『有田町歴史民俗資料館・有田焼参考館研究紀要 第1号』1991
「窯跡出土の初期色絵素地大皿について」
−山辺田窯跡・丸尾窯跡を中心として−
                       村 上 伸 之
    その4

 

■ STARTING POINT ■

 

 本日は、山辺田4号窯跡出土色絵素地の分類を示した部分を掲載する。
 本文中では、染付入り素地を1種類、白磁素地を口縁部の形状から《A》〜《F》の6種類、計23タイプに細分し、底部の形状から《ア》〜《エ》の4種類、計11タイプに細分した。
 3号窯と対照的に白磁素地がほとんどを占めるが、これは物原の位置関係から、3号窯の製品と明確に分離できないことも関係していると考えられる。よって、実際には、3号窯としているものの中に、4号窯の染付入り素地も含まれている可能性が高い。

  (註)原文では、それぞれ「◎」(染付入り素地)、「○」(白磁素地)内に分類記号の数字を入れ、
     4号窯の素地であることを区分している。しかし、これらは機種依存文字であることから、ここ
     では
染付入り素地白磁の色分けで表示することにした。


3. 出土素地の分類

 

(二)山辺田4号窯

 本窯から出土している色絵素地の可能性があるものは約370点ほどあり、その内染付の入るものは10点にも満たない。

 

=染付の入るもの=

 3号窯の染付の入らないものと類似した質の製品が出土しているが、大型の製品はない。

《C》折り縁にするもの  Fig.4へ

C−1類(Fig.4−1)
  内底周囲に段を付け、二重の圏線を入れたものがある。高台は四角いものとややV字形に近いものがあるが、畳付は平らに削るだけ(イ−1類)である。

 

=染付の入らないもの=

(1)体部からの分類

《A》口縁部の直行するもの  Fig.4へ

A−1類(Fig.4−2)
 一般的な丸皿で、内底周囲に段を付けないもの。口径は40cmを超える大型のものから20cm代の小型のものまで色々である。高台幅も比較的広いものから狭いものまで様々なものが見られる。また口銹を付したものも少量含まれている。出土量は本類が最も多い。

A−2類(Fig.4−4)
 薄手で胎土も白色に近い良質なもの。A−1類ほど外面にロクロ目を残さず、高台幅は比較的広いものとやや狭いものがある。

A−3類(Fig.4−3)
 A−1類と類似した胎質の製品で、内底周囲に段を付けたもの。数は少なく、高台幅は比較的広い。

A−4類(Fig.4−5)
 口径37cm前後と推定され、外面の腰部を「く」字形に折って、内底周囲に段を付けたもの。出土しているものは全て口銹を施している。高台幅は比較的広い。

 

《B》口縁部の外反するもの  Fig.4へ

B−1類(Fig.4−6)
 口径26cm前後と推定され、口縁の端部を外側に曲げたもの。

B−2類(Fig.4−7)
 口径24cm程度と推定される中皿で、内底の周囲に段を付けたもの。

B−3類(Fig.4−8)
 口径23cm程度と推定される中皿で、内底の周囲に段を付けないもの。B−2類よりも粗雑で厚く作られている。

B−4類(Fig.4−9)
 胴部で外反させ、口縁部を上に曲げたもの。内底周囲に段を付している。

 

《C》折り縁にするもの  Fig.4へ

C−1類(Fig.4−10)
 口径29cm前後と推定され、体部のかなり下の方から折り曲げているもので、内底周囲に段の付かないもの。高台幅は狭い。

C−2類(Fig.4−11・12)
 口径30cm〜35cm程度と推定され、C−1類と類似するが、内底周囲に段の付くもの。高台幅はC−1類よりも広いものと同程度のものがある。

C−3類(Fig.4−13)
 口径25cm前後で、縁の端部をわずかに凸状にしたもの。内底周囲には段が付されている。

C−4類(Fig.4−14)
 口径22cmほどで縁の端部を上に向け、端部の内側を加工しているもの。胎土はA−2類と類似している。内底周囲に段が付けられており、高台幅は広い。

C−5類(Fig.4−15)
 縁を曲面状に作るもの。高台幅は小さい。

 

《D》体部を2段以上にするもの  Fig.4へ

D−1類(Fig.4−16)
 口径31cm前後と推定され、胴部で折って口縁部が内抱えぎみに立ち上がるもの。内底周囲に段が付されており、高台幅は比較的広い。

 

《E》ドラ鉢形  Fig.4へ

E−1類(Fig.4−17)
 体部が内抱え状に立ち上がり、口縁端部に口銹を施したもの。端部は平らにせず、丸いままである。

 

《F》台鉢形  Fig.4へ

F−1類(Fig.4−18)
 口径22cm程度と推定され、高さ2cm前後の高台を持ち、口縁部の直行するもの。内底周囲に段が付けられている。

F−2類(Fig.4−19)
 口径24cm程度と推定され、F−1類と類似した形状で、外面から指で押してえくぼ状などにしたもの。内底の段はF−1類よりもやや内側に付けられている。

F−3類(Fig.4−20)
 口径20cm程度と推定され、口縁部をほぼ直立させ、胴部をえくぼ状にしたもの。

F−4類(Fig.4−21)
 口径24cmほどと推定され、口縁部を外反させるもの。F−2類のように内底の段は内側に付されている。

F−5類(Fig.4−22)
 口径21cmほどと推定され、口縁を大きく外反させるもの。内底に段は付けられていない。

F−6類(Fig.4−23)
 口径23cm前後と推定され、F−4類の口縁部を上から押して加工しているもの。

F−7類(Fig.4−24)
 口径20cm〜23cm程度で、口縁を外側に折ったもの。内底周囲に段が付けられている。

F−8類(Fig.4−25)
 折り縁にした口縁部を内抱え状にしていると推定されるもの。

 

(2)底部からの分類

《ア》高台の断面をU字形にするもの  PL.7へ Fig.7へ 

ア−1類(PL.7−2) 
 比較的薄く作られた高台の内外側面をやや内傾させ、畳付の両角を斜めに削って丸形に近くしているもの。3号窯のア−1・2類にやや似ている。形状の分かるものにはA−1・2類C−4類があり、C−4類は高台幅が広いが、A−2類は中程度でA−1類は狭いものが多い。

ア−2類(PL.7−3)
 高台の外側面をやや内傾させ、内側面を直立させたもので、畳付を丸く削っているもの。削りが丁寧なものと雑なものがある。3号窯のア−2類やウ−3類とやや似ている。形状の分かるものにはA−1・4類C−1・2類E類などがあり、A−4類E類C−2類の一部は高台幅が比較的広く、C−1類C−2類の残りは狭い。A−1類には両方あるが、概して高台外側面を倒しぎみにしたウ−3類に近いものが広めである。

 

《イ》高台の断面を四角くするもの  PL.7へ Fig.7へ 

イ−1類(PL.7−4) 
 比較的薄く作られた高台の内側面を直立か部分によってはわずかに内傾させ、外側面もやや内傾させたもので、畳付を平らにして外角は傾斜に沿って釉を削り、内角は斜めにわずかに削ったもの。3号窯のイ−1類にやや似たものである。形状の分かるものにはA−2・4類があり、高台幅は比較的広い。

イ−2類(PL.7−5) 
 高台の内側面を直立させ外側面をやや内傾させたもので、畳付の両角を斜めに削っているもの。3号窯のイ−3類に類似したものである。形状の分かるものにはA−1類があり、高台幅は比較的広い。

イ−3類(PL.7−6)
 高台の内側面を直立させ外側面をやや内傾させたもので、畳付を平らに削るだけのもの。形状の分かるものにはA−1・2類があり、高台幅はやや狭い。

イ−4類(PL.7−7)
 高台内をやや深く削り込んでいるもの。畳付は同一個体でも平らに削るだけの部分と斜めに削る部分があるなど、雑で一定していない。3号窯のイ−4類やウ−3類とやや似ているが、3号窯の製品ほど深く削り込んだものはない。形状の分かるものにはA−1類C−5類があり、高台幅は狭い。

 

《ウ》高台の断面をV字形にするもの  PL.7へ Fig.7へ 

ウ−1類(PL.7−8) 
 高台の内側を直立させ外側を大きく内傾させたもので、畳付にほとんど平らな面を残さないもの。内角は少し釉を剥ぎ、外側は傾斜に沿って広く釉を削っているものが多い。3号窯のウ−1類に類似するものである。形状の分かるものにはA−2・3類C−2類D類などがあり、高台幅は比較的広いがA−3類は典型的なものに比べてやや雑な作りである。

ウ−2類(PL.7−9)
 ウ−1類と類似した形状で、畳付に平らな面を残すもの。3号窯の《1−2》圏線のウ−2類に類似している。形状の分かるものにはA−2類があり、高台幅は比較的広い。

ウ−3類(PL.7−10)
 ウ−1類と類似した形状で、畳付の両角を斜めに削って、わずかに平坦面を残すか丸くしているもの。3号窯のウ−2類に類似するものである。形状の分かるものにはA−1類C−2類があり、高台幅は比較的広い。

ウ−4類(PL.7−11)
 高台の外側面を内傾、内側面を外傾させたもので、畳付を丸く削るか、平らに削るもの。同一製品でも部分によって混じっているものがある。3号窯のウ−3類に類似している。形状の分かるものにはA−1類B−3類があり、高台幅は狭い。

 

《エ》高台の高いもの  PL.7へ Fig.7へ 

エ−1類(PL.7−12)
 高さ2cm前後の高台を持つもの。畳付は両角を斜めに削るか、丸くしている。3号窯のエ−1類に類似している。F類の高台である。


■ COMMENT ■

 

● 山辺田4号窯は、実際には、下限が1610〜20年代頃の窯跡である。つまり、現在4号窯跡として括られている製品は本来は別な窯のもので、名称は遺物群としての仮称とお考えいただきたい。

● 最初に示したように、各窯体と各物原部の帰属関係が明確になっていないため、近接する3号窯の製品(これも仮称)とは厳密には区別できないものもある。出土位置が離れ、ほぼ同時期の遺物群と推定される7号窯(これも仮称)では、染付入り素地と白磁がともに比較的多く出土しており、おそらくこの時期には、両素地が併存するのが一般的な組成であることは間違いない。

 




Homeページに戻る
Contentsページに戻る
ページの最初に戻る