2021年
1月 2月 3月 4月  5月 6月 7月 8月  9月 10月 11月  12月
     (2020年の雑記帳はここをクリック)


12月
12月24日〜1月7日 レスパイト入院
午前9時半過ぎ2人のヘルパーさんが来て洗顔をしてもらい それから脚のマッサージと脚の装具着け、年賀状作りが昨日まで かかったから今朝はメールを数件打つ事だけしか出来なかった。この雑記帳の年内分(2021年分)とデータの外付けハード ディスクへのバックアップは終わらせておきたかったのに、考えていた通りには行かないものだ。10時前にH先生が着いて 車椅子に移してもらいリフト車へ、ヘルパーさん・嫁さん・H先生の外出準備連携もだいぶスムーズになった。リフト車から 見る景色も冬の装いに変わり山茶花の赤い花と水仙の白い花が見えた。ただ道中眠くて瞼が重かった、この数日いつもより もっと早起きしたから。
病院に着きリフト車を降り玄関から入るとマスクセンサーが反応「マスクをしてください」と、それ対応して検温していた 受付の事務員さんも「マスクをしていただけませんか」と。この事務員さんは「人工呼吸器を着けている者は口や鼻から空気 (息)が出ないことを知らなかった」のか「待合室でマスクを着けて待っている人たちに対して僕をスケープゴートとして 使った」のか、僕は前者だと思うけど…嫁さんにチクったら嫁さんが「人工呼吸器を着けてる人は・・・」と説明して その後 事務員さんが恐縮した顔をして謝りに来て。大丈夫 僕は不快な想いはしていない、ただこの病院にいても知らないんだと 思っただけ。それからいつもの別室に案内されてPCR検査、今回もちゃんと「右の鼻の穴から」と伝えられた。その分痛みは 綿棒が通りにくい左の鼻の穴より小さかったけど…気持ち悪さは相変わらずだった。PCR検査の結果は夕方病棟看護師長が 知らせに来てくれて結果は当然?陰性だった。
PCR検査の後すぐに5階病棟へ。病室は今回も南大村湾側の特別室、外来で事前に「北側の病室がいい」と伝えておいたのに かなわなかった。特別室といえば聞こえはいいがシャワー付トイレがあるから狭いし廊下の様子も見えない、孤独感が ある。それに看護師さんはナースコールしないとこないし寝ている僕では窓から空しか見えないしいいことなしだ。北側の 病室からは空と山、去年は1月でも色鮮やかな紅葉が見えた。今回特別室に入った時に「北側の病室に移りたい」と頼んで 「空いたら検討する」という返事はもらったのだけど…、二週間僕の入れる病室は空かなかったようだ。仕方ない。
病棟に着いた時病棟はいつもとちょっと違った雰囲気で少しざわついて落ち着きがないように見えたし、看護師さんたちも みんな忙しそうで顔が暗いし少しイライラしているように見えた。新型コロナウイルス指定病院でなくても影響がかなり 出ている。僕はこの看護師の状況を「いつヒヤリハットが起きてもおかしくない」状態だと見ている、僕もナースコールの 鳴らないことが二回あったし(接触不良)。ヒヤリハットで済めばまだいいのだが…、院長先生にこの現場の状況が正確に 伝わっているのかなあって感じたよ。この病院に入院するようになって20年以上、ゴールデンウィークに入院した時に コール対応が遅くなったなど病棟の雰囲気が変わったと感じたが…どんどん殺伐になってゆくようだ。そんな中でも今回も 看護師さんたちに毎日1時間車椅子に座らせてもらった、有難いことです。
今回ある看護師にこんな事を言われた。ナースコールを押して(右足の甲で蹴り上げて)看護師を呼んで一つの用事が 終わったところでもう一つ頼もうとしたら 「急ぐことでないのなら後にしてもらえませんか」って。確かに午後1時半過ぎで 看護師の少ない時間帯、それでもこの返事はないなと思った。この看護師さんは物事をはっきり言う性格の女性だけど 普段ならここまで言う人ではない。やっぱりこの忙しさが看護師さんたちの精神状態を普段とは違うものに しているのではないだろうか。
入院した日に胸のレントゲン・心電図 次の月曜日に血液検査・検尿の検査を受けたのだけど、それからの処方箋に変化は なかったようだから たいした異常は見られなかったんだと思う。
今回リハビリは年末・年始の連休にかかっていつものレスパイト入院の時より回数は減ったけど、リハビリが出来る日は全て リハビリを入れてくれた。病院が連休に入った30日もM主任がリハビリに来てくれて、合計6回4人の療法士にリハビリして もらったことになる。その中には3回の立位訓練(立たせてもらった)も含まれており、これはもう4人の療法士のやり方が それぞれ少しずつ違うとか力加減が違うとか文句を言おうものなら申し訳なくて…ありがとうございました。今回4人のも 療法士の方が僕に関わってくださったのは「3年?お世話になったK先生が年度末の人事異動で替わりそう」「人事異動は毎年 あるものだから出来るだけ多くの作業・理学療法士を僕に関わらせておきたい」との配慮から、リハビリテーション科の他の 意図が何か隠れているような気もするけど…。これまでに何十人の療法士さんに世話になってきたのかな。
入院中のテレビはいつも通り車椅子に座った時と午後7時過ぎから11時(消灯)まで。ただ今回は元日に実業団駅伝を見たし 夕方のニュースも何回か見た、その分が今回入院した間のいつものレスパイトに比べての上乗せ分ということになる。正月 特番を見るために今回はテレビカードを1枚多く4枚買ってもらっていたのだが、テレビが特別室仕様になっていて1週間 カードの度数が減っていなかった。度数が減っていないのに気付かなかったのかと問われれば…カードが刺さってないのに テレビが点いていたから 気付いた。1週間した頃看護師さんが気付いて…。とある指定のカードを差し込むだけで無料か 有利かを変更出来るんだ、以前変更は電気技師さんに連絡して来てもらうと聞いていたから大変な作業だと思ってた。
午後1時半にお迎えの予定、だから朝と昼の経管栄養を1時間早めてもらった。新型コロナウイルスの影響で退院時でも 病棟にはいれるのは1人だけになったらしくて、嫁さんが退院の荷物の整理から運び出し・退院手続きや精算となにから なにまでやらないといけないようで大変そうだった。僕の身支度や装具着け・車椅子移乗は今日の担当看護師と外来の応援 看護師がやってくれて、外来の看護師が玄関まで見送ってくれた。リフト車に乗り込む時に池を見たら亀が1匹甲羅干しを していた。天気も良くて気持ち良さそう。家に着いて隣り宅を見たら山茶花や水仙の花がいっぱいになっていた。

12月21日 
朝晩が冷えるようになって我が家の猫たちが二匹とも僕の部屋に来るようになっている。朝ゴハンが終わったらチビは 東向きと南向きの窓の日当たりの良い角隅に、モモはベッドに上がってきて僕の脚の間で気持ち良さそうに眠っている。 そして朝のケアの車の駐まった音がするとチビは眠っていた棚から下りて僕の部屋からさっさと出ていくけれど、モモは 訪問の人が僕の部屋に入ってきても知らんぷりして眠ったまま、それでケアが始まると窓際の指定席(プリンターの上)に どかされてしまう。眠りを邪魔され動かされるのを嫌がって毎回駄々をこねる、可哀想だけど仕方ない。
今日は朝のケアの後車椅子に座らせてもらった時に窓の方に向けてもらい庭を見ていた。南天が赤い実を付けていた。 南天の木って葉っぱが青々生い茂ってるのと赤い実の付いてる枝には葉がないのと二種類あるんだ、この年になるまで 知らなかった。通院の時に隣町で見ている街路樹は葉が青々の方だ。
僕は今週末からレスパイト入院、年末・年始は病院だ。その間猫たちのために僕の部屋に暖房を入れてくれるか・モモは 午前中どこで寝るのか、心配している。僕は少々人間に疲れ気味だから病院でゆっくりしてこよう、面会禁止で寂しいが 人間嫌いを治すには寂しいぐらいが丁度良いのかも。

12月20日 年賀状作成開始
昨日gacco講座「沖縄うるま発!肝高プロジェクト」が終わったから今日から年賀状作りを始めることにした、そうしないと 入院するまでに印刷まで終わりそうもない。今日中に住所録を修正し年賀状に貼り付ける寅の画像を探し保存、明日 年賀状の文面を作り上げ明後日両面を印刷する。このスケジュール通りいけば木曜日は他の事が出来る。頑張ろう。
僕が年賀状を出し続けるのは「僕はちゃんと生きてますよ」「パソコンで年賀状が作れるくらい元気ですよ」ということを特に 僕の会社時代に仲良くしてくれたお世話になった方々に知らせるため。年に一度の便りだけど…安心してもらえるかな と 思って。

12月19日 gacco講座「沖縄うるま発!肝高プロジェクト−歴史と文化と感動による地方創生−」受講修了
今年最後のgacco講座「沖縄うるま発!肝高プロジェクト」。沖縄には若い頃遊びで四回(+与論島)・仕事で数回来たことが あったからある程度のことは知っているつもりでいたけど、この講座で学んだ内容は全然知らなかった。例えば沖縄の 世界遺産は首里城だけと思っていたけどうるま市に「勝連城址」という世界遺産があった。巨大な石垣が美しい城跡だった。 現代版組踊『肝高の阿麻和利(キムタカノアマワリ)』の誕生秘話も感動的だった。沖縄は闘牛が盛んらしい、闘牛は徳之島しか 知らなかった。この講座 面白かった。もう一度沖縄に行きたいな。

12月17日 金曜日のH先生のリハビリ
通院のない金曜日のスケジュール、10時過ぎから入浴車・正午から昼の経管栄養・午後2時からかかりつけ医T先生の往診・ 3時過ぎからH先生のリハビリ・空き時間にはパソコンしているから日中は結構ハード。T先生の診察とカニューレ交換の後 嫁さんがラキソベロンを頼んでくれた。ラキソベロンのジェネリックはやっぱり効き目が弱いのだ。もしジェネリックの 下剤の効果が弱くて2倍の量が必要だとしたら例えば値段が半分だとしても価値は同等、これではジェネリックの意味が ないじゃん なんてことを考えてしまった。
3時過ぎからH先生のリハビリ、まずはベッドの端っこに15分の端座位。今日は背を後ろに倒さずに出来るだけ視線を 上げてみようと思って頭をH先生の胸に付けるように努めてみたら…庭の南天の赤い実やさっき僕の部屋から出ていった モモが大きな石の間を通り抜けていくのが見えた。ということは 顔はいつもよりかなり?上を向いていたと思うのだが…。 2週間に一度の端座位だけど背中から圧迫が外れるのはやはり気持ち良い。
そして端座位の後の立位訓練、やっぱり1回目から膝によく力が入って立ち上がりやすかった。端座位の時も常に両脚に 何らかの力が入っているから立位訓練の良い言い準備運動になっているのかもね。

12月16日 気楽なケア
朝9時45分ケアの時間。今日の担当は訪問看護ステーションO、今日も二人の顔が見えて MさんとHさん。今日は何の心配も なく気楽な気分で排便出来そうだ。昨夜9時頃下剤を13滴服用した、今朝からさほど強くはないが便意はあった。今日の メイン看護師もMさん、残便まできれいに掻き出してくれた。これで土曜日にさほど排便出来なくても大丈夫だろう。
午後の車椅子移乗は看護師はHさん一人、でもいつも通り明るく楽しそうにヘルパーさんと会話して仲良く、ヘルパーさんと 一緒に一度僕を立たせてからスライドボードで車椅子に移してくれた。立った時右膝が折れそうになったけどHさんが両脚で 挟んで支えてくれた。思っていた以上に上手い。自分より年上の人に対する言葉遣いもちゃんとしてるし社協の ヘルパーさんにも好かれているようだ。

12月15日 現地指導
新しく僕の夜間を担当する予定の重度障害者訪問介護のヘルパーYさんに対する(指導資格を持っている)看護師の現地指導が 午後7時から行なわれた。午後7時といえば夜の経管栄養の時間、それに合わせた設定なのだろうが…僕に言わせれば 重要なのは気管からの痰の吸引、それに合わせて30分早く現地指導の時間を設定すべきだ。と前回のAさんの時から 思っている。
現地指導の結果は散々、よくこんな吸引の基礎を身につけていない介護者を人工呼吸器を着けている僕の所へ寄越すなって 感じ。僕の頭の向こう 僕から見えない所で「手でカテーテルを触らない」と何度も注意されていた、ソフトグローブを手に 着けてもまだ「触らない」と言われていたから「(医療的な)清潔・不潔」の観念がYさんは薄いなと感じた。吸引そのものは痰が 軟らかかったこともあり可も不可もなく、まあ最初からこのくらい出来るのなら上手い方と言えるのかな。それから夜の 経管栄養の際は何回か教えられて見ているはずなのに…何故かボタンを外すのに胃ろうそのものを引っ張られて結構 痛かった。僕は初めてのことで何が起きたか解らずに困惑したが…こんな吸引の時の「清潔・不潔」も理解していないような 胃ろうのボタンも外せないような介護者に介護されるのは正直言うと御免だと思った。でも使う気満々みたい。
だから隣の部屋で反省の打ち合わせ中だったAさんを呼び出して「今日の現地指導で吸引を許可するのですか?」と尋ねたら 「今日は許可となりません。もう一度現地指導を行ないます」と。支店でもこういう措置をとることもあるのかと意外でも あり少し安心した。それだけ僕の本部や支店の責任者に対する不信感は大きい。

12月14日 きつい
今朝二度寝したら目が覚めたのは6時ちょっと前、そして目は覚めているはずなのに中々瞼が開かなかった。精神的に人に 疲れているだけではなく肉体的にも疲れているようだ。パソコン操作していても集中力が続かないし上手く入力出来なくて 最近イライラのしっぱなしだ。これも疲れからきている?。今日のベッドから車椅子への移乗は立たないですむ日だから 分からなかったけど車椅子に座っている時は気合いが入らなくてなんかボーとしている感じだった。それで右肩の可動域 訓練の時に脚に力を入れて準備運動、これで気合いが蘇って出来はまあまあだった かな。
疲れが溜まってきてるって感じだけどあと10日もすれば入院になって寝るしかなくなる。それまでは少々 無理をしても…。

12月13日 Yさん どうしたの
今日のケアの担当は訪問看護MのY看護師とヘルパーのFさん、午前中のケアの時も午後の車椅子移乗の時も今日のYさんは 顎にマスクをかけることもなくずっと普通にマスクをかけていた。Yさん この二日間に誰かに何か言われたの?。
昨夜9時頃下剤(ラキソベロンのジェネリック)を15滴服用したはずなのだが朝から強い便意は来なかった、便が下りて 来ている感はあったのだが。浣腸してもらったら自分としては小さめのが3個ヌルッと。しかしYさん曰く「結構出てますよ」 と、残便感もまああるし本当?。でもこの後も残便?は出なかったし…本当だったようだ。自分の感じと実際がこんなに 違うなんて珍しい。

12月12日 嫁さんお出かけ
本日の日曜日、嫁さんは隣町I市図書館で行われる講演を聴きにお出かけ。4回の講演会があることはチラシを見せられて 知ってはいたが、僕の興味を引いたのは4回目の最後の講演だったからそれ以外の講演は日付を見てなかった。だから朝 「昼から講演を聴きに行く」と言われた時「1回目の講演は今日だったのか」と思っただけ。同時に嫁さんは「昼から重度の Aさんが(介護に)来る」と。それで全てが繋がった、先週Aさんが帰る時に「次は日曜のお昼に来ます」と言ったから「どうして 日曜の昼に来るのだろう、日曜日の日中の重度障害者訪問介護を再開するのかな」と疑問だったのだが。
以前日曜日の日中の重度障害者訪問介護では洗顔・下洗い・ベッド上での座位をやってもらっていた。洗顔と下洗いは 午前中嫁さんがやってくれたので残るはベッド上での座位、でも…やる気が起きなかった。Aさんに日中お願いしたのは 手・腕・肩のマッサージ・体を上に上げる・痰の吸引・排尿といういつもと同じ介護、Aさんは新しい介護の内容が 入らなかったから混乱せずにすんだだろうが…僕の目はパソコンのみでなにもやる気がなかった。最近ずっとこう。

12月11日 意味ないじゃん
今日のケアの担当看護師は訪問看護MのYさん、Yさんを見ていて時々思っているのだけど我が家に訪問する人の中で Yさんだけが顎にマスクをかける。それもたまにじゃなくて結構見る、清拭の時とか今日は吸引の時も。僕は人工呼吸器を 外している時は気管が露わになっているようなものだから普段から気をつけていて欲しいのだけど、マスクを顎にかけて 口や鼻を出してちゃ意味ないじゃんと思いながら見てる。せめて脚の清拭とか僕から遠い所にいる場合ならいいんだけど、 まあYさんが僕の前で咳やくしゃみをしたことはないけどね。
マスクをしていると息苦しいという話はよく聞いているがどのくらい息苦しいんだろう。SpO2の数値に表れるくらい?

12月10日 通院日
今日は通院日、雲は多そうだけど明るいし外出するには好さそうな日より。11時半ヘルパーのYさんが先発で来て洗顔、 10分後今度はヘルパーのFさんが来て脚のマッサージと脚への装具着け。それから5分後訪問リハビリのH先生が着いて スロープを設置する音が聞こえてからH先生が部屋に入ってきた。その後ヘルパーさん二人に頸の装具を着けてもらい H先生が一度立たせてから車椅子に移乗してくれて、最後に嫁さんに吸引してもらってお出かけ準備完了。玄関から外に 出てリフト車に乗り込んだ。リフト車の中から前を見ると隣の家の塀際の花壇に水仙が二輪咲き始めていた。もう水仙の 咲く季節になったのか。
リフト車で国道を進んでいくと同級生の家(跡)が見えてくる。Yの家跡・Kの家跡・浄源寺・Eの家・向こうにTの家・Dの家 そして交差点の斜め向こうはCちゃんの家、この通りを通る時はいつもそんな事を思いながら眺めている。街路樹の銀杏は 国道沿いは総て散っていて、時たま下の方に見える黄色い葉を銀杏の葉かなと思ったが…後ろの山裾の木の黄葉だった。 隣町に続く交差点を曲がり県道に入ると県道沿いの街路樹の銀杏の葉はまだ結構残っていた。この国道と県道の街路樹の 銀杏の木の落葉の様の違いはどうしてなのか、交通量の違いで巻き起こる風の強さや量に差が出来たからか。ところが 病院のある町の役場の後ろのお寺の公孫樹は今が見頃みたい、どうなってるの。病院へ行く道すがら見る山の紅葉は今年は 赤が余り鮮やかに見えなくて二週間前に比べても目立たなくなっていた.代わりに黄色い木々が増えていた。今年は僕の 通っていた道はススキと黄葉を味わう道と呼んでもいいのかも。
病院に着くと玄関でリフト車を下りて入り口でまず検温、それから救急処置室U(いつもの隣の部屋)に入って車椅子から ストレッチャーに移してもらいバイタル測定。そしたらすぐに主治医が処置室に入ってきて診察と処置(カニューレ交換)、 そして「次は入院の時ですね」と言って戻っていった。時計を見るとまだ午後1時15分過ぎ、今まででおそらく一番早かった。 ストレッチャーから車椅子に移してもらい玄関から外に出てリフト車が来るまでの間太陽の当たる所に連れていって もらったら…風が吹いてなかったおかげか思っていた以上に暖かかった。リフト車に乗り込む時に池の方を見たら亀が三匹 甲羅干ししてた。なんとなくちょっと幸せな気分になった。
僕の部屋に入って時計を見たら2時15分、H先生が来るまで1時間近くある。嫁さんは「ベッドに戻ったら」と言ったが…ただ 座っているだけなら今日は大丈夫だろう。3時10分過ぎH先生到着、まずは4歩の歩行訓練。2歩目と4歩目 右足重心の時に 股関節に妙な不安を感じたけど脚にちゃんと力が入って問題なく歩けた、左足親指付け根の痛みもさほど感じなかったし。 脚の可動域訓練は最近H先生の攻めが少しずつ厳しくなってきているような気がしているけどちゃんと我慢出来た。 厳しくなってきているかもと感じるのは最近特に寒くなって関節や筋肉が硬くなってきているのかなあ。

12月9日 快便?
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、僕が任せてもほぼ安心と思っている訪問看護。その上今日もなぜかMさんと Hさんの看護師二人、でもこれで今日の排便は万全だ。今日の朝の経管栄養の後は便意はもうひとつ、便も下の方 ギリギリまでは下りてきてないみたい。それでもMさんは最初の摘便確認で「奥にある」と、そして浣腸後の摘便でガスと 残便汁まで押し出してくれた。これでお腹はぺっこり、明後日の排便はいらないかもと思える程。しばらくは身体も調子が 良いかも。
午後の車椅子移乗はHさん一人、ヘルパーのYさんが一緒で問題なく車椅子へは一度立ってからスライドボードで 戻る時も スライドボードでベッドへ。誰とでも親しげに仲良くそしてちゃんと敬って。それがHさんの良いところだ。性格も良いし 美形だと思うし…。

12月8日 新しい重度障害者訪問介護の人物
先週聞いていた新しい重度障害者訪問介護(夜間担当)のヘルパーさんが今日同行で来た。見るからに経験が浅そう。よく 質問もしているしメモも取るし 熱心さは認めるのだが…如何せん経験が浅すぎる。本部はどうしてこんな経験の浅そうな ヘルパーを人工呼吸器を着けてる僕の所へ寄越すのか、その心が理解出来ない。僕が求めているのは辞めるであろうYさんに 代わる即戦力なのに僕を相手に経験を積ませるつもりなのか。もしもの時にこの経験の浅そうなヘルパーを寄越した支店の 配置担当及び本部は責任を取れるのか。支店の責任者は僕の事を実験台ぐらいにしか思ってないみたい、マッチングの マニュアルすら作っていない本部に対する不信感がどんどん大きくなるばかり。

12月7日 H先生の上半身のリハビリ
今日のケアは9時半から、30分早いだけでいつもパソコンを中途半端な内容で終わらせているような気がして仕方がない。 看護師さんが今日はMさんとHさんの二人がいて火曜日のケアは洗顔・背中拭き・下洗いと車椅子移乗、ヘルパーさんが いれば看護師二人はいらないのかもしれないと思いながらも…。でも三人いると段取りがよくて早く終わった、 流石だなあ。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、肩・腕・手の可動域訓練では程よく強力に?攻めを受けた感じだが耐えることが 出来た。4歩の歩行訓練ではH先生に立たせてもらって腰を伸ばした瞬間に右腰にいつもの様に痛みが出た。でも今日も 右膝が崩れることもなく1歩目の左脚を前に出してもらって右足で体を前に押し左脚へ体重移動出来た。今日は左足親指 付け根の痛みも小さくなっていたしまあ上手く歩けたと思う。

12月6日 下剤を増やしたら…
今日は排便の日、だから昨晩9時頃下剤を服用した。排便の前の日に下剤(ラキソベロン)を服用するのがこの20年の僕の 習慣、でもこの数年で服用時間を午後11時から午後9時にし 滴数も8滴→10滴→12滴→13滴(最近)に変えた。それでもこの 2-3ヵ月反応が悪くなった。おそらく下剤が新しいロットに変わってからだと思う。嫁さんにそう言ったら「ジェネリックに 変わっているよ」と、反応が悪くなったのはそれが原因かも。
今日のケアの担当は訪問看護M、排便が上手くいかないことが多い日。それで昨晩9時頃下剤を13滴から15滴に増やして みた。朝の経管栄養が終わるまでは便意はほとんどなかった。ところが9時半を過ぎた頃便意が突然襲ってきた。急いで 嫁さんを呼んでお尻の下に新聞紙を置いてもらった、「何でもっと早く言わないの」と皮肉を言われたけれど今便意が 来たのだから仕方がないだろう。10時前激しい便意が襲ってきて…リハビリパンツの中に出た。それでケアが始まる前に 「便から」と頼んだ。浣腸の後摘便で確認してもらったら…今日も刺激がなかった。「浣腸も摘便ももっと奥まで入れて」と 頼んだら手を見せて「指が短いんです」と。これじゃ下剤の量で排便の調整をするしかないなと思った。

12月5日 『三国志〜趙雲伝〜』
今日は一日Yahoo GYAOで中国ドラマ『三国志〜趙雲伝〜』三昧。中国語の放送だから字幕を読まなくちゃ流れが解らない。 アニメや見逃しテレビを見る時は得意のながらでこの雑記帳やメールを書くことが出来るけど字幕と画面を見てたらこれが 出来ない。ほぼパソコン画面に集中だ、最近パソコン画面がぼやけて文字が見ずらくなっているから特に。
劉備の初期の臣下 将軍(関羽・張飛・超雲)の中で僕は超雲が一番好きだ。でも『三国志』の中に超雲の生い立ちに関する話は 一切出てこないし超雲の行く末についての話も劉備が西(後の蜀)に向かう頃から出てこなくなったと思う。超雲はその後 どうなったのか、僕の興味を満たすにはこのドラマは丁度良かった。このドラマは面白くするために脚色されたところが いっぱいありそうだ、しかし戦場に出たとか大まかなところは変えてないはずだ。このドラマは前半の40話ぐらいまで ゆっくり進んだ。超雲が劉備の臣下になってからは進行が早くなった。でも55話で劉備が荊州を治めるところ、三国志で いったらまだ半分ぐらいだ。何話まであるか知らないけど…24日に入院するまでにこのドラマを最後まで見れるかな。

12月4日 代理訪問 有難い
今日の訪問看護は訪問看護MのYさんが体調不良とのことでお休み、訪問看護ステーションOのMさん(前の訪問看護 ステーションの所長)が代理で来てくれた。ただ午前中は用事があるとかでケアは午後3時から、それでも有難い。合わせて ヘルパーの時間変更もしてくれたとのこと、その辺は流石Mさん そつがない。
土曜日のケアは洗顔・清拭そして排便。火曜と木曜にMさんがすっきり排便させてくれたから今日の僕は排便はしなくても いいかなって午前中はそういう気分だった。だけど午後になってガスで少しお腹が張ってきたのとMさんの勢いに押される 形でMさんに「ガス(を出して)」って頼んじゃった。たぶんMさんに対する信頼の深さと甘えだろうなあ。それでもMさんは 摘便で小さい便を2-3個掻き出して浣腸とその後お腹を押すことでガスも出してくれた。お腹もぺっこり。これが Yさんだったら…なんてことは考えちゃいけないな。

12月3日 H先生のリハビリ
今日は通院のない金曜日、10時過ぎから入浴車・正午からの経管栄養を経て午後2時からはかかりつけ医T先生の往診・ 午後3時過ぎからH先生のリハビリと夕方までスケジュールいっぱいで結構忙しい。入浴車のスタッフにWY看護師が揃うのは 久しぶり、やっぱりゆっくり出来た。今日の井戸端会議の話題は子供の聖蹟の事、僕がスタッフほど心配してなかったのは 子供たちの勉強する姿を身近に見ていなかったからだろうか。
H先生のリハビリ、今日は端座位から。やはり背中が何からも押されてないのは気持ちが良い、姿勢を自分で保つことが 出来ないのが度々分かって寂しい想いをするけど。端座位している時は脚に何らかの力を使っているようだ、端座位の後の 立位訓練で1回目から脚や膝に力がよく入った。立った時の左足親指付け根の痛みも小さくなったし立位訓練は いい出来だったと思う。だけど踵の可動域訓練で左足親指を強く反らされると痛かった。親指を左右に動かされると痛みが 出るし…もうしばらくかかりそう。

12月2日 久しぶりに順調
今日のケアの担当は訪問看護ステーションO、看護師のMさんとYさんが二人で来た 珍しい。今日はHさんがメインでMさんが 監督確認のために二人で来たのかと思ったのだけれど…Mさんがなんとメイン、ちょっと意外だった。昨晩9時頃に下剤 (ラキソベロンのジェネリック?)を13滴服用したから便は肛門近くまで下りてきていたけど…これでもY看護師なら摘便した 時に「(指が)便に触れない」と言うんだろうなと思った。でもそこはさすがMさん 僕の便の位置を探り当てて浣腸前に 下りてきている便のある程度を掻き出してくれた。浣腸は残便を出すだけ、火曜日の夕方に引き続き大量の排便、Mさんの おかげでお腹もすっきりした。
午後2時45分からは車椅子移乗、今回も先週に引き続きMさんだったが相変わらず遅れてきた。遅れるようなら前の時間の 3時に戻せばいいのにと…。Mさんが遅れている間にヘルパーさんが脚のマッサージと脚の装具着け、それから二人で頸に 装具を着けスライドボードを使って車椅子移乗。その前に木曜日は一度ベッドサイドで立つという動作があるのだけれど… スライドボードでの車椅子移乗はMさんにとっても久しぶりだったから。

12月1日 入浴車
午前中10時過ぎから入浴車、今日の僕の浴槽を囲んだ井戸端会議の話題はK看護師宅で飼っているペットの亀のこと。陸亀と いう種類だそうだが見たことない。僕が見たことのある亀の種類は石亀とミドリ亀とスッポン。ミドリ亀は縁日で 売られていた子亀を家で飼うことを諦めて野に放たれた、ミドリ亀は雑食で繁殖力が強く日本固有の亀の存在 いや川の 生態系に悪い影響を及ぼしていると聞いている。本当は石亀のつがい?を飼って育てて数を増やして近くの川に放したいと 思っていたのに。亀は寿命が長くて世代をつないで育てる覚悟が必要だろうと思うけどKさん宅にはその覚悟が あるらしい。
次の話題は新型コロナウイルスのオミクロン株のこと、みんながオミクロン株の名前を覚えにくいと言っていたが僕の 覚え方はこうだ。「ミクロ」という言葉には馴染みがあるからその前後に「お」と「ん」を付けると「オミクロン」になることで オミクロン株が悪さをせずにこのまま日本を通り過ぎてくれればいいのだが。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、今日は気合いの乗り方がもうひとつで脚の可動域訓練は踵以外は何とか我慢 出来たけど立位訓練は1回目と2回目は腰が定まらなくて出来が良くはなかった。それに左足親指付け根の痛みが親指に力が 入った時に出てきてまだ気になった。


[2021年の先頭に戻る]



11月
11月30日 さすがMさん
火曜日のケアは午前9時半から、10分過ぎても着いていないから今日はMさんだろうと思っていたけどやっぱりそうだった。 Mさんが遅れがちになるのにはそれなりの理由がある。Mさんは本人が話し好きということもあるだが看護対象者や家族の 話しを聞きすぎるのだ、話しをし過ぎて遅くなるのだと思う。時間観念に弱いことには頷けないけれどMさんに話すことで 助かってる看護対象者や家族はいっぱいいると思う、僕もMさんと話していると楽しいし。Mさんが遅れている間ヘルパーの Fさんは洗顔を済ませ下洗いのお湯を準備し脚のマッサージ、そこへMさんが来て早速背中拭きと下洗い。そしてベッドから 車椅子へスライドボードを使って移乗。それが終わったのが定刻の10時半、結構遅れてきたのに終わりを合わせるなんて 流石だ。Mさんがきた時に「便が出ない」と愚痴をこぼしたら夕方排便しに来てくれると、下腹が張って違和感があったから 助かる。
午前11時前からはH先生の上半身のリハビリ。最近肩の厳しい可動域訓練で我慢強くなってきているような気がしてる。 その分肩の可動域は少しは広がっているのかな。肘と掌の可動域訓練は痛みの出始める範囲は余り変わらないようだ。ただ 着替えはしやすくなっているように感じるから肘は前より曲がっているのかな。歩行訓練は左足重心になった時に親指の 付け根辺りにやはり痛みを感じた。まあ歩きを邪魔するほどの痛みじゃないから経過観察でいいだろう。
午後5時過ぎ玄関からMさんの声がした。早速摘便と浣腸、僕の下腹の状態は昨日とほぼ変わらないと思うのだがMさんは 「便がある」と言って程々に掻き出してくれた。やはりYさんの指の入れ方が浅すぎるのだ、指の入っている感じがYさんと Mさんでは全然違うもの。Yさんの指の入れ方はおそらくMさんの半分未満、肛門付近でチョロチョロするだけで刺激にも なりゃあしない。Yさんは摘便で指を奥まで入れた経験がないのだろう。Mさんのおかげで一週間ぶりに排便したって気に なって下腹もすっきり、ありがとうございます。

11月29日 また出ない
今日のケアは洗顔と清拭・排便、今日の担当も看護師は訪問看護MのYさん、始めから僕の心は諦めムード。しかし昨夜は 9時頃ラキソベロンを13滴服用した。そして今朝は便意がいくらかあって便が下りてきて下腹が張ってる感じもあった。 今日は期待出来ると思っていたのだけれど…、Yさんに摘便と浣腸してもらっても出たのは「親指指頭大二個」と。そして指を 入れて確認してもらったらまたもや「肛門が閉まってる」「(指に)便が付かない」「もう一度浣腸します?」とYさんは言う。 「すぐ近くにあるのに便に触ることも出来ないのか」「毎回浣腸液を二個使っていたら浣腸液が足りなくなるじゃないか」と 思って、腹が立つよりもおそらく経験ももしかしたら技術もないのかもと諦めの気持ちが更に強くなってきた。ほんの 二ヶ月前なのにF看護師とI看護師のケアが懐かしい。

11月27日 精神的に疲れた?
今日のケアの担当は訪問看護MのY看護師とヘルパーのFさんでケアの内容は洗顔と清拭・排便、だけど今日も二回浣腸しても 便は方手いっぱいしかなかったとのこと。木曜日もそんなにいっぱい出たとは思わないのだけどどうして今日もこんなに 少ないのか。残便感は十分あるのに指を入れて確認してもらっても「肛門が閉まってる」「(指に)便が付かない」との答えが 返ってきただけ。「指に便が付かないのはYさんの指が奥まで入ってないだけじゃないですか」「便が出てない時の肛門は 閉まっているのが普通じゃないの」という想いが湧いてきて怒りが生まれた。最終的に怒りは抑えすることが出来たけど その代わり「やっぱりYさんとは合わない」「Yさんじゃ僕の排便は無理だ」という諦めの想いが生まれた。今まで排便で 困ることはなかったのに…、疲れた。
嫁さんに「便が出ない」と言ったら「私にどうして欲しいの、摘便して欲しいの?」と強い語気の返事、そんな事を言われたら 何も言えないではないか、僕はただ優しい相づちの言葉が欲しかっただけなのに。疲れるなあ。
11月26日 通院日
今日は通院日。リフト車の中から見えた空は一面青空、移動中よく見ると遠く国見山と牧山の上にふわふわといくらかの 雲が浮かんでいた。玄関から出てリフト車に乗り込む時に陽に当たったら太陽の温もりを感じたが冷えた風に打ち消されて 閉まった。もう日なたぼっこをする季節は過ぎてしまったようだ。二週間前きれいだった曲川小学校の銀杏の葉もすっかり 落ちて、国道沿いの街路樹の銀杏の木も二週間前黄色い葉を付けていた木々が坊主になり 緑だった銀杏の木が今黄色く 色付いていた。今回リフト車の運転手さんが川棚医療センターまでの道がまだ不案内とのことで久しぶりに遠回りして NTTの電波塔のある交差点を曲がって隣町波佐見に入った。波佐見町の街路樹は南天の木、真っ赤に色付いた南天の実が いっぱい付いていたのか 僕には紅葉しているように見えた。道すがら見える山には黄色い木々は増えていたが赤い所は 変わらないようだ。この辺りの山々にはハゼの木は少ないのかな。
病院に着き救急処置室に入りストレッチャーに移るとすぐにバイタル測定、それから看護師さんが主治医に連絡してると 思ったらすぐに主治医が来て診察とカニューレ交換がすんで…そして嫁さんと話し合って処方箋と12月24日からの レスパイト入院を決めて部屋から出ていった。病院に着いてから30分も経ってないんじゃないかな、これまでの最短と 思えるほど早く通院が終わった。リフト車に乗り込む時に病院の玄関前の池を見たら亀が甲羅干ししてた。こんなに良い 天気なんだもの、そうでなくっちゃ。僕が縁起がいいと思っている亀の甲羅干しの写真を嫁さんに撮ってきてもらった。 今回は「親亀の上に子亀を……」はしてなかったけど…ありがと。
午後2時半前に家に着いて、これから30分以上車椅子に座って待つことになるからと体勢をヘルパーさんたちに整えて もらった。だけどいつの間にかお尻が少し前にずり落ちて腰が痛くなった。3時過ぎH先生再登場、実は午前中病院へ向かう 時にも来てもらってベッドから車椅子に移乗してもらっていたのだ。一日に2回も来てもらうなんて本当に申し訳ない気が している。今日のリハビリは4歩の歩行訓練と下半身の可動域訓練、歩行訓練の方は今日は股関節に変な違和感もなく腰や 膝に力も入り脚も踏ん張れてまあ上手く歩けたと思う。下半身の可動域訓練は今日も厳しかったけど…可動域は少しずつは 広がっていると思える、脚も挙がるようになった実感があるし踵の関節もヘルパーさんが脚に装具を着けている感じからは 柔らかくなっているようだ。ただ今日の左足の踵の可動運動の時に親指に変な痛みを感じて後まで尾を引いた。 アキレス腱が伸びていたから我慢したけど…まずかったかな。

11月25日 便が出ない、何故
朝のケアの担当はH看護師、定刻より5分しても着いてなかったから僕も嫁さんもてっきりMさんが来るのかと思ってたかな。 インフルエンザの予防接種のお客が病院に殺到して出られなかったとのこと。インフルエンザの予防接種が不足している という話しが噂になっているので予約客が朝から大勢来たのだろう。まあその噂は本当らしいけど。ちなみに僕は インフルエンザの予防接種は10月末に終わっている。
ケアの方は洗顔は順調に終わったけど排便が上手くいかなかった。といってもHさんのせいじゃなくて僕の問題、昨夜9時頃 ちゃんとラキソベロンを13滴服用したはずなのに今朝便意もほとんどなかったし便も下りてきてなくて当然量も 少なかった。こんなの初めて、訳が分からん。何故だろう。
午後の車椅子移乗は久しぶりにMさんだった。だけど直前?にMさんから「遅れる」と電話があったらしくその間ヘルパーの Yさんが脚のマッサージと装具着け、Mさんが20分ぐらい遅れてきてその遅れを取り戻すためが「(以前のように)立ってから 移乗すると。看護師による久しぶりの立ってからの車椅子移乗、ちょっと不安はあったけど問題はなかった。安心した。 その後Mさんは「次の訪問まで時間が空いてる」と言ってうちに居残り。久しぶりに訪問看護師さんとのゆったりとした時間、 訪問看護が10月に新しくなって訪問看護の方もそんな余裕はないし僕も必要最低限しか話しかけない、Mさん以外には 相談する気も起きない。未だに馴染めない。だから時には話しをしに来て欲しいんだが…。

11月24日 連日のH先生のリハビリ
水曜日は朝10時過ぎから入浴車。今日のスタッフは看護師はFさんとKさん・ヘルパーはMさんとKさん、女性四人に囲まれた お風呂だけどもう恥ずかしさも感じなくなった。入浴車にはほぼ満足してる。看護師さんに注文を付けるとすれば唇の 薄皮を擦り落とす前にしばらくタオルで湿らして欲しいぐらいかな。今日も温かいお風呂をいただきました。
お風呂が終わってしばらくうとうと、そして昼の経管栄養を落としながらパソコン開始。最近お風呂の後の昼の経管栄養は いつもちょっと遅め、正午のチャイムが聞こえてもなかなか嫁さんが現れないからイライラ気味で待っている。嫁さんは お風呂の洗濯物にひと区切り付けてからのようなのだがせめてパソコンはセットして欲しいなと…、gacco講座の 「統計の入門」を今週中に終わらせたいのに。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、股関節の運動と脚挙げ(太もも&膝の後ろ伸ばし)には何とか耐えられるけど 踵曲げ=アキレス腱伸ばしは泣きたいぐらいの厳しさ、もう限界は近い。H先生は信頼しているから耐えられるけど他なら とっくに…。立位訓練は5日前のことをもう身体が忘れていて毎回思い出し出しやってる感じ。今日もH先生に1回立たせて もらった時に右腰付近のちょっとした痛みに耐えながらも腰の伸ばし方を思い出し、2回目立たせてもらった時に脚の力の 入れ方を思い出し、3回目立つ時にやっとほぼいい出来になったって次第。3回目はH先生にも褒められたしね。

11月23日 勤労感謝の日の訪問
今日は勤労感謝の日、祝日で訪問看護はお休み。ヘルパーのYさんが洗顔に来てくれた。午前10時過ぎH先生がまず車椅子に 座らせに来てくれた。ベッドに座った時膝の角度が90゚に近いくらいベッドの高さが低かったけど結構スムーズに 立ち上がれた。今日は調子がいいと思ったのだが…。
11時前再度H先生が来て上半身の可動域訓練と歩行訓練、肩の可動域訓練は大分我慢出来たけど4歩の歩行訓練の時に 左右の足それぞれの体重移動の際に少し変な違和感が生じて不安が生まれた。でも足腰にちゃんと力を入れたら上手く 歩けた。あの股関節近くの違和感はいったい何だったのだろう。

11月21日 決着?
今朝早く二日ぶり?にモモがベッドに上がってきて僕の脚の間でずっと眠っていた。嫁さんの朝の仕事が一通り終わった 11時頃嫁さんが「髭剃りしていい?」と言ってきて、自分がどかされる気配を感じた?モモはしばらくしてベッドを下り 嫁さんは下洗いもしてもらった。年末・年始僕が家にいると四日間も嫁さんが好んでない髭剃り・下洗いをしてもらうことに なる、それは申し訳ない気がしている。
夕方嫁さんが「レスパイトはいつ、まだ決めてないの?」と聞いてきた。僕は従来通り「年末・年始は病院にいる」と堪えた。 今日はそれで終わった、納得したのかな? 嫁さんは「家族が揃うのは今度が最後かもしれない」「息子たち(特に長男)に 会わなくていいの」「今年は(年末・年始の)曜日がいいから家にいたら」との主張。僕は根本的に正月三が日に何にも関係ない 他人が家に居ること(大きな顔して)自体がおかしい・嫌だ・申し訳ないという考えがある。それに正月に家に居ても まともに子供と話すのは挨拶だけ。後はトイレで来るかコールで来るか、同じ家にいても一緒に時を過ごすこともない。 家族団らんの時も僕は蚊帳の外、寂しい想いがあるのは病院と同じ。家に居る方が誰かが来ることを期待しているから… 誰も来ないとよけい寂しい。その点病院は寂しいのを覚悟していくから寂しくても涙も出ない。家にいなければお出かけを 邪魔することもないし…、ある意味病院の方が寂しいだけを抱えとけばいいし気が楽。

11月20日 嫁さんお出かけ
今日嫁さんは「友達に会ってくる」と言って11時頃出かけていった。もう20年以上縛り付けてきたのだから時間が空いたら どこへ行ってもいいと思う。ただ「友達に会う」というのが羨ましかっただけ。僕には会いに来てくれるような友達があまり いないから。自分のせいだということはよく分かっている、ほとんどの人とはすぐ仲良くなれたけど深い付き合いをして こなかった? 人との付き合い方を知らなかったのだろう、褒めることを知らないから。
嫁さんが留守の間娘が来てくれた。でも娘とは挨拶を交わしただけ、他の会話は今日もなかった。自分から話しかけないと 娘とも息子たちともこのたいした会話のない事態は変わらないのは分かってはいるのだけど…話しかけるネタがいっこうに 思い浮かばない。そして思っていたより早く嫁さんが帰ってきて娘は帰っていった。

11月19日 
通院のない金曜日の昼間は結構忙しい。朝10時過ぎから入浴車、正午に昼の経管栄養を落として終わったらすぐ2時に かかりつけ医T先生の往診、3時過ぎからはH先生の今週3回目のリハビリという次第だ。金曜日のリハビリはいつもは 端座位から始まるのだが嫁さんが来てついていてもらわないと始められない。それで「脚の運動から」とH先生に 合図した。
ところが今日はどこもかしこも早めに痛みが出てきた、H先生の力加減がいつも通りとしたら。特に右踵曲げ(=アキレス腱 伸ばし)では痛みに耐えられなくて悲鳴を上げた。次は端座位、出来るだけ上半身が倒れないように そして背を真っ直ぐ 上に伸ばそうとしているが難しい。右に上半身を傾けてもらった時右股関節に痛みが出たのが気になった。ただ立位訓練の 時はさっきの右股関節の痛みは影響しなかったようだから気にしなくていいのかな、立位訓練の3回目はまあまあの 出来だったし…。

11月18日 やっぱりMさんは上手い
今日の朝のケアは9時45分から、9時台にケアがスタートする火曜日と木曜日はパソコンしていても「もう時間!」って感じで 落ち着かない。今日も早めにパソコンを止めて訪問看護を待った。今日の訪問の担当看護師もどうせHさん、と思っていたら Hさんに続いてMさんが部屋に入ってきたのでちょっと意外だった、もうHさんに任せるものと思っていたから。
Mさんが木曜日に来てケアをするなんて二ヶ月ぶり、Hさんの同行・導入の時に来て以来だもの。それでもやっぱりMさんは 上手いしケアにかける時間も短かった、なんせもう20年の付き合いになるのだから当然かもね。排便も残り便汁まで きっちり出してくれた。最近自分では肛門近くまで下りてきているガスや残り便汁を出せなくなった、しょっちゅう 残便感がある。
ケアが終わってヘルパーさんが帰ってもMさんとHさんは残っていた。もうすぐケアマネジャーのFさんが来るという、だから 今日Mさんが来たのかと納得。ケアマネジャーは年末の予定を決めたいと。僕は今更何をって感じ、重度障害者訪問介護が 夜間に入ると決まった時に年末・年始は病院で過ごすと決めた。現に去年も一昨年もそうしたし…。

11月17日 訪問理容
午前9時から訪問理容リリアンのKさん二人が髪を切りに来てきてくれた。Kさんとは2000年に実家に帰ってきて 老人健康施設にデイケアに行くようになってからの付き合い、だからもう20年になる。今ではカットはもう全てKさんに お任せだ。でもこのところカットがだんだん短くなって…みんなはいい感じと言ってはくれるけど鏡を見ることがないから 自分ではどうなっているか見えなくて…よく分からない。
それに髪が短くなったからか頭がスースーして寒くて、時々鼻づまりしているような感じがする。呼吸器を着けているから 空気が鼻を通ってないのに鼻づまりしているような感じがするっておかしいよね。でも…そんな感じがするんだ。
10時過ぎから入浴車、今日は入浴車のスタッフの中にAちゃんがいるから場が明るく感じた。Aちゃんは耳かきも上手い、 耳垢をいつもきれいに取ってくれてる感じがするから少々痛くても我慢だ。今日もきれいに洗ってもらってお風呂を温かく いただいた。
午後3時過ぎからはH先生の下半身の可動域訓練と立位訓練、今日もH先生の股関節・脚の関節への攻めは厳しかったけど… 今日は調子が良かったのかよく耐えられた。可動域もいつもより少し広がってたと思う。立位訓練でも自分としては背中を ちょっと反り気味で腰を伸ばそうとしたら…「お尻と太ももの後ろによく力が入ってた」とH先生に褒められた。 こういうことなのか。

11月16日 親子みたい
9時半からは朝のケア、今日の担当は看護師は訪問看護ステーションOのHさん・ヘルパーは社協のFさん。スライドボードを 使っての車椅子移乗の時の二人の会話のやり取りを聞いていると仲の良い親子みたいに思えた。年上のヘルパーさんが 看護師のHさんを上手くリードして車椅子移乗もすんなりいった。ケアの方も何の問題もなく僕はケアの1時間二人を 微笑ましく眺めていた。ケアの間こんなにゆったりした気分になったのは久しぶりだった。
30分車椅子に座って待ったらH先生が来てまず右肩・腕・手の可動域訓練、今日は痛みに鈍かったのか動きは良かったと思う。 次は4歩の歩行訓練、右足への体重移動が少し不安定になったけど右脚に力を入れてちゃんと踏ん張れた。後で両脚とも すね回りに少し痛み(張り?)を感じたから踏ん張るとすね回りに力が入っているんだというのが分かった。ベッドに 戻ってから左肩・腕・手の可動域訓練、右に比べると横から上に手が挙がりにくいし傷みも早く来る。呼吸器の回路をいつも 左から回していて左手はずっと思いっ切り挙げてもらっていなかったから かな。

11月15日 gacco講座「統計の入門」受講開始
gacco講座「家族と民法」が完全に終わったので前々から気になっていた二つの講座の内「統計」の講座をすることにした。 受講登録のため講座一覧を見ると加えて興味を引かれる「沖縄」関係の講座と「微分積分」の講座があった。期限を見ると 沖縄のが一番早くて1月末、「統計の入門」が終わったら「沖縄うるま発!肝高プロジェクト」をしようと心に決めた。
「統計の入門」は高校卒業時&大学初年度時のレベルとのこと、このgaccoで5つ以上の統計関連の講座を受講してきたので 今以上学ぶことはないかもしれないけどすっかり忘れてるし復習にもなるし…。頑張ろう。
今日のケアは訪問看護MのYさん、1ヶ月半経つけれど未だに馴染めない。僕の思っている動きとYさんが時間をかける動きが 違うんだよな、それがYさんのルーティーンだろうけど僕には無駄に思える。それにYさんの清拭は病院みたいに思えて、 I看護師の頭が揺れるほどの強くて丁寧な清拭が懐かしい。

11月14日 最終レポート提出
gacco講座「家族と民法」、最終レポートは課題の内容が難しいこともあり また修了ラインはもう確認クイズで上回って いたからやらなくてもいいやと思ってはいたんだけど…どうにも気になって仕方なかった。それで文字数(800-2000文字)と 誤字脱字の点数さえ取れればいいやと考えて朝から最終レポートの作成に取りかかった。そして一日かかって書き上げ 送信した。それから寝るまで受講者同士の相互採点(他の受講者5名分+自分の)、今日一日が最終レポートで終わった。
そもそも家族法ってなに。課題は「現在の家族の問題をひとつ取り上げ、その問題と家族法との関わりあいと改善点を書け」 というもの。僕は民法の家族に関わる部分と他の家族に関わる法律全部と考えたのだが良かったのか。

11月12日 通院日
今日は通院日、午前11時半前にパソコンを止めるとすぐにヘルパーさんが来て洗顔。洗顔が終わらないうちに今度はH先生が 来てスロープの準備、その時もう一人のヘルパーさんが来て脚のマッサージ。そして脚と頸に装具を着けてもらいH先生に 車椅子に座らせてもらって吸引して…と慌ただしいが順調に終わった。でも気持ち的にもう少しゆっくりしたいという 想いがある、H先生に申し訳ないという想いも。Mさん 出かける時だけでいいから来てくれないかな。
リフト車に乗り込み外を見ると東と西の空に低く垂れ込めた分厚い雲が広がってるのが目に入った。特に東の空の雲は 黒くてそろそろ雨が降ってきそうな雰囲気。その割には僕の行くところは日が当たって明るかった。僕が病院へ向かう道の 周りも少しずつ赤や黄色の色彩が増えてきて紅葉も進んできた。曲川小学校の校門の所の銀杏も国道沿いの銀杏もそろそろ 落ち葉が始まりそうなほど黄色く色付いて、二週間前とは大違い。山の紅葉はあまり進んでいないようだ、色付いた木々は 幾分増えていたけれど色はまだ黄色も赤も薄いままだった。Facebookによると竜門も一週間前にいい具合だったから 今ぐらいがピークかもしれない。Facebookを見ると今年は鹿児島県の山の方が他の所より赤が鮮やかだ、 なんでだろう。
病院に着いて救急処置室に入ると「採血がある」と、今日は遅くなりそう。だけどバイタルを測り採血を終えしばらくすると もう主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)、そして主治医がパソコン端末で薬を入力しているうちに血液検査の結果が 届き…午後1時45分には診察が終わっていた。家に着いたのは2時半前、車椅子に座ったまま訪問リハビリを30分以上 待つことになったがしんどくはなかった。
午後3時過ぎH先生到着。4歩の歩行訓練でベッドに戻った。H先生に「どうします?」と聞かれたが…背中が寒かったので 「ベッドに横になる」と合図した。この冬場車椅子に座る時何か背中が冷えないようにする対策を取らないといけないな。 それから脚の可動域訓練、今日は寒かったからかH先生が関節を動かすといつもより早めに痛みが出た。今日もH先生は 厳しかった。でも脚も以前より挙がるようになったと思うし踵もヘルパーさんが動かしてもらった時最初にグッと 曲がるような気がしていたんだ。

11月11日 なんで?
今日の看護師も訪問看護ステーションOのHさん。今日のケアは排便、だけどほとんど出なかった。昨日の夜いつもより1滴 ラキソベロンを多く服用したはずだったのに今朝はちっとも下りてこなかった。それなら昼の経管栄養を落とした後か 車椅子に座っている時に出るかなと思っていたのだけど…出なかったし便意も感じなかった。こんなこと初めてじゃ ないかな。こんな状況がもし続くと服用時間を早めて服用滴数を増やさないといけない。ラキソベロンがなんで 効かなかったのかな。

11月10日 入浴車
10時過ぎから入浴車、今日の入浴車のスタッフ Aちゃんからかけられた最初の言葉は「寒くなりましたね」。浴槽のお湯に 浸かっても熱っちって感じることもなくなった。今日のスタッフの井戸端会議はお子さんの入試と合格発表の話題、この 時期の発表だからおそらく推薦入試の発表だと思うけど今日がスタッフの一人の子の発表らしい。僕らの時代には推薦 入試ってものはほぼなかったからもう合格発表って感じでピンとこなかった。待ってる親の気持ちも僕は発表間際しか 知らされなかったからよく分からないけど朝からどきどきしてるんだろうな。その割には落ち着いて見えたけど…。今日の お風呂も楽しく温かくいただきました。
今日は午後の訪問リハビリはお休みで昼からずっとパソコン三昧、かえって脚が疲れたかも。

11月9日 久しぶりにMさん
火曜日のケアは午前9時半から、今日もH看護師の姿が見えた。「床屋は来週の水曜日の朝9時から」とのこと、看護師のMさん (前の所長)に伝言を頼んだのは二週間前、ようやく返事が来た。と思っていたらその後すぐにMさんの顔が見えた。Mさんが うちに来るのはひと月振り、どこが痒いとかどこが痛いとかつい話しかけてしまった。このひと月こんな話を今の看護師に 話したことがない。まだそんな話しが出来るほど馴染んでないのだ。今はお互いにケアの流れをこなすのが精一杯で心の 交流を交わすほどの余裕?がないのだ、僕は終わりの時間ばかり気にしているし。Mさんにはひと月に一度は来て欲しい。 自分の状態を胸の内を話せる相手がいない…。

11月8日 昔のケアが懐かしい
今日のケアは訪問看護Mの担当、今日は一日午前中のケアも午後の車椅子移乗も看護師のYさんとヘルパーのKさんのペア。 午前中のケア、Kさんが洗顔している間にYさんはバイタルを測り胸とお腹の聴診 それに脚の運動。毎回聴診する必要は ないと思うのだけどそれがYさんのスタイルなのだろう。それから二人で清拭、9月までに比べると今の洗顔や清拭が病院に 近いものに思える。最近Yさんが清拭の時に繰り返す言葉が「垢が出ない、すごい」、僕に言わせれば「今までそんな不十分な 清拭しかしないお宅しか訪問してこなかったのか、だから…」。ほんと9月までの訪問看護、FさんやIさんの洗顔や清拭が 懐かしくなった。
午後2時半から車椅子移乗の準備、30分早くなっただけなのにゆっくりパソコンする時間がなくなった。車椅子に座る 段取りも手順も増えたので今日車椅子に座る時に面倒くさくなって…一瞬「もう立たなくてもいいかな」なんて考えが頭の 中をよぎった。弱気になった、いかんいかん。
今日の夜間の重度障害者訪問介護の担当は途中で交代するとのこと、同行のAさんが一夜を通して。今夜7時から 指導看護師によるAさんの現地指導、なんて時間を設定するんだと思ったがスケジュールを早めたのだから仕方ない。まあ Aさんが同行するようになって10日も経つのだから現地指導が遅すぎるのだけど。重度障害者訪問介護は同行中もお金を 払うのだろうからこんな無駄遣い、本部はお金持ち?。見える範囲ではAさんの吸引には問題なかった。文字盤もすぐに早く なりそうだしマスクをかけた見かけの顔も気に入ってる方だし…早く独り立ちさせてくれないかなあ。女性が二人集まると 寝るまでずっとおしゃべり、うるさくて堪らない。

11月7日 娘のケア
モモは今日も朝の経管栄養前に僕の部屋にやってきてベッドに上がってきて僕の脚の間で眠っていた。10月中旬からの 日曜日のありふれた風景。だけど今日は嫁さんが11時から隣の市の市民文化祭に出かけるとのこと、嫁さんが留守の間は 娘が対応してくれた。久しぶりに娘と過ごす一緒の時間…と思っていたが交わした会話は挨拶だけ、吸引と昼の経管栄養を つなぎに僕の部屋に来ただけで嫁さんが戻ってくるとすぐに帰った。何かもっといろいろ話したかったのに。これなら 入院中見舞いに来た時の方がもっといろいろ話してくれるなあ。何でこうなるの。
gacco講座「家族と民法」、講義の視聴と確認クイズ・Wordによるまとめも終わった。後は最終レポート提出・相互採点のみ。 講義は専門用語が多くて解りにくかったけど…確認クイズは35門中3問間違えた。64点、修了ライン60点は上回った。 最終レポートはどうしようかな。課題は「家族の問題を取り上げ家族法との関連と改善点を書け」、結構難しいテーマだ。 締め切りまで10日、やるべきかやらざるべきか。

11月5日 H先生のリハビリ
今日は午前中10時過ぎから入浴車、それから昼の経管栄養を落として午後2時にかかりつけ医T先生の往診・午後3時過ぎから 訪問リハビリH先生のリハビリと結構慌ただしい。入浴車は最近肩が寒いと感じるようになったから肩まで全身温まるから 有難い。今日も足し湯をしながら身体をゆっくり温めさせてもらった。外気が冷えるとお湯もすぐ冷えて足し湯が 欠かせなくなる、もうそんな季節になったということだろう。僕にとって辛い季節がまた始まった。それにしても胸に ホットパックを置いても今年は肺や肩が温もる感じがない、パソコン画面も文字がぼけて見づらいし 病気がまた進んできたか。
午後3時過ぎにH先生登場、遅くなると聞いていたからちょっとびっくり。まずはH先生に支えてもらい15分端座位の保持、 自分でも背骨を伸ばそうとしたり上半身が後ろに倒れないようにと試みてはいるのだが…実現には程遠い。試みることが 大事だと信じて頑張る?しかないのだろう。端座位は辛いとは感じない、むしろ楽しい。次は立位訓練、やはり端座位で いると立つのは調子良いようだ、1回目から足腰に力が入りやすい気がした。左右の足への体重移動は水曜日とはちょっと 違う力の入れ方をしてみたらH先生に「お尻によく力が入ってますよ」と褒められた。そういうことか。最後は脚の可動域 訓練、今日はいつもより攻めが厳しい気がしたけど…気温のせいかな。踵曲げ=アキレス腱伸ばしは涙が出そうだった。

11月4日 H看護師が担当?
今日は訪問看護ステーションOの番、担当は朝のケアも午後の車椅子移乗もH看護師が来た。たしか先週の木曜日も火曜日も Hさんだったから訪問看護ステーションOは僕のケアをHさんを中心に回すつもりかもしれない。僕はHさんが隣の地区の 出身ということもあり親しみを感じているし不満はない。でもHさんは若いから覚えることが多くて大変かもしれないけど。 今日もHさんは蘇生バッグ(アンビュー)を現場で実際に使うのが初めてだったらしく押し方が僕に合わなくて…教えるのに ちょっと苦労したかな。それ以外は何も問題はなかった。初めから文字盤も結構上手く使えたし大丈夫と思う。
今日の午前中のケアのヘルパーは本当に久しぶりにAちゃん、顔を見てすぐに手の爪切りを頼んだ。Aちゃんはうちに来る 訪問の人の中で一番爪切りが上手くしかも一番短く切ってくれる。Aちゃんが来るのをずっと待っていた。それに元気だか 心配だったし。

11月3日 
今日は文化の日、祝日だけどケアはいつも通り。10時過ぎから入浴車・午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ、 祝日なのに来てくれた。H先生のリハビリはまずは脚の可動域訓練、H先生はいつものように厳しいけど関節の可動域を 維持するためだから数を数えながら耐えている。ただ踵曲げ=アキレス腱伸ばしだけはいつも声を上げそうになる、 出ないからいいけれど。お風呂の後だからか水曜日は関節の可動域が少し広がっているように思える。
それから端座位にしてもらって立位訓練、身体がだんだん立ち方を思い出してくるから1回目より2回目・2回目より3回目が 良くなる。まあその分呼吸が苦しくなるけど…そこは我慢。腰や膝への力の入れ方・伸ばし方をよく考えてるがなかなか 上手くはいかないものだ。まあこれでも上出来なのかもね、今でも立てるから。

11月1日 ほんとにただの訪問看護
今日は訪問看護Mの担当日、いつも通り看護師のYさんがヘルパーさんと一緒に僕の部屋に入ってきた。どうやら毎回外で 待ち合わせして入ってきているようだ。山ひとつ越えてきているのだから早く着いたらヘルパーさんを待たずに 入ってきてもいいと思うのだが。
訪問看護が代わってからひと月が過ぎたけどまだ馴染めない。どこが痛いと訴えることもないし何かを相談することも ない、単に今日のスケジュールをこなしてるだけって感じだ。僕が壁を作っているだけかもしれないけど…。今までの 訪問看護が良くしてくれていただけ、今の状態が普通の訪問看護なんだと思う。


[2021年の先頭に戻る]



10月
10月31日 女心は未だに解らない
朝経管栄養前にモモが来た、自分からベッドに上がってきて僕の脚の間で眠っていた。最近のモモは朝よく来てくれる、 それだけ外が寒くなったということだろう。モモが脚の間で眠っていると下半身が温かくなってちょっと得した気分に なる。寒くなって良いことと言えばそれまで見向きもしなかった猫達が僕の部屋によく来るようになることくらいかな、 肺が冷えて肩も冷えて寒くなってくるしリハビリも難しくなる。冬はいいことなしだ。
モモが昼まで脚の間で眠っていたことは先週の日曜日と同じ、先週は嫁さんがケアしてくれる時に嫁さんから「モモが (脚の間で)寝ているから今日は下洗いは出来ない」と言われたのに…今日僕から「今日は下洗いはいい、モモが 寝ているから」と伝えると「私が下洗いするのが不満なの」と反撃を受けた。何とか言い訳をして許してもらって?下洗い してもらったが先週と全く同じ状況なのに、女心は未だに解らない。

10月29日 通院日
今日は通院、11時半にヘルパーさんが来て洗顔開始。洗顔が終わったら尿取りパットを巻いてもらう、リハビリが終わる 午後4時過ぎまでおしっこできないから。その時H先生が車椅子移乗のために来てくれた、本当に申し訳ない気持ちが する。そこにもう一人ヘルパーさんが到着、二人で脚のマッサージをしてから脚と頸に装具を着けてもらった。その間に 嫁さんとH先生は玄関にスロープの準備、そしてH先生に一度立たせてもらってから車椅子に座らせてもらい嫁さんに 吸引してもらって玄関から外に出た。陽が当たると暖かいのだけれど風が吹くと冷たく感じるのが二週間前との 違いかな。今日出かける時はそれぞれの役割分担が決まっていなくて僕にはドタバタしているように見えたけど、 嫁さんは「上手くいった方」と話していた。今までは訪問看護師さんがコントロールしてくれていたから外出準備諸々の 大変さを理解してなかったけど…これで訪問リハビリのH先生が来れない場合に嫁さんがもっとこっちに来てコントロール するのは大変になるだろうなと思う。
今日の通院で僕が見たいものは前回と同じでコスモスと山の紅葉の進み具合。リフト車の中からずっと そしてじっと 外を眺めていたのだが、コスモスはほとんど目に入らなかった。コスモスが見えたとしたら一ヵ所かな。ただリフト車に 車椅子で乗り込んだら目の位置が高くて窓が下に見えて地面に近い下の方の花しか見えない、残念だ。走りながら ちらっと見た それも下の方の茎とちらっと花らしきものが見えただけだから自信はないんだけど。最近Facebookにも コスモスの投稿が出てきたし…ちゃんと育てられている所には咲いてるということか。うちに来てるヘルパーさんも一人 「今年はコスモスが咲いていない」って言ってたけど、もしかしたら今年は道端に自生しているコスモスが駄目なのかも しれませんね。
山の紅葉はチラチラと小さな赤い木々が緑の中にスポット的にあって、ここら辺でもようやく紅葉が始まったって感じ。 Facebookの九州の山のページに九重の紅葉の写真がよく投稿されているのですが今年は色合いがまだまだだ。国道沿いの 街路樹の銀杏の木も真っ黄色のもあればまだまだ緑のもある。山の日影になるところもあり日当たりの違いで色合いの 違いが出るのならまだ理解も出来るのだけど…そういう風でもなく木々によってバラバラ、自然界って不思議だなって 思ってリフト車の中から眺めてた。今年は彼岸花までが早くコスモスや紅葉は遅め、9月10月に台風が1個しか 来なかったし夏・初秋の天気や気温もおかしかったし今年の冬は不気味。それに今年のペルー沖合はラニーニャとか、 今年は何回か雪が積るかもしれない。
病院に着きいつもの救急処置室は使用中、久しぶりに隣の部屋に入ってバイタルを測っていると隣の部屋から主治医の 声が聞こえたような…。それからすぐに主治医が来て診察と処置(カニューレ交換)、まだ午後1時半今日は早かった。
家に着いたのは2時半前、訪問リハビリのH先生が来るまでには30分以上ある。嫁さんもヘルパーさんも「一度ベッドに 戻ったら」と進めてくれたが僕は車椅子に座っていてもまだまだ大丈夫だとの自信があった。ただだんだん膝が痛くなって いったのには困った。午後3時前にH先生が到着しまずは歩行訓練、膝に痛みがあったからちょっと心配していたけれど 後ろ足で前に身体を押す気持ちもあったし出来はまあまあだった。ベッドに横になってからは下半身の可動域訓練、 股関節の運動で太ももを深く曲げると太ももの裏の大腿二頭筋の上部はよく伸びてるけど腰にもくる。脚を挙げて膝や 太ももの裏を伸ばす運動では脚が挙がるようになったと感じている。踵曲げ=アキレス腱伸ばしの運動はいつもながら 我慢の時間、20秒ぐらい耐えればいいから何とかなってるけど。

10月27日 H先生の下半身のリハビリ
朝10時過ぎから入浴車。今日のスタッフは看護師のAちゃんとIさん・ヘルパーのIさんとMさん、井戸端会議はたわいない 話だったけどAちゃんがいるだけて場が明るくなるから不思議だ。今日も十分洗ってもらってゆっくり温まった。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは可動域訓練、股関節の運動で太ももの内側を伸ばす時はまだ少し 余裕はあるけど太ももの後ろや外側はもう目一杯かな。脚を挙げて膝の後ろを伸ばす運動は最近少し可動域が広がった ようで余裕?が出来た?。踵を曲げる運動はH先生も特に厳しいからただ耐える時間、でも僕の延びて固まった踵は あのくらいの強さでないとびくともしないからH先生もいい運動になっているだろうな。
次に立位訓練、1回目・2回目・3回目と立つ際の脚への力の入れ方や立った時の腰の力の入れ方・伸ばし方をいろいろ試して みているんだけどなかなか良い形が定着しない。今日は3回目に自分ではちょっと反り気味に腰を伸ばしてみたらH先生が 褒めてくれた。あれでいいのかな。まあ身体はすぐに忘れてしまうだろうけど。

10月26日 口内炎とモモ 天国と地獄
日曜日の朝くしゃみをした際に唇を強く噛んでその痕が口内炎になった。よほど深く噛んだのかしょっちゅう薬を塗って もらっていたのだが一昨日より昨日 昨日より今日の方が痛い。それも口の吸引をした時にカテーテルが口内炎に触れて 痛い仕口を閉じても下の歯が口内炎に当たって痛い。午後歯科衛生士さんに口の中をきれいにしてもらったらもっと痛く なった。本当に 涙が出そうなくらい痛い。もしかしたら今までの口内炎で一番痛いかもしれない。今日一日 地獄だった。
その代わり良いこともあった。夜モモがベッドに上がってきてほんとに久しぶりに僕が眠りにつくまで僕の脚の間で 眠っていて…夜中目が覚めたらもういなかった。ちっちゃいけれど幸せな時だった。ももは また眠ってくれるかな。

10月25日 新しい重度のヘルパーさん
夜間の新しい重度のヘルパーさん候補?Aさん、マスクをしている顔を見るとちょっと高木美保似の雰囲気を持つ小柄な 女性。理解も早そうだし最近の僕のとしてはどちらというと好みの方の顔だ。今夜Aさんは初めて文字盤というものを 使ったらしいのだが元々文字盤の使い方の才能を持っていたようだ、文字盤を使うコツが解ってる。これならすぐに 上手くなる。Aさんとのコミュニケーションではイライラしなくてすみそうだ。Aさんの医療行為に対する専門看護師に よる現地指導は他の介護者の指導で忙しくてこっちに来る時間はないという。これじゃあAさんはいつまで経っても 独り立ち出来ない、いい加減なものだ。

10月24日 モモ
日曜日は重度のヘルパーさんは朝7時半までの勤務。朝7時嫁さんが朝の経管栄養を持ってきた時にモモが嫁さんのあとに ついてきて珍しく僕の部屋にも入ってきたようで、ヘルパーさんが経管栄養をつなぐのに嫌がらせをするよかうに(笑い) ベッドに上がってきて僕の脚の間で眠ってしまった。僕はモモが僕の所に来るのが本当に久々で嬉しかったけれど ヘルパーさんはやりにくそうだった。モモはそれから正午すぎまで僕のベッドで寝ていただろうか、時々水を飲みに ベッドから下りてゆくけどまた戻ってきた。モモが寝ているからという理由で嫁さんのケア 下洗いは今日はなし、僕も 納得だけど。やりたくないのにやってもらっても…申し訳ないだけだしほとんど意味がない。
我が家の猫たちは僕のことをベッドの一部分であるかのように見てる。頭やお腹をなでることもご飯をあげることも 何にも出来ていないのだから人として見てくれないのも当然なのかもしれない。モモもチビも結局は嫁さんのあとを ついて回っているからモモやチビが来る頻度は嫁さん次第。最近嫁さんは滅多に来ないけど寒くなったから…。

10月23日 Yさん 慣れてきた
土曜日はサービスが一番少なくなった日、午前中のケアからは洗髪がなくなり午後は車椅子移乗がなくなった。その分 午後はパソコン三昧だけど土曜と日曜に車椅子に座れないのは辛いなあ。
午前10時前訪問看護MのYさんとヘルパーのTさんが部屋に入ってきた。ヘルパーさんが洗顔をしている間にYさんは バイタルを測り胸とお腹を聴診、それから脚を動かしてもらった。まずは清拭、Yさんの拭き方かが少し強くなって 心地良くなってきた。排便の際の摘便も少しずつ強くなってきた。Yさんも僕の身体に慣れてきたようだ。少し安心。

10月22日 インフルエンザ予防接種
通院のない金曜日は朝10時過ぎから今週2回目の入浴車・午後2時にT先生の往診・午後3時過ぎからH先生の今週3回目の リハビリというのが10月からの新しいスケジュール、訪問看護が週に4日しか来ないようになると聞いた時はどうなる ことかと心配だったが今はまだそれを味わう余裕もない精神状態で…ただ慣れるのを待つ日々。今までも多くのものを 失ってきた・諦めてきた。それがまたひとつふたつ増えただけ、なるようにしかならない。「捨てる神あれば拾う神あり」 とは言うが拾う神は訪問リハビリの先生ぐらいかな。これ以上まだ何かを捨てろというのかな、僕の楽しみを。
T先生の往診ではまず最初にインフルエンザの予防接種を打った。インフルエンザの予防接種というとやけに早いような 気もするけど、僕は毎年インフルエンザの予防接種は10月末前後に打っているから1週間程度早いだけだった。ずっと暑い 日が続いて急に寒くなって季節感が狂っているみたい。それに7月に新型コロナのワクチン接種を2回していたことも インフルエンザ予防接種が早い気がした理由かな。それからカニューレ交換をしてもらって今日の往診は終わり。いつも ありがとうございます。
今日のH先生のリハビリはまずベッドの横に15分ぐらい端座位して背中のマッサージ?、端座位そのものはほとんど疲れは 感じないんだけど…痰がいつ出てくるかはいつも心配していた。そして今日ベッドに座っている時に痰が出て…H先生に 肩を支えてもらっている間に嫁さんが吸引してくれて事なきを得た。これで端座位の途中で痰が出てもどうにかなると 分かりひと安心。背骨や背中の筋肉をほぐしてもらうと気持ちが良い。H先生が後ろで支えてもらっているから 問題ないのたが体が後ろに倒れそうな時や背骨に負荷をかけるために肩を下に押してもらった時に、どう反応・対応して いいのか分からないのが困ったものだ。
次は立位訓練、今日はベッドの高さがほんの少し高かったのか早めに膝に力が入っていく分立ちやすかった。左右の 足への体重移動は左脚は幅・右脚は股関節の痛みと不安を抱えているが今日は問題なかった。脚の可動域訓練は 相変わらず厳しい。だけど金曜日は脚を持ち上げて膝の後ろを伸ばす運動でいつもより脚が上がっている気がするのは 何故だろう。今日はいい運動をしたって感じだ。

10月21日 ほんとに独り立ち
今日も朝朝9時45分に僕の部屋に入ってきてのは訪問看護ステーションOのIさんとHさん。今日は週に一度 唯一 看護師さんに顔を洗ってもらえる機会、顔に異常がないか見て欲しいけどそこまでの余裕はないか。次は排便、今日の 担当はHさん。朝からあまり便意が襲ってこなかったから心配したけど…、Iさんが上手くお腹を押してくれていっぱいの ガスと残りの便汁が出た。ほぼすっきり。
午後の車椅子移乗には娘より若いH看護師とベテランヘルパーのYさん、Mさんから「私が来れない時は立てないかも」と 言われていたけれど背の高いHさんとYさんのペアなら大丈夫だろうと思い「一度立つ」とお願いした。多少の手順の 違いはあったけど問題はなかった。今日はたまたまいいペアだったけどこんないいペアは滅多にないだろう。 それにしてももうほんとに独り立ちだな。

10月20日 暖房
今朝も寒くて目が覚めた。先週とうって変わり朝はだいぶ冷えるようになった。ほんとはすぐにエアコン(暖房)を点けて 欲しかったけど…重度のヘルパーさんに朝早くからあれこれ言うのが面倒くさくて我慢した。夜エアコンを点けて もらったら暖房の21℃設定、エアコンは先週まで冷房だったのに…嫁さんが暖房に切り替えていたようだ。流石。
水曜日は朝10時過ぎから入浴車・午後3時過ぎからH先生のリハビリ、入浴車の42℃設定のお湯が浸かる時も熱く感じなく なったし足し湯もすぐにして欲しくなった。お湯に浸かっていていても身体が温もるのに時間がかかるようになったし それほど外が冷えてきているのだろう。6時には外が暗くなるし急に秋が深くなった気がする。今日のリハビリは下半身、 僕の股関節の痛みを気遣ってか動かし方が変わったみたい。でも今の方が太ももの裏の筋肉の上の方がよーく伸びてる 気がしてる。踵曲げ=アキレス腱伸ばしの最後の5秒は声を上げそうなほど(出ないけど)痛いけど、時間が限られて いるから耐えられた。耐えてる分踵の可動域は広がってると信じている。立位訓練の1回目は腰の真ん中右上が痛みが どのくらい出るかいつも様子見になる。2回目・3回目は膝に早めに力を込めながら立ち上がったが… まあいい出来だったかな。

10月19日 独り立ち
朝9時半 僕の部屋に入ってきてのは訪問看護ステーションOのIさん・Hさんとヘルパーさん、今日はM看護師もI看護師も いない。独り立ちかな。今日のケアは洗顔(ヘルパーさん担当)・背中拭き・下洗いとスライドボードでの車椅子移乗、 訪問看護が入る日としては一番簡単な日だと思う。それでも問題はなかったし少しだけどコミュニケーションもした。 二人セットなら僕の所の訪問ももう大丈夫だろう。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、肩の可動域訓練は我慢出来たけど肘や指の可動域訓練はやっぱり痛い。だけど 肘の可動域には少しだけだけど遊びが出来ているような気がする。歩行訓練の時ももう一つ気力や気合い・思いが 乗っていなくて…後ろ足で体を前に押すのは忘れたけど、その割には脚も踏ん張れて体重移動も出来てその際の腰も 伸ばせていた。身体が歩く動作を覚え始めているのかな。

10月18日 慣れてきた?
今日は訪問看護MのYさんが担当、先週のように便が出ないと困るから昨夜9時前に(いつもは11時過ぎ)ラキソベロンを 13滴(いつも+1滴)服用しておいた。この日はラキソベロンの効きが良くて朝9時には便意が来て10時前には便が出た。 月曜日のケアは10時半からだからタイムラグをどうするかが課題なのだが、ラキソベロンの効き目は体調や気温で 変わるから時間や滴数は特定できない。ラキソベロンの調整は難しいなあ。でも 出ないより出た方いいし、問題は便が 出た時にどうやってマットレスを汚さないかだなあ。
Yさんは今日もヘルパーのFさんと一緒に部屋に入ってきてバイタルを測り肺とお腹の聴診・手脚の運動、その間 ヘルパーさんは洗顔をしてくれるのだが丁寧さが足りないような気がしてそれに時間も短く物足りなさを感じてしまう。 ヘルパーさんは早く終わらせようとしてあせっているように見えてしまう。そしてそれからは二人の共同作業、清拭で Yさんの拭き方が少し力強くなったような気がした。それに排便の際の摘便もちょうど深くなった。Yさんもようやく僕の 体に慣れてきたかな。
今朝寒くて目が覚めた、こんなの今年になって初めて。こないだまで昼間は冷房を点けていたのに朝はもう暖房を入れる 季節になったようだ。チビモ夕方外ははもう寒いのか自分からベッドに上がってきて僕の脚の間で眠っていた。ただ ちいさな物音でもするとすぐにベッドから下りてしまう。そして落ち着いたらまたベッドに上がってきて…そんなことを 何度か繰り返し 2時間ぐらいで僕の部屋から出ていった。でもチビの猫アンカは脚がぽっかぽか、暖かかった。 また来て。

10月17日 gacco講座「家族と民法」 受講登録
宿題として残っていたgacco講座のWordによるまとめ、それが今週ようやく終わって新しいgacco講座が出来るように なった。講座一覧表を見て気になった講座は三つ、その中で閉講が一番早いこの「家族と民法」を選んだ。ただこの講座の 主催は東北大学、東北大学の講座は全般的にgacco講座の中でも難しい方で確認クイズの回答可能回数も1回のみ。その上 最後に最終レポート30点も待っている。最終レポートを出さずに済ませるためには確認クイズ35問中30問を 正解しなければいけない。僕が間違えていいのは週に1問だけ(9問中)、1回しか答えられないから僕には難解だな。 やっぱりひと月後レポート書くしかないのかな。

10月15日 通院日
今日は10月になって訪問看護の体制が変わって初めての通院日、訪問リハビリのH先生が車椅子移乗に来てくれることに なっていたので申し訳ない気持ちでパソコンを早めに終わらせて待つことにした。初めてのことで僕も嫁さんもどういう 風な流れになるか分からずに戸惑っていた。午前11時半定刻にヘルパーさんが来ていつも通り洗顔、ケアマネジャーの Fさんも様子見で同行。洗顔が終わって装具をつけるために脚をほぐしてもらっている時にH先生がもう登場、聞いて いたより5分ぐらい早いか。その時玄関の方からゴトゴトと物音が、嫁さんがスロープの用意をしてるということで ヘルパーさんとFさんが慌てて玄関へ。脚と首に装具を着けてもらったらH先生に立たせてもらいながらの車椅子移乗、 楽 僕としては立たせてもらっての車椅子移乗が楽でしかも短時間なのだが…介護者の負担が大きいと。それにしても 嫁さんの負担が増えた、外出カゴの準備・スロープの設置・呼吸器の車椅子の下への移動・吸引…。
車椅子に座って玄関の外に出ると空は秋晴れの雲ひとつ見えない青空で絶好の通院日より。陽射しに当たると H先生は 「外は暑い」と言っていたけど ぽっかぽかと温ったかくてとっても良い気持ち、このまましばらく日向ぼっこして いたいなって感じだった。今日リフト車から見たかった風景はコスモスと紅葉の進み具合、だけど山は黄葉にも紅葉にも 全然染まってなくて…Facebookに投稿されていた「乳待坊側から見た黒髪山は黄色く色付き始めている」ってコメントを 朝焼けに染まった黒髪山を眺めて見間違ったんじゃないかと疑う気持ちが湧いてきた。かろうじて街路樹の銀杏がたまに 黄色く染まり始めているだけ。後は隣町波佐見に結構栽培してある大豆がそろそろ枯れてきて葉っぱ黄色くなってきた ことぐらい、この辺りの紅葉はまだまだのようだ。
今年のコスモスはなんだか目立たない感じだ。去年咲いていた所を見ていてもなかなか見つけられない。今年の コスモスは遅いようだから、まさか終わったってことはないだろうに…。ススキはかなり穂?が開いてきて3週間前の すっきりした姿とは大違い。柿の実もだいぶ色付いてきているし…秋も進んでいるのだろう。2週間後の通院の時は コスモスは咲いているだろうか。
病院に着いて玄関前の池を見たらこんなに良い天気なのに亀が甲羅干ししていなかった。ここの亀はなぜか薄日の日に 甲羅干しするようで不思議だ。それに例年この時期になると池の周りを赤トンボがいっぱい飛んでいるはずなのだが 今年は一匹もいない。これも不思議だ。明日から急に寒くなるという。今年は赤いトンボはもう見られないのかな。
救急処置室に入り車椅子からストレッチャーに移ってバイタルを測り主治医を待った。今日は血液検査をするとのこと。 ところが血液検査をする前に皮膚科の先生が背中と左腕の皮膚ガン跡の確認に来て…、僕は今日皮膚科の診察がある ことを知らなかった?・覚えていなかった?、塗り薬は継続してと言われたが異常はないとのこと。それから採血をし 血糖値の結果が出るまで待って主治医の診察・処置(カニューレ交換)を受け…、今日はいつもより30分ぐらい遅くなって しまった。
通院の日も3時過ぎからH先生のリハビリ、家に着いて車椅子に座ったまま少し待つとH先生が来てすぐに4歩歩いて ベッドに戻り手脚の可動域訓練。歩いている際3歩目の左足の歩幅が広くて膝折れしそうになったけどH先生の支えで ちゃんと踏ん張れたし、それ以外は後ろ足で体を押せて体重移動の補助は出来たと思うし調子は良かったと思う。 もしかしたらリフト車での移動中振動に耐えるために脚にしょっちゅう力を入れるから逆に調子が良いのかもしれない。 それに車椅子に長くすわることも2年前まで年に数回はしていた訳だし、もし座っているのに疲れたら背もたれを倒して もらえば済むことだしね。

10月14日 文字盤
今日は訪問看護ステーションOの担当日、元所長の訪問看護師Mさんが看護師のIさんとHさんを同行してくるようになって 五日目だ。不安はないと言えば嘘になるが…そろそろ独り立ちor二人立ち?をさせてもいいと思うのだが。
木曜日午前中に洗顔・下洗い・排便のケア、午後は3時前から車椅子移乗。今日はIさんもHさんも二人とも文字盤を使う 機会があって、Iさんは前車椅子に座っている時に文字盤を使ったことがあって その時は問題なさそうと思ったけれど… 僕がベッドに寝ている時は分かりにくそうにしてた。文字盤に慣れるにはもう少しかかりそう。でも積極性は買う。 Hさんはおそらく文字盤を使うのはこれが初めて。出もその割には上手かった、なんてたって若いから。あとは長い文の 時どうなるか、Hさんには聞いてみたいこともあるから。
車椅子からベッドに戻る時にはついにIさんとHさんの二人+ヘルパーさん、スライドボードで問題なくベッドに戻った。 これからこんな場面がどんどん増えていくだろう。まあ悪くはないかなあ。

10月12日 リモート面談
火曜日のケアは朝9時半から、訪問看護師のMさん(IさんとHさんが同行)はバイタル測定をし脚の曲げ伸ばし・ヘルパーの Fさんが洗顔と時間短縮と看護師の負担軽減のため役割分担。どうしてもヘルパーさんの洗顔では前のF看護師や I看護師ほどの丁寧さは期待出来ないし、唇の薄皮の取り方も知らないみたい。どうしても物足りなさを感じてしまう。 車椅子移乗はスライドボードで、Mさんが「私がいるから立ってもいい」と言ってくれたんだけどIさんとHさんに火曜日の 流れを覚えてもらう必要があると思いまっすぐスライドボードでの移乗を選んだ。
10月から訪問リハビリが医療費枠から介護保険枠に変わったということで、訪問リハビリの属する施設?介護事業所?の 医師との面談が3ヵ月に一度必要とのことでT先生との人生初のリモート面談。訪問リハビリのH先生がタブレットを操作し 司会役、ケアマネジャーのFさんと嫁さんが同席してリモート面談スタート。まずH先生がバイタルと僕の状態の ここ数年の変化を伝えT先生から意見をいただく、実はT先生には10年?程前同じようなリハビリ会議でお世話になって いたのだ。「僕の状態にさほど大きな変化はない」と聞こえたところで嫁さんも嬉しがってるように見えたのが僕も 嬉しかった。
いつもより20分遅れでH先生の上半身のリハビリ開始。ケアマネジャーのFさんが見守る中で最初は右肩・右腕・右手の 可動域訓練、それから4歩の歩行訓練。見物者がいると気合いが入って歩きが良くなるみたい。この日も腰や膝にきちんと 力を込めることが出来て腰も膝もちゃんと伸ばせたし後ろ足で体を押して体重移動を助けている気分になれた。 歩行訓練は上出来。ベッドに戻って今度は左肩・左腕・左手の可動域訓練、右も左も腕を上へまっすぐ挙げるより横から 挙げる方が腕も挙がらないし傷みも早く来る。でも4-5年前に比べると肩の可動域はかなり広がったはずだ。それに「肘の 可動域を広げて欲しい」とお願いしたのは最近なのだけど、着替えをしていて肘の可動域が広がっているのが分かる。 最後は呼吸訓練、胸を押してもらって肺や肋骨の動きをよくするリハビリをしてもらっている。最後に吸引をしてもらい 火曜日のリハビリは盛りだくさんで終わる。

10月11日 困った
午前10時半訪問看護師のYさんとヘルパーのKさんが一緒に部屋に入ってきた。Yさんはバイタルを測って手脚の運動?・ Kさんは洗顔、9月までと工程は同じだけどかける時間と質がどうしてもF看護師やI看護師とは違う。10月からの訪問が 代わると聞かされた時からこうなることは予期して諦めてはいたけれど、こうやっていざ現実を見せつけられてガーン。 だけど一番ショックだったのは排便、僕自身の精神的なものなのか看護師さんの技術的なものが原因なのかは 分からないけれど便が出なかったこと。朝便意もほとんど感じなかったし…これはラキソベロンを服用する時間を早めて 滴数を増やすしかないなと思った、完全に諦めムード。それに午前中のケアの時間は僕にとって身体と気持ちを休める 時間だったのに…今は疲れる時間。困った。

10月10日 日曜日は楽しくもあり寂しくもあり
重度障害者訪問介護のヘルパーさんは土曜日は夕方5時から入り翌朝は7時半まで、日曜日の夕方も5時から入る。日曜日の 日中は9時間半嫁さんと一緒にいられる嫁さんに世話してもらえる訳だけど、逆に言えば残りの14時間半嫁さんはほぼ僕の 部屋に入ってこない。重度障害者訪問介護を利用している他の家庭もこんな風なのだろうか。まあ重度障害者訪問介護を 利用する家庭というのは家族の負担を減らすためだからほとんど部屋に来ないのも肯定するしかないが、それは重度の ヘルパーの腕を信頼している場合のこと。僕はお袋よりはずっとましだと思っているが重度のヘルパーの技術はそれほど 高いとは思っていない、いつか事故が起こると危惧してる。嫁さんもさほど信用してるとは思えないのだが…。

10月9日 訪問看護M 独り立ち?
今日から訪問看護Mが土曜日2回目の訪問で独り立ち。土曜日のケアは洗髪がなくなって洗顔・清拭・排便、いつも時間 オーバーしてたから削られたのだろう。出来れば洗髪か排便かどちらを残すのか聞いて欲しかった、まあ聞かれても 今でも迷っていただろうが。僕としては時間が足りないというのなら洗髪か排便か選べるようにして 欲しかったかも。
今日大きな不都合はなかったけれど気になったことが1つ2つ、1つめはYさんが文字盤を使うつもりがないらしいこと。 2つめは摘便や浣腸の時の挿入が浅くて便が出にくそうなこと。1も2もYさんが慣れてくれて変わるのを待つか僕が便が スムーズに出るのを諦めるしかないのだろう。

10月8日 金曜日2回目の訪問リハビリ
金曜日2回目も訪問リハビリ、今週3回目のリハビリでもある。今日は午後3時過ぎから、僕は元々「通院の時と同じ水曜と 同じ時間帯にできないか」と提案していたくらいだから水曜日と同じ時間帯になって良かったと思う。
まずはベッドの端に座って15分の座位訓練、15分座るだけなら辛くはないけど痰が上がってくるのではと思うといつも 心配だ。今日は先週に加え肩を下に押す訓練、上体が後ろに倒れそうになるのにどう対処していいのか分からなかった。 もう19年以上寝たきりだったから体(胴体)が台形になっていると嫁さんとH先生が話していた。座ったり体位交代して もらったりしていたら台形のこの胴体も少しはよくなるのかなあ。次は立位訓練、水曜日と同じように立ち上がる時から 太ももや膝に力を入れたら上手く立ち上がれた。左右の足への体重移動もまあまあ、今日は上出来だ。

10月7日 新しい訪問看護ステーション
木曜日の訪問看護が今日から新しい訪問看護ステーションになった。まあ9月までの僕の主力の訪問看護ステーションの 元所長Mさんがこの新しい訪問看護ステーションOに移ったのだから不安はなかったけど。今日はそこの看護師さん二人も 一緒に連れてきた。この看護師さんたちは本当に真面目そう、やるべき事をひとつひとつメモしていたし好感が持てた。 娘より若い看護師さんの方は今回文字盤は使うことはなかったけど…まだ若いから大丈夫だろう。Mさんは「出来るだけ 自分が来るようにしたい」と言ってくれてはいたけど、この若い熱心な看護師さんたちならすぐ慣れてくれるだろう。 不安はあるけど楽しみでもある。

10月6日 入浴車
10時過ぎから入浴車、今日のスタッフを見た時にちょっと心配したけれどゆっくりと温まった。先週から土曜日の 午前中のケアで洗髪がなくなったから頭が痒くて…ごしごし洗って欲しいのだけどなかなか言えなくて。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ。まずは脚の可動域訓練、脚を持ち上げとの膝の裏伸ばし踵の関節伸ばしは 結構痛かったけどなんとか我慢出来た。次は立位訓練、1回目は右腰の上の痛みが出てちょっと危うさを感じたけど ちゃんと踏ん張れた。2回目・3回目は立ち始める時から膝に力を入れたら立ちやすくなった。ちょっとしたところにコツが あるのかもしれないな。

10月5日 H先生の上半身のリハビリ
9時半からは朝のケア、Mさん(前主力だった訪問看護ステーションの所長)が来ると聞いていたけど実際に来たのはIさん。 Mさんは急な用事が出来たとかでその現場に向かったとのこと。同行で今Mさんが所属している訪問看護ステーションOの I看護師が来た。そして15分遅れでヘルパーさんが来たけど…いつ来るのかどういう役割を担っているのか今はまだ 一週間のスケジュールがつかめてないが、もう一週間もすれば分かるようになるだろう。車椅子に座った時訪問看護 ステーションOのIさんが自分から文字盤を使ってくれた。それだけで好感が持てた。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、まずは右肩・右腕の可動域訓練から。H先生の可動域訓練は相変わらず 厳しいけどかなり我慢は出来た。可動域訓練の途中にケアマネジャーのFさんが来て歩行訓練を見学していった。僕は 見ている人がいると頑張れるから腰や膝にちゃんと力が入ったし後ろ足で体を前に押せた気がした。それを見ていた Fさんは感激したらしい。まあ20年近く寝たきりの僕が立たせてもらったりリハビリで歩かせてもらっているのを見たら 誰もが驚くだろうけど。でも僕が今でもこの身体でいられるのはH先生を初めとする歴代のリハビリの先生・訪問や病院の 看護師さん&ヘルパーさん、忘れちゃいけないお医者さん、僕に関わっていただいたたくさんの方々の おかげですものね。

10月4日 訪問看護M同行
土曜日に引き続き訪問看護Mが同行、土曜日は見学していた訪問看護MのYさんが主体となってケアをしてくれたのだけど 今まで年配の方のケアしかしたことがないのだろうか? 清拭にしても力が弱くて清拭してもらった拭いてもらった気が しなかった。それに時間も短くて 手なんか拭いてもらったのかなって感じ、物足りなくて…。摘便もしてもらって…、 でも指の挿入が浅くて 催すこともなかった。最後の摘便は肛門近くに残っているかもしれない便汁やガスを促す刺激を 腸に与えるためにやってもらっているんだけど。
午前中もう一つ気になることが、それはYさんが一度も文字盤を使わなかったこと。Mさん(所長)はヘルパーさんが 文字盤を代わりに使えばいいと思っているようで、使い慣れないとずっと使えないのに それでいいのかと疑問に 思う。
午後の車椅子移乗は30分早くなって2時半から、昼の警官栄養が終わってすぐだから腹具合は大丈夫かとそれを気にして いたけど問題なかった。Yさんは体格が良いからきれいに立たせてくれることを期待してしまうが、もうひとつ積極性が 感じられないからどうかなって思いがある。人はほんとに良さそうなんだけど…。結局この日は小さなI看護師と ヘルパーさんが一度立たせてくれて、それからスライドボードで車椅子に移った。スライドボードでの移乗はまだ もうひとつ、スライドボードの体だけ滑らせればいいのだがどうしてもスライドボードも動いてしまう。

10月3日 メールがない
1週間前に「ただいま」のメールをしといたけれど今日も「おかえりなさい」のメールがない。もしかしたら僕のメールが 届いていないのかなあとか着信拒否の状態にされてしまったのかなあと考えることもある。たしかに今年の後半になって 月に二回→月に一回とメールの間が開くようになっていたけど「おかえり」のメールに1週間も間が開くとは…、まあ 向こうには向こうの事情ってものがあるだろうし仕方ないか。このままメル友いなくなるのかな。3年も付き合って もらったから感謝しなくちゃいけないんだけど…寂しさがつい気持ちの中に出てしまって落ち込んだりまた人生を諦めて 生きてるのがどうでもよくなっちまう。なにせこの人のメールは昔と同じで寂しさを忘れさせてくれるしH先生の リハビリと同じようなやる気=勇気をくれるから。

10月1日 今週3回目のリハビリ
10月になって訪問看護ステーションが変わり訪問看護サービスの量と質の低下が懸念される。現に今日土曜日も洗髪と 午後の車椅子移乗もなくなった。前の訪問看護ステーションがどんなにありがたかったか今更ながら分かった。そんな サービス低下が懸念される中で唯一増えたものがある。それが今日金曜日の午後からの訪問リハビリ、これでH先生に 立たせてもらうのが週3回になったのは本当に嬉しいけど…週全体で考えると運動量が減るのかな?。まあH先生の リハビリは厳しいから僕が心配してる程減らないかもね。
午後4時半からはH先生の今週3回目のリハビリ、事前にベッドの端に15分座ってもらう予定と話があったから座って いられるか心配してたけど思っていたほど疲れなかった。ベッドの端に座っている間H先生が背中をマッサージして もらったけど、10数年ぶりに背中が解放されたようで楽になった。その前に股関節の腱?をほぐしてもらったけど… 右だけずい分痛かった。左右で痛みの差がこれ程あるとは思わなかった、きっと股関節の左右の痛みの差に関係が あるのかな。それに脚を持ち上げての太ももの裏&膝の裏伸ばしの時にいつもより脚が挙がった気がしたけど、気の せいか。今日も立位訓練は膝に力が入り調子よかった。H先生の立位訓練の時は膝の角度が90°近くになるように ベッドの高さを厳しくしているけど、今日はベッドの高さが少し高かったか。


[2021年の先頭に戻る]



9月
9月30日 N 最後の訪問看護
木曜日の訪問看護は訪問看護ステーションNの担当、午前中のケアの時はこれがN最後の訪問看護の日になるとは思って なくて…いつも通り朝のケアに訪問看護師Kさんが来ていつも通りの木曜日のケア。それなのに午後2時頃に所長と ケアマネジャーのFさんが来て「週に5日に訪問だと訪問看護ステーションは2ヵ所しか使えないということだからNを 止める」と。Nは確かに木曜日しか来られないから、後の新しい2つの訪問看護ステーションは2日は来られるから。
午後3時からは車椅子移乗、訪問看護ステーションNのO主任が車椅子移乗のために来てくれてはいるけどO主任の口から 訪問看護中止の話は出なかった。けれど車椅子からベッドに移った後に訪問看護が中止になるとの話が出た、さっき 所長から聞いたという。こんなに急にこんな日が来るとは思わなかった。今までいろいろあったと思うけど…お世話に なりました&ありがとうございました。

9月26日 チビが来た
日曜日のケアは一週間の中で唯一1時間ばかり嫁さんと二人っきりでゆっくりできる時間、嬉しいな。普段の嫁さんは… 「忙しい」のか「僕の部屋が嫌い」なのか「僕自身が…」、この部屋にちっとも留まっていようとはせずにいつも逃げるように 出ていくから。そんな風景は猫も嫁さんも一緒だな、嫌われてるって気がするよ。
それなのに今夜9時半頃チビがベッドに上がってきて脚の間で眠ってくれた、この前ベッドに上がってきたのは冬の 終わり?。外から戻ってきて隣の部屋で「ニャーゴ」帰ってきたよって挨拶してたけど、嫁さんのリアクションがなくて 寂しかったのか超珍しく僕の部屋に来てベッドに上がってきた。脚の間で最初は左を向いたり右を向いたり 落ち着かない 雰囲気だったけどいつか…。だけど気の小さいチビはちょっと大きな音がしただけですぐに立ち上がりベッドから 下りてしまう。二度三度と戻ってきて2時間ぐらい寝てたけど…飽きたのかまた外に出ていってしまった。また来て くれるかな。

9月25日 土曜日最後の車椅子移乗
今日のケア・車椅子移乗は訪問看護師のIさんとヘルパーのFさん、Iさんは今月末で定年退職すると言うしこれが土曜日の 最後のコンビになるだろう。午前中のケア、今日までは慣れた看護師とヘルパーだからゆっくり出来るけど来週からは 新しい訪問看護ステーション…どうなることか。所長は新しい訪問看護が慣れるまでは文字盤はヘルパーがメインで やらせるつもりのようだが…、それでいいのか と疑問に思う。新しい訪問看護が今日あたりから引き継ぎに来るかと僕は 思っていたが姿はなかった、期待した僕が馬鹿だった。
午後3時からは車椅子移乗、土曜日の車椅子移乗は10月からサービスの受け手がなくなるから今日が土曜日最後の 車椅子移乗になる。それでちょっとばかりわがままを言わせてもらった「ベッドから車椅子に移る時も車椅子からベッドに 戻る時も立ちたい」と。所長に文句を言われたら「もうここで車椅子移乗に関わることがないヘルパーさんに何故 スライドボードでの移乗の練習が必要なのか」と僕が言ったと伝えればいいと。本当はもうひと言「スライドボードの 経験だけはヘルパーにさせたいのか」と皮肉も付け加えたかったが…、僕は心の狭い人間だけど流石にそこまでは…。

9月17日〜24日 レスパイト入院
今回の病室もまた大村湾側の特別室、呼ばないと看護師さんも誰も来ない 静かはいいけれど寂しい部屋だった。視線の 高い患者なら大村湾側の美しい景色が見えるのだけどベッドの上からしか窓を覗けない僕では空しか見えない、だから 空と山が見える北側の病室がいいのだけれど…空き室がないというのだから諦めるしかない。特別室でただ一つ 良いことはテレビが特別室仕様=料金が要らない設定になっていたこと、でも申し訳ないからテレビカード1枚(僕の 5日分)寄付してきた。
5階病棟はちょっと慌ただしい雰囲気、次から次へと入院患者がやってきているようだった。後で分かったことだけど 入院患者はPCR検査を受けてまず6階呼吸器系病棟に入り陰性と判明した時点で下の3-5階病棟に振り分けられるようで、 5階病棟に直接入れる僕は特別扱いだったようだ。あっ PCR検査は無事陰性だった、ちゃんと左の鼻の穴で検査して もらった。鼻の穴の奥がツーンとしたけどさほど痛くはなかったみたい、自分のことなのにこういう言い方は 変なのかもしれないが(笑)。
新型コロナウイルスが長引いていることの影響なのか今年度になってから病棟が荒れてきてると感じる、年度初め 4月に 病棟看護師長が代わったことも関係があるのだろうが。病棟の看護師長が代わると病棟の雰囲気が一気に変わることが ある。ますコール対応が去年よりかなり遅くなった。僕は今年度に入って3回レスパイト入院しているのだが今回は更に 遅くなっら気がする、ゴールデンウィークに入院した時に副看護師長を通して看護師長にも僕の声は届いたはずなのだが… 今度の看護師長さんはナースコールに対してうるさくない看護師長なのだろう。僕はいつか事故が起こるような気が するのだが、半年間改善がないということは事故もないし「コール対応が遅い」とクレームを入れる患者も少ないのだと 思う。でも僕が川棚のこの病院 神経難病病棟に入院するようになって20年、大ベテランになってしまったから病棟の 改善に繋がる小言の一つや二つは言う立場かなと自負している(笑)。
それと病棟の看護師さんたちは去年にまして忙しそう、その忙しさのあまりケアの質・量とも低下したと感じている。 手のかかる入院患者のお風呂が2週間に一度になったし8月に入院した時から髭剃り(T字カミソリ)もお風呂の時だけ?で 伸び放題、今回は下洗いも1回しか来なかったし(便・清拭除く)どうなってるのって感じだった。それでも車椅子移乗の 時間には看護師さんたちがいつも4-5人集まってくれて毎日車椅子に座らせてもらって、感謝ですね。
うちに帰る道すがらリフト車の窓から外を眺めていたのだが、もう彼岸花の赤い色がくすんでいてひとつの季節の 終わりを感じた。でも今年は彼岸花を大いに堪能できた、一週間前病院に向かう時がちょうど咲き始めで思っていた 以上にあちこちで彼岸花が咲いていて十分に楽しめた。それに今年は白やクリーム色の彼岸花も病院へ向かう路傍の 5-6カ所で見ることが出来て感激だった。国道35号の街路樹のツツジの向こう側にも白い彼岸花があって 1ブロックだけだったけど10本ぐらいは咲いていた。去年まではなかったと思うから誰かが植えてくれたんだろう。 こんな風に春の低木ツツジと秋の彼岸花を組み合わせた街路樹もありだな。秋の風物詩のひとつ ススキもだいぶ 大きくなって白っぽい穂を伸ばしていたが、ツツジとススキやコスモスを組み合わせても雑草が伸びているようにしか 見えないからこの組み合わせは街路樹としては駄目だな。

9月15日 入浴車
10時過ぎからは入浴車、今日はスタッフが看護師さん3人+ヘルパーのさん1人でびっくり。看護師さん1人が ヘルパーさんの代わりだって、こんなこと初めてで珍しくてずっと3人の仕草を交互に眺めていた。今日も温かい お風呂を気持ち良くいただいた。が 1時間ほど経つと呼吸で肺が冷えて身体まで冷えてきて鼻づまりのような状態に なるのが困りものだ、秋が来て気温が少しずつ下がってきたからかなあ。
今日の看護師さん3人の中の1人がケアマネジャーでお風呂の後残って10月からの予定を聞かせてくれたが…やはり サービスの低下は逃れられないものだった。まず土曜日の午後の車椅子移乗はなし、金曜日の通院時・入退院時の対応は やってみないとよく分からないってとこか。通院のない金曜日は午後から訪問リハビリが追加、車椅子移乗はよく 分からない。ケアマネジャーは車椅子移乗は全てスライドボード使用を前庭に話を進めていたから「ベッドから車椅子に 移る時でいいから1日に一度は立ってから移りたい」と希望を伝えておいたけど…どうなることやら。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、今日の調子もまあまあかな。脚の可動域訓練は股関節も足を挙げての 膝伸ばしもちゃんと我慢出来たし、足首の関節・アキレス腱伸ばしもH先生が寝違えたとかでちょっと痛いくらいの 力加減。立位訓練も左右の足へ体重移動したし重心の足の方は踵をつけるよう努めたしまあまあだったな。

9月14日 H先生の上半身のリハビリ
午前中のケアは所長、少し遅れては来たけど車椅子に座り終えたのは時間通り、その辺りは流石に所長。昨夜「何のために 生きているのか」考えていて機嫌が悪くなっていてケアの間ゆっくりしたくて目をつむっていたのだけれど、返事を したくなかったから黙っていて所長に心配をかけてしまった。申し訳ない。
11時前からはH先生のリハビリ、今日の僕の調子はまあまあかな。4歩の歩行訓練は今日も腰や脚・膝によく力が入ったし 左右の足への重心移動は今日の方が良かったけど前に進む力はH先生に任せてしまった。また左肩の可動域訓練では横から 腕を上に挙げた時にいつもより肩に痛みが早く来たかな。

) 9月13日 何のために生きる?
何のために生きる・誰のために生きる、昔は「末の息子が高校を卒業するまでは生きていなければならない」という 具体的なものがあったけれど…今は何の目標も思い描けず漫然と日々を過ごしているだけ。こんな日々がもう何年続いて いるのか、時々自分が何のために生きているのか思い悩むことがある 今夜のように。嫁さんには迷惑のかけっぱなしで 子供たちももう独立したようなもんだし…自分が生きていても誰が嬉しく思うのか、重度障害者訪問介護のヘルパーさん ぐらいしかいないんじゃないかな。

9月12日 寂しさ
昼前娘が訪ねてきてた。しかしゆっくり話をすることもなく帰っていった。嫁さんにも午前中1時間ばかりケアをして もらったけど…後は嫁さんが僕の部屋に来るのはコールして呼んだ時だけ、出来れば用はなくても時には傍にいて 欲しいものだが…嫁さんにとっては難しいようだ。夜は夜で半日重度障害者訪問介護のヘルパーさんが入っているから 嫁さんが来るのは夜の経管栄養を持ってくる時と寝る前の薬を持ってくる時のみ、後は顔を見せることもほとんどない。 1年半前に重度障害者訪問介護が入るようになってから家族・夫婦の関係や仲がどんどん希薄になっていくようで なんとなく寂しさを感じる日々だ。

9月11日 久しぶりに所長のケア
今日の朝のケアの担当は久しぶりに所長、週に一度車椅子移乗の時には顔を見せるけどケアに来るのは珍しい。所長は ケアの時に回りに気を使いすぎる。まあそれが所長の良いところなんだけどそれが時間延長の要因になることもある?、 所長のケアは上手いから効率よくケアを進めてくれるけど…久しぶりのケアは抜けもあるかもしれないからゆっくり 休める雰囲気でもなかった。午後の車椅子移乗も最初は所長が担当でパートナーはMさん、上手に立たせて車椅子に 座らせてくれた。戻りの移乗は○ちゃんが初めて一人で担当、痰は出なくて吸引の機会はなかったが後は無難で問題は なかった。立たせてくれたのはヘルパーのMさんで安定感はあったけど今日は僕の体がちょっと斜めだった。それで 気付いたことがあった、もしかしたら訪問看護ステーションNの主任が立たせてくれた際片脚しか膝が伸びないのは主任の 力が無いのではなくて、今日のヘルパーのMさんと同じで体が斜めになっているのではないかと。それなら…。

9月10日 所長はスライドボード派?
所長がやけにスライドボードの移乗にこだわっている、何故?。今日ベッドから車椅子への移乗はスライドボードを 使った、それは○ちゃんにスライドボードでの移乗というものがどういうものかということを見せておきたいと 思ったから。それに先週の土曜日スライドボードを使わなかったことで看護師のIさんが所長にかなり攻められたらしい。 それでIさんが帰る時に「所長に1日に一度は車椅子に座りたいと伝えたい」と伝言を頼んでおいた。
それなのに車椅子からベッドに戻る時も所長はスライドボードでの移乗にこだわった。それで僕は頭にきて駄々を こねた、「納得がいかない」と。元々僕はこの一蓮の出来事の元となった事件、所長が本当にきれいにずっと安定した 状態で僕を立たせてくれていたのに社協のヘルパーSさんが膝を骨折 怪我をした事件でSさんが何故骨折したのか納得が いってないのだから。もし所長が僕を不安定な状態で立たせてくれていたのなら納得がいったかもしれないけど…。

9月9日 顔見せ
午後2時半過ぎ新しく僕の訪問看護をしてくれる予定?の訪問看護ステーションが所長と社協の僕のケアマネジャーと 一緒に訪ねてきた。僕の状態を確認して訪問可能か確かめるのと顔見せに来たとのこと。新しい訪問看護ステーションは 男性だけの訪問看護ステーションで国見山をひと山超えてくるという。男性なら力があるから車椅子移乗の際立たせて もらえるかなという期待と天候が荒れた時にも山越えして来れるのかなという不安な想いが交差した。この訪問看護 ステーションの名前を何回聞いても覚えきれない、人の名前みたいな感じなんだけど。
今日の午後からの車椅子移乗、ベッドから車椅子へ移る時はいつも通り一度立ってからの移乗・車椅子からベッドに 戻る時はスライドボードを使った。それは今日の車椅子移乗はNの看護師さんと社協のヘルパーさんだから一度は スライドボードを使っとかないと関係が悪化する可能性があると思ったから。それに主任が僕を車椅子から立たせる際は 体勢がもう一つ安定していないから。スライドボードでの移乗はまあまあの出来、立ってからの移乗に比べるとやっぱり 時間がかかるけど。

9月8日 褒め上手
午前10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフの中に久しぶりにAちゃんがいて今日はゆっくりした気分でお風呂に 入れた。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、今日も調子は良かった。股関節・膝・足首の関節の可動域訓練も顔を しかめながらも?かなり我慢出来たし、立ってからの左右の足への体重移動も今日は右股関節が痛まかったからか ある程度スムーズに重心を移すことが出来た。H先生からも褒め言葉をいただいた。H先生から褒められるとまだ 頑張らねばと思えるから不思議だ。本当にH先生は褒め上手。

9月7日 今日のリハビリ いい調子
朝のケアの後車椅子移乗。今日の社協のヘルパーはKさん、若いし元気もあるから一度立ってから車椅子に座るのも余裕で 可能なんだけど Kさんが社協所属だから嫌々ながらもスライドボードを使ってみることにした。短いスライドボードでは 人手がどうしても3人はかかる。それにスライドボードを使うにはいろいろと段取りが必要だから時間もかかる、確かに 立たせてもらわなければリスクはより小さくなるけど今の僕の状態でそこまで必要なのか。分からない…。まあ火曜日は この後H先生のリハビリで4歩の歩行訓練があるからスライドボードでも許せないって程じゃないけど。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ。今日は全体的に調子が良かった、特に歩行訓練が。腰や脚・膝によく力が 入ったし後ろ足で身体を押す気持ちで前に進めたし前足に上手く体重移動出来た。久々に上出来だった。でも… 何でだろう、理由が思い当たらない。

9月3日 通院日
通院日の朝 外は雨音が聞こえるほどの激しい雨、嫁さんが「こんな雨の中通院だなんて…」と呟いたのが印象に残った。 出も僕が病院向かう正午過ぎには幸い見えないくらいの雨になっててリフト車の乗り降りも濡れずにすんだ。
3週間ぶりの外出は景色が変わって見えた。田んぼも濃い緑から黄色がかった緑に変わりつつあり、稲穂の頭が垂れつつ あった。稲刈りが終わった田んぼも4枚あり、早稲とはこんなに違うものかと思った次第。路傍の花々の色もだいぶ カラフルになってきていて3週間前とは一変、リフト車の中から外を眺めていても楽しい気分になってきた。途中で 赤トンボも1匹だけだけど見たし季節はもうすっかり秋だなあ。今年はヒグラシの鳴き声が聞けなかったのが 残念だけど…。
病院に着いて玄関を入った所でピッと検温し救急処置室でストレッチャーに移りバイタル測定、今日はカニューレ交換の 他に血液検査と皮膚科の処置があると。まず皮膚科の処置、液体窒素で背中のイボ?盛り上がった黒子?を焼いてもらった。 以前頭のイボを同じ液体窒素で焼いてもらった時より痛かった。血液検査の結果が出てから主治医の診察、血糖値の薬の 効果が出たのか血糖値は平常値に戻ったとのこと。体重も1kg以上減ったしこの薬の効果はてきめんだ。
通院前の車椅子の移乗の時 所長から希望の持てる報告があった。男性のみの訪問看護ステーションがあって午前中の ケアだけでなく昼からの車椅子移乗も引き受けてくれそうだって。男性なら力が強いから今まで通り一度立ってからの 車椅子移乗も期待出来るかもしれない。

9月2日 絶望的な気分
2時過ぎ所長と社協のFさんが10月からの訪問看護の体制の中間報告とケアマネジャー交代の連絡・承認確認に来た。 今日までに週に2日 午前中だけ来てくれる訪問看護ステーションを見つけたという。なんだこれは、所長は僕の 訪問看護を小間切れにするつもりか。これじゃ立つどころか車椅子に座ることも何にも出来ないんじゃないか。今までは 夜間の重度障害者訪問介護の疲れを日中の訪問看護の時間にケアを受けながらも目を閉じて休むことで癒やしてもらって いたのに…それさえも奪おうというのか。どうやら世の中も僕にもう生きさせたくないみたい。絶望的な気分。

9月1日 今日のH先生の下半身のリハビリ
今日から9月、今年もあと残り4ヵ月。早いものだ。
午前10時過ぎからは入浴車、今日の4人のスタッフで僕に慣れているのはMさんだけかな。Yさんは入浴車のスタッフの 一員として程々来ているけどメインの立場で来るようになったのはこの夏からでまだ数回、ゆっくり休める雰囲気では ないなあ。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、まだ股関節は強めに内転してもらうと痛むけど股関節症との診断が 出ているのだからまあこんなもんだろう。股関節は強めに動かしてもらわないと可動域は維持出来ないし… 難しいところだな。脚を持ち上げての膝の裏伸ばしとアキレス腱伸ばしはたぶん順調、足首の関節の可動域は自分でも 少し広がっているような気がしている。立位訓練もたぶん順調、調子は悪くない。ただ右足重心になった時に股関節が 少し痛む?気がして右足重心を怖がっているような…。


[2021年の先頭に戻る]



8月
8月31日 gacco講座「親子で学ぶ! なぜからはじめる漢字のなりたち」受講中
先週から久しぶりにgacco講座「親子で学ぶ! なぜからはじめる漢字のなりたち」を受講中。この講座 なかなか面白くて 雑学の蓄積には調度よさそうなのだが…画像がすごく多くてWordによるまとめにものすごく時間がかかっている。
この講座では中国最初の王朝を殷(イン)とはほとんど呼ばずに商(ショウ)と呼んでいる。そして3100年前西の隣国 周(シュウ)に 滅ぼされ、土地を失った商の人々はある土地で手に入れた物を他の土地で売って生業を立てた。ここから商売・商業という 言葉が生まれたと、面白い。

8月30日 ヘルパーさんの年齢
社協のヘルパーのSさんが怪我をしてからヘルパーの年齢が気になるようになった。例えば差し込み便器を差込む時 ヘルパーさんにお尻を持ち上げてもらうのだが、一部例外はあるけど年齢が60歳に近づくにしたがってお尻が 持ち上がらないようになり差し込み便器が入りにくくなる。やっぱり年を取ると力が弱ってくるんだろうなといろいろな ヘルパーさんを見ながら感じ、また社協の年配の方のヘルパーさんがどこかで何かの拍子にポキッと怪我をしそうな 感じがして恐ろしなる時がある。でも」僕の所に来るヘルパーさんを50歳以下にして欲しい」とは言えないし な。

8月29日 M 来たる
正午前中学・高校の同級生 Mが遊びに来てくれた。Mには毎年6月にサクランボを送ってくれる昔の会社の後輩にお返しの ブドウを送る手配・代金受け渡しの手続きを全てやってもらった。ありがとうね。Mは3-4月に一度遊びに来てくれる。 訪問の人以外はほとんど訪ねてきてくれる人がいないから嬉しい限りだ。本当は同級生にもたまには来て欲しいけど… 来てくれたら来てくれたで僕はしゃべれないから嫁さんの通訳が必要になるし、向こうも人工呼吸器を着けて動けない 僕なんか哀れで気の毒そうで見たくないんだろうな。ただ最近起きたことを勝手にしゃべってくれるだでいいんだけど、 亡くなったTのように。

8月28日 昨日の今日
9月末に訪問看護ステーションを閉じると言われ1日経った今日訪問看護師さんに何か変化があるかなと思っていたけど、 今日の担当I看護師には何の変化もなくいつもの明るいままだった。ただ所長から電話があった時に所長が「僕が何かを しでかすんじゃないか」と気にしてるようでひと言注意=要望?、僕も流石に最高責任者に手紙を書いたりメールしたりは しないよ。ただこの雑記帳やFacebookに愚痴って皮肉を言わせてもらうだけだよ。特定は出来ないように書いている つもりだよ、特にFacebookは。

8月27日 訪問看護ステーション 撤退
夕方すさましくつらく嫌な言葉が所長の口から語られた、僕が20年お世話になった主力の訪問看護ステーションが9月末で 閉じると。表面上は訪問看護師の人手不足=募集しても集まらないことがあるようだが…本音には母体のK会の不採算 部門の切り捨てという強い意向があるようだ。僕みたいにコストパフォーマンスに見合わない人間は世の中に存在する 価値がない・うちにだけは迷惑をかけるなという本部の意向=体質が透けて見える。世代が代ってこんな自分の病院の ことしか考えられない体質に成り下がったから身内も離れていったんだろうなと思うと笑うしかなかった。まあ嫁さんに 言わせると「民間病院はどこもこんなもんよ」と。10月以降のことを僕が色々考えても無駄、なるようにしかならない。 でも訪問看護ステーションMか僕が逝くより早くなくなるなんてこと考えてなかった、長く生き過ぎたってことかな。
本来なら20年間お世話になったことに対する感謝の言葉「ありがとうございました」と言わなければいけないのは頭では 理解しているけれど…10月からのケアサービス低下が明白な今なかなか割り切れない。僕の意向を汲んで利用者目線で ケアに努めてきてくれた今の訪問看護ステーションが素晴らしかったということだな。

8月26日 右手の指の運動
2週間前に右手中指と薬指の指先に脳からの「指を動かせ」という命令は届いていると感じて始めた右手の指の運動、 自分では指を動かしているという感覚はあるのだけれど外からは動いているとはちっとも見えないようだ。指を 動かし始めて2週間経った今日嫁さんに「指を動かしてみるから(実際に僕の)指を肌に触れるようにして指が動いていると 感じるか試してみて」と頼んだ。結果嫁さんが言うには「指は全然動いてない」と、2週間右手の指の運動を大分頑張って きたのに総て徒労か。いいや 自分では動いてきたと感じる指が増えた、人差し指と小指が少し。もっと頑張ればもっと 指の運動を頑張っていれば自分で嫁さんの手をまた握れる日が来る かもしれない。その楽しみに期待して運動を…。

8月25日 H先生の下半身のリハビリ
愛 またはそれに近い想いがあった やっぱり子供だけじゃなかった、僕の早とちりだった。良かった、聞けて安心した、 良かった!!。実際に声で聞かないと解らない・安心出来ないこともある。
午前中は入浴車。今日の入浴車のスタッフの看護師はYさんとMさん、ちょっと不安だったけど何事もなく無事終わった。 午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ。まずは可動域訓練、H先生の脚を動かす順番がちょっと変わった?。脚を 挙げて膝を伸ばす運動とアキレス腱を伸ばす運動は相変わらず厳しくて痛みに耐えるのに結構我慢が必要だけど… 終わりの時が分かっていれば我慢するのもさほど難しくはなかった。立位訓練は腰をピンと伸ばした瞬間右腰の 中央よりが痛んでなぜか右膝が崩れそうになるのが不安になるけど腰を一度伸ばしてしまえばそれらの不安もなくなる。 ベッドからの立ち上がりや左右の足への重心移動には上手く対応出来ている。3回目がちょっと息苦しくなるけど 立位訓練はまあ調子はいいかな。

8月24日 H先生の上半身のリハビリ
朝のケアは9時半と早い、5分過ぎても訪問看護師さんが来なかったから今日の担当はてっきり所長だと思っていたのだが Fさんだったので意外に思えた。洗顔と下洗いをしてもらって10時半頃車椅子に座り訪問リハビリのH先生を待った。
11時前からはH先生のリハビリ、いつもの様に車椅子に座ったまま右上半身の可動域訓練。肩の可動も大分我慢出来て 可動域も維持出来ていると思う。今回から肘の可動訓練をH先生に加えてもらった、肩と肘の可動域の広さは着替えの し易さに関係することを身にしみて感じているから。H先生によると僕の肘にはあそびがほとんどないと、道理で肘を 曲げてもらうとすぐに痛みが襲ってくるはずだ。4歩の歩行訓練は退院して1週間経つが未だに好調、後ろ足で体を前に 押す気持ちが出てたし重心をかけてる足も腰にも膝にも上手く力が入った。上出来だ。入院の効果はいつまで 続くかな。

8月22日 最近はちょっぴり楽しい?日曜日
日曜日の午前中は1時間弱世話をしてくれる、仏頂面で決して嬉しくはなさそうだけど僕にとっては愉しい一刻だ。 この時のケアは洗顔・背中拭き・下洗い、普段の訪問のケアではどこどこがちょっと痛いとかどこどこか痒いとか ちっちゃいことは頼めないけど…嫁さんだけには頼めて丁寧に洗ってもらったり赤くなってたないかも見てもらうことが 出来る。嫁さん以外にはこんな恥ずかしいこと頼めない、嫁さんだから…。こんな風に1時間弱だけだけど限られた僕の 部屋という空間に一緒にいられるから日曜日が最近はちょっぴり楽しみになった。でも 僕が楽しみにしていることを 嫁さんに知られたみたいだから、日曜日のケアの時に嫁さんの顔を僕はどんな顔して見つめたらいいんだろう。

8月21日 想い
今日の介護、午前中のケアはF看護師とヘルパーのMさん・午後の車椅子移乗は所長とヘルパーさん。午前中は洗顔・洗髪・ 清拭・便対応、退院して5日経ったけど未だに頭が痒い。今日もFさんが丁寧にそしてゴシゴシ強く洗ってくれたけど頭の 痒みはまだ残っていた。何故?。
午後3時からは車椅子移乗、所長らしく今日も5-10分遅れてきたけど。車椅子に座った後コールして嫁さんを呼びずっと 思っていた想いを伝えた「(義母の時も義父の時も)葬儀に行きたかった」と。嫁さんは「葬儀に出たかったの?」と意外そう だった。縁あってせっかくなれた親子だもの、親孝行したかった…でも結局は心配をかけただけだった。どちらにも お別れを言いたかったけど…悲しみに耐えてバタバタすることが分かっていて僕が「葬儀に出たい」なんて言えるはずが なかった。せめて仏前で「娘さんを幸せに出来なくてすみません」と一言謝りたいし「でも僕は娘さんと結婚出来て 幸せですよ」と話しをしたいが、この身体ではそれも難しいだろう。

8月20日 ダメだ
退院して今日でまだ4日目、それなのに文字盤の時に何回切れたように大声を出されたか。あの大声は僕にとっては 怒鳴られている怒られているようで恐ろしくなる。恐いのなら呼ぶのは必要最低限にすればいいと思うのたが…顔を 見たくてたいした用事じゃないのについコールしてしまう。惚れた弱みか。
金曜日は密なスケジュール、朝10時過ぎから入浴車・午後2時からは往診で3時から車椅子移乗(訪問看護師さんは家に 3時と4時半に来る)、その後今日は午後7時から重度障害者訪問介護のヘルパーさんが来た。入れ替わり立ち替わりって 感じで人の出入りがあるが週に一度くらいこんな慌ただしいのも悪くないかなって思う。
今日は重度のヘルパーAさんがFさんの経管栄養の様子を見て自分の動作との違いを確認することになっていた、Fさんは 胃ろうの接続を確認する回数が特に多いのだ。しかし直前になってAさんからFさんに「30分遅れる」と連絡が 入ったらしい。自分が7時前に来れる日にしてと言っていたのに。能力も低いし約束も守れない。Aさんの良さは 誠実さだけなのに。ダメだ。

8月18日 大洪水
今日は一八夜、だけど朝7時に花火の音はしなかった。今年も一八夜は中止のようだ。このご時世だから仕方ないけど… やっぱり寂しい。来年こそは一八夜が出来る世の中になっていて欲しい。
今夜の重度障害者訪問介護の担当はAさん、このところの大雨で列車が運行中止とのことで雨の中嫁さんは下の息子を 大学のあるS市まで送っていった。嫁さん不在の仲でのAさんの介護にはちょっと不安が残るが仕方ない。午後7時 経管栄養の時間、Aさんはいつも通りちゃんとやってたように見えたが…。
事件が発覚したのは日も変わろうとしたその時、僕が「おしっこ」を頼んだらAさんが「おしっこが漏れてます」と。前に おしっこしたのは8時間前、Aさんが来てからおしっこはしてない、それじゃあ嫁さんの尿器の当て方が悪かった?、 あり得ない。それでズボンの前とかどこが濡れてるか確かめてもらったら…Aさんが気が付いた「漏れたのはおしっこじゃ なく経管栄養」と。それからが大騒ぎ、嫁さんに来てもらって嫁さん主体で着替え・車椅子に移ってマットレスの交換。 でも僕は何故栄養漏れに気付かなかったのか、いつもならシャツの濡れてる感があるのに今回はそれがなかった。 だいたいこんな長時間尿意がないのをおかしいと思うべきだった。Aさんの問題点は明確、確認不足。ただ本人がそれに 気付いているかは疑問。

8月17日 H先生のリハビリ 久しぶり
11日ぶりの訪問看護、ケアの丁寧さに久しぶり感があった。この前ひげを剃ったのはお風呂の時 木曜日。あれから何日 経ったか、それが気にならないのが病棟の看護師の現状。病棟で石鹸で顔を洗ってもらうのは得風呂の時だけ、顔や耳が ボロボロに荒れるのも仕方ない。だいたい病院に完全なケアを期待するのが間違ってる、こんなもんだと思うべきだ。 久しぶりに訪問看護師さんに本当のケアをしてもらって顔や背中がすっきりした。その後車椅子に座らせてもらって 訪問リハビリを待った。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、やっぱりH先生のリハビリは病院のリハビリとは厳しさが全く違う。病院の リハビリはリスクを怖がって関節が軽く動く範囲しか動かさない。こんなんで僕の手脚の関節の可動域が維持出来るはず ないのに。それに対しH先生のリハビリは関節が自然に動く限界近くからたぶんあと二段階攻めている、こうでなくっちゃ 固まった関節を持つ僕の可動域は広がらなかっただろう。上半身ではあとは肘の可動域を広げたい(もう少し曲がるように したい)けど…曲げるとすぐ痛みが襲ってくるから 難しいだろうな。歩行訓練は病院で11日身体を休めたからやっぱり 好調で膝や脚に力がよく入って上手く歩けた。この項か1週間は続かないと思うけど。

8月6日〜16日 レスパイト入院
16日の午後 何事もなく?無事帰ってきた。今後もまたしばらく激しい雨が続くということで病院待機も覚悟して いたのだが…主治医から激しい雨が収まるまで病院に待機しておいたらどうかという話は出なかった。血液検査で 約1年ぶりに再び血糖値が上がっていたらしく血糖値を下げる薬をまた服用するようになった。1年くらい前血糖値が 下がり落ち着いてこの薬を止めてからまた手脚の浮腫が出てきて体重が3kgあまり増えてしまっていたので血糖値と体重を 両方とも下げるには丁度良い機会なのかもしれない。幸いインシュリンの再投与の話や他の検査の話も主治医からは 出なかったので糖尿病はそれほどひどい状態じゃあないのだろう。
今回も入院前にPCR検査を受けた。右の鼻の穴から細長い綿棒を差し入れられて「痛い」「ツーン」、痛い思いをして初めて 忘れていたことを思い出した。僕は右の鼻の穴よりも左の鼻の穴の方が肉の壁の障害物が少なくて鼻用の内視鏡でも 鼻血が少しも出することもなく通るくらいに広く開いているのだ。最近内視鏡検査をすることがないのですっかり 忘れていた。前回ゴールデンウィークに入院した時にはこのことをちゃんと覚えていて、事前に係りの看護師さんに 「検査は左の穴から」と伝えてあまり痛い思いをせずにすんだのに今回は失敗だった。次回9月の入院の時にはちゃんと 覚えておかないといけないな。検査結果はワクチンの2回接種もひと月前に終わっていることもあり当然陰性だった。
検査結果が出るまでの待機場所は5階病棟の特別室、この新しいビルができてもう何年になるのか 5階病棟に来るように なって初めての大村湾側の病室だった。ここからの景色は素晴らしいようなのだが…顔の向けられない僕には大村湾側の 空しか見えなかった、残念!。病室があいたら他の病室に移れると聞いていたのだが…満床で当面病室はこのままと。 特別室って静かなんだけどベッドから入り口が見えなくて病棟の様子がうかがえない。それに看護師さんも呼ばないと ルーティン以外は来ない、本当につまらない。特別室でいいのは 電波時計があるくらいかな。
それにしても病棟看護師長が代わると病棟の体質が良くも悪くも変わるものだ。5階病棟は看護師長が代わった 4月からだと思うがコール対応がかなり遅くなった。呼吸器を着けてる等人手がかかる患者の入浴は2週間に1度になったと 言われたし、午前中の下洗いの時に行なわれていた清拭もどきも今は見られない。今回の入院中も3日車椅子に 座れなかったし働き方改革がおかしな方向に動いてるんじゃないかと思う。それにコール対応や清拭について看護師長が 口に出さないんじゃないかな。
入院中のリハビリは3連休があったため10日がスタート、ただし担当のM主任が12日に代休とのことでリハビリを 受けられたのはわずか3日となった。ただ13日の金曜日に1日立たせてもらった。調子は悪くなかった。これはM主任に 自信を失わせさせなかったという点でも大きいと思う。9月のレスパイト入院はシルバーウィーク、1日立てれば いい方か。なんだかんだいっても今回もみんなにお世話になった。ありがとうございます。

8月4日 入浴車
午前10時過ぎからは入浴車、今日は僕の心の中も穏やかみたい。今日の入浴車のスタッフは看護師のYさんとKさん・ ヘルパーのMさんとKさん、お風呂に入っていてもくつろげるメンバーだった。今日の束の間の井戸端会議の話題は オリンピック 特に野球と卓球、テレビを見ていると卓球の解説で僕には分からない言葉が時々出てくるけど野球を 知らない人には野球だって同じなんだと改めて思った。今日も気持ち良くお風呂をいただいた、まあ浴槽に浸かっている 時に息苦しくのが気にはなるけど。いつもありがとうございます。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、今日はある程度やる気のスイッチも入っていて脚の可動域訓練の時は 足首の関節の運動にもだいぶ耐えられるようになった。足首の関節はやっぱり柔らかくなっていると思う。立位訓練も H先生の動きに合わせて左右の膝に力を込めて重心の移動をすることが出来たし、H先生に「今年一番の出来」とお褒めの 言葉をいただいた。
今日のオリンピック観戦のメインは野球と男子卓球準決勝、野球は韓国相手に5-2で勝利し決勝進出を決めた。 接戦だったけどようやくまともな試合になった。卓球男子団体戦準決勝はドイツが相手、どれもぎりぎりの試合だったが ドイツが勝利し日本は3位決定戦へ。だけどよく頑張った。

8月3日 眠い
今朝も4時前に目が覚めた。それからはいくら眠くても眠れない体質になった、前は車椅子に座っていても眠れたのに いつの間にかね。いつもはケアの時に目を閉じて休んでいるのだけれど火曜日はケアの時間が30-40分と短いからか一日中 眠かった。午前11時前からのH先生の上半身のリハビリの時も眠くてやる気のスイッチが入らずに困った。それで 歩行訓練の前に脚に力を込めて気合いを入れた。そのためか歩行は悪くはなかった。ただベッドに戻った時の体の位置が いつもより下だったのを気付かなかったから、昼の経管栄養中に息苦しさとパソコン操作のし辛さを感じた。最近体の 位置や体勢によって息苦しさを感じる場面が増えた。今度のレスパイトで吸気圧を主治医に相談すべきか迷っている。
午前中小便は1回か2回なのに昼の経管栄養が終わりに近づいたら途端に小便の頻度が格段に多くなる。今日も午前中は1回 だけ、昼に尿器を当ててもらって尿意を待つ。2時半から訪問歯科、2時前に尿器を取ってもらったらすぐにまた尿意が 来て…情けない。再びコールして嫁さんを呼ぶと嫁さんから「また」と渋い顔、仕方ないけどつらいし怖い。 尿器を当てたままにしておけばよかった…。

8月2日 オリンピック野球対アメリカ 粘り勝ち
虫さされ、今日は右太ももと左膝の右上が痒くなった。布団や腕枕に棲んでるダニが脚の上まで上がってくるなんてこと ある?、痒みの原因は何だろう。
今日も一日ケアを受けながら&パソコンしながらオリンピック観戦、卓球女子団体は安心して見られたが野球(vs米国)は 追いつき追い越され追い詰められハラハラドキドキの試合。9回の裏6-5 1点差で負けてる試合、2アウトから4番鈴木が フォアボール・5番浅村がライト前ヒットでランナー1-3塁、6番柳田が高いバウンドのセカンドゴロの間に鈴木が帰って 6-6の同点。柳田は打球が上がらない、調子は良くなさそうだ。10回からタイブレーク ノーアウト1-2塁で試合再開、 10回の表米国の攻撃をピッチャー栗林がよく抑えた。これまでの2試合は僕の栗林への印象はあんまり良くなかったのだが この試合で信頼感がぐんと増した。10回の裏日本の攻撃、8番村上には僕の予想通り代打。村上は4番バッター しかもまだ 若い、村上にバンドを背負わせるのはかわいそう。意外だったのは代打が栗原、僕は他の打者が送りバンドして栗原は 甲斐の所で代打の予定だったに。甲斐は稲葉監督の信頼が厚いなあ。栗原が1球で送りバンドを決めて甲斐が内野手 5人という変則守備の中で右中間にタイムリーを放って6-7のさよなら勝ち、千賀投手も良くなってきたしソフトバンクの 選手が大活躍。あとは柳田の打球が上がってくれれば…。

8月1日 日曜日の出来事
日曜日、いつもと違うのは嫁さんが昼前に2回目のワクチン接種に行って嫁さんが留守の間は娘が代わりに居てくれた くらいのことか。結局娘とは挨拶を交わしただけ、何も話しをすることはなかった。取り立てて話す必要がないってのも 寂しいものだ。嫁さんが出かける前に1時間ぐらいかけてケアをしてくれた。日曜日は嫁さんがケアをしてくれる週に 1度だけの機会、嬉しくて堪らない時間だ。特に今日は昨夜の重度のヘルパーさんが急に来られなくなって代理の ヘルパーさんが夜9時〜今朝6時の9時間と短縮された(普通は13.5時間)から、その分夫婦で一緒?に居られる時間が 長くなって嬉しかった。
今日のオリンピックは僕の興味を誘う競技が男子ゴルフしかなくて何を見るか大いに迷った。日本人がでないとその競技を見る気にならない、これだから真のスポーツ好きとは言えないんだな。


[2021年の先頭に戻る]



7月
7月31日 虫さされ
肘回りの虫さされが両腕ともだんだん酷くなってきている。おそらく腕枕(腕の浮腫防止用)に巣食っていると思われる ダニに食われたのだろう。右が3ヵ所・左は10ヵ所近く、よく食われたものであちこちが痒い。訪問看護師さんにムヒαを 何回も塗ってもらっているのだが痒い所が次々と動いて塗るのが追いつかない。今のところムヒを塗るしか対策は 思いつかない、困ったもんだ。腕枕に本当にダニが住んでいるとすれば天日干しって効くのかな。効くのなら2-3日 腕枕を止めてずっと天日干ししてもらってみようかな。

7月30日 感謝って何?
僕はたまにしか感謝の心が解らない、たまにしか感謝の心を感じない。よく他のALSの人たちが日頃の家族や訪問の 人たちの行為に対して感謝の言葉を口にしているのを見るけど…僕はもう感謝の心をあまり感じなくなっている。特別な 良い出来事が我が身に起きたとしたらその時は「ありがとう」と感謝の心を感じると思うけど、日常のこと・日常になった ことに感謝を常時感じることは僕には出来そうもない。日頃の訪問さんのケアも立たせてもらってから車椅子に 座ることも今の僕にはもう日常のことになってる。それをいつもいつもいっこいっこ感謝するなんてことは僕には 出来ない。そもそも感謝って強制されて出来るもんじゃないじゃないだろう。心のこもってない形だけの感謝なら僕にも 出来るのかもしれないけど…。僕は感謝という感覚を感じ取るのが苦手な性格のようだし感謝というものを表現するのも 苦手だ。人の期待に添えなくて済まない。
僕は周りに目一杯気を遣ってるつもりだ。たまに爆発することもあるけどいろいろなことを諦めてきたしいろんなことに 耐えてきたつもりだ。「何かをしたい」とは滅多にいわないし何かを期待することもほぼない。長年この病気に 立ち向かってきた中で得た結論だ。

7月29日 きれいに立った
木曜日のケアは訪問看護ステーションNが担当。朝のケアは洗顔と排便、昨日の夜9時頃ちゃんとラキソベロンを服用して 朝から便意もあったのに朝の排便は量がもうひとつ?ですっきり感がなかった。案の定月曜日と同じように昼からガスと 一緒に便が出て車椅子移乗の時にきれいにしてもらった。
今日の車椅子移乗も嫁さんの車椅子の動かし応援付き、ベッドから車椅子への移動も問題なく立って90°回って車椅子に 座った。1時間車椅子に座って今度は車椅子からベッドへの移動、O主任の場合は立ち上がった際にいつもどちらかの膝が 曲がった状態だったけど今日は両膝がきちんと伸びてきれいに立った。O主任がこんなにきれいに立たせてくれるのは おそらく初めて、これなら僕も楽だしヘルパーさんも慌てずにすむ。でも急に、何があったのどうして。

7月28日 リハビリは頑張った
昨日の今日、午前中の社協の担当する入浴車も入らなくてもいいかなって感じ。会話も弾まずテレビのオリンピック 放送を聞いていたがなにが行なわれていたか覚えていない、それ程上の空。正午からはお父さん野球観戦、昨日の ソフトボール金メダルの追い風を受けて波に乗りたかったが打てなかった。訪問リハビリのH先生が来た時には1-3で 負けていた。9回裏1outから6番柳田が相手のミスで出塁、7番菊池には当然代打近藤、その近藤がヒット、8番村上が タイムリーで1点差。9番バッターは甲斐 代打をどうして出さないのか分からない、甲斐のバッティングに 期待してるのか。その甲斐になんとスクイズ、結果的にスクイズは成功し同点にはなったけどバンドが上手いと言えない 甲斐に…。2番坂本の逆転打で勝つには勝ったが…不安な滑り出し。
リハビリはまあいい出来、足首の可動域訓練もだいぶ耐えられるようになった。立位訓練も意識して早めに脚に力を 入れたし左右の足への重心移動もH先生の動きを意識して脚に力を込めた。むしゃくしゃするし投げやりな気分だけど リハビリだけは頑張った。

7月27日 スライドボード?
社協のヘルパーSさんが骨折したことで話がこんなに大きくなってるとは、車椅子移乗はスライドボードでやるんだって。 納得いかない。その話を聞いた時僕はとっさに「もう車椅子に座らなくていい」と言おうとした、だけど必死に我慢した・ 顔に出さないよう耐えた。そして「長生きしすぎた」「長生きしたのが悪いんだ」と思った。そもそもSさんは何で 骨折したの・どの段階でどの行為で骨折したの、あの時所長はきちんと僕を立たせていたし僕もふらふらしていなかった。慌てる場面ではなかったしSさんもそんなに慌てている風には見えなかった。それなのに骨折したのは何で、僕のせい?。 転んだようにも思えなかったのに膝をどこかにぶつけたの、所長「Sさんが何で骨折したのか」理由を教えて。それに納得が いかないからスライドボードにも納得がいかない。ケアマネジャーは「僕を転ばせるリスクが大きいから」と言うけど 結局自分たちみんなの保身じゃない。僕は転んでどこを怪我しても後悔するよりいいって覚悟は出来てるけど…、 保身には勝てないか。
所長はスライドボードに賛成したのか。最近気に入らないことばかり、楽しくもないし面白くもない。依然として やる気もない。人間不信・人間嫌いがどんどん大きくなってくる。まああと10日ぐらい耐えたらレスパイト、レスパイト 入院すれば入院中の寂しさで人間嫌いも小さくなってくるだろう。でも猫も含め親族の中で次は僕が逝きたいな、 この病気になってもう四半世紀経つのだからみんな許してくれるだろう。楽に死ねれば…。

7月26日 卓球混合ダブルス 金メダル
卓球混合ダブルス、昨日のドイツ戦で最終セットの土壇場で奇跡の逆転勝ちをして その日の夜台湾ペアに勝利し決勝へと 駒を進めた水谷・伊藤ペア。今日の決勝戦の相手は王者中国、最初の2ゲームを簡単に連取された時点で僕は諦めた。 しかし続く3ゲームを連取し金メダルへの期待を高めたが、続く第6ゲームは11-6とあっさり取られた。やっぱり無理かと 諦めかけたところ 第7ゲームは怒濤の8連続ポイント、これで金メダルは確定とは思ったがそれでも幾ばくかの不安は…。 結局このゲームを11-6で取りセットカウント4-3で日本ペアが勝利した。金メダル おめでとう、そしてありがとう。 この試合で諦めないことの大切さを教えられた。

7月24日 オリンピック観戦
今日から本格的にオリンピック観戦、どんな競技が行なわれているか分ってないからつい場当たり的な競技選びに なってしまう。今日見たいのはソフトボールと柔道と女子サッカー、それに体操と水泳もあってるらしい。一番気に なっているのは体操の内村選手の鉄棒、だけど落下して種目別に進めなかった。内村選手には種目別の鉄棒に出て 欲しかった。一方水泳の400m個人メドレーの瀬戸選手の予選落ち、こんな言い方をしてはいけないのだが「いい気味」と 思う気持ちがどこかにあった。
見たい競技がふたつ重なった時はどうしようかと思っていたけど、パソコンで「オリンピック live」で検索してみたら あった!。これでふたつ同時に見れるしどんな競技が行なわれているかも分かる。

7月23日 入浴車
今日は振り替え「スポーツの日」とのこと、祝日だけど入浴車が来てくれた。今日のスタッフは看護師Yさん2人+ヘルパー Kさんと元気なNさんの4人、気楽にお風呂に入れるメンバーだった。テレビでは高校野球の県大会準決勝が流れていた。 我が母校が敗れた今となっては県大会の結果なんてどうでもいいのだが我が母校が前の試合で敗れた唐津商業の2人の 投手が調子悪そうに見えた。それとも我が母校との試合の時がたまたま調子が良かったのか。まあ我が母校が 勝ち上がっていたとしてもこの準決勝の相手にはかなわなかっただろうけど。お風呂は気持ち良くいただいた。だけど お風呂上がりの汗の量がものすごい、ひと月前とは大違い。かといって冷やすとすぐ風邪引くし…難しい身体だ。
Tokyo2020 オリンピック開幕、僕は開会式は選手の入場と聖火しか興味がなくその前のパフォーマンスはダイジェストで 十分という考えだ。今はまだオリンピックに対して批判的な意見もあるが…テレビがオリンピック一色になれば僕を含め 態度がすぐ変わる。そこが日本人の良いところであり悪いところでもある。
最近早く寝る。起きててもなにもやる気が起きないし寝れば重度のヘルパーさんと付き合わなくてすむ。早く寝ても朝 3-4時には目が覚め、寂しいけど。二度寝は出来ない、身体が受け付けない。だから精神的にも肉体的にも疲れが 溜まってる。でもあと二週間したら寝ることしかすることがなくなる。それまで…。

7月22日 なんと言うべきか?
20日の午前中に行われた連絡会議で社協のヘルパーさんから車椅子移乗のことで提案?指摘があったらしい、「車椅子 移乗の時に(嫁さんに)車椅子を動かしてほしい」と。社協のヘルパーさんが膝を骨折したことから出た提案だろう。でも あの時の車椅子移乗のヘアの看護師は所長、きちんと僕を立たせてくれたから慌てる必要はなかった。Sさんはどんな 動きをしたから膝を骨折したのか、そもそも慌てて動いたからなのか。確かに僕の立つ力は目に見えてという程じゃ ないけれど衰えてきているのは認める、車椅子移乗の時に僕を立たせてくれる看護師さんには以前より力を使わせてると 思う。だけど主治医の言う「もう立つのは難しい」程ではないはずだ。もう一つ 木曜日の車椅子移乗担当の主任の時には 車椅子からベッドに移る際に主任に立たせてもらうのだが、両膝が伸びたことは昔からない。これは慌てて動くかな。
車椅子移乗で看護師とヘルパーがペアになるのは火・木・土、このすべてに嫁さんが関わるのか それとも木曜だけなのか。 ベッドから車椅子に移る際も嫁さんに手伝ってもらう必要があるのか。いずれにしても会議に参加していた所長が何も 言わなかったのだから…、それと社協の中でSさんの骨折の原因となった車椅子移乗が問題となっているのがうかがえる。 社協は保守的だから。

7月21日 負けちゃった
我が母校 伊万里高校の野球部の佐賀県大会ベスト4への挑戦が御前10時から始まった。相手は唐津商業 先発は二番手 投手、だが右バッターの外角低めのスライダー?に初回から手を焼いてるようだ。変に曲がりの遅いこの球がこの試合を 左右するかもしれない そういう感じの球だった。僕は今日は10時10分から入浴車、だから伊高の5番バッターの先制 ホームランまでは見たがそれからは耳での観戦になった。それで4回の唐津商業の4点は4番バッターのソロホームランで 1点取られたのは分かったが あとの3点はどうやって取られたのか分からなかった。
僕が再びテレビを見始めたのは8回表 6-3 唐津商業3点リードの場面、この回からリリーフした唐津商業のエースに 手も足も出なかった。そしてそのまま試合も終わり伊高野球部のベスト4への挑戦が終わった。しかし伊高のエースは まだ2年生、140キロの速球にも磨きがかかるだろう。来年が楽しみ。
午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ、気力のなさは少し解消してきた。ただ共通テストの数学を解く迄ではない。 やっぱり病院での休息が必要なようだ。股関節の可動域が左も少し狭くなってきたのかもしれない、H先生が太ももを 動かしてもらう時外転はもう少し我慢が出来そうなのだけれど内転は厳しくなってきた。その分股関節側の腱はよく 伸びているけど…。踵の関節はやっぱり少し柔らかくなってると思える、我慢の時間が小さくなった。まあ踵の可動域は 確かにもう限界ギリギリに近いままだけど。次は立位訓練、腰を伸ばしきった際の右腰の痛みに耐えきれず1回目は両膝が 膝折れした。歩幅が狭くて力が入りにくかったか。立ち上がらせてもらってからの左右の足の重心掛けはまあ上手く いった。歩幅を幾分広げてもらったら2回目・3回目の立位は上手く踏ん張れた。今日の立位訓練はまあまあだな。
重度障害者訪問介護のヘルパーAさんとまたもめた、僕の言うことを理解出来ていないのが分かりきっているのに話を 終わらせるために「はい」と言って解っているような顔をした。重度障害者訪問介護が最初に来た時に「何でもやれます」と 言ったのと似たような構造だと思った。Aさんは人は良いと想像するけどうちに来る重度のヘルパーの中で能力は一番 低い、現場で経験も知識も少なそう。その事を自分で理解してるのかなあ。褒められるのは辛抱強いことだなあ。

7月20日 気力なし
この2-3日慢性的な睡眠不足による眠気と精神的な疲労が溜まったようで気力がほとんど失せてしまった。いつもは朝の ケアの間に目をつむって身体を休めるのだけど、火曜日のケアは1時間でその中に車椅子移乗も含まれるからゆっくり 休めなかったみたい。だからH先生のリハビリの時も気力が湧かなくて…でも4歩の歩行訓練の時は一歩一歩足に気力を 込めるように努めたつもりだ。結果的にはちょっと不安は残ったけれど膝に力が入っていつも通り歩けたつもりだが… どうだったんだろう。

7月19日 カレンダーの中の赤字
7月のカレンダーを見ると19日が赤字になっていた。例年通りなら「海の日」、ハッピーマンデーで19日になっていた はずだから。だけど今年は祝日じゃないと、介護サービスはいつもの月曜日通りだった。では祝日はどこにいったのか、 今年は3つの祝日がオリンピック・パラリンピックの関係で移動したとのこと、「海の日」が7月22日・「スポーツの日」が 7月23日・「山の日」が8月8日へ。この移動は僕にとってラッキー、ハッピーマンデーは看護サービスが中止になるけど 22日(木)は看護サービスが23日(金)は介護サービスがあるから。「山の日」はハッピーマンデーじゃないんだ、今度調べて 初めて分かったけど。

7月18日 限界か?
真夜中にまた重度障害者訪問介護のヘルパーAさんともめてしまった。Aさんとはどうしても合わないみたいだ、文字盤の 使い方も吸引もなにもかも?。僕にはAさんが介護の職に向いているとはどうしても思えないのだ。そしてそれが僕を 更にいらつかせるのだろう。朝の経管栄養を繋いだらもうする仕事もないのだからすぐに帰っていいのに… 時間契約だからそうは言えないか。
夜の介護はYさん、重度のヘルパーとしては僕にも慣れてるし不満はないはずなのだが…それでも僕をイライラさせる。 もう重度障害者訪問介護のヘルパーさんと一緒にいること自体が苦痛で夜も早めに寝るようにした。心も身体も小休止を 欲しがっているのだろう。幸い8月6日からレスパイト、寝不足も含めリセット出来る。なにもかもあと20日ばかりの辛抱。 レスパイトで気力もよみがえるか。

7月17日 新型コロナウイルスのワクチン接種 2回目
昨日は二回目のワクチン接種、往診の時にかかりつけのT先生に打ってもらった。注射は前回と違い痛かった、刺す時は チクッ・ワクチン液を入れる時もドーン・抜く時もチクッ・抜いた後も1分ぐらいチクッの後引き。刺す位置がちょっと 違う?だけで痛み具合がこんなに違うものになるんだ。僕は注射には強い方だと思うのだが、久々に痛いと感じさせる 注射だった。まあ 去年は胆のうの手術で強烈に痛い注射を何回か打ったから、僕の注射に対する痛みの感覚はずいぶん 狂ってるのかもしれないが。その後T先生が様子を見るために15分間居てくださったのだが、僕に何の異常はなく痛みも 出なかった。
T先生は僕の不安を見通したように「副反応は強く出る人も軽い人も全然出ない人もいらっしゃいますが、副反応が ない人も2週間後にはワクチンの抗体はちゃんとできてます」と言っていた。そして1日経った今日、今のところ発熱も なく腕には筋肉がないから筋肉痛もなく注射跡も痛まず 副反応は出ていない。でも1回目も2回目もこれだけ副反応が ないとどうしてもワクチンの効果=ワクチンが僕の体の中でちゃんと反応を起こしているのかとつい要らぬ疑問を 持ってしまう。だから前回の通院の時に主治医に「次の8月のレスパイトで抗体検査をして欲しい」とお願いしたの だけれど、「行政が絡むから出来ません」と言われ…。変な言い方だが「重い副反応はもちろん嫌だけど 軽い副反応なら 羨ましい」かも。副反応は若いほどいろんなところに強く出ると言われている。それならば副反応の出ない僕の体は 相当な年寄りということだろう。

7月15日 雷鳴
昼過ぎから天気が急変、何度も稲光が光り雷鳴が聞こえてきた。そして光った瞬間ドーンと大きな音、すぐ近くに?雷が 落ちたようだ。幸いパソコンにもテレビにもエアコンにも異常は起きなかったみたい、昔近くに雷か落ちてデスクトップ パソコンのFAXモデムが壊れた時のことを思い出す。それ以降コンセントは落雷対応のものを使っているはずなのだが…。 停電しなかったのも幸いだった。停電しても人工呼吸器は4-5時間は動くと思うけど吸引器の方はいつ吸引力が弱まるか 分からない。やはりこの部屋の蓄電システムを考える時期が来ているのかなあ。
午後3時からは車椅子移乗、今日の担当は訪問看護ステーションNのO主任と社協のヘルパーKさん。主任の吸引のやり方や 文字盤の使い方を見ていると夜間担当の重度障害者訪問介護のヘルパーAさんを思い出す、似ている感じがするし そこに 不満が生まれてくるのだ。それに車椅子からベッドへの移乗、車椅子から立たせてもらった際に今日は両足とも膝が 伸びなかった。何故!。

7月14日 お盆
昨日梅雨明けして急に暑くなった。今日お風呂を上がった後額や腕から汗が噴き出して訪問看護師さんにいくら拭いて もらっても止まらなかった。お風呂を上がった後の体温も37.2℃、お湯の温度がそんなに熱いとは思わなかったのに。 気温が上がったからか。そういえば訪問リハビリの先生も「入道雲が出てて夏の空になってました、まだもこもこ高くは なっていなかったけど」と言ってた。もう世の中はすっかり夏になっているんだな。
我が町は昨日からお盆、例年ならばお盆の期間中にお坊さんが2回はお経を上げにくるのに今年はまだ。新型コロナの 関係だろうか。それにしても就職して8月のお盆休みに慣れて以来7月お盆を忘れちゃったみたい、どうもピンとこなく なってる。妹が亡くなってすでに60年近くになり妹もご先祖樣という位置付けになったのかお盆飾りもないようだし、 今までお盆参りに来てくれていた人たちもほとんどいなくなった。それにお坊さんのお経がないとなおさらだな。
今日は10時過ぎから入浴車、スタッフは久しぶりに看護師はW Y・ヘルパーはFさんとKさんという黄金カルテット。何も 考えずにお風呂を楽しめた。午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。昨日も感じたことだが足首の関節の可動域 訓練で痛みが先週より少し小さかった、アキレス腱やヒラメ筋はよく伸びてると感じているんだけど それにしても。 やっぱり足首の関節が少し柔らかくなってるのかな、車椅子移乗前に訪問看護師さんやヘルパーさんに脚を動かして もらっている際もそう感じる時があるし。立位訓練は左脚重心の時にまだちょっと不安を感じているけど両足とも 意識して重心をかけれているし、上出来かな。

7月13日 ざつ?
火曜日のケアは9時半から、その時間を5分過ぎても訪問看護師さんが現れないということは今日の担当は所長か。 火曜日はヘルパーさんが10時に来るし後ろの時間が決まっているので遅れてほしくはないんだけど…。所長の良い所は 患者や家族の話をよく聞いてくれること、だけど時間に対する意識がちょっと薄いのが短所かな、話しが長くなって時間 延長するケースが多そう。今日も10分ぐらい遅くなってその分ケアも車椅子移乗も慌ただしそうに感じてしまった。 今日も「次がある」と言いながらも車椅子移乗が終わった後嫁さんとしばらく話しをしていた。所長 時間は大丈夫?
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、左肩の可動域訓練で横から腕を挙げてもらう際に痛みに耐えられなくてH先生に 目配せして力を緩めてもらったけど…それ以外はどこも耐えることが出来た。もしH先生が手加減していないとしたら僕の 肩の可動域が少し広がったのかもしれない。立位訓練、1歩目の左脚がは装具のつま先が引っかかって前に出なかったけど 重心は一度右足に置きちゃんと左足に移すことが出来た。その後の重心移動も十分、今日は良い出来だったと思う。

7月12日 やることがない 数学でもやる?
Facebookも投稿するようなめぼしい事柄がないしメールも頻繁には返信する必要がなくなった。gacco講座も早稲田大学 スマートESプログラムとAI活用人材育成講座が大半でもうひとつ興味が湧かない。一気に暇になった。何しよう。漠然と 思い付いたのは共通テストの数学TA・数学UB、早くやらなければいけないのは分かってはいたがこれまでどうしても 足が向かなかった。そろそろ覚悟を決める時期か、そう思って昨日からWordに問題を貼り付けて解く準備はしているが… 解くのかな?

7月11日 イライラする
土〜日の重度障害者訪問介護は夕方5時から翌朝7時半までの14時間半、重度のヘルパーさんと一緒にいる時間が長過ぎて イライラしてしまう。特に生真面目で丁寧なMさん、30分〜1時間に1回回路の中の水を払い落としにくる。今はその 生真面目さが煩わしい、水なんてそんな短時間に溜まる訳なかろうもんと思うのだけど。煩わしいから呼んだら来れば いいんだ、後は1時間に1回障子の隙間から様子を覗き見して異変がありそうな時だけ入ってきてくれればいいんだけど。 それなのに今朝なんか嫁さんがどうせ7時頃しか起きてこないから僕もゆっくり寝ているつもりだったのだが、朝早く 5時ぐらいから部屋の中をうろちょろしてるし…挙げ句の果ては「6時ですよ」と起こしてしまう始末。常時5時ぐらいから パソコンしてるからと言っても疲れてる日もあるのに…。それに起きても何もすることが思いつかないのに、 やってられないよ。
どうしようもないことと解っちゃいるけど…夜重度のヘルパーさんといつも一緒にいるのも疲れた。レスパイト入院が 待ち遠しいかも。

7月9日 通院日
今日は通院日。昨日や今朝激しい音をたてていた雨も僕の通院時 正午頃にはもう上がっていて 往きの県境を越える際に 少しパラついただけだった。今日は終日雨の予報だったらしくリフト車に同乗するヘルパーさんから最後に「今日は 濡れずに済んで良かったですね」と声をかけられた。本当にラッキー。
このところリフト車に乗り込んだ際にいつも見ている隣のお宅の塀際の細い花壇にはナデシコの花がまだ咲いていた。 もう2ヵ月ぐらい咲いているんじゃないかな。息の長い花だ。ますます好きになった。リフト車の中から外を眺めると 紫陽花はもう終わり時、だいぶ色あせてきた。この時期は僕の通り道では花々も中休みのようだ。ただ途中でカーキ色の 百合の花を見た、夏の始まりの花だ。田んぼの苗は所々に少しずつ緑がましてきて生き生きとしてた。梅雨終盤の激しい 雨がこれから続くかもしれないがそれが終われば暑い夏が来る。
病院に着いて救急処置室に入ってバイタルを計り終え しばらくしたら主治医が来て診察と処置、その後嫁さんから 8月6日からのレスパイトを聞いてから主治医に「入院した時に抗体検査をして欲しい」と言ったら「行政の関係から 出来ません」との答え。新型コロナウイルスは難しいな。
救急処置室から外に出たら数は少なかったけど秋みたいにトンボが飛んでいた。こんな天気なのに玄関前の池では 不思議なことに亀が1匹甲羅干ししてた。病院からの帰り道川棚川を見たらほとんど濁っていず水量もさほど増えては いなかった。長崎県はあまり降らなかったのかな。

7月8日 なんでそうなるの
今日の訪問看護はN、朝のケアは9時45分から ちょっと朝は慌ただしいかな。朝のケアの担当はKさんと後発でヘルパーの Aちゃん、Kさんが洗顔が終わってリハビリをし始めた途中でAちゃんが着いて一緒にリハビリ、Aちゃんに「爪切って」と 言いたかったけど言えなかった。その後の2人のコンビネーションはほぼ合っててストレスはほとんど感じなかった。
午後3時からは車椅子移乗、担当はO主任とヘルパーのYさん。初めに脚を動かしてほぐしてもらってから脚の装具を装着、 それからおしっこ。そしてズボンが濡れた感じがして…漏れた?。なんか違う、主任の尿器の当て方じゃ10回に1回は 漏れそうだ。車椅子からベッドへ、立たせてもらった際今日は左脚が伸びなかった。ベッドから車椅子に移る時は力強く 立たせてくれるのに車椅子から立たせてもらう時は両膝とも延びたことはたしか一度もない。それに…ベッドに横に なったらすぐに頭を上げて欲しいのに・我慢してるのに…中途半端な息苦しい高さで止めてしまうのは何故!。

7月7日 散髪
軽い天然パーマの髪の毛が耳に触れるようになってかゆみを感じるようになったので土曜日に訪問理容を依頼した。 そして朝9時リリアンさんのKさんと?さんが来て散髪開始。この二人とは老人健康施設にデイケアに通っていた頃からの 馴染み、もう20年になるかな。Kさんは初めて会った時からほとんど変わらない、いつ見ても年をとらなくて可愛くて 元気な雰囲気。?さんは昔からきれいな人、その分よく見たら20年の月日の流れを感じることもある。Kさんには何の 言葉も要らない、すべてお任せ。しかし 短くなっても頭がかゆいのは何故。
10時過ぎから入浴車で頭もさっぱりすっきり、その後しばらくパソコンして午後3時過ぎからH先生の下半身のリハビリ。 今日のH先生もとても厳しかった。股関節はH先生がよく考えて動かしてくれてるみたいだから先週よりも先々週よりも 痛くはなかった。ただ膝と踵 特に足首の関節回りの可動域訓練はいつもと同じく悲鳴を上げそうなほど痛かったけど… アキレス腱もヒラメ筋もたっぷり伸びていた。でも右踵の思いっきりの可動域訓練は膝の下に痛みがきたし左踵の思 いっきりの可動域訓練ではアキレス腱の左側に痛みが来たのは何故。

7月6日 一歩一歩力が入った
火曜日は9時半から朝のケア、先発は看護師のIさん。洗顔と背中拭きが終わったところに車椅子移乗のためにFさん登場、 もう左手は挙がるようになったと。副反応は二日で改善した訳だ。僕の2回目のワクチン接種は16日、発熱だけは して欲しくはないが。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、肩の可動域訓練は程よい我慢と忍耐かな。もう少し我慢出来ればと思うんだけど つい痛みの表情が反射的に顔に出ちゃう、踵の可動域訓練に比べれば痛くないはずなんだけど外れそうな気がして恐怖?が 出ちゃうのかな。でも 肩の可動域は少しは広がった気がする。4歩の歩行訓練、今日は上出来。後ろ足で体を押す イメージも合った市足の一歩一歩に力を入れて重心を移せたと思う。久々。

7月5日 Fさん 負傷?
午前中のケア ヘルパーのFさんが昨日新型コロナウイルスのワクチン接種を打ったとかで腕が挙がらないとのこと、 それで応援&見習いのヘルパーとしてIさんを伴ってきた。今日のIさんの仕事は介護手順の流れを見ることと力仕事、 左手を使わないで済む介護の仕事はFさん自身で出来るようなのだが両手を使う仕事は難しいらしい。そのため差し込み 便器を差し込む際にはIさんが代わってくれたのだけど僕のお尻はあまり持ち上がらなかった。おそらくベッドの高さが Iさんに合わなかったのだと思うが経験のないIさんには自分に合う高さが分からなかったのだろう。これからだな。
僕の回りでもワクチン接種後副反応の出た人は何人かいるようだがいずれも微熱と腕が挙がらないと倦怠感、僕の 怖いのは発熱して息苦しくなること 37.5℃で駄目だから。でも倦怠感ってこの頃よく聞くけど何?、 体がだるいことかなあ。

7月4日 なんでこうなるのか
今夜の重度障害者訪問介護、夜の経管栄養の時間になっても誰も来ないから嫁さんに「今日は誰?」って聞いたら 「17時からAさんが来るはずだったんだけど…」と。何も連絡は入っていないらしい。その時外で自動車の止まる音がして、 誰かと思ったらFさんが現れて どういうこと?。Fさんから変更なった事情を聞いても連絡がなかったことに納得が いかなくて…、こっちが利用者と言っても重度障害者訪問介護を受け入れた日から夜間のヘルパーさんがいなくては 生活出来ないという実質弱い立場に陥った。重度障害者訪問介護の事業所はその立場の違いをうまく使って無理を通して いるようにしか思えなかった。この事業所は客商売をしているという意識に欠けているんだと、そんな意識だから ヘルパー教育も現場で経験を積めばそれで済むと思っているんだと。今度のことと話は違うけど、僕は教育係じゃ ないんだぞと言いたくなる。
業務の不誠実さに腹が立ったから「謝りに来いと伝えて」とFさんに言っといたら…午後9時半に現場責任者が謝りに来た。 その素早い行動に免じて、今回は許してやるか。

7月2日 睡眠不足?
通院でない金曜日は結構慌ただしい。10時過ぎから入浴車、正午には昼の経管栄養を入れて午後2時からかかりつけ医 T先生の往診、そして午後3時からは車椅子移乗という昼間はかなり密なスケジュールだ。とは言ってもそれほど忙しいと 感じている訳でもない、ただパソコンしている時間が減った それだけの感覚。まあやることがそんなにある身でも ないし。それにしても最近訪問看護ステーションの所長とは金曜日の車椅子移乗の時しか会わないなあ、週に6回も会う 機会があるのにね。
このところ万年睡眠不足かもしれない。それなのに朝方一度目が覚めたら全然二度寝できないし この頃車椅子に 座っていると眠れない、1年ぐらい前までは車椅子に座っていてもいつの間にか瞼が閉じて寝てしまっていたのに。 眠たいのに眠れないって辛いものだな。どうしたら気ままに眠れるのだろう。

7月1日 N 復帰
朝9時45分 木曜日のケアの時間、訪問看護ステーションNのKさんのすがたがみえたのでちょっとびっくり。今日からNが 復帰するのが分かって「また苦労の木曜日が始まるな」というのが正直な想い。Kさんは相変わらず優しくて年配の方の ケアの力加減、僕には物足りないって感じ。それに顔を拭き取った後もべたつきが少し残っているような変な感じ、僕は 皮膚が繊細で石鹸の拭き残しですぐ肌が荒れるからもっとゴシゴシ拭き取っていいのに。あとは2回目の摘便の刺激が 足りないかな。でも手脚をみっちり15分ぐらい動かしてくれるのは嬉しいな。
午後3時からの車椅子移乗担当のO主任、怪我(足の指の骨折?)はもう完全に治ったみたい。3ヵ月ぶりの車椅子移乗だから ちょっと懸念してたけど問題はなさそう。ただ車椅子からベッドに戻る際立ち上がっても左脚が伸びきらないのは 相変わらず、みんな出来るのに何でだろう。脚が伸びないとヘルパーさんの手順が変わる、それが心配。


[2021年の先頭に戻る]



6月
6月30日 H先生の下半身のリハビリ
今日水曜日は朝10時過ぎから入浴車、スタッフの中に看護師のAちゃんがいると色んな話題を提供してくれるから今日の 僕を囲んでの井戸端会議も賑やかで楽しいひと時を過ごせた。頭も身体もしっかりと洗ってくれて四肢のマッサージも してくれるのだから気持ち良い時間だ。ただ最近浴槽に入っている時の体勢で息苦しさを感じることがあるのがちょっと した懸念事項だけど…、そろそろ呼吸器の設定変更が必要な時期が来たかなって感じ、なにせ10年以上今の設定だから。 ともかくいつもありがとうございます。
昼の経管栄養を落としながらしばしパソコンを楽しんだ後 午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ、今日のH先生も かなり厳しかった。股関節はH先生が僕の痛み具合を考えながら動かしてくれるからそれほどでもないけれど膝と踵 特に 踵は容赦がない。変形して固まってしまっている僕の踵はこれくらい強く動かしてもらわないと柔らかくなる可能性が なくなることも理解してるから我慢も出来ているけど、それでもアキレス腱伸ばしには悲鳴を上げそうだった。 立位訓練は今日もベッドが高め、ベッドを下げてもらおうとも思ったが立位での体重移動に脚の力を残しておいた方が いいと考えこのままの高さで立つことにした。立ってからの左右の足への体重移動、右足への体重移動は問題ないのだが 左足に体重移動すると脚に震えが出た。歩行訓練では左足への体重移動は問題なく出来てどちらかというと右足重心に 不安があるのに、何で?。

6月29日 H先生の上半身のリハビリ
火曜日、10時半に車椅子に座らせてもらい11時前からは車椅子に座ったままでH先生のリハビリ。H先生に動かして もらって肩の可動域はもうギリギリのところまで来てるけど、今の最大稼働時での痛みにはだいぶ耐えられるように なった。今一歩我慢出来るようになればH先生のいうもうちょっとのところまで動かしてもらえるのだろうが… 現時点では難しそうだ。
4歩の歩行訓練は4歩目の1/4ターンの時もちゃんと右足に体重を乗せられたし まあいい出来だったと思う、後ろ足で 身体を押すのを忘れたけど。
最近くしゃみをしてもあくびをしても左の糸切り歯辺りの上唇の裏をよく噛む。しょっちゅう口内炎が出来て痛い。 午後2時半からは訪問歯科で歯科衛生士さんがきてくれるのだが、最初の挨拶が「口内炎 あります?」になってるくらい だから。鼻の下の部位・筋肉はこの十数年ずっと動かせないままなので上唇がさらに固くなってきているのかな。

6月27日 人の考えはそれぞれ
今日日曜日の朝は嫁さんは経管栄養を持ってきたのみ、ホットパックも重度障害者訪問介護のヘルパーさんが胸に 置かせるという相変わらずの徹底ぶり。僕にとっては寂しい限りだった。それで僕はついに堪忍袋の緒が切れて小言を 嫁さんにぶつけたのだけれど…嫁さんから「週に一度の朝も休ませてくれないの」と言われ撃沈した。嫁さんは重度の ヘルパーさんを出来るだけ使おうというという考え方・僕はたとえ夜間でも日曜の朝でも少しは関わって欲しいという 考え、訪問に対する考え方が夫婦で全く違うのだ。だからこんなもんかな、まあ嫁さんは病人の寂しさはちっとも 解っていないと思うことは確かにあるけど…何事もあんまり期待しないことだな。身体を動かせない人間にとって 他の人に何かをして欲しいと期待することは同時には寂しさ・虚しさを生み出す元凶にもなり得るから。君子危うきに 近寄らず。

6月25日 ワクチン接種
今日午後2時からの往診で新型コロナウイルスのワクチンを打った。ワクチン接種そのものは注射を打った瞬間は痛みは なかったけれどワクチンを注入する時は痛みがあった。ただインフルエンザの方が注入量が多いらしく痛みを感じたのは ほんの僅かだった。
新型コロナウイルスのワクチンは筋肉注射、僕のような神経難病で筋肉の少ない人間はどこに注射を打つのだろうと 思っていたのだが…インフルエンザと同じように腕の上部? 肩?だった。まだかろうじて上腕二頭筋は残っているようだ。 僕の回りでワクチン接種をした方々の副反応として注射跡の痛み・腕や手に時々力が入らなくなる・腕が挙がらない・ 倦怠感・発熱等を聞いているが、ALSでもう手も腕も動かせない僕には発熱以外は不問。37.5℃で息苦しくなる僕は 発熱を気にしていたが…熱は今のところ出ていない。ひと安心。

6月23日 H先生の下半身のリハビリ
10時過ぎからは入浴車、今日の入浴車のスタッフは女性4人 ハーレム?。もう入浴車も19年目、女性に見られることにも いつの間にか慣れた。恥ずかしさも感じることもいつしかなくなった。今日の僕を囲んでの井戸端会議の話題は オリンピック開催の是非、東京都でまた感染者が増えている今の状況でオリンピックが本当にやっていいのか。ま もう 中止はないだろうけど。ここ1-2年お風呂から上がってしばらくすると肺が冷えている感じがしてくるし時々くしゃみや 鼻水が出てくるのは何で。
3時過ぎからはH先生のリハビリ、今日は下半身の可動域訓練と3回の立位訓練。今日の股関節と膝の可動域訓練は程々 痛かったけどもまあ我慢出来た。踵の関節の可動訓練、今日のH先生も顔をしかめる程厳しかったけど先週より痛みは ましかなあ。H先生の手心があったかそれとも踵の可動訓練の痛みになれてきたか。立位訓練は今日もベッドの高さが 高くて楽なはずなのだがH先生が少し前かがみになって自分で膝を伸ばせと言うから…太ももの筋肉を使ったって感じ。 今日は右脚重心は上手くいったが左脚重心はちょっと不安定、右足に十分に上半身が乗せられなかった。左に体を 傾けるのが恐かったのかな。

6月22日 gacco講座「運動と健康の理論・実践」受講開始
一晩悩み考えてやっぱりgacco講座をやることにした。講座名は「運動と健康の理論・実践」、運動にはもう縁の なくなった僕の身体だけど何かの知識になるかもと思ったら興味が湧いてきて…gacco講座を始めることにした。Week1は 「生活習慣病」、知ってるようで知らないない内容がいっぱい 面白いかもしれないと思えてきた。。
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、右肩の可動域訓練 手を上に挙げる際もう少しあがりそうなんだけど肩の外側の 腱?に痛みがきて我慢出来なくて目で「止めて」と訴えてしまう。情けない?。4歩の歩行訓練はまあまあ上出来かな、 今日は4歩目の右足にも十分に重心が移せたし左右の4歩とも脚に力も入ったしね。

6月21日 ラキソベロンの効果のばらつき
昨夜ラキソベロンを服用したのは午後11時半頃、そして便意を催し始めたのは朝の経管栄養の途中 午前8時ぐらいかな。 その間9時間ぐらい、この前ラキソベロンを使った木曜日は半日経っても催さなかったのに…その日の体調や腹具合で 催すまでの時間が変わってくるからラキソベロンの効果の予測が難しいよな。今度の木曜日の便の時間は10時半 ぐらいだから前日の夜の11時でも早過ぎるくらい。水曜日の夜どうしよう。
これからしばらくは時間が出来そうだ。さて何をしよう。大学入学共通テストの数学はまだやる気になっていない。 かといってgaccoの講座一覧には目新しい講座や興味を引きそうな講座はない。その上出来る講座は今はただ一つだけ。 それにあと三ヶ月期限はある、8月初めでもまだ間に合う。共通テストの数学解きとgaccoのあまり興味を引かない運動に 関する講座、どっちをやろうか 迷うな。

6月20日 サクランボ
今年もまた届いたサクランボ、会社勤務時代の後輩Mが毎年サクランボを送ってくれるんだ。会社を離れてもう21年も 経ったからMがサクランボを送ってくれるのももう15年以上になるかもしれない。毎年毎年申し訳ないという気に なるのだがそれ以上に勇気をもらうから未だに「もう送らなくていい」と言うことは出来ない。今年こそお礼をしたいと 思って「有田・伊万里の特産物 焼き物・牛肉・梨・ブドウの中で何か欲しいものない?」とって聞いたら「ブドウだったら (小さな息子と娘も喜ぶ」との答え。それで「有田町 ブドウ」で検索して幾つか出てきた。夏にはお返しが出来そうだ。

6月18日 通院日
今日は通院日。空はあいにくの梅雨空、小雨が降っていた。通院の日に濡れそうなほど雨が降るのは久しぶりだ。 リフト車に乗り込む時に隣のうちの塀の方を見たら塀際に撫子のピンク色の花が見えた。もうひと月以上咲いているが 花がかなり少なくなった。今日はツバメの雛の鳴き声も聞こえなかった、雨で鳴き声がかき消されたのか それとも 出かけているのかは分からかったけど。今日もツバメの姿を見れるかなってちょっと期待してたから鳴き声さえ 聞こえなかったというのはちょっと寂しかった。
リフト車から外を眺めていてもこの時期は紫陽花以外の花は目立たないものだ、今日は雨が降っていたから余計にそう 感じたのかもしれないけど。紫陽花は雨が似合う、奥ゆかしようなそうでもないような目立たないようで目立つような 不思議な花だ。紫陽花は昔から日本にあるそうなのだが和歌には出てこないようなのでWebで調べてみたら、万葉集に 二首だけあるとのこと。その内の一首が大伴家持の「言問はぬ 木すらあぢさゐ 諸弟(もろと)らが 練りのむらとに あざむかれけり」、紫陽花の色が様々あって移り気が嫌われたのかもしれないし紫陽花は4文字だから和歌には 使いにくかったのかな。有田の町には紫陽花はあまり見られないような気がする、僕の通院路では三ヵ所かな。隣の町 波佐見には紫陽花が結構あるのに何でだろう。そういえば子供の頃紫陽花を見たことあったっけ。
今日の見たい景色の目的のひとつ 田んぼは結構田植えが済んでいた。先週の土日と今週の土日がピークのようだ。こんな 風景を見ると昔は手伝わされて嫌いだった田植えがしたくなる、不思議なものだ。
救急処置室に入って車椅子からストレッチャーに移してもらいバイタルを計り終わったところへ主治医が来て診察と 処置、今日は早く終わると思ったのだけれど…。それからすぐに救急車が来ると連絡が入り外来が急に 慌ただしくなった。急いで車椅子に戻って待合室に出るとすぐに救急車がやってきた。その後リフト車に乗り込んで 呼吸器の蒸留水を待つこと20分、ようやく来た。主治医が早く来たのは何だったのだろう。

6月16日 H先生の下半身のリハビリ
10時過ぎからは入浴車、今日は入浴車のスタッフの中に久しぶりに看護師のA.Yさんがいた。浴槽に浸かっている時の 井戸端会議も弾んだ。今日の話題は何だったっけ。Yさんの長女はもう中学2年生だって、早いなあ。最初にYさん会った 時はまだ娘さんが小学校に入る前だったからなあ。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ。まずは股関節と太ももの可動域訓練、H先生は股関節の内転に気を配って 太ももを動かしてくれる。その気遣いが痛みを減らしてくれるような気がしてる。次に膝と足首の可動域訓練、叫びたい 程の痛みがあることもあるけど耐えている。リハビリの最後は3回の立位訓練、今日はベッドの高さが先週より2-3cm 高かったのでその分少し楽をした。立ち上がってからは左右の足への体重移動、右足重心に不安は残ったけど出来は まあまあかな。

6月15日 H先生の上半身のリハビリ
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、まずは肩の可動域訓練。今日もH先生がいつも通りの力加減で動かしてくれて いるとしたら今日は先週より痛みを程々我慢出来た。肩の可動域が少しは広がっているのかもしれない。そして次に 4歩の歩行訓練、2歩目の右足は後ろの左足の足先で身体を前に押すことが出来て右脚に上手く重心を移すことが出来た。 4歩目の右脚重心は難しくて両脚重心でターンしてベッドに座らせてもらったけど、歩行の出来としては先週よりも良くて まあまあかな。

6月14日 介護認定調査
今日は毎年恒例の年に一度の介護認定調査の日、ケアの15分前に来るというから普通はとんでもない話なのだけど 僕との面会は数分のことだからこんなものかもね。毎年調査員にはあまりにも僕の病気(ALS)について無知だから がっかりさせられるけど今年の調査員は少し違うようで期待が持てた。それにしてもALSは現代の科学では障害は 進行することしかない病気だと分かっているのに何故毎年介護認定の調査がいるのか、政府の方針が不可思議!!。

6月13日 勘違い
今日は日曜日、11時から嫁さんにケアをしてもらったのだがその際に僕のホームページの先週の日曜日の表題「日曜日は 嫌いだ」を見たようで「他の女性に世話してもらえばいいでしょ」とまた嫌みを言って(わざと)僕を困らせようとした。 文章をちゃんと最後まで読めばわかったはずなのに嫁さんの勘違い?、「日曜日の朝は重度障害者訪問介護のヘルパーが 7時半までいて経管栄養も入れるから嫁さんは僕の部屋になかなか来ない、日曜日の日中ぐらいもっと早く僕の所に来て 世話をして欲しい」という願望を込めて書いていることなのに。それにしても嫁さんはなんで真反対の意味に 取るのかな。

6月11日 入浴車
今日の10時過ぎからは入浴車。今日の入浴車のスタッフの中の看護師はKさんとGさん、水曜日に引き続きまたもや 初めてのペア。今日のペアに余裕は感じられずそれぞれの段取りをただこなそうとするのみ、その段取りにも時々抜けた ところがあったし当然お湯に浸っている時の井戸端会議もなくただスタッフの声とお湯の注がれる音・体を洗う音が 響くだけ、静かなものだった。今日もいいお風呂をいただいた、浴槽に注がれるお湯はちょっと熱かったけどね。

6月10日 Sさん 負傷?
今朝経管栄養中に8時から便意が襲ってきた、昨晩9時半にラキソベロンを服用したからか。予定では12時間後に 効くはずだったのに。ラキソベロンを予定通りの時間に効かせるってのは難しいなあ、その日の体調もあるしその日の 腹の冷え具合もあるしね。次の水曜日の夜のラキソベロン 何時にしようかな、難しい。
先週の車椅子移乗のヘルパーのSさん、膝の左右どちらかの骨を骨折してたんだって。共倒れしたって訳でもないのに 骨折なんてどういう事かな。僕が車椅子からベッドに戻る際Sさんの姿は見えなかったのでSさんがどういうかっこうを している時に負傷したかは分からないけど、共倒れ以外に車椅子移乗で負傷なんてあり得ないと思っていたが 現実に起きてしまった。何故!

6月9日 H先生の下半身のリハビリ
10時過ぎからは入浴車、今日のスタッフの看護師はKさんとIさん?という初めてのペア。KさんもIさんもサブについた ことはあるけれどこの二人だけというのは今までにない。二人も不安そうな顔をしていたし僕も吸引に少し不安を 感じたけどなんとなく上手くいった。上出来だ。
午後3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ、今日のH先生も厳しかった。脚の可動域訓練、股関節も膝も踵も限界 寸前までH先生も攻めていたんじゃないかな。特に踵の関節は悲鳴を上げそうなほど痛かった。けど 太股も膝の裏も アキレス腱もふくらはぎもよく伸びていた。3回の立位訓練、今日はベッドの高さが少し高かったから立ち上がるのは 先週よりちょっと楽だった?。ただ立ち上がってからの左右の足への重心移動、右足がちょっと不安定だけど まあまあかな。

6月8日 聞こえないのか?
11時前からはH先生の上半身のリハビリ、右肩の可動域訓練ではまあ我慢は必要だったけど肩の可動域は少しは広がったと 思えた。右肩と右手の可動が終わった後に吸引してもらうためにH先生が向こうの部屋にいるはずの嫁さんに二回声を かけたのだけど反応がなかった。僕は外にいるのかと思ったのだが…、H先生による吸引が終わった後になんにも なかったかのように部屋から出てきた。訳が分からん、うたた寝でもしていたの?。以前から玄関でピンポンがなっても 反応が悪いことがままあるし、耳の病気じゃないかと心配になってしまう。
歩行訓練は今日もまあまあかな、4歩目の右脚がベッドに近くて若干不安定になったけど膝に力も入って踏ん張れたし。 右脚に多少不安は残るけど調子は悪くない。

6月7日 月曜日のケア
午前中のケアは洗顔・清拭・便、担当はFさんだったからケアは12時までに終わった。訪問看護師さんが洗顔するのは 月・火・木、看護師のFさんとIさんが唇の薄皮を上手く取ってくれる。ここ2週間便の量がもうひとつ、ラキソベロン服用 時間をまた早くすべきか 特に木曜日。
午後3時からは車椅子移乗、今日の担当は最初はIさんとMさん・後がFさんとIさん この組合わせは楽で立ちやすいのだ。 人にはどうしてもやり方や相性ってものがあるからその人なりの癖が出てしまう。年齢の影響か病気の影響かは 分からないが最近膝の筋力がいくらか弱ったなと感じることもあって、車椅子移乗のペアとの相性の良し悪しを 考えることも多くなった。情けないなあ。

6月6日 日曜日は嫌いだ
日曜日は夜間の重度障害者訪問介護のヘルパーさんが朝7時半までうちにいる、朝の経管栄養もヘルパーさんが繋ぐから 嫁さんは呼ばない限り8時になっても僕の部屋に入ってくることはない。最後に嫁さんを見たのは昨日のいつだったか。 重度障害者訪問介護のヘルパーさんが隣の部屋にずっと控えているのだから 他の家族もこんなもんかもね、嫁さんから 見放されたようで…僕は寂しさを感じてしまうけど。
親父が久しぶりに僕の部屋に入ってきたと思ったら今日もまた叩かれた、今日は平手で胸を4-5発。親父が僕の所に 来るといつもほぼ叩く、時々グーの時もある。発病して四半世紀以上経つというのに未だに僕のALSという病気が 受け入れられなくて、悔しくて叩くのだろうが堪ったもんじゃない。親父が部屋に入ってくると僕は恐怖を覚える。 受け入れることが出来ないのなら…遠目で見るだけにして部屋には入ってこないで欲しい。

6月5日 Iちゃん 久しぶり
午後3時からの車椅子移乗、ベッドから車椅子に移乗する方に久しぶりにIちゃんが来てくれた。Iちゃんとは木曜日の 朝のケアの時に半年ぶり? or 1年ぶり?ぐらいに世話になったのだけど、車椅子移乗出来るほど体力はまだ戻っていないと 誰かから聞いたような…、だからIちゃんが車椅子移乗に来るのはまだ先だと思っていたのだが。そのIちゃんが今日もう 車椅子移乗に来てくれるなんて…。そしてお決まりの爪切りまでしてもらった。Iちゃんの爪切りは他の誰よりも短い。 今日は僕の手の爪先の爪と指の間にある薄皮まで切っちゃうじゃないってちょっと心配したくらい、やっぱり 大丈夫だったけど。これでしばらく爪切りしてもらわなくてもいいな。

6月4日 通院日
今日は通院日。昨晩から雨が降っていたようだ、そういえば朝までのどこかで激しい雨音を聞いたような気もするが。 幸い外に出たら 雨はもうやんでいて 濡れずにすんだ。
今日の外出の目標は 紫陽花を見ること、だけど思っていたよりもあっさりと見えた それも10ヵ所以上で。赤やら青やら 紫・ピンク、でも一番多かったのは白かな 今が盛りと鮮やかに咲いていた。しかし 二週間前にはちっとも 見えなかったのに 不思議だ。紫陽花ってこんなにいっぺんに咲くんだね。田んぼからは黄金色の麦が消え 水が 貯められつつあった。二週間後の次の通院の時は大分田植えが進んでいるのかもしれない。二週間毎の通院は季節の 移り香を感じる良い機会になってる。
救急処置室に入ると寒〜い、働いている人には丁度いいのだろうが 夏になるといつも感じる病院の不可思議。主治医は あまり長く待つことなく来てくれて診察と処置、その後主治医が嫁さんに「(新型コロナの)ワクチン接種の予定はどう なってます?」と聞いていた。それに対し嫁さんは「7月中に往診で2回とも終わる予定です」と答えた。 そういうことらしい。

6月3日 ヘルパーさん負傷
今日の午後3時からの車椅子移乗、今日の受け持ちは所長とヘルパーのSさん。ベッドから車椅子への移乗は何の問題も なく終わった。事が起きたのは車椅子からベッドに戻る時、立つのは今日は問題なく立った。ところがベッドに座らせて もらった後にヘルパーさんが動けなくなった。僕はベッドの角に膝でもぶっつけて痺れて動けないのかと思っていた。 でもそれどころではなさそう。ヘルパーさんは「大丈夫」と言ってはいるが相当痛みを我慢しているみたいに見えた。 所長は膝の靱帯を傷つけたのではと心配していたがそんな感じの怪我らしい。ちょっと申し訳ない気がする。

6月2日 厳しい
3時過ぎからはH先生の下半身のリハビリ、脚の可動域訓練も3回の立位訓練も両方とも厳しかった、ほんと久しぶりに 運動したって感じがした。まずは股関節の可動訓練、太ももの股関節側の腱辺りが我慢ギリギリの痛さでよーく伸びてる。 H先生のリハビリはどこをどう動かしたいのかその意図が分かるから心構えがしやすいのだ。それに僕の股関節の内側の 痛みを考えながら動かしてもらえるから太もも外側の健も伸びた。次に膝の後ろを伸ばす訓練、これも太ももの膝側の 筋肉が痛いほど伸びていた。その次は踵・アキレス腱とふくらはぎの可動域訓練、H先生は容赦がなかった 涙が出る くらい痛かった。でもこのくらい厳しくないと固まってしまった踵は少しも柔らかくはならないだろう。我慢…。
最後に立位訓練、これも厳しかった。僕は膝が曲がったままだと力が入らない。膝がある程度伸びたらようやく力が 入るようになるのだけれど、H先生はその瞬間僕に目いっぱい力を入れさせ立たせてくれた。それから左右の足に重心 移動も…、しんどかったけど運動したっていう充実感があった。一週間に一度ぐらいこんなしんどい日があっても いいかなと思った、疲労は残らなかったし。

6月1日 H先生のリハビリ
11時前からは車椅子に座った状態でH先生のリハビリ、まずは右肩の可動域訓練 いつものことながら程よい我慢が必要。 H先生にリハビリしてもらうようになってから肩の可動域は左右とも少し広がっていると思うのだが、違うかな。腕を 横から挙げる時より真っ直ぐ上に挙げる時の方が肩の可動域は広いと思うのだけれど 可動域が違うのは何故だろう。
それから歩行訓練。車椅子から立ち上がらせてもらって腰を伸ばすと右の腰が痛むけど…その時だけ、歩く時には 痛まない。今日も右脚に力を込める際にはいつもの様に幾分かの不安はあったが 右脚にはちゃんと力も入ったし歩けた、 まあまあだな。


[2021年の先頭に戻る]



5月
5月30日 無念
gacco講座「【経営学】事例から学ぶデジタル・トランスフォーメーション」 Week3、朝で確認テストまで終わった。しかし ついに二者択一を間違えてしまった。「ビッグデータが画一的かつ少量のデータ」の所に違和感は覚えていたのに 「ビッグ データは多種多様かつ大量のデータ」と理解していたのに、それに第5問だけ「○○社の実践事例において」の前に用語の 説明 それも誤った説明が付いていたのに 引っかかってしまった。初歩的ミス、無念!。緊張の糸が 切れてしまった。

5月28日 往診
今日は午前中お風呂・午後からは往診と車椅子移乗、お風呂はゆっくり洗ってもらいゆっくりお湯に浸かって 気持ち 良かった。午後2時からT先生の往診、先ずは診察とカニューレ交換、それから我が町の新型コロナウイルスの状況を 話してくださった。
我が町の新型コロナウイルスのワクチン接種は順調にいっているとのことで、6月初めから65歳〜74歳の人の予約受付が 始まり 7月中には64歳以下の基礎疾患のある人のワクチン接種も出来るんじゃないかなとのこと。僕の場合通院は県外の 病院に行っている(所要時間30分)からその病院でのワクチン接種はたぶん無理、往診で滞欧出来るのではないかと おっしゃった。
菅総理肝いりの「7月末までに65歳以上の高齢者にワクチン接種を終わらせる」との方針、我が町は可能との見込み。だが 「難しい」と答えた自治体には総務相の部課長クラスから首長に対して何度となく「忖度せよ」と圧力の電話が入ると報道が あった。ひどいものだ。それならそれに見合う人・物・金の支援をすべきと思うが…。

5月26日 H先生のリハビリ
昨日は上半身・今日は下半身とH先生のリハビリ、やはりH先生のリハビリは激しくて厳しい。時には声を上げたいほど 厳しいと感じることもあるが、そのくらい関節を強く攻めてもらわないと関節の可動域が広がることはないだろう。 H先生とI君の見た目の違いはI君は可動の回数が5回と多いけど1回が10秒ぐらいと短い。一方H先生は1回が1分以上と 長いけど回数はせいぜい1-2回。どちらが正しいかは僕には分からないが考え方の違いだろう、楽なのはI君。それに立位 訓練の時に左右の足に片足ずつ重心をかける訓練をしてもらえる。あとは股関節の痛みを頭に入れて攻め方を工夫して もらえる、それが大きい。それとH先生は褒め上手だ、これは若くて経験の少ないI君には難しいところだろう。

5月24日 三国志 赤壁の戦い
今もう一つはまっているものがある、テレビ東京系で午後5時から平日毎日やっている三国志だ。二ヶ月ぐらい前に 始まったのだけどまだ赤壁の戦い、この調子じゃ三国志80年が終わるのはいつになることか。僕は本で読んだ訳じゃ ない と思う。漫画 横山光輝のコミック全60巻を読んだんだ、たぶん本屋で立ち読みして。テレビはコミックより内容が 詳しくて…面白い。コミックで読んだ背景にこんなことがあったのかが分かって…あらすじが分かってるからこそ 面白い。赤壁の戦いはコミックで26巻、赤壁の戦いの後ろで諸葛孔明と呉の闘将 周瑜との間にこんな心理戦が あったのかと解って コミックの内容をあらためて理解した。今後も楽しみ。

5月23日 Youtuber スーツの鉄道動画にはまってる
最近Youtuber スーツの鉄道移動背景動画にはまってる。今まで利用したことのある路線の移動風景を見ていると 懐かしくもあり面白くもありで、つい時間を忘れてしまう。僕がその路線 九州路や山陽本線を利用してたのはもう 3-40年以上前のこと、当然風景は変わっているから近景を見てもあまり思い出すことがない。それにプラットフォームの 雰囲気はあまり変わらないけど駅舎が大きく変わってる所もある。それでも駅名は次々と頭の中に浮かんできて… 懐かしい。しばらく昔の路線を楽しんで、それから新しい路線の旅をしようかな。

5月21日 通院日
今日は通院日。前日の大雨と今日はいずれ雨になりそうな空、通院の間は雨が降らなければいいなと思っていたけど 行きはなんとかもてた。病院に着いた時に雲がくらくなっていたからいよいよかと思ったが、帰りは我が町我が家に 近づくにつれて空が明るくなった。もう雨とはしばらくおさらばできそう。
リフト車に乗り込んだ時小屋の方からツバメの雛の騒がしくなく声が聞こえてきた。居たんだ、小屋のシャッターを 電動に変えた時の工事の音が大きかったから居なくなったかもしれないと思っていたけど 良かった。今年の何番目の ツバメの雛だろう、しばらく聞かなかったから居なかったから分んないや。隣のおうちの塀際の花壇?に小さいピンクの 花 ナデシコ?が見えた。でもナデシコっていつ咲く花だったっけ。リフト車からたまたま見えた街路樹のツツジ、まだ 残っているんだ。いや残っているという言い方は正しくないのかもしれない、なにせツツジはゴールデンウイークに 咲く花だから例年なら今頃咲いてても何の不思議もないのに。今年は花々の咲くのが早いから感覚が鈍くなっている ようだ。山の新緑からも黄緑がなくなっていた。まだ山が新緑ってことは分かるけど二週間前とは大違い。
病院に着き待合室入り口で検温をされて救急処置室に入りストレッチャーに移ってからバイタル測定、しばらくして 主治医が来て診察とカニューレ交換。それから嫁さんに「ワクチンは打つの?」と聞いていた。嫁さんは「持病持ちだから 8月の往診の時に打ってもらえると思います」と答えていた。僕がワクチンを打つ必要があるの?。訪問リハビリの先生が ワクチン接種を受けたということは訪問看護も同系のK会のヘルパーも近いうちにワクチンを打つだろう。社協は町の 資本が入っているから看護師もヘルパーもワクチン接種は遅くないはずだ。問題は重度障害者訪問介護のヘルパー、 あの人たちは会社に属しているようで属してない。一番長く側にいるのに一般人扱い。まあだから僕もワクチンを 打たなければならないだろうが。副反応はどうだろう、呼吸器を着けた人間のワクチン接種の話はまだどこにも 見てないなあ。
帰りの道中リフト車の窓から外を眺めていた。前日の大雨で川棚川は水はもう濁ってはいなかったけどかなり太っていた、 可動式の板ダムがいつもより立っていたこともあると思うが上流の1m程ある土のうが見えなくなっていた。波佐見町に 入ると所々に麦を植えた田んぼが目につくようになった。黄金色やもう白っぽく見える麦畑も、そろそろ収穫の時期か。 我が町には見られない風景、波佐見町は麦の裏作が盛んなのは何故だろう、田んぼ一枚が我が町のよりどでかいのが 関係あるのかも。

5月20日 gacco講座「【経営学】事例から学ぶデジタル・トランスフォーメーション」開始
レスパイト入院入院前にやり残していたgacco講座「白川文字学への招待−漢字と東洋の歴史文化」のWeek4も終わり時間に 余裕が出来た。やり残しは全国共通テスト(旧センター試験)の数学等々、けれど数学はまだやる気が起きない。それで gacco講座の一覧を見てみたら…やれそうなのは一つだけ。最初講座名「【経営学】事例から学ぶデジタル・トランス フォーメーション」には全く興味は湧かなかったのだが、凸版印刷のCMでDXと言ってたことを思い出し今流行の用語 なのかもしれないと思い受講することにした。それに社会人時代の初期頃に凸版印刷の工場には行ったことがあって、 グラビア印刷の制作・印刷工程を見せてもらったことを今も覚えているし。
Week1をDXの概要を視聴してもDXの内容はよく理解出来なかった。Wordでのまとめをしたら少し解るようになるのかな。 確認テストは二者択一、立命館大学の講座にしては珍しくスリリング。

5月19日 入浴車
10時過ぎから入浴車、今日の井戸端会議は運動会の話題でこの新型コロナウイルス渦で見学できる人の人数が 限られているとのこと。こんな時は昔のように9月に戻せばいいのに。先週のお風呂の時はお湯に浸かっていても背中 全体がかゆくて堪らなかったが、今日は両肩のすぐ下がかゆいだけ。レスタミンだけ塗るようにしてだいぶ改善した みたい。成功だった。
下半身&立位訓練のリハビリは先週でI君が辞めて今週からH先生が来てくれる予定だったけど…午後から新型コロナ ウイルスのワクチン接種の予定が入ったとかで今日は中止。まあ来週ワクチンの感想を教えてもらえるかな。

5月18日 H先生のリハビリ
9時半から訪問看護師さんが朝のケアを施してくれて10時半には車椅子に座っていた。そして11時前にH先生到着して 上半身のリハビリ開始。今日のH先生の肩の可動域訓練、結構漫画が必要だったからH先生は攻めていた と思う。 4歩の歩行訓練は左足重心の時に太ももの筋肉に少し何かなって感じることがあったけど…その際にも脚と腰にちゃんと 力が入ったので歩行自体はまあまあかな。でも入院した時の貯金がなくなりつつあるのはたしか、昨日も立ち上がって 腰を伸ばしてもらった時両膝が膝折れしたしな。どうしたらいいのか、考え中。

5月16日 一緒に居たいな
病院は面会禁止だから嫁さんにでさえ会えない。だから寂しくて そして嫁さんに会いたくて会いたくて…。
一日のうち11-13時間は重度障害者訪問介護のヘルパーさんが側にいるから、そして平日は日中もケアが入るから 嫁さんに傍に居てほしくても…出来ない。まあ嫁さんは元々用がある時かコールして呼んだ時しか僕の部屋には 来ないから…僕としては寂しいのだが。でも日曜日の日中は一緒にいるチャンス、だから昼過ぎ「僕の部屋に居て」と 頼んだんだ。そして嫁さんは部屋に居てくれたのだけど残念ながら僕の視野の外、これって意味があるのかな。

5月14日 突然夏模様?
今日の朝立てた目標はgacco講座「白川文字学への招待−漢字と東洋の歴史文化」Week4の確認クイズを終わらせることと Cちゃんへのメール送信、確認クイズまでは昨日終わらせて今日はメールに集中したかったけど…夜までにメールも 送れたから結果オーライ。久々に目標達成!
10時過ぎからは入浴車、今日は少し早くてパソコンを終わらせる前に到着。あせった。今日の入浴車のスタッフは M看護師を除けば一昔前のメンバー、ホント長く利用しているな。今日浴槽に浸かってる時に背中がかゆくなった。これは 夏場の汗疹の症状、5月中旬なのにもう汗疹?。以前と変わったことと言えば背中に塗る薬への薬用ワセリンの混合と マットレスと暑さ。それでベッドに戻ったらすぐエアコン(25℃冷房)を点けてもらって、昼嫁さんに午後の往診の時に レスタミンを出してもらうよう頼んだ。背中はしばらくレスタミンを単独で塗るようにしてみよう。それで駄目だったら マットレスか。
午後2時からは往診、診察とカニューレ交換が終わったらT先生が新型コロナウイルスのワクチンの状況を話してくれた。 ワクチンさえ予定通り来れば7月末までに高齢者のワクチン接種は終わるとこと。僕のような基礎疾患のある者は その後かなって。それにしてもファイザー社のワクチンの1回目と2回目の間隔は3週間か、難しいことになりそう。

5月12日 I君 最後の下半身のリハビリ
午後3時半前からはI君のリハビリ、今日で最後。まず股関節の可動域訓練。股関節症を持っている僕には太ももの内転は なかなか厳しいがI君も上手くなった。次に膝の可動域訓練、最初にI君にやってもらった時には力任せにそしていっきに 脚を持ち上げたので膝の後ろがずい分痛かったことを思いだした。それから踵・ふくらはぎの曲げ伸ばし、最初の頃I君も 怖がっていたのか物足りなくて…。そして腰上げ10回をして最後は立位訓練、最初の頃はI君は僕を立たせるのにかなり 苦労していたがいつ頃からかコツをつかんで急に僕を立たせるのが上手くなった。今日は僕の調子がいいこともあって 難なく僕を立たせてくれた。そして最後の別れの挨拶、I君にはいろいろな思い入れがあったようで少し涙が こぼれていた。
二年間お疲れ様でした。健康のためにももっとお腹を引っ込めた方がいいよ、あと最低5kg減かな。

5月11日 嫁さんの誕生日
今日は嫁さんの誕生日、今回退院してからの僕の優先順位の最優先はメールよりもFacebookよりも嫁さんへのバースデー カードの作成と送付、それも10年分。以前指定したメールアドレスに絵付のメッセージを送れるグリーティングカードを 使ったことがあって、入院前にウエブサイトで検索して10年先までメッセージを送れるパワーアップしたグリーティング カードのサイトを見つけておいたのだ。7年分は入院中に毎日のように考えていたからメッセージを何とか埋めたけど、 2031年のあと4年分のメッセージがなかなか作れない。1年はいつまでもきれいでいて欲しいと書くつもりで2031年最後の 年は僕と結婚してくれたことに対しての感謝とお礼、でもあと2年分はどうしよう。まあ今年の誕生日のメッセージは もう送ったからもう少しかかってもいいかな。
11時前からはH先生のリハビリ、3週間ぶりのH先生のリハビリだけど退院した直後はよく力が入るから歩行も大丈夫だと 思っていたけど、やっぱりそうで腰や脚に程よく力が入り十分踏ん張れたと思う。ここ数ヶ月で一番良かったんじゃ ないかな。病院作業療法士さんが僕のリハビリを施すのが初めての先生で、思いっ切り動かすのはやはり怖いらしく 途中で力を緩めてしまう。ただその代わり寝る前に看護師さんか僕の希望に沿って手脚を動かしてくれるから、H先生の 上半身のリハビリにも十分に耐えられた。懸念していた心配もなく 諸々良かった。

5月8日 ぼろぼろ
病院でのお風呂が二週間に一回になったのと石けんなしの顔拭きが朝一回だけなので頭も顔もぼろぼろ。途中で洗髪を 一回してもらって鼻の下にも何回かリンデロンを塗ってもらったのだけど、訪問看護師さんの言い方を聞いていると どうも全然改善しなかったようだ。確かに両方のもみあげと頭の裏(枕が接している部分)がかゆいはずだ。これから訪問 看護師さんたちが何日かかけて丁寧に洗ってかゆみを取ってくれるだろう。分刻みで動く病院の看護師さんたちに在宅 並みのケア 洗髪や洗顔を期待する方が間違いなのだ。これまで僕はまだ病棟の看護師さんたちに優遇されている方だ、 感謝すべき立場なのだから。


[2021年の先頭に戻る]



4月
4月23日〜5月7日 レスパイト入院
入院当日は病棟に上がる前にまずPCR検査、奥まった診察室?に一人通されて知らない先生に細長いふにゃふにゃの綿棒?を くしゃみが出そうなほど鼻の穴に突っ込まれた。呼吸器を着けてると空気が鼻を通らないのに新型コロナウイルスは なんで鼻に集まるのかなあ なんてPCR検査を受けながら考えた。僕が5階の個室に通されPCRの結果が陰性と看護師さんに 教えられたのが検査を受けて約5時間後、その間看護師さんたちはいつも通りのケアをしてくれていたのだが…僕が 陽性だったらどうするのかなってなんとなく考えていた。そして結果が陰性ならいつもの4人部屋に移れると聞いて いたのだが…4人部屋が満室と、ガーン。結局この個室でレスパイトの二週間を過ごすことになった。実は僕は個室が 泣くほど嫌いなのだ、なぜならナースコールを鳴らさないと看護師さんたちが来ないから。僕はオーバーテーブルの底の 梁に貼り付けたスイッチを右足の甲で蹴り上げてナースコール用のピルケールスイッチを鳴らすのだけど、テーブルが たまに動いてorスイッチの接触が悪くなってナースコールを押せないことが今までにも何度かあったんだ。4人部屋なら 他の患者さんのケアで来た時に僕の様子も見てくれるから…。
でも個室で良いことももちろんあった、他の患者さんがいないから比較的静かだったし 外の裏山の新緑の景色がこの 病室の窓からはきれいに見えた。ひと言で緑・黄緑と言っても色んなグラデーションがある、この新緑の風景を絵画にして切り取って持ち帰りたいくらいだった。絵の上手い方はどうにかして影と色のグラデーションを使っていくのだろうが、 図工・美術がずっと3の僕には影や色のグラデーションの出し方がどうしても分からなくて絵を上手く描くことが 出来なかった。まあだからずっと美術が3だったんだけど。それに今回は窓からトンビ?が毎日のように見えた。 トンビが2羽で戯れている時もあって夫婦かなって感じで羨ましかった、今病院は完全面会禁止で嫁さんでさえも病棟に 上がってこられなかったから…本当に寂しかったなあ。この病院に入院するようになって20年近くなるが2羽のトンビが 一緒に飛んでいるのを見るのは珍しいのだ。トンビが大空を悠々と飛んでいる姿を見るとほんといいなあって感じだ。 川棚の病院からはよくこのトンビが見えるのだが海や山が近くにあって自然が豊かだからかもしれないな。
今回の病棟は何か変、八病棟ほどではなかったがナースコールの対応がかなり悪くっていたしお風呂が二週間に一回に 決定と、そんなのあり得ないだろう。今回は久しぶりに胸のレントゲンを撮り心電図検査も主治医からは「変わりは ない」と。いつもの血液検査と検尿に関しても主治医からの言及はなかったし、取り立てて悪い所はないということ だろう。今回の入院中の体重測定で58,5kg、また増えた 3kg。その分全身の浮腫(むくみ)が強くなっているのだろう。 このまま60kgまで増えるようなら血糖値を左右しないでよく尿を出す薬がないか主治医に相談しないといけないな。 今回の入院中も車椅子には毎日座らせてもらったし、リハビリも平日は毎日&連休中も一度。それに3回立たせて もらった。入院中は寝不足解消と身体を休める期間と自分の中で決めている。とはいえ立てなくなっては困る。3回の 立位訓練ぐらいが最低限いいのかなと。看護師さんたちそれにリハビリの先生方 ありがとうございました。
4月の人事異動で3人の顔見知りの看護師さんとそれに病棟看護師長が他の病院・病棟へ移動。この病棟で一番長い 付き合いで僕をほんのりさせてくれたNさん・不思議なキャラのSさん・優しさが顔に出てたR、またいつか会いたい ものだが僕がそこまでもてるか?。それにしても病棟看護師長が2年連続1年で変わるなんて異常、まあこれが病棟の おかしな雰囲気の原因かは疑問だが、退院時に看護師が呼ばないと来ないなんて前代未聞。病棟看護師長の指導方法が 疑問視される事態だが…今回急におかしくなるはずもなく、それに看護師のSちゃん(僕のお気に入りの看護師の一人)の 対応も気になったし 5階病棟に何か問題ありの予感がする。働き方改革の負の側面が出てきたか?。
今年も誕生日を病院で迎えた。もう63歳 早いものだ、この年を生きて迎えられるとは思っていなかった。ALSという 病気になってもう四半世紀以上、つらいと思ったことは何度もあった。それに耐えて生きてこられたのは嫁さんの たくましい支えと叱咤激励があったからだ。「みどり ありがとう」 誕生日を病院で迎えるのももう20年近く、家にいても お祝いするわけでもなく…。看護師のMさんが「おめでとう」と言いに来てくれた。Mさんのお父さんが僕と同じ年だそうで 僕の誕生日も覚えていてくれるのだ。誕生日が来ても年がいっこ増えるという事実だけでどうってことはないが 「おめでとう」と言ってもらえるとやはり嬉しいものだ。しかし面会禁止で嫁さんでさえ会いには来れない、寂しい誕生日 だった。ついでに言うと昭和の日の未明に嫁さんの夢を見てからは頭の中に浮かんでくるのは嫁さんのことばかり、 会いたくて会いたくて…堪らなかった。

4月19日 まぶたが開かない
疲れが溜まってるのか寝不足が限界に達したのか はたまた両方なのか朝から目が開こうとしない。未明の3-4時の間に だいたい目が覚めるのだがそれからはちっとも眠れない。これが寝不足の原因、二度寝出来なくなったのは薬が合わなく なったのかなあ。朝のケアの時にずっと目をつむってやすんでいたらようやく目が覚めた。最近こんなことばっかし。 でもまあいいや。今週末からレスパイト、飽きるくらい寝溜め出来る。腰の痛みも休ませている間に少し治まると いいのにな。

4月18日 考え方の違い 最小限と最大限
重度障害者訪問介護のヘルパーさんたちは度々部屋に入ってきて話し掛けてくるのが煩わしいと僕は正直感じている、 まあ僕としても部屋に度々入ってくるのはヘルパーの見守りという仕事だからしょうがないと理解すべきだとは 分かっちゃいるけれど。それに吸引出来る介護としての腕ももうひとつ信用していない。そんな心情の中で一日の半分を ヘルパーさんを側にして過ごしているのだから僕はヘルパーさんを最小限しか利用しないし必要最低限しか話し掛けも しない、ただでさえしんどいのにさらに文字盤で疲れるのは嫌だから。だいたい重度障害者訪問介護のヘルパーさんには 情がないよな、仕事だからきてるってのが行動に出てる。
一方嫁さんは町や国にあれだけ高い金(一千万円?)を出してもらっているのだからヘルパーさんを最大限に目いっぱい 利用しなければと考えているようだ。だからヵ重度障害者訪問介護のヘルパーさんがきている時は呼ばない限り僕の 部屋にはほぼ来ない。見放されているようで寂しいものだ。それにしても任せきりって、嫁さんは重度障害者訪問介護の ヘルパーさんをそんなに信頼出来るの? どんな介護を行ってるか気にならないの?。

4月15日 聞き間違い?
訪問看護S Nの主任が怪我をしてNの訪問看護が交代してか3週間が経ったと思うが未だに元に戻る気配がない。その 疑問を車椅子移乗の時ヘルパーさんが訪問看護S Mの所長に尋ねてくれた。そうしたら元に戻るのは3ヵ月後って、えっ 僕の聞き間違い?。でも完治まで3ヵ月もかかるなんて、よっぽどの大怪我なんだな。ま 僕としては便も出るし、 いいんだけど。

4月14日 gacco講座「白川文字学への招待−漢字と東洋の歴史文化」開始
早朝から次のgaccoを始めた。講座名は「白川文字学への招待−漢字と東洋の歴史文化」、白川と歴史という言葉につい 興味をを引かれたのだ。視聴してみると面白そうだけど解りづらいところがあった、流石に苦手分野だ。でもまあ 講座が立命館大学主催らしく確認クイズは4-5択で回答可能回数3回、修了はほぼ確定だろう 60/100でいいし。問題は 期限だけど5月29日まで、レスパイト入院しても余程のことがない限りなんとかなるだろう。
10時過ぎからは入浴車。今日の担当看護師はW吉田、二人揃ったのは久しぶり。今日も気持ち良くお風呂に入った。今朝も寒かったらしいが僕はいつも暖房が効いている部屋にいるからよく分らなかったけど…そういえば今朝は肺がグーンと 冷えてホットパックで胸を暖めていないと寒くてどうしようもなかったなあ、まあ最近はほとんどそうだけど。
午後3時半頃からはI君の下半身のリハビリ、立位訓練の時腰を伸ばそうとすると相変わらず不安定だけど後は不満なし。 お尻の左上が時々痛むのが気になるかな。最後に重大な告白、5月で辞めると。うちが遠いから。

4月13日 H先生の上半身のリハビリ
11時過ぎからH先生の上半身のリハビリ、今日の可動域訓練も大分痛むのに耐えられたと思う。最近また痛みに強く なった。肩の可動域の途中から嫁さんが出かけていって4歩の歩行訓練に間に合わなかった。それでH先生が歩行前の 吸引からベッドへ横になるところまで一人でやってもらった。しかもほぼ安心感のあること、何の問題も見当たら なかった。当の歩行の方はまあまあかな、1歩目の左足はつま先が引っかかったけど踏ん張れたし 今日は以前のように 後ろ足で身体を押すつもりでいたけど…やり方を忘れちゃっていた。情けない。

4月12日 肺が冷えてる
僕は早朝から肺がずいぶん冷えて体調はもう一つ。胸にホットパックを置いてもらっても肺は冷えたまま、くしゃみまで 出てきて鼻水もポロリ。いつもはしばらくしたら胸が温もってくるのに今日は…こんなにいつまでも肺が冷えたままって ことは珍しかった。
嫁さんも朝見た時から本当に具合が悪そうだった。そして昼前に娘が来て嫁さんを病院に連れていった。相当具合が 悪いようだ。嫁さんは点滴を打って戻ってきて、その後もずっと寝ていたらしい。嫁さんは2-3年に一度こんなことが ある。何だろう。
朝のケアが終わった後も車椅子に座った後もまだ肺が冷えてる感じがあってその度に胸にホットパックを置いて もらった。こんな風に一日中肺が冷えてる感じがするのは初めて、2-3カ月前からずっと肺の調子がもう一つのような 気がしていた。僕の肺に何か起こっているのかな、ちょっと不安?。

4月11日 疲れてる
このところ夜熟睡出来なくてずっと寝不足が続いている。それに重度障害者訪問介護が1名増えるということで先週から 同行が行われている。増えるのは嬉しい?のだけれど新人さんが慣れるまで文字盤やら介護の技術・手順やらで疲れる ことがいっぱいだ。ただでさえ重度障害者訪問介護と一緒にいる13時間に未だに馴染めないで顔出しの多さに疲れて いるのにこういうことが重なると…しんどいなあ。まああと12日でレスパイト、そうなると寝溜めは出来るし気を 使わなくてすむ。パソコンを使えないのは寂しいけど身体と心?のリフレッシュだ。あと12日 頑張ろう。

4月9日 gacco講座「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」終わった
およそ20日前に始めたgacco講座「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」、一部解りにくい部分もあったが概ね理解も 出来てWordによるまとめも終わった。確認クイズも100点で修了、まあ立命館大学の講座は問題もひねくれてないし 回答も3回出来る。この条件で100点以外の受講生がいるとは思えないけど。次に受講したい講座も決めている、これも 立命館大学の講座。期限は受講登録をしてから45日だから余程レスパイト入院が長引かない限り最後(Week4)まで受講 出来るだろう。ただ次やりたい講座は人文系で僕の苦手分野、それにメール発返信やこの雑記帳作成がいっぱい 残っている。いつ取りかかれるかなあ。

4月7日 I君の下半身のリハビリ
午後3時半頃からはI君の下半身のリハビリ、始まる前に「股関節の内側の筋を伸ばす時に僕の足首を太ももにのせたら 膝が痛いからのせないで」と言っておいたが意図は伝わらなかったようだ。「太ももの内側を伸ばすのは止めましょうか」 と、その後僕の要望を伝えるのに長い説明を要したが。言葉で想いを伝えるのは本当に難しい。でもそう伝えたことで 今日は可動域訓練で関節の変な痛みはなかった。立位訓練もいつも通り、腰を伸ばそうとすると不安定になるのは 相変わらずだが。

4月6日 H先生のリハビリ
11時過ぎからH先生のリハビリ。今日は若干ゆっくりペースか、肩の可動域訓練の時間がいつもより少し長いような気が したが H先生のその厳しい?攻めにもなんとか耐えられた。肩の可動域は少しは広がっているのかな。手の指の可動域は これ以上は難しいようだ。肩も手の指も僕にとってはもうギリギリの線のようだから、特に手の指の関節は。
4歩の歩行訓練はまあまあかな、足の重心移動に少し不安?を感じるとこもあったけど膝に力が入ってちゃんと伸ばせた。 腰辺りの痛みは依然としてあるけど前とは質が違う、神経じゃあ膝に繋がる神経ではないみたいだから膝が抜けることは ない。それにこれ以上腰の痛みを訴えると主治医に「立つのは禁止」と言われそうだから禁句、まだ十分耐えられる範囲 なのだから。だけど薬は 神経関連から股関節・背骨の関節の痛みを取る薬に代えて欲しいかな。

4月2日 通院日
今日は通院日、通り道でソメイヨシノをいろいろ見たのだがどれも花びらより葉っぱの方が少し多くなっていた。もう ソメイヨシノは終わりだな、少し寂しい。道中藤の花を見た、もう咲いていた。タンポポも半分が綿毛に変わっていた。 シャクナゲも咲いているらしいし今年は本当に早い。ただ街路樹のツツジの花はまだちらほら、まだ4月上旬なのだから これが本来の姿。もう季節感が麻痺しているようだ。
今日の待ち時間も短く診察もすんなり終わった、大きな異常はないということだろう。また4月23日からのレスパイト 入院が決まった。身体が疲れ気味だから丁度いいのかな?。診察が終わって救急処置室から外に出た時に玄関前の池を 見ると亀が2匹甲羅干ししていた。決して天気が良いとは言えないのにこんな日になんで甲羅干し?。前回の通院の 時には晴れていたのに亀はいなかった。亀の甲羅干しは天気の晴れ曇りに関係ないのか、訳が分からない。


[2021年の先頭に戻る]



3月
3月31日 下半身のリハビリ
3時半前から久しぶりにI君の下半身のリハビリ、I君のリハビリはやっぱりおかしい。太ももの内側 股関節側の腱を I君は伸ばすつもりのはずなのに、膝が変な方向(横)に曲がっていたい。それは僕の足首をI君が自分の太ももに置いて 膝を下に押しているから。そんなことをしたら膝が不自然な方向(横)に曲がることが分からないのだろうか。でも先週 H先生が同じような形で太もも内側の腱&筋を伸ばした際には膝は痛まなかった。何が違っていたのだろう。

3月30日 寒い?
訪問歯科が終わった後頃からか肺や肩が寒くて風邪を引いたみたいな症状が出てきた。いつもなら昼近くになれば肺の 冷えは治まるのだが今日は夕方になっても肺が冷えていた。それで胸にホットパックを当ててもらい夜の経管栄養の時に 漢方薬を入れてもらった。それでも体調の回復具合はもう一つ、仕方がないので寝る前にホットパックを温めなおして もらい再び胸を温め眠剤と一緒に漢方薬も入れた。これで眠って朝になって…回復していればいいのだが。

3月27日 散歩
火曜日の朝のケアの時に所長に「土曜日もし腫れていたら散歩したい」と頼んでおいた。
今日は朝からほどほどいい天気、だけど明日は激しい雨になるという。今日が僕にとってはおそらく桜の花を見る最後の チャンスだろう。だというのに昼の経管栄養が終わった時に嫁さんが「強い風が出てきた、これで本当に散歩に行ける?」 などと不吉なことを言う。心配になってきた。
午後2時45分 所長が来て外出準備。3時過ぎに出発、上に掛けた毛布がめくれるほど本当に風が強い。でも不思議と風は 強くはない、むしろ心地良いくらいだ。家の近くの大樹神社で満開の桜を観賞し、それから隣の地区との境をのんびりと 散策した。大樹神社の桜は今が盛り 本当にきれいだった。駐車場にはまだ桜の花びらは落ちてはいなかったが…強い 風が吹くと花吹雪が舞った。もうすぐ桜の季節も終わりだな。散策途中あらためて周りを眺めてみると桜色が結構 あちこちにあった。隣の地区では9年前に一軒一軒桜の木を買って山の一角にみんなで植樹したそうだ。植える場所は くじ引きで決め日当たり具合でずいぶん成長や咲き具合が違うらしいがその桜林も見えた。菜の花はそろそろ終わりの ようだ。代わりにレンゲ草が増えてきた。そのレンゲ草の上をモンシロチョウやモンキチョウが飛んでいてヒバリの 鳴き声も聞こえていた。もうすっかり春だなあ。ありがとうございました。

3月24日 下半身のリハビリ
今週もI君は休み、ピンチヒッターとしてH先生のリハビリは理にかなっていると思うのだがその分厳しい。今日新しい 発見があった。この1年ぐらい両股関節の外側付近の腱?(大腿二頭筋?の)がずっと痛んでいたのだけど(特に左)、H先生が 股関節を大きくゴリゴリと動かしてくれたからかその後はほとんど痛まなくなった。これは…もしかしたら股関節症を 気にしすぎて痛むのを恐れ腱を伸ばすのを忘れたか。情けない。これからは痛むのを我慢してでも股関節回りの腱を 伸ばしてもらうようにしようかな。

3月23日 H先生のリハビリ
今日は朝から良い天気、8時頃窓から朝日が差し込んでベッドに寝ている僕の顔に当たりとってもいい気持ち。今日の ケアの担当は所長、所長が「部屋の中より外の方が暖かい」と言ったので車椅子に座っている時に久しぶりに庭の方を見て 窓は開けたままにしていてもらった。なかなか気持ちがいい。
11時前からはH先生のリハビリ、今日はそのまま庭を見ながらの可動域訓練 肩の関節を動かしてもらった。庭の木の 枝には何回か小鳥(スズメ?)が飛んできて止まったり少し離れた所ではカラスが遊んでいたり 何回もモンシロチョウが 飛んできたりと、こんな風景を見るのは久しぶりだ。それにしてもモンシロチョウってこんなに直線的にしかも素早く 飛ぶのか、これまで花やキャベツの上をふわふわと飛び遊ぶ姿しか見たことないからちょっと新鮮だった。
次は4歩の歩行訓練、意識して腰や脚に力を込めないとすぐ歩き・左右の足への体重移動が不安定になる。今日は体重 移動を促すため後ろ足で身体を押すよう努めてみた。これがそうをこうしたのか3歩目までは上手くいった。4歩目の ターンは体重移動は難しいなあ。

3月21日 長生きしすぎたか
ALSを発病して今年でおそらく27年目 食事が出来なくなって15年、たくさんのことを諦めて期待しないようにしてきた。 物事諸々 期待しないようになって心がずいぶん楽になった。期待したら…それがかなわなかった時にその分つらくなる、 それを悟ったから。もうかなり昔の話だけど。
夜もほとんど熟睡?出来てないし疲れがたまっている。代わりに日中のケアの時に休むようにしているがなかなか疲れが 取れない。それに度々の人間不信、楽しいこともほとんど見つけることが出来ないし…。

3月20日 春分の日
今日は春分の日 旗日で訪問看護は休み、代わりにK会のヘルパーさん二人が午前中のケアに来てくれた。祝日にK会の ヘルパーさんが単独で入るのは初めて、だから二人の顔を見るまではどうなるかと思っていたが二人がIちゃんと Mさんだと分かったと知ってまあ大丈夫だろうと思った。まあ案の定何の不都合もなく洗髪・清拭・下洗いと順調に進んで 終わった。Iちゃん・Mさん ありがとうございます。
gacco講座「社会人のためのデータサイエンス演習」のWordによるまとめが終わって(まとめはもう一つ5Week残って いるけど)ひと心地着いたから、共通テストの数学とgacco講座のどちらをやろうと考えたのだが、数学はまだ解く気に ならなくてgacco講座の「法心理・司法臨床:法学と心理学の学融」をやろうと決めた。この講座は立命館大学の主催だから さほど難しくはないと思う。気楽にやろうかな。

3月19日 通院日
今日は通院日、もう二週間前の通院の時とは花の種類も数も全然違って春の装いが漂っていた。二週間前はお隣の ブロック塀際の細長い花壇?には黄色い水仙しか咲いていなかったのに、今日見たら水仙の花はもうなくなっていて 代わりに5-6種類の小さなカラフルな花が いっぱい咲いていた。
桜も見えた。山桜の方が咲き状況は良いようだ、今3〜5分咲きってとこかな。山桜は思っていたよりずっと山の色々な 所にあるんだ、結構たくさん見えた。ソメイヨシノ 病院の桜は咲き始め、今1〜2分咲きってところか。今年は ソメイヨシノより山桜の方が咲くのは早いようだ。
今日は曇り空なのに亀が2匹池で甲羅干ししていた。曇り空なのに何故?、亀の気持ちは分からないな。路傍の田んぼには レンゲ草が咲きモンシロチョウが一羽飛んでいるのが見えた。うちの小屋にはもうツバメも飛んできているしもう すっかり春。
今日の外来は満員で二つの救急処置室は使用中、診察は初めての部屋だった、もうこの病院に20年も通っているのにね。 午前中はどちらかというと暇だったらしいのだが、午後から急に忙しくなったらしく僕の診察直後にも救急車が 着いていた。この病院では新型コロナウイルスのワクチン接種が始まったとのことで、もう全員が一回目の接種は 終わったそうだ。インフルエンザの予防接種より痛くなかったと言っていたし副反応も出なかったとのことだ。僕の 診察はいつも通り、まあ変わりはないということだろう。

3月18日 訪問看護代理
木曜日が担当の訪問看護ステーション Nの主任が怪我をしてしばらく休まざるを得ないとのこと、代わりに他の日 (4日/週)に来てくれている訪問看護Mが午前中のケアも午後の車椅子移乗も来てくれるとのこと。安心だ。でもNの主任は 午後の車椅子移乗担当、午前中のケアは何故Nが来れないのか。診療報酬上の制約で同じ日に二つの訪問看護は 入れないのかな。だとしたら重度障害者の実態を知らない政策だ。

3月17日 今日のリハビリもH先生
I君がお腹の調子がよくないとかで今日の下半身のリハビリもH先生、だいたいI君は若いのにお腹がぷよぷよと膨れていて 肥満体型。左足がI君のお腹に触れる度にいつも気持ち良いと思うのだが、同時にお腹をすっきりさせたいと思わないのかと心配にもなる。あのお腹は奥さんの好みなのかな。それに脚の可動訓練の時I君の場合はどこの部位を 伸ばしたいのかなあ?と感じる時が時々ある。その点H先生は明確&厳しい、これぞと思う部位をこれでもかと思う程まで 攻めてくる。もし声が出たら「痛い」って声が漏れてるかもしれない。立位訓練は一回目にちょっと膝折れ仕掛けたけど 立った際にほんのちょっぴりだけど腰には自由度があった。H先生の方が腰は安定している、やっぱりこれは手の 添え位置と身長の差かなあ。

3月15日 変
昨夜寝る前(午後11時半頃)にちゃんといつも通りラキソベロン(下剤)12滴を服用していたのに…今日の午前中は便意が 全く襲ってこなかったし11時過ぎに浣腸してもらったんだけど便がほとんど出なかった。要するに便が下りてきて いなかったってことらしい。便出しの前日に下剤を使うようになって20年近くになる(昔服用していた下剤は酸化 マグネシウム)が、前日に下剤を使っていたにもかかわらずこんなに便が下りてこないなんておそらく初めて。 それなのに昼の経管栄養が終わってしばらくしてから便意が襲ってきて 便が出てしまった。なんてことだ、どうせなら 車椅子移乗の時間まで待ってくれればよかったのに。そうすれば嫁さんに何の迷惑もかけずにすんだのに。ほんと ままならない身体だ、いつものことながら嫌になってしまうなあ。
それにしても便意が襲ってくるのが9時だったり今日みたいに午後からだったり、幅がありすぎてコントロール出来ない。 ラキソベロンの量を増やせばおそらく早くなるのだろうが…早過ぎたら嫁さんの顔がまた迷惑そうになるもんな。それは それで怖いし…。

3月14日 モモ
この頃夜間のヘルパーさんが鼻水ずるずる、それに時々咳してる。恐らく花粉症だと思うけど…特に咳が気になって しまう。このご時世だからどうしても ね。未だに夜間のヘルパーさんが隣の部屋にいると落ち着かない、それどころか 最近イライラする気持ちが余計に強くなってる。どうしようもないな。
最近のモモはよくベッドに上がってきて僕の脚の間で眠ってくれる、それもほぼ朝晩。今日も8時頃から嫁さんがケアを してくれる10時半まで(眠っているモモを窓際のプリンタの上に強制的に移動?)、ケアが終わった途端ひょっこりと ベッドに上がってきてまた夜までぐっすり休んでいた。良い天気だったからいつか出ていくと思っていたけど…ずっと いた、どういう心境だろうか。この頃家族で僕と一緒に時を過ごしてくれるのは間違いなくモモだ。愛おしい奴だ。

3月12日 風邪引いた?
このところの日々の寒暖差に身体がついていっていないようだ、夜も熟睡出来ていないようだし疲れているのかな。 今日も朝から鼻づまり?、気管切開しているのにおかしな事を言うと思われるかもしれないけどそんな感覚を感じて ならない。車椅子に座っている時も背中が寒くて鼻水が出てベッドに戻ったらくしゃみまで、この状態はまさか風邪 引いたか。こんな時は早めに薬を飲んで早めに寝るのが一番いいって分かっているのだが、早く寝ることもぐっすり 寝ることも今の僕には出来はしない。
例年の3月のこの時期には一週間入院していたが…面会禁止じゃ一週間でも寂しすぎる。病院に入れば寝溜めできるのは よく分っちゃいるけど、幸いパソコンの入力も今年は調子も悪くないしね。

3月11日 グリーティングカード
十数年前になるかな 誕生日にはグリーティングカードを使っていた。急にその事を思い出し「グリーティングカード」で 検索してた。しかしどれも会員登録が必要なものばかり、気軽に使い捨て出来るWebサイトを見つけられずに朝は諦めた。 昼からもう一度検索してみたら、今度はようやく会員登録の要らないサイトを見つけた。まず自分に送ってみたら ちゃんと届いた。そこで疑問が湧いた、このサイトに相手のメールアドレスを書いて信用出来るのかと。それて自分宛に グリーティングカードを送ってそれを転送しようと決めた。でも10年先まで予約出来るのに…惜しいなあ。

3月9日 火曜日のケア
今日火曜日の朝のケアは9時半から、他の曜日より早いからパソコンをしていてもなんとなく落ち着かない。それに10時 半までに車椅子に座らないといけないから慌ただしいし訪問看護師さんも大変だろう。火曜日のケアは洗顔・背中拭き・ 下洗い、僕は乾燥で唇がよく荒れるけど唇の荒れた薄皮を上手に取ってくれるのはMの訪問看護師さんだけかなあ。しかし Mの訪問看護師さんが洗顔してくれるのは今では週に二日だけだもんな。
11時前からはH先生のリハビリ、先週ほど寒くないからか肩の関節を動かしてもらっても傷みはさほど早くは出なかった。 でも車椅子に座っている時に背中に寒さを感じた、あればなんだろう。4歩の歩行訓練の際にも最後の4歩目の右足に重心を 移した時に危うさを感じた。ちょっと不気味。

3月7日 終わった
2月いっぱい苦労したgacco講座「現代に生きる子どもの心理学」と「放射線安全社会入門〜リスクの知見を暮らしに〜」、 Wordによるまとめまでようやく終わった。「現代に生きる子どもの心理学」が100/100(おかしなことに50点分が二択なのに 解答回数が3回)、「放射線安全社会入門〜リスクの知見を暮らしに〜」が確認クイズ56/60+最終レポート25/40=81/100で 二つとも無事修了出来た。まだWordによるまとめが2講座(8Week分)残っているけどひと心地、気になる講座をまた2つ 見つけたからまとめが少し落ち着いたら新しい講座を1つ始めようかな。

3月5日 通院日
今日は通院だった。せっかくの外出なのに曇り空、それに病院に向かう時の僕は眠たくて目がほぼ開かない状態だった。 それでも梅の花の様子が見たくて頑張って目を開けていたつもりだったなのだが、病院へ向かう時は路傍の花がほとんど 僕の目に入らなかった。でも小さな梅林の梅の木だけは頑張って見たつもりだ。梅の花はぼつぼつ、咲き始めの頃の ぼちぼちと違い寂しげな姿になっていた。まあしょうがない、10日もしないうちに桜が咲くとのことだから。次の通院日 19日には桜が見られるかもしれないな。
帰りはバッチリ目も覚めていて車窓からの風景を楽しめた。二週間前とは全く違って黄色がやけに目に入ってきた。 菜の花を見るのは今からが一番いい時期かもしれない、僕の通院コースには菜の花畑がないから一面真っ黄色が 見えないのが残念だけど。昔若い頃ドライブがてらに筑後川沿いの菜の花がよく目に入っていたのだが…いったい何処に 行っていたのだろう? 記憶にないな。日当たりの良い斜めの土手ではタンポポが5-6株咲いていた。僕は今まで道端の くたびれたタンポポとか綿毛をつけたタンポポしか見たことがなかったのだけど、咲いたばかりのタンポポってあんなに 黄色が鮮やかなんだな。もうひとつ目に入ったのが生け垣?の白い花、あれなんて花だろう?。白椿ってあったっけ?、 でも椿にしては花びらの数がずっと多いし形も違うような気がするんだよね。有田に入った頃から青空が見えだし日も 照ってきた、これがもう少し早ければ景色ももう少し違って見えたかなと思ってしまった。でも春はもう来ている。
病院での待ち時間は15分ほど、診察もすぐに済み「今日も早く終った」と思っていたのだが…救急処置室を出てリフト車の 所に行くとリフトが上がらない。ここでも15分ほど試行錯誤してやっと乗れたのだけど…一時は介護タクシーを 覚悟した。このアクシデントがあっても午後2時半には家に着いていたからこの日の通院も早くすんだことになる。 やっぱり新型コロナウイルスの影響で神経内科の外来に来る方が少ないのかもしれないな。

3月3日 なんかおかしい
午後3時前からはI君の下半身のリハビリ、股関節 特にこの一年は左の方がより痛みが強くなっているけど他の関節は 顔を強くしかめるまで攻めても大丈夫。それにしても股関節の外側の健?の痛みがこのところ強くっているのが気になる。 立位訓練の方は腰を伸ばそうとする際に左右の脚に等分に重心がかけられなくて体のバランスが最近取りづらくなって いるのが困りものだ。やっぱりI君の身長が足らないから僕の上半身を支えるのが難しいのか。僕の脇を両手で支えると 安定しやすくなるのだが、そうするとI君の場合は背伸びをして支えているようになるもんな。無理だろうな。

3月2日 寒いの?
今日はモモが4回もベッドに上がってきた、しばらく暖かい日が続いていたし昨夜らから急に冷え込んで外が寒くて 出たくないのかもしれない。1回目は経管栄養の途中の8時頃、こんな時間にベッドに上がってきても1時間半後には プリンタの所に移されるのに。2回目はケアの始まってすぐの時、今日は早めに9時には嫁さんに移されたのだけど車椅子 移乗の邪魔になるとして10分後にはまた嫁さんの手によって再びプリンタの上に移動させられた。3回目はH先生の上半身の 途中、H先生に慣れている風もないモモがこんな行動をするなんて考えてもいなかった。けれどこれは安泰、午後3時 過ぎすぎまでゆっくり休んで外のパトロールへと出かけていった。最後は夜、今日はもう来ないかなと思っていたけど きてくれた。モモが4回も一緒にいてくれるなんて…予想外の嬉しい一日となった。
11時前からのH先生のリハビリの時も可動訓練でいつもよりはるかに早く肩や手の関節あたりに痛みが早く出た。それに 4歩の歩行訓練の時もぎこちなさを感じたし、やはり今日の寒さのせいかなあ。

3月1日 ひと段落
ひと月この雑記帳をさぼってしまった。このひと月やっていたのは二つのgacco講座、その二つ目の講座「放射線安全社会 入門〜リスクの知見を暮らしに〜」の最終レポートを三日かかって書いて今晩遅く出した。2000文字以内って指定だったが 2800文字書いてマイナス決定だ。相互採点だから他の5人の採点をしたけど、みんな独創的な内容で新しいストーリーを 展開したものでレベルがものすごく高い、驚いた。この講座を受けてる人ってこんなにレベルが高いの。
修了点まであと4点だから僕のつたない貧弱なレポートでも届いてはいるだろう、ひと段落。まだWordによるまとめが 残ってはいるけれど…このひと月寝不足の毎日、疲れた!。


[2021年の先頭に戻る]



2月
2月26日 散髪
今日は行事満載で慌ただしい一日だった。先ずは9時過ぎに訪問理容、いつものようにKさんと昔勤めていた会社の人事の 女性に似ていると以前は思っていた方と一緒に。カットは30分もかからずに終った。その後嫁さんからや訪問の みなさんから言われた最初のひと言は「まあすっきり、寒くない?」。そんなこと言われても僕はこの20年全てKさんに お任せ、僕から指示なんて物理的に出来る訳もなくいつもKさんが今風に切ってくれるのを受け入れるだけ。僕に決定権は一切ない、まあ鏡を見ることもないし頭を触ることも出来ないから気にもならないけど。でも短さ、中学校の時の坊主 以来じゃないかな。
10時過ぎからは入浴車、ゆっくり温もった。そして昼の経管栄養を入れて午後2時からかかりつけ医のT先生の往診、 その後3時から車椅子移乗だ。ここまで本当に忙しい一日だった。今からちょっとゆっくりするかなあ。でも夕方は 重度障害者訪問介護が入るから精神的には楽にならないか。

2月23日 祝日 天皇誕生日?
初めて2月のカレンダーを見た時23日が赤字、最初は何の祝日かと思ったけど天皇誕生日と当たりをつけていた。23日は 祝日だけどH先生はリハビリに来てくれるとのこと。その上いつもは訪問看護師さんとヘルパーさんが車椅子に座らせて くれるのをこの日はH先生がそれもやってくれるって。ありがたい。
今日はH先生が10時半過ぎに来てまず軽く脚のリハビリ、H先生は「軽く」と言ってたけれど…ふくらはぎも十分伸びて結構 ハードだった。「左足首の方が固い」と、そうだったの。それから装具を着けベッドサイドに座ってから起立、立つのも 腰を伸ばすのもH先生の方が楽、身長の差かなあ。車椅子に座って右肩と右腕の可動訓練、よく我慢出来た。歩行訓練も 踏ん張れたし調子は良い方かな。H先生 ありがとうございました。

2月19日 通院日
今日は通院日。前日の雪の降る寒い一日から一転して今日は青空、絶好のお出かけ日和になった。車椅子に移って 玄関から出たら明るい陽射しが顔に当たってポッカポカ、だけどリフト車に乗り込む時に風が当たったら寒いっ。2月の この時期はこんなに暖かくてまだこんなに寒いんだ。リフト車の中から外を見てたら2カ所だけだが紅梅と白梅が見えた、 移動しているリフト車の中からだから僕の視線の高さも悪いしほんのちょっとだけだけど。まだ花びらが小さくてあまり 目立たなかったけど…。今日は梅を探してたんだ。
今日の待ち時間は30分ぐらい、でも診察は処置も含めて約10分だけ。異常はないということだろう。帰りのリフト車に 乗り込む時に池を見たらこんなに良い天気だったのに今日は亀は甲羅干ししていなかった。2週間前は曇り空でも甲羅干し してたのに、なんでだろう。

2月18日 雪
朝のケアで体交の時に窓の方を見たら 粉雪ぼたん雪 淡白く見えるほど雪が降っていた。木の枝にもこんもりと、昨日も 昼間時々雪が降っていたのは気付いていたがこんなに積っているとは…きっと昨晩から降り続いていたのだろう。 知らなかった!。ケアの途中で珍しく僕の部屋に入ってきた嫁さんを呼び止め「写真」と頼んだ。あとで写真を見ると庭も 玄関前の盆栽も真っ白、子供の頃から積雪には目ざとい方なの気付かないなんて 疲れているのかな。それにしてもこの 雪の量、年末年始がどうだったか分からないけど今シーズン一番の雪じゃないの。どうりで昨日娘が顔を見せたはずだ、 何でかなと思っていたが 泊まれば良かったのに。まあ泊まっても僕とはゆっくり話すことはしないだろうけど。長時間 僕の傍にいてくれるのはモモだけ、孤独!?。

2月8日 無謀?
gacco講座「現代に生きる子どもの心理学」が修了出来ることがはっきり決まったので、無謀にもずっと気になっていた 「放射線安全社会入門〜リスクの知見を暮らしに〜」をもういっこ受講することにした。これからどのくらい 忙しくなるか想像つかないけど…出来るかなあ。『受講する』をクリックしてから後悔・・・、なんせ最後に40点の最終 レポートがあるなんて知らなかったから。頑張れ〜ぇ。

2月5日 通院日
今日は通院日、朝は朝日の赤い光が部屋に差し込んできて一日中良い天気になりそうだと思ったのだが…。出かける 正午時に外に出た際には明るい光に包まれていたのに、病院に着いた時には全くの曇り空 亀も水の中でお休み中? だった。病院へ向かう途中の風景をリフト車から見ても 目の高さが良くなかったのか 路傍にはたまに終わりを迎えつつ ある白い水仙と生け垣の赤い山茶花?が見えたのみ、あとはプランターに植えられた花だけがやけに目についた。梅が 咲き揃うまでのこの時期が道すがらの花々が一番少ない時かもしれないな。リフト車の運転手によって病院に向かう コースが違うから、今の梅の花の咲き具合は分からなかった。
病院に着いて待合室の手前で検温を済ませ、あっ マスク探査器が新設されていて 「マスクをしてください」と注意された (笑)。救急処置室に入り車椅子からストレッチャーに移ってバイタルを計り終えたところにもう主治医が来て、診察と カニューレ交換を済ませて「次は二週間後に」と告げて去って行った。そして午後1時半にはリフト車に乗り込んで 帰ってきた。部屋を出たのが正午過ぎ 帰ってきてベッドに横になり時計を見たら2時5分、もう20年通院してるけど 今回が一番早いんじゃないかなあ。

2月4日 訪問 いっぱい
今日は思いがけなく予定外の訪問者がいっぱい来た。9時45分からの朝のケア・午後3時からの車椅子移乗はスケジュール 通り、それ以外に11時半に保健師さんたちが担当交代の挨拶に来たり午後1時半に人工呼吸器の担当が点検に来たり 予定外(嫁さんは少なくとも呼吸器の担当者が来ることは知っていたはずだけど)。保健師さんは前から災害緊急時対応の ため発電機または蓄電器の購入を勧めている。今日もその話が出たが、どうせ去年の台風の時のように災害前には事前に 病院に避難するのだから本当に必要なの? という思いが強い。かといって1月のように停電が長いと吸引が心配だしな。 20万円の補助金も出るし、保健師さんとしては僕に佐賀県の申請第一号になって欲しいみたい。ところで呼吸器の今の 担当者には未だになじめない。なんせ向こうからは僕に話し掛けようとしないもの。


[2021年の先頭に戻る]



1月
1月30日 生理的に合わない?
昨日今日と夜間の重度障害者訪問介護の担当はK君、今夜も我慢の夜になりそうだ。言葉遣いも手脚のマッサージも 丁寧なんだけど動きの一つ一つが気にさわる。最初の日に背中から出ているシャツを見てだらしないやつと思ったせいか まだ若いのにだぶだぶのお腹をしているのが気に入らないのか頭悪そうと思ったからか…この先も好きになりそうに ない。僕はどちらかというと人好きの性格だからこんななの珍しい。生理的に合わないのかな。

1月27日 gacco講座「現代に生きる子どもの心理学」受講開始
つい新しい講座を受講したくなって講座一覧を覗いたら気になる講座が二つ、「現代に生きる子どもの心理学」と 「放射線安全社会入門〜リスクの知見を暮らしに〜」。どちらかはやりたいものだが…東北大の講座は元来難しい講座が 多いし確認クイズの解答可能回数が一回と厳しいから、今回は無難な方にしておくか。それにこの講座は娘も興味か゜ ありそうな内容だから紹介しとくか。これで娘との会話が増えるかも。

1月25日 gacco講座「社会人のためのデータサイエンス演習」まとめを始める
やり残していたgacco講座のまとめの二つのうちの一つ「社会人のためのデータサイエンス演習」のWordによるまとめを 今日からやり始めた。この講座は96点ですでに修了しているが久しぶりに講義の動画を見たら覚え直すことがたくさん 見つかった。あと二つのまとめ 合わせて11Week分、これからどれくらいかかるのだろう。気が遠くなりそう。

1月24日 疲れる?
日曜日日中の重度障害者訪問介護は人手不足のためになくなったけれど前日の夜間の介護が1時間半長くなって 7時半まで、僕としてはその1時間半長くなったことさえ嫌なのだが…嫁さんが週に一度7時まで休める嫁さんにとって 大切な日と思うと「いつも通りの時間に短くしてくれ」なんてとても言えない。今朝なんかも右足のスイッチが全然 合わなくて、それも7時までの辛抱と諦めて左足のスイッチだけでパソコンを操作していたのに…嫁さんは7時になって 隣の部屋でヘルパーさんに経管栄養を手渡し顔も見せなかった。ガーン!。嫁さんは僕が重度障害者訪問介護にどんなに 疲れているか知る気がないんだ。
夜間の重度障害者訪問介護は呼吸器の回路をチューブと呼ぶ呼吸器に関しても無知な准看護師Kさん(言葉遣いは丁寧だし 良い所も幾つか見えてはいるが…第一印象が悪すぎた)、そう分かった瞬間僕は諦めて我慢の夜になることを覚悟した。 それにしてもT介護事業所九州という会社はこれから担当しようとする者に担当する対象者が患っている病気や(僕の 場合は)人工呼吸器の基本的知識ぐらいは勉強しておけという指導・命令はしないのか、また介護を担当する者に それくらいの知識は身につけておくという向上心はないのか。吸引の技術は一応あるだけでは済まされない世界、高い 金を取っているのに程度が低く過ぎる。重度障害者訪問介護がますます嫌いになりそう。

1月22日 通院日
今日の正午過ぎから通院だった。外に出ると曇り空、だからかリフト車から見る風景が暗く寂しいものに見えた。路傍の 景色で目立ったのはそろそろ終わりを迎えているススキをぐらいかな、あとは一軒生け垣の山茶花?とほんとにたまに 水仙を見るくらい。波佐見に入ってしばらく走った所に紅梅と白梅が5-6本集まった小さな梅園?があるのだが、そこの 梅の木にはまだ蕾は付いていないようだ。路傍の田んぼを見ると耕してない田んぼは稲の切り株から新しい芽が伸びて 一面真っ緑、とってもきれいだった。
病院の駐車場も空きが目立ち待合室もガラガラ、この病院に20年以上通っているがこんなの初めてと思うほど静かな 病院だった。救急処置室に入りまずはバイタル、主治医を待つ間僕に着けられた生体モニターのピッピッという音だけが 響いてた。待つこと30分 主治医が来ていつも通りの診察とカニューレ交換 のみ、変わりはないということだろう。 ストレッチャーからスライドボートで車椅子に移してもらい 救急室から外に出てリフト車に乗り込む時に 病院の 玄関前の池を見たら、こんな曇り空なのに亀たちが揃って甲羅干しをしていた。
隣県長崎県に入ってからすれ違う車の数が少なくなった気がしたなあ。

1月21日 停電?
今日は昼過ぎまで良い天気だったがそれから曇ってきたようで部屋の中が少しずつ暗くなってきた。そんな良い 天気だった午前中のケアの時(10時頃?)突然テレビが消えて、5-10分くらい停電したのかな。こんな良い天気の日に なんで停電するの、訳が分らない。呼吸器は充電で5-6時間保つから気にはならなかったのだが…吸引器の方がいつまで もつかが気になった。災害の時はどうせ病院に事前に避難入院することになるからと考えないようにしていたけれど、 発電機や蓄電器の購入に県から20万円の補助金が出ることになっているからもう一度考えてみようかなと思い直した。
嫁さんはうたた寝でもしていたのか停電に気付かなかったみたいだけど。

1月20日 下半身のリハビリ
朝10時過ぎからは入浴車、今日の看護師は久しぶりにw吉田さん。何も考えることもなくゆったり気持ち良く入れた。
午後3時半前からはI君の下半身のリハビリ、I君もこのところ脚の各部位の関節をかなりじっくり攻めるようになった。 僕好みのやり方で上手くなったと思う。最近は足首の可動の力加減以外は何も不満はほぼ感じていない。足首の可動に おいては今まで少しも痛みを感じたことがないからもう少し強く曲げてもらってもいいのかなと思っている。反面脚の 装具には踵がすんなり入るから これでいいのかなという想いもある。
次は立位訓練、背中の右下真ん中辺りの痛みがほとんどなくなって膝折れすることもなくなったけど 背中を伸ばした時に 体の軸が不安定になって立て直すのにしばらく時間がかかる。どうしたもんかなあ。

1月19日 H先生のリハビリ
今日は11時前からH先生のリハビリ。まずは車椅子に座っての右肩の可動域訓練、H先生は結構厳しいところまで攻めてると 思うんだけど痛みにずいぶん耐えれるようになった?。痛み止めのリリカを服用する前と大違い、きっと右肩の可動域は 少し広がっていると思う。でも指の可動訓練ではすぐ我慢性のなさが出る、つかめても卵ぐらいか。左腕を横から挙げる 時もそうだがなかなか痛みを我慢出来ない。可動域を広げるのって厳しいなあ。
次は4歩の歩行訓練、H先生に車椅子から立たせてもらった時は一瞬腰や脚に力を入れるのが遅れ今日はどうかなと少し 不安も感じたけど…。2歩目 右足がちょっと内側に入り身体の軸がずれかけたけど、重心を置いていた左脚でよく 踏ん張れた。右脚は背中の右下真ん中辺りが痛んでいた時に怖がっていたのが癖かトラウマになってまだ残っている ようだ。まあ調子は悪くない。

1月17日 時間がかかるなあ
今gacco講座「大学生のためのデータサイエンス(V)」のまとめを5日間ほぼ一日中やっているがまだWeek1とWeek2しか 終わってない。まとめをしているWordに貼り付ける動画資料(貼り付けるのは静止画)が多過ぎて凄く時間がかかるのだ。 やってられないって気も起きるけど… これら3つのまとめを終らせないと次に進めないって気もしてる。あと3週分、 どのくらいかかるかなあ。そろそろ次のgacco講座を受講したいのに、気が遠くなりそう。

1月16日 共通テスト
この土日大学入学共通テストが行われている、所謂去年までのセンター試験だ。この新型コロナウイルス渦の中受験生は 大変だろうと思う。今年の共通テストからは記述式の解答が導入される予定だったがたしか新型コロナウイルスが流行る 前に来年以降に先延ばしになった。記述式は本当に必要なのだろうか。大学側から見れば本入試は記述式だから記述式の テストはわざわざする必要はないと思う、前のセンター試験で十分なはずだ。業界団体の要望に政治家が動いたか。
僕の問題は共通テストの数学を今年も解くかどうか。今年はあんまり気乗りしないけど…問題のダウンロードだけは しておくか。

1月14日 膝が伸びなかった
木曜日の訪問看護はNの担当、午後3時からの車椅子移乗にはいつも訪問看護師 O主任が来る。訪問看護Nが僕を担当する ようになってからもう何年になるのだろう、ベッドから車椅子に移る際はちゃんと主任が立たせてくれるんだけど 車椅子からベッドに戻る時は立った際に未だに両膝が伴にきちんと伸びたことがない たぶん。だいたい体が左に傾いて いて立った際に右膝は伸びてるけど左膝は少し曲がっている状態。ところが今日はもっとひどかった、両膝が伸びなくて 腰まで落ちた。原因はヘルパーさんが僕のお尻を思いっ切り持ち上げなかったから、それにしてもあそこまで腰が 挙がらないなんて…主任ってやっぱり力がないのかな。

1月12日 右膝に力が入る?
Wordでまとめをしなければならないgacco講座が3つも貯まっているのにちっともやる気が起きない。困った!。どれから 手を付けよう。一番覚えているのは最近やった「大学生のためのデータサイエンス(V)」、まずはこれからやることに しようか。何時から?、明日から?明後日?。いつならやる気が起きるか、不安だなあ。
火曜日は9時半からケアが開始。火曜日のケアは洗顔と車椅子への移乗、車椅子からベッドへはH先生がやってくれる 4歩の歩行訓練の後に。そのベッドから看護師さんとヘルパーさんに立ち上がらせてもらって車椅子に移る時にいつも一度 腰を伸ばしてもらうのだが、今日は久しぶりに右膝に上手く力が入った。そして11時前からのH先生のリハビリの歩行 訓練の時も今日は珍しく膝がよく踏ん張れて上手く歩けた方だ。やはり入院中ほとんどの時間寝ていて背中の筋肉を 使わなかったから背中の右下中央部の痛みが小さくなって背中を伸ばした際もなぜか膝に力が入りやすくなった?。

1月11日 成人の日
我が町の成人式は例年正月の3日、東京・大阪・福岡に出る若者が多い我が町の状況でこの新型コロナウイルス渦の中で 今年も例年通り成人式は開催されたらしい。式だけで終わったのならまだいい、でもそれはほぼない グループでの飲食が 伴ったはずだ。我が町の政治判断は正しかったのか、その答えが今日辺りから出る。
今日は旗日で訪問看護は休み。だけど嫁さんは今日が祝日だってことを忘れてたみたい、ヘルパ−さんたちが来た時に ちょっと慌てていた風だったから。だとしても訪問看護師さんが遅いと思わなかったのかなあ。ともかくヘルパーさんが 洗顔と清拭をしてくれて助かった。

1月10日 寂しさってなに?
今日は日曜日、日中の重度障害者訪問介護はない。日中は久しぶりに嫁さんの介護、嬉しいはずなのだが…相手して くれないし僕も様子を伺うなど気を遣ってる。甘えたいのに出来ない雰囲気、厳しいなあ。
僕はYahoo GyaOの無料動画を見ながらこの雑記帳を書いたりメールの下書きをしたり。僕はのんびりしているのだけれど 嫁さんはいつも忙しそう、僕の部屋でゆっくりすることはない。たぶん僕の部屋?が嫌いなのだろう。それに重度障害者 訪問介護がいる時には必要最低限しかまた顔を出さなくなったしコールも聞こえているかと心配になるくらい、まあ 病人の人との関わり合いのない寂しさなんて病人にしか分らないだろうけど。

1月9日 大雪?
今日は昨日より雪は積ってないと聞いていたのだがヘルパ−さんは雪のために朝のケアはお休みと、代わりに訪問看護が 二人来てくれてケアをしてくれた。今日の朝のケアは洗顔・清拭・便処理、昨日入浴車だったから今日は洗髪はなしだ。 洗髪をしていないのにケアが終ったのは11時半を回っていた。やっぱり土曜日のケアの内容を1時間半で終らせるのは 難しいのかなあ。
午後3時からは車椅子移乗、ヘルパーはFさん。Fさんが言うには「(職場までの道に)大して支障はなかった、山の方は 積っていたようだけど」と、どういう事。

1月8日 寒波襲来
昨日から今シーズン一という寒波が襲来、雪が時々ちらついていた。今朝は一面数センチの雪で真っ白だったとのこと、 入浴車もいつもは午前10時過ぎからなのだが午後1時からに延びた。午後2時半からT先生の往診だったので今日のお風呂は 短め、だけど身体を十分に洗ってもらって程よくは温まった。午後3時からは車椅子移乗の準備、でも所長たちが少し 遅れてきたからしばらく休めた。そして車椅子へ。いつもより肩と背中が寒い、お風呂の時も足し湯をしてもお湯は中々 熱くならなかったし これも強烈な寒波の成したことか。今日も一日雪は降ったりやんだり、明日はもっと白くなって いるのかな。

1月6日 腰の痛みが消えた?
10時過ぎからは入浴車、入院中は二回お風呂に入る機会はあったのだが車椅子移乗との選択という時間的制約もあり 一度しか入らなかった。それに病院での入浴はどうしても慌ただし感がある(僕は湯船にも浸かるし時間をかけてもらっている方)が、家での入浴車はたっぷり洗ってもらえるし時間を気にしないで湯船に入れる。今日も気持ち良く戴いた。
午後3時半前訪問リハビリのI君到着、今日は下半身の可動域訓練と立位訓練。まずは股関節と大腿筋の可動域訓練、 股関節は内側に動かす(内転?)と痛みが来るのが若干早くなった?。次は膝の後ろの筋伸ばし、やはり痛みが来るのが 少し早いか。入院中はリリカを使ってなかったらしいからその影響が出てるのかもしれない。最後に立位訓練、腰のすぐ 右上の痛みが出るか気になっていたけど…ほぼ出なかった。やっぱり病院10日間立たずに手脚を適度に動かし一時間だけ 車椅子に座ったりゆっくり寝ていたのが良かったのか。ということは痛みの原因は疲労?。


[2021年の先頭に戻る]