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14.白焼窯跡 |
地区 幸平 |
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操業年代 19世紀を含む(17世紀末?〜) |
窯体数 1基以上 |
製品 磁器 |
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白焼登。文化十一年(1814)の記録には23室。安政六年(1859)の絵図には22室。明治九年(1876)、同二十年(1887)の記録には白焼窯とある。窯体未発見。未調査。 |
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15.谷窯跡 |
地区 幸平 |
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操業年代 1640年代〜19世紀 |
窯体数 3基以上 |
製品 磁器 |
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谷登。窯体が発見されているのは新窯のみ。旧窯は2基以上存在するものと推定される。『皿山代官旧記』明和四年(1767)に谷登の記載。文化十一年(1814)の記録には24室。安政六年(1859)の絵図にも24室。明治九年(1876)、同二十年(1887)の記録には谷窯とある。 |
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査 ・ 報 告 |
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1976年度 |
三上次男・吉田章一郎ほか |
有田町教育委員会 |
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1992年3月 |
吉田章一郎・大橋康二 |
『佐賀県有田町谷古窯跡の発掘調査』 |
16.天狗谷窯跡 地区 白川
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操業年代 1630年代〜60年代 |
窯体数 4基 |
製品 磁器 |
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金ケ江三兵衛や家永正右ヱ門に関する記録に、泉山発見後最初に築いた窯場との記載。かつては磁器創始窯と考えられてきたが、むしろ磁器専業体制の確立に関わる窯場の可能性が高い。1999年度からの再調査により、従来5〜6基とされてきた窯体は4基であることが確認され、開窯は1630年代である可能性が濃厚となった。操業窯は一時期1基で、順次重なり合うように構築されている。碗や袋物を主体に生産。 |
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査 ・ 報 告 |
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1965〜70年度 |
三上次男・倉田芳郎ほか |
有田町教育委員会 |
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1975年8月 |
三上次男・倉田芳郎ほか |
『有田天狗谷古窯』 |
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1999年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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2000年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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2001年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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17.中白川窯跡 地区 白川
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操業年代 1630年代〜60年代 |
窯体数 1基 |
製品 磁器 |
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承応二年(1653)の記録に中白川山とある。『竜泉寺過去帳』には、万治二年(1659)に中白川の記載が見られるが、寛文十一年(1671)の記載から、たんに白川山(下白川窯跡)に変わるため、これ以前に廃窯になった可能性が高い。輸出向けの竜鳳見込み荒磯文碗・鉢や芙蓉手皿などを多く生産。 |
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査 ・ 報 告 |
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1989年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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1990年3月 |
村上伸之・野上建紀 |
『一本松窯・禅門谷窯・中白川窯・多々良2号窯』 |
18.下白川窯跡 地区 白川
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操業年代 1630年代〜20世紀 |
窯体数 4基以上? |
製品 陶器(微量:陶胎染付)磁器 |
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承応二年(1653)の記録に下白川山とある。『竜泉寺過去帳』では、寛文十一年(1671)の記載から、たんに白川山の名称に変わる。文化十一年(1814)の記録には白川登として22室。安政六年(1859)の絵図には21室。明治九年(1876)、同二十年(1887)の記録には白川窯とある。最終段階の窯体のみ発見。 |
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査 ・ 報 告 |
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1987年度 |
大橋康二ほか |
九州陶磁文化館 |
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1988年3月 |
大橋康二 |
『下白川窯・年木谷1号窯』 |
19.稗古場窯跡 地区 稗古場
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操業年代 1620−30年代〜20世紀 |
窯体数 4基以上? |
製品 磁器 |
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承応二年(1653)の記録に「稗古場山」とある。文化十一年(1814)の記録には稗古場登として17室。安政六年(1859)の絵図にも17室。明治九年(1876)、同二十年(1887)の記録には稗古場窯とある。稗古場山には、内田(武雄市)から百婆仙一族が移住したと伝えられる。多様な製品が生産されているが、信ぴょう性の高い保管資料が少ない。 |
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査 ・ 報 告 |
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1958年度 |
永竹 威ほか |
古伊萬里調査委員会 |
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1959年6月 |
鍋島直紹・手塚文蔵ほか |
『古伊万里』 金華堂 |
20.天神山窯跡 地区 稗古場
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操業年代 1630年代〜50年代 |
窯体数 1基? |
製品 陶器(微量:灰釉)、磁器 |
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稗古場山の窯場として、一時稗古場窯跡と併存か?『金ケ江家文書』などの記載から、稗古場山には金ケ江三兵衛も関わっていたことが知られる。窯体未発見。製品は、碗・皿・鉢が大半を占める。ほかの窯場と比べ鉢の割合が高い。皿は中皿が比較的多く大皿は皆無。瑠璃釉製品が比較的多い。 |
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査 ・ 報 告 |
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1990年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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1991年3月 |
村上伸之・野上建紀 |
『向ノ原窯・天神山窯・ムクロ谷窯・黒牟田新窯』 |
21.天神町窯跡 地区 岩谷川内
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操業年代 1630年代〜50年代 |
窯体数 1基? |
製品 磁器 |
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岩谷川内山の窯場として、一時期猿川窯跡などと併存か?岩谷川内の窯場は、承応二年(1653)の記載に岩屋川内山とある。『源姓副田氏系圖』によれば、承応・万治年中まで岩谷川内に御道具山があったことが記されている。窯体未発見。製品は碗・皿主体と推定されるが、出土遺物の量は少ない。碗の高台外周に文様を迴らすものが見られる。 |
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査 ・ 報 告 |
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1991年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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1992年3月 |
村上伸之・野上建紀 |
『楠木谷窯・天神町窯・外尾山窯』 |
22.猿川窯跡 地区 岩谷川内
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操業年代 1620−30年代〜20世紀 |
窯体数 2基以上 |
製品 磁器 |
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内山地区で最も成立時期の早い窯場の一つ。文化十一年(1814)の記録には、岩谷川内登として13室。安政六年(1859)の絵図では16室。明治九年(1876)、同二十年(1887)の記録には岩谷川内窯とある。2基の窯体が発見されているが、おそらく4基以上存在するものと推定される。御道具山との関連が推測される。 |
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査 ・ 報 告 |
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1969年度 |
木下之治・安本雪男ほか |
佐賀県教育委員会 |
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1969年12月 |
木下之治・柴元静雄ほか |
『有田町猿川古窯跡』 |
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1971年3月 |
柴元静雄・森 醇一郎ほか |
『有田町猿川古窯跡』 |
23.長吉谷窯跡 地区 岩谷川内
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操業年代 1650年代〜60年代 |
窯体数 2基以上 |
製品 陶器(微量:陶胎染付)、磁器 |
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グランド造成の際に多量の遺物が出土しているが、窯体は未発見。多様かつ良質な製品を多く生産した窯場。大形製品の割合が高い。 |
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査 ・ 報 告 |
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1978年度 |
東中川忠美・尾崎葉子ほか |
有田町教育委員会 |
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1981年3月 |
永竹 威・尾崎葉子ほか |
『長吉谷窯跡』 |
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1984年3月 |
大橋康二 |
『窯ノ辻・ダンバギリ・長吉谷』 |
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51.岩中窯跡 |
地区 岩谷川内 |
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操業年代 1630年代〜60年代 |
窯体数 2基以上 |
製品 陶器(微量:灰釉)、磁器 |
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平成11年2月に調査を行った新発見の窯場。出土遺物やその分布から2基以上の窯体があったと推定されるが、これまでのところ未発見。碗・皿中心であるが、初期には中皿の割合も高い。近接する猿川窯と製品の特徴が類似している。 |
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査 ・ 報 告 |
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1998年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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