第12回日本ALS協会福岡支部 支部総会に参加して

今日は6月17日、日本ALS協会福岡支部の支部総会へ出席するため福岡へ行く日だ。今回は看護師さんたちの都合が つかなかったためにボランティアで運転を買って出て下さった役場の健康福祉課の課長さんと嫁さんの3人で行く。 その意味で初めての体験となった。
朝9時半少し前に今日の移乗介助をして下さる障害者療養施設のヘルパーさんたちが到着、早速準備に入ってもらう。
まず洗顔を済ませ着替えをする。そして脚のマッサージと曲げ伸ばしをしてもらってから首と脚に装具を着けてベッドから 自動車へ車椅子を使って移乗してもらう。初めての事で不慣れだけれど文字盤でコミュニケーションを取りながら 一つ一つを確認しながら確実に進めていってくれる。吸引と人工呼吸器など機器を運ぶのは嫁さんの役目と 訪問看護師さんの時と違って分業になるからその分時間はかかってしまったけれど、この際それは問題ではない。 如何に気分良く相対してくれたかだ。その意味で今日のヘルパーさんの介護は十分な評価に値するものだった。
10時50分頃全ての準備を終えて福岡へ向かっていざ出発、運転していただける役場のM課長さんも10時前には家に 着いておられたようですっかり待たせてしまっていた様だった。ヘルパーさんたちやお袋に見送られながら家を出る。 夜半から降っていた雨も今は上がっていて幸先のいいスタートだ。天気もかんかん照りの暑さに見舞われて疲れを 感じるよりもいくらか景色はよくなくても疲れない方が良いと思うべきだろう。国道202号線で伊万里市を 通り過ぎようとした時雨が少し激しくなってきた。自動車に乗り込む時に降らなくて本当にラッキーだった。
国道202号線・唐津バイパス・二丈浜玉有料道路・今宿バイパス・西九州自動車道福岡前原線・福岡都市高速道路1号線と 僕らの乗った自動車は進んで行く。M課長さんの運転はとても丁寧で安全運転、だから唐津バイパスの鏡山入口交差点を 過ぎた地点にある自動取締レーダーの事を知らせようとしたが、その必要はないと思い止めた。またM課長さんはとても 話し上手だ、面白いそして貴重な話が次から次へと出てくる。だから道中飽きて眠たくなる事は全くなかった。 途中二丈浜玉有料道路に入ってすぐのパーキングで吸引のためにちょっと休憩、福岡へと向かう。
今日のナビは絶好調、と思っていたら周船寺を過ぎた辺りからおかしくなった、周船寺出口で西九州道を 降りてしまった。どうやら中継地の設定を誤った様だった。ナビが自動車専用道路で間違えて降りると太刀の悪い 案内になる、リルートが効いてしまうからなおさらだ。次から次へと不要な案内を繰り返していた、 まあ自動車専用道上の一本道だからなんら支障を感じる事はなかったのだが。今宿入口で入って来てようやく 元の鞘に納まった。
福岡都市高速道路を股地出口で降りてヤフードームの横を通って総会の会場である福祉プラザへ向かう。福祉プラザへ 続くヨカトピア通りは思ったより混んではいなかった。12時40分過ぎに福祉プラザの地下駐車場に到着、思っていたより 若干時間がかかってしまった。早速駐車場に待っていてくれた言語聴覚士を目指すボランティアの学生さんたちに 車椅子へ移乗してもらい車椅子を押してもらい荷物を持ってもらってエレベーターに乗って会場へと向かう。受付を 済ませているとお母さんの乗った車椅子を小さな男の子が押してエレベーターから降りて来た。今まで出会った事が なかったと思うからおそらく初めての参加だろう。2000年に嫁さんに車椅子を押してもらい初めて総会に参加した時の 事を思い出した。あの時は部屋の中でどんな事が行われているのだろうと不安に感じながら入って行ったものだった。
ひとまず患者・家族の控え室に入ると部屋の中はガラーンとしていた。もうみんな総会の会場に移動してしまって いるのだろう。そこでM課長さんや嫁さんの昼食はどうしたものかと思いながらも会場へ行こうと告げた。
総会の会場に入るとやはり総会は始まっていた。呼吸器を着けている関係で電源の置いてある会場の一番前まで学生さんに 連れて行ってもらうと、すぐ隣に会長のFさんの姿が眼に入った。でもF会長さんの他はいつも参加しておられる メンバーの姿は見当たらなかった。それにF会長さんもなんだか体調が優れないように見えた。今回の総会はなんとなく いつもと少し違う雰囲気がした。
粛々と議事が進行していく中で来賓として招かれている国会議員の挨拶を聞く事が出来る時間が来た。ほんのわずかな 時間だがわれわれ?の選出した国会議員の生の声を聞くことが出来る機会は他にはない。われわれの選出した代議士が 国会の中で福祉や難病対策に対してどのような動きをしてくれているかを聞く事が出来る唯一の機会である。 その意味でも国会議員の生の声を聞ける事が総会に参加する楽しみのひとつのにもなっている。今回は 「パーキンソン病を患う患者の数が5万人?を超えたという理由だけで今も原因の究明も有効な対処法も 発見されていないのに難病指定から外したいという発議が厚生労働省から提出されたが、超党派の議員が集まって 厚生労働省と議論を重ねた結果今回は流れた。」との報告があった。全く官公庁が絡む談合や一部の省庁・社会保険庁・ 省庁の外郭団体の無駄遣いが一向に減らない減らさないのに弱い立場の者に関る予算からすぐに減らしたがる今の政府や 省庁の予算に対する考え方がよく出ているような気がする。
総会の議事がつつがなく終わると今度は基調講演の時間、本日の講演の講師は佐賀大学理工学部の新井教授そして講演の テーマは「視線入力システム」。これまで新井先生には数回お目にかかり研究室で開発中の視線入力システムは何度も 体験しているが、視線入力システムの原理を聞いた事は実際にはなかったので講演を聴けるのを楽しみにしていた。 新井先生の講演はあらゆる種類の視線入力システムの紹介から始まりそれぞれのシステムの原理を図解を交えて 説明してくれた。ただ内容が僕には少し高度すぎたのかそれぞれのシステムの入口しか分からなかった。しかし 視線入力システムに高精度を求めようとすると赤外線カメラなどの高価で特殊な装置が必要とする事は理解できた。
次に新井先生の研究室で取り組まれている視線入力システムの説明、新井先生は基本的に我々障害を持つ者でも 購入出来る様にするために安価で入手しやすい物を使ってシステムを構成する事を初めから念頭において視線入力の 開発を目指したという事だった。新井先生の研究室で開発している視線入力システムは目と瞳のパターンでモニター上の どの位置の文字を見ているかを判別するという分かりやすいものだった。僕が仕組みを理解できるという事はそれだけ 使い方も簡単という事に繋がるのだろう。ただ原理が簡単なだけにしかも市販の安価なWEBカメラを使ってシステムを 作り上げるという事は相当な苦労と工夫があるようだ。その内のひとつがWEBカメラに目の位置の見極めさせるか という事のようだ、WEBカメラでも顔はすぐ判別できるが目の位置は人それぞれによっては位置パターンが異なるし 光によって明るい部分と影の部分が顔の表面に表れてしまうからWEBカメラに見極めさせるのはなかなか難しいとの 事だった。また瞳は一箇所を見つめていても常に僅かながら微動しているし顔も良く動く。そこに新井研究室の発想の 展開と工夫があるのだろう。今も視線入力システムの精度を高めるために新井先生の研究室では研究開発を 進めているとの事だった。
新井先生の講演が終わると少しの休憩を挟んで交流会に入った。司会は顔を見知っているいつも二人が務めていた、 この二人の姿を見て僕はいつもの総会になった様で少し安心した気分になった。司会の指名により患者・家族の近況が 紹介されていく。司会はまずF会長か僕を指名し交流会の流れを作りたかった様だが二人とも痰を吸引するのに忙しくて それどころではなかった。司会の指名に受け答えしている患者・家族の発言を聞いていると、F会長と僕以外の患者・ 家族は初めて参加されている様でしかもここ一年以内に告知を受けている方が多い様だった。そのため多くの方が これからの生活と看護・介護の不安を口にされていた、丁度僕が2000年に初めて総会に参加した時の心境・ 状態なのだろう。せめて僕がこれまで経験してきた事で受け答えしてあげたかったが、県で対応が異なると連想される 内容だったので妻に受け答えを促すのは止めにした。
交流会が終わると記念撮影をして総会は解散になった。そこへALSで寝たきりの患者さんを担当しているという 理学療法士の方が「病院で患者さんにどのように接したらいいか迷っている。」と相談に来た。そこで「家では主人を 出来るだけ毎日座らせるようにしている。座る事で体幹と呼吸機能を少しでも長く維持出来ると思っている。だから 毎日わずかな時間でも良いから座らせてあげてください。」と妻は答えていた。
また帰りの準備を手伝うために多くの言語聴覚士を目指す学生さんたちも集まって来た。これらの学生さんたちは僕に 対し何か話し掛けたいし質問もしたいのだが、何を聞いていいのか分からないという風に見えた。その中で駐車場に 着いた時から応援してくれていたH君が僕が「働いていた当時苅田町に行った事がある。」と話したので、最近の 苅田町の様子を懸命に話して聞かせてくれた。妻は僕と言語聴覚士の先生との出会いや言語・嚥下訓練がどんなに 大切かという事、また言語聴覚士を始めとするリハビリの先生にももっと早い段階出来れば告知を受けた段階から チームの一員として関って欲しいと話していた。僕も「怖がらずに積極的に接して欲しいし、妻の話した事を他の 学生さんにも伝えて欲しい。」と告げた。「今まで言語・嚥下訓練は脳障害を患った患者さんの回復訓練のためにあると 思っていたので、ALS患者さんの言語や嚥下の機能障害の発症を遅らせる事や機能維持に役に立つとは考えても いなかった。」と学生さんの一人が語ったのが印象に残った。
それから学生さんたちに地下の駐車場まで連れて行ってもらい自動車に乗せてもらって学生さんたちに見送られながら 4時50分過ぎに福祉プラザを後にした。こうして希望を抱く若い学生さんたちに接する事が出来る事も福岡の支部総会に 参加する楽しみのひとつになっている。
福祉プラザから福岡都市高速百地入口までの道はヤフードームでソフトバンクとジャイアンツの野球の試合がある事も あって思った以上に混んでいて、行く時の3倍以上の時間がかかってしまった。それでも都市高速に乗ってしまうと後は ほとんど混雑に巻き込まれる事もなく順調に走り1時間半弱で家に着いた。
唐津バイパスに入ったところで障害者療養施設に連絡を入れていたので、家にはヘルパーさんたちが待機してくれていて すぐに自動車からベッドへと移乗してくれた。それから着替えを済ませ僕の足腰の曲げ伸ばしやマッサージを丁寧に してくれた。日頃長時間座る姿勢をとる事のない僕の足腰はかなり痛がっていたが、ヘルパーさんたちのマッサージで 元気を回復した。そして・・・・・M課長さんとヘルパーさんたちは帰って行った。一人残された僕は今日一日の 出来事とその余韻を振り返る。
M課長さんそして障害者療養施設の相談員のMさんならびにヘルパーの方々それから学生さんに嫁さん、今日一日本当に お世話になりました。ありがとうございます。皆さんのおかげで貴重で有意義な一日を過ごす事が出来ました。 これを機会に外出のやり方を考えてみたいと思います。