色絵牡丹文碗       (赤絵町遺跡/1650年代後半〜60年代)

 

 

(外面)

(内面)

 赤絵町遺跡といえば、やはり色絵。今日紹介するこの碗は、赤絵屋の誕生から間もない頃の製品と考えられるものである。
 江戸期の有田では、建物を建てる時の整地の際に、焼成に失敗した焼き物を敷き詰めている場合が多い。おそらく水はけを良くするためであろう。調査した赤絵町遺跡でも、一角に赤絵屋成立時の整地層が堆積していた。これが、遺跡としての最下層ではあるが、当然のことながら、まだ色絵製品は含まれていない。ちなみにこの層には、1650年代以前の製品が含まれていた。この碗が出土した土壙は、その層を掘り込んで構築されていた。よって、その最下層よりは新しい。しかし、この土壙の上には、色絵製品の出土する最下の層が堆積していた。つまり、層位的に赤絵屋成立直後に構築された遺構であることは明白なのである。
 この碗の外面には、赤、黄、緑、黒絵具を用いて、牡丹文が描かれている。内面には赤絵具を多用し、口縁部に四方襷文帯、底部に宝文が描かれる。まだ絵具の色調は濃く、古九谷様式の製品に比較的近い。特に赤絵具は、この遺跡の製品でもほどなくオレンジ色に近いものが多くなるが、この碗に用いられたものは、むしろ紫系統に近い。同様な牡丹の描き方をした製品が、やはり1650年代後半に下限が求められる天神山窯跡から出土している。

 




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