色絵団龍文碗 (赤絵町遺跡/1810年代〜20年代)

 

 

(外面)

(内面)

 赤絵町遺跡から出土した色絵碗である。まず外面だけを示して、年代当てをしてもらおうかとも思ったが、そこまでするのはやめておいた。おそらく、年代の分かる人はほとんどいないだろう。それほど1670〜90年代頃の柿右衛門様式の製品によくにている。特に南川原で作られた最上質のものではなく、ここ赤絵町遺跡で出土するような製品に近い。ところが内面を見ると、底部の釉を剥いでおり、そこに上絵で団龍を描き無釉の部分を隠している。これは焼成の際、同じ形の碗を積み上げて、効率よく量産するための方法である。つまり、並以下の製品ということだ。こうした方法は、18世紀末頃から19世紀にかけて流行した。この碗は、水甕の中から「文化年製」(1804〜1818)銘の皿などとともに出土している。甕が掘り込んでいる土層の出土遺物の年代から、上限は1810年代と推定される。下限は1820年代。有田は文政11年(1828)に岩谷川内の登り窯から出火、町中が焼けてしまっているからだ。有田内山の中央部に位置する赤絵町、もちろん、ここも例外ではない。

 




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