11時間を切るタイム(いつもの年でこの駒沢のタイムなら 優秀間違いのに)、これなら8区と9区の中継地点で襷渡しの出来ない大学がいくつも出てきたのも仕方がないなあ。
今年は東洋が強過ぎて正直言って優勝争いよりもシード権争いの方が面白かったなあ。

1月1日 元旦
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
元旦は毎年朝から恒例行事のテレビで全国実業団駅伝を見た、昼過ぎまでずっと(途中少し寝ていたかも)。今年の コニカミノルタの力は全員が安定していて強かった。九州勢はトヨタ九州が2位、森下監督の指導の成果が出ていた。 1990年代常勝の旭化成は外国人枠で大きな差をつけられ最後に混戦から何とか抜け出して4位に入るのが精一杯。 やっぱり日本人と外国人の力の差が大き過ぎ、10,000mで1分以上の実力差があるなんてきつすぎだ。外国人ランナーが 高校/大学/実業団と共生している日本陸上界では外国人を走らせないなんて事出来はしないから旭化成が浮上する道は 強い外国人を雇入れるしかないのかな。
駅伝を見終わると少しばかりお客さんが来た。その中に久方に会う従妹がいた。この従妹と会うのは2年以上前の ばあちゃんの葬式の時にちらっと見かけて以来、こうしてゆっくり話をするのは数十年ぶりか。従妹の見姿は昔と ちっとも変ってなくて都会ですれ違ってもきっと声をかけると思えるくらい、まあそれ相応に年を重ねている様子は 読み取れはしたけれど。でもこの従妹と会えてとってもとっても嬉しかった。


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