● 窯体部分に関する成果と問題点
窯体に関しては、遺存状況の確認と正確な位置の把握が最大の目的であった。昭和40年〜45年の調査の際には、比較的良好に遺存していたことが報告されているが、その後30年あまりを経過して、現在でも同様な状態で保存されているのか?あるいは、実際に現物に当たることによって、本当にそれが素材として有効なのかという点も調べる必要がある。
E窯とA窯、そしてB窯の重複関係の状況を調べるために行ったのが、A窯12室付近に設けたGTの調査である。その結果、遺構は殊のほか良好に遺存しており、E、A、B窯の順に構築されたことが一目瞭然であった。ただし、窯跡や発掘に関する知識をお持ちの方なら問題ないのだが、一般の方々にそれをご理解いただくためには、やはり見せ方の工夫は必要であろう。
窯体の最上部(東側)にぽつんと4室発見されているD窯については、今回掘削は行わなかったが、林の中に露出したまま良好な状態で遺存していることが判明した。下部のA窯とB窯が併存している部分では、1基の窯体をまるまる復元予定(今のところB窯)の関係で、通路の問題もあり、一つの焼成室全部を露出した状態で展示することは難しい。その点D窯ならば、問題ない。出土状況を復元して展示する上でも、やはり最適であろう。しかし、周囲は切り立った岩山であるため、防災上の問題を十分考慮する必要がある。なお、D窯については、前の調査ではどの窯に続くのか不明で、方向性からA窯の可能性が高いと考えられていた。しかし、今回の物原部分の調査で、D窯相当であろうと推定される製品は、あきらかにA窯よりも高い位置で発見されており、B窯の一部である可能性が極めて高くなった。つまりX窯とされている所属不明の焼成室の一部に続き、古い段階のB窯の可能性が高いのだ。
A窯の胴木間の部分は、以前の調査の際の図が胴木間としては不自然な形状であり、本当に胴木間なのか、あるいはさらに下方に続く可能性はないのかという点の確認が主眼であった。その結果、昨日報告したように、胴木間には間違いないにしても、掘り方を誤っていることが判明した。胴木間の壁は焼成室とは異なり、一般的にそれほど硬く焼締まっていない。そのため、経験不足から、掘りすぎと掘り足りない部分ができてしまったのであろう。
以上のことから、窯体の調査に関しては、おおむね良好な結果が得られたといっても良いだろう。次の機会には、窯体復元に必要な細部のデータを得るために、さらにB窯の胴木間や窯尻の調査を行う必要がある。また、D窯についてもさらに細かく調べる必要があるだろう。
● 物原部分に関する成果と問題点
物原については、これまで調査されたことがなく、今回もっとも期待していた部分である。整備段階でも、物原層を露出展示できれば、窯跡や技術の変遷をビジュアルに伺い知ることができるのだが…。
はっきりいって、これについては、これまでにほとんど経験したことがないくらい大外れといっていい。正確にいえば、極めて特殊な遺構配置であり、学術的にはそれなりに新しい発見といえるのだが、いずれにしても失敗品の廃棄がどのように行われていたのかまでは解明できなかった。
調査前までの認識では、誰でも登りの右側(南側)は本来谷になっていたが、谷が浅かったので次第に小山状の物原が形成されたと信じていた。少なくとも、これ以外の考え方は聞いたことがない。ところが、まったく谷がない。窯体の外側から平らの作業段が2mほども南側に続き、その先は地形が上がりはじめる。通常の窯では、逆に作業段の先が谷になっており、失敗品が廃棄され物原層が形成されている。これは、CT〜ET、GTと2個所で確認しているため、ほぼ全体がそうなっていると考えて間違いなかろう。
初期の窯では、稀に作業段付近に次々に穴を掘り、失敗品を廃棄している場合もある。この窯でもそうした落ち込みはGTなどでいくつか確認されている。しかし、せいぜい10〜20cmほどの深さである。ちょっと浅すぎる。少なくとも、とてもメインの物原として考えることはできないだろう。
また、江戸後期以降の窯では、失敗品を別の場所に運んで廃棄している場合がある。後期の大規模な窯では、一度に出る廃棄品の量も膨大であるため、浅い谷くらいでは、すぐに埋まってしまうからだろう。天狗谷の場合も、少なくともE窯やA窯の段階にこうした廃棄を行っていた可能性も皆無ではない。しかし、江戸前期の窯としては、天狗谷以前の窯でも、以後の窯でも、こうした例は知らない。
現状でいくらか可能性を残しているのは、やはり小山の部分が物原であった可能性である。最初に開けたCT〜ETでは、土層の上部が完全に削平されているため、焼成後の廃棄層である一次堆積層そのものが、ほとんど遺存していなかった。そのため、ほかの部分でも徐々に上がる地形の上に物原層がないとは言い切れない。また、その後上部に開けたGTについては、今回は作業段付近しか掘っておらず、地形が上がることは明らかだが、その先の部分の詳細は不明である。
GT部分でも高いところでは、窯体の高さから3〜4mほどもある。その南側はさらに上がって最終的には6〜7mほどもある。しかもこの窯体から10数mほどは人為的な堆積層であることは明らかで、その先(南側)は急勾配で登る岩山である。だが、この部分を通した試掘溝を掘るためには、さらに広い幅で開ける必要がある。また、木々が生い茂っているため、その処理も考えなくてはならない。したがって、まったく当初予定していなかったことなので、今回は状況的にこれ以上掘ることは難しかった。
|