目標を設定できなくなった若者たち


 二歳半のk君と三歳半のA君とが、色おはじきで遊んでいました。彼らは、赤、黄、桃、の三色に色分けをしています。そこへ一歳半のU君が来て自分も参加、色などお構いなく混ぜています。ママが横から、「U君、これは黄色。黄色はここでしょう。これは赤よ・・・」とアドバイスを始めました。
 ここで私からの提言です。子供が作業を始めたら、親はとにかくじっと観察しましょう。そして、子供の今のレベルを知りましょう。「この子はまだ色を羽車で達していないな」などと分かるはずです。子供がやる作業の内容には、困難点が一個以上あってはいけません。たとえば、おはじきの穴を棒にはめ込むだけで精一杯の子供に、色の分類まで要求いてはいけないとゆうことです。だから、子供を観察することによって子供の現在の発達段階が分かりそこから、次に与える教具が決まるのです。大人(親)は常に、子供の一歩後ろから、ちょっとおシリを押す程度の援助を与えるにとどめましょう。子どもの先にたって、目的なる<エサ>をぶら下げて、子どもを前進させるやり方はやめましょう。
 なぜでしょうか?私は、子供たちに、次のような人間にナってほしいと思って接しています。

1、自ら目標を設定し生きる人間
2, 生涯学習を続け、自己改革をはかる人間
3, 困難が降りかかったら、それをバネにして飛躍できる人間

 目の前に、テストとか点数とかのエサをぶら下げられ大学に至るまで、それによってのみ勉強することをおぼえてきた子供たちは、どんな大人に成長するのでしょうか。最終目的の大学受験も終わり、目の前にエサをぶら下げてくれるおとながいなくなったとき、この人間は、自ら目標を設定することが出来なくなっているのです。
 それが、今の若者の姿です。必勝のはちまきを巻き、受験合格とゆう目的に向かって励んでいる子どもの姿を見て、その忍耐こそが生きるために必要なんだ、と錯覚を起こしているのではないでしょうか。その努力する姿の、何処が間違っているのか。
 A高に行かなければいけない目的は?と問い詰めてみる必要があるのです。大学という最高の学問の機関までなんの目的で行くのでしょうか。
 私たち大人は、教育の荒廃、教育現場の荒れに対して、もう一度学問とは?という原点に返って子どもを見血目直すときが来ていると思います。子供たちを、目の前の姿でとらえるのではなく、長い長い目で見てやれる大人になりたいものです。


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