銹釉白抜き銀杏文小皿       (楠木谷窯跡/1650年代後半)

 

 

(内面)

(外面)


 楠木谷2号窯跡の物原から出土した、底径7.0cmの小皿である。おそらく口径は、15cm前後と推定される。こうした銹釉白抜きの製品は、かつては石川県の吸坂で生産されたと考えられていた。そのため、今日でも「吸坂手」と称されることがあるが、その後、有田町の山小屋窯跡で発見されたことにより、現在では肥前製品であることは明確になっている。
 こうした製品は、やはり生産量からいえば山小屋窯跡が多い。しかし、この楠木谷窯跡や百間窯跡(山内町/板ノ川内山)など、有田の東端付近の窯場を中心として、いくらか生産例が確認できる。百間窯跡では大皿や袋物類なども生産されているが、山小屋窯跡では中・小皿、楠木谷窯跡では、現状では小皿のみが出土している。
 山小屋窯跡や百間窯跡の製品は、通常、様式的には初期伊万里の範疇に含まれるものである。器壁が厚く、高台畳付の幅も広い。ところが楠木谷窯跡の製品は、それに比べるとやや薄手で、高台の形状も、古九谷様式の製品に近似している。これは、窯場の操業時期とも関わりがあり、ほかの2窯の製品が、降っても1650年代の早い頃までのものと推定されるのに比して、楠木谷窯では1650年代を中心に生産されている。言葉では適切な表現ができないが、それぞれ釉薬や降灰の状態も異なるため、この3つの窯場の製品については、比較的識別は容易である。

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