30.掛の谷窯跡

地区 応法

操業年代 1640年代〜50年代、19世紀〜20世紀

窯体数 3基

製品 磁器

 承応二年(1653)の記録には応法山の記載は見られないため、それ以後成立した可能性がある。17世紀の窯は雑な小皿主体。年木山の同時期の窯場の製品に類似。近代の窯は、瑠璃釉御神酒徳利等を多く生産。


調



1

1966年度

中村 勲・久保儀市ほか

佐賀県文化館

1970年3月

永竹 威・中村 勲ほか

『有田外山応法地方 弥源次古窯址ならびに
       掛の谷古窯址について』−発掘調査報告−

2

1992年度

村上伸之・野上建紀

有田町教育委員会

1993年3月

村上伸之・野上建紀

『小物成窯・平床窯・掛の谷窯』
−町内古窯跡群詳細分布調査報告書第6集−




31.弥源次窯跡

地区 応法

操業年代 1650年代〜70年代

窯体数 ?

製品 磁器

 調査されている地点は、本窯の物原ではなく、工房跡の可能性もある。窯体未発見。出土している遺物も、本窯のものとは断定できない。


調



1

1966年度

中村 勲・久保儀市ほか

佐賀県文化館

1970年3月

永竹 威・中村 勲ほか

『有田外山応法地方 弥源次古窯址ならびに
       掛の谷古窯址について』−発掘調査報告−




32.窯の谷窯跡

地区 応法

操業年代 1640−50年代〜19世紀

窯体数 3基以上

製品 磁器

 応法登。『竜泉寺過去帳』で応法の初見は寛文八年(1668)。文化十一年(1814)、安政六年(1859)の記録・絵図には20室。元治元年(1864)の絵図には17室。明治九年(1876)の記録には応法窯とある。『皿山代官旧記』明和元年(1764)の記録では、「下焼物」焼いたことが記される。製品は、成立期には雑な小皿主体。18世紀前半前後には碗・皿主体に変わり、袋物の割合が増加。18世紀後半以降は大半が瓶類。近代には大皿も多く生産。


調



1

1988年度

村上伸之

有田町教育委員会

1989年3月

村上伸之

『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』
−町内古窯跡群詳細分布調査報告書第2集−

2

1992年度

村上伸之・野上建紀

有田町教育委員会

1994年3月

村上伸之・野上建紀

『窯の谷窯跡』
−1992年度緊急発掘調査報告書−




33.山辺田窯跡

地区 黒牟田

操業年代 1600−10年代〜50年代

窯体数 9基以上

製品 陶器、磁器

 有田で最も早く成立した窯場の一つ。古九谷様式の色絵大皿を量産した窯場としてよく知られている。ただし、焼成室床面の製品を除き、窯体と出土遺物群の関係は不明。胎土目積み段階にはじまり、寛永十四年(1637)の窯場の整理・統合以後まで操業した有田で唯一の窯場。


調



1

1972〜75年度

三上次男・吉田章一郎ほか

有田町教育委員会

1980年3月

三上次男・吉田章一郎

『佐賀県有田町山辺田古窯址群の調査(遺構編)』

1986年3月

三上次男・吉田章一郎ほか

『佐賀県有田町山辺田古窯址群の調査(遺物編)』




34.多々良の元窯跡

地区 黒牟田

操業年代 1630年代〜大正時代

窯体数 4基以上

製品 陶器(少量:灰釉・鉄釉)、磁器

 黒牟田登。文化十一年(1814)の記録では18室。安政六年(1859)の絵図では11室程度。元治元年(1864)の絵図では13室程度。明治九年(1876)の記録には局古窯と記されている。当初雑な染付小皿や碗を主体に生産していたが、1650年代頃には染付や青磁大皿も多く生産されるようになる。17世紀後半以降は比較的良質なものも生産されるようになり、外山の窯場としては珍しく髭皿なども見られる。


調



1

1988年度

村上伸之

有田町教育委員会

1989年3月

村上伸之・尾崎葉子

『窯の谷窯・多々良の元窯・丸尾窯・樋口窯』
−町内古窯跡群詳細分布調査報告書第2集−




35.多々良2号窯跡

地区 黒牟田

操業年代 近現代?

窯体数 1基?

製品 磁器

 窯体未発見。少なくとも古文書類には記録が見られない。聞き取り調査では、付近に昭和二十年代まで使われていた窯が存在したという。比定地は窯跡なのか遺物散布地なのか、これまでのところ明確にできていない。


調



1

1989年度

村上伸之・野上建紀

有田町教育委員会

1990年3月

村上伸之・野上建紀

『一本松窯・禅門谷窯・中白川窯・多々良2号窯』
−町内古窯跡群詳細分布調査報告書第3集−




36.黒牟田新窯跡

地区 黒牟田

操業年代 1820−40年代〜1916

窯体数 1基

製品 磁器

 文化十一年(1814)の記録には見られない。安政六年(1859)の絵図では9室程度。元治元年の絵図では10室程度。明治九年(1876)の記録には黒牟田登と記されている。多様な製品を生産しているが、大皿など大形製品が多い。


調



1

1990年度

村上伸之・野上建紀

有田町教育委員会

1991年3月

村上伸之・野上建紀

『向ノ原窯・天神山窯・ムクロ谷窯・黒牟田新窯』
−町内古窯跡群詳細分布調査報告書第4集−