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37.小溝下窯跡 |
地区 南原 |
操業年代 1610年代〜30年代 |
窯体数 1基 |
製品 陶器、磁器 |
『今村氏文書』に小溝山の名称が見られる。古文書類によれば、小溝山は金ケ江氏や家永氏ゆかりの窯場である可能性が高い。陶器と磁器を併焼しているが、焼成室床面に残されていた製品はすべて磁器であった。大皿や袋物などが比較的多く出土している。 |
査 ・ 報 告 |
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1987年度 |
村上伸之 |
有田町教育委員会 |
1988年3月 |
村上伸之・尾崎葉子 |
『小溝中窯・小溝下窯・清六ノ辻1号窯・清六ノ辻大師堂横窯』 |
38.小溝中窯跡 |
地区 南原 |
操業年代 1610年代〜30年代 |
窯体数 1基 |
製品 陶器、磁器 |
小溝下、上窯の間に位置する。出土した磁器皿はすべて砂目積みしており、しかもほぼ単一の小皿に限られる。おそらく短期間操業した窯と推定される。 |
査 ・ 報 告 |
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1987年度 |
村上伸之 |
有田町教育委員会 |
1988年3月 |
村上伸之・尾崎葉子 |
『小溝中窯・小溝下窯・清六ノ辻1号窯・清六ノ辻大師堂横窯』 |
39.小溝上窯跡 |
地区 南原 |
操業年代 1600年代〜30年代 |
窯体数 5基 |
製品 陶器、磁器 |
天神森窯と並んで、有田で最初に成立した窯場である可能性が高い。また、古文書類や発掘成果から推測して、磁器創始窯の最有力候補である。同時期の窯場の中では、大形製品を圧倒的に多く生産している。また、当時の窯業をリードした窯場であるため、製品の種類や用いられている技法が多様である。 |
査 ・ 報 告 |
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1986年度 |
大橋康二ほか |
九州陶磁文化館 |
1987年3月 |
大橋康二 |
『楠木谷窯・小溝上窯』 |
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1993年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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1994年3月 |
村上伸之・野上建紀 |
『小溝上窯・年木谷3号窯』 |
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1994年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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1995年3月 |
村上伸之・野上建紀 |
『小溝上窯・向ノ原窯』 |
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1994〜96年度 |
村上伸之・野上建紀 |
有田町教育委員会 |
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40.清六ノ辻1号窯跡 |
地区 南原 |
操業年代 1610年代〜30年代 |
窯体数 1基 |
製品 陶器、磁器(少量:染付・辰砂) |
清六ノ辻の窯場については、『肥前陶磁史考』に金ケ江三兵衛との関わりが記されるが真偽は不明。少なくとも古文書類には、記録は見られない。製品は陶器主体で磁器は少ない。灰釉と鉄釉の掛分け陶器が多いのは、清六ノ辻窯に共通した特徴である。 |
査 ・ 報 告 |
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1987年度 |
村上伸之 |
有田町教育委員会 |
1988年3月 |
村上伸之・尾崎葉子 |
『小溝中窯・小溝下窯・清六ノ辻1号窯・清六ノ辻大師堂横窯』 |
41.清六ノ辻大師堂横窯跡 |
地区 南原 |
操業年代 1610年代〜30年代 |
窯体数 1基 |
製品 陶器、磁器 |
窯体未発見。陶器が多いことは清六ノ辻の他の窯場と共通しているが、その中では比較的磁器の割合が高く製品の種類も多い。 |
査 ・ 報 告 |
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1987年度 |
村上伸之 |
有田町教育委員会 |
1988年3月 |
村上伸之・尾崎葉子 |
『小溝中窯・小溝下窯・清六ノ辻1号窯・清六ノ辻大師堂横窯』 |
42.清六ノ辻2号窯跡 |
地区 南原 |
操業年代 1610年代〜30年代 |
窯体数 1基 |
製品 陶器、磁器(微量:染付) |
清六ノ辻の窯場の中では、窯体の遺存状況が良好。製品はほとんどが陶器で磁器は少ない。陶器には、灰釉と鉄釉を掛分けた皿などが多く見られる。 |
査 ・ 報 告 |
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1982年度 |
大橋康二・尾崎葉子 |
有田町教育委員会 |
1988年3月 |
大橋康二・村上伸之ほか |
『清六ノ辻2号窯跡』 |