乳 白 手− にごしで −

 


 


 先日「Materialホール」で、楠木谷窯跡と柿右衛門窯跡の製品を併載し、「乳白手(にごしで)」についてちょっと触れてみた。ところが、「乳白手」といえば言葉の響きとしてはいいが、なかなか微妙なニュアンスの用語であるため、実際には歴史用語としてはなかなか扱いにくいのが現実である。
 そこで今回は、この用語がどういう位置付けにあり、その問題点はどこにあるのか探ってみることにしたい。

 



 

 「乳白手」または「濁手」と書いて、「にごしで」と読む。

現在の一般的なイメージからすれば、「柿右衛門様式の色絵製品に用いられる、表面が乳白色を呈する色絵素地ないしは白磁」という程度の認識であろうか。


 この「乳白手」という用語の起源について、九州陶磁文化館の藤原友子氏は以下のように述べられている。

 「(前略)大正期には「乳白色」という語で表現されていた素地の特徴が、山村耕花の「柿右衛門雑話」1929年(昭和4)では「乳白手」として登場し、今泉生(今泉元佑か?)による「有田附近古窯白磁の新研究」1932(昭和7)では「乳白手(ニゴシ手)」としている。今泉生は、この論稿の中で、有田の白川谷からこのタイプの白磁が出土し、濁手が柿右衛門専有の白磁素地ではないと主張している。さらに、昭和9年から11年にかけて編纂された『陶器大辞典』では「濁し手」の項をおこし、鹽田力蔵が解説を書いている。「柿右衛門の磁器質の中、最も独特な乳白色のものを云ふ。これは有田泉山の一等土を用い、殊に釉薬が薄くて、純白不透明の観を呈し、染附には不向ながら、上絵のために特色を発揮し、その白地の温和な調子が愛される。(後略)」とある。この鹽田力蔵の「濁手」観は、「釉調が薄く、純白不透明(のように見える)である。」というもので、これは、今日よく語られるような「濁手=失透性の釉薬」という認識のはじまりであろうか。一方、ほとんど同時代に執筆刊行された中島浩氣の『肥前陶磁史考』1936年(昭和11)においては、「濁し」とは、「この地方にて洗米の研ぎ汁をいふ」と解説している。濁手という概念は、有田での方言に由来し、少なくとも研究史上では、昭和初期から使用されはじめたものと考えられる。」(「柿右衛門研究史−柿右衛門作品観の変遷−」『柿右衛門−その様式の全容−』九州陶磁文化館 1999)。

 つまり、ここで把握しておく必要があるのは、「乳白手」という語はその技法の成立に際して特定の種類の素地に付された名称ではなく、「柿右衛門」の研究上、昭和に至って誕生した用語であること。また、その「柿右衛門」とは、今日一般的な「柿右衛門様式」という時代様式としての概念ではなく、酒井田家という生産地様式が一般的であった時代の産物であることであろう。
 よって、本来「「柿右衛門」の中には、乳白色の素地を用いるものがあり、そうした特徴を有する素地を「乳白手」と称す」という概念だったのが、徐々に「「乳白手」は、「柿右衛門」の中の乳白色を呈する素地」と発展(?)したのである。なんだか違うような、違わないような、微妙な差ではあるが、実はこの二つの差は極めて大きい。なぜならば、前者の場合、ある素地が質的な条件さえ満たしていれば、「柿右衛門」かどうかの如何に関わらず「乳白手」に区分できることになるが、後者の場合、素地そのものの質以前に「柿右衛門」であるかどうかが一義的な区分の分岐点となる。
 また、その後「柿右衛門」そのものの認識が、生産地を離れ時代様式として変化したが、この場合、後者の認識に立てば、少なくとも「柿右衛門様式」の成立した1670年代以前には、「乳白手」は存在しえないことになってしまうのである。実は、現在の一般的なイメージとは、基本的にこの捉え方である。


 何れにしても、明確な範囲が規定や概念があって創作された用語ではないため、一方が真でもう一方が偽というような性質のものではない。運用上、どちらがより矛盾点が生じないかという程度のことである。ただし、後者のように素地の質を示す用語でありながら、それを規定する第一義的な要因が上絵などを付した完成品の様式ということには、いささか根本的な不合理さは感じるが。たとえば、これでは白磁として流通したものなどは、はなから区別の基準が存在しないことになる。また、肝心の「柿右衛門様式」そのものが漠然とした概念で、明確な範囲がない。よって、実際には10人中10人が「柿右衛門様式」と認識するような典型的なもの以外は、素地の質はどうあれ、「乳白手」ではなくなってしまう可能性もある。同等な素地でも、「乳白手」とそうでないものが存在してしまう可能性もあるということだ。


 その一つの答えとして、九州陶磁文化館の家田淳一氏は、「乳白手」の今日的な定義について、以下のように述べられている。

(前略)このような中、酒井田家に関係の深いと考えられる柿右衛門窯跡、南川原窯ノ辻窯跡から、乳白色の素地の中でも最も完成されたものが確認されたことは重要であった。それは、純白の素地であると同時にロクロ型打ち成形を主とした成形の優れた鉢・皿類である。これらを観察すると、口縁を折縁や輪花に作ったものが多く、器壁も非常に薄く作られている。特に、高台の成形に特徴があり、七〜八寸の皿、鉢類では高台畳付の幅が2〜3mm、五寸のそれで約1.5〜2mmと幅広で、均一な厚みに削ってある。高台脇も内外ともほぼ垂直、または外面は傾斜を持たせ内面は垂直に近い高台成形を行う。前者は鉢類、後者は皿類が多い。
 したがって、今日、濁手(乳白手)を定義するなら、焼成では、素焼きを行い、本焼きでは一々サヤに入れて窯詰めし、降灰の溶着や、歪み窯割れなどのない素地作りを目指した、薄い釉薬の掛かった純白の地肌で、精巧な成形の素地とすべきと考える。(後略)」
(「展覧会について−概説−」『柿右衛門−その様式の全容−』九州陶磁文化館 1999)

 つまり、酒井田家に関係の深いと考えられる柿右衛門窯跡や南川原窯ノ辻窯跡の素地を典型とし、それらに認められる特徴を具備するものを「乳白手」として区分しようという捉え方である。この、まず酒井田家ありきの捉え方には異論もあるだろうが、たんなる色調だけではなく、成形技法や焼成技法の面にまで規定要因を広げているため、従来と比べ、かなり具体的に「乳白手」を絞り込めることは間違いない。
 ただし、これで素地の点から「柿右衛門様式」の中に完全に「乳白手」を収めることができるようになるかといえば、そう単純でもない。たとえば、楠木谷窯跡の1650年代の製品には、すでに素地の質や焼成方法など、提示された要件はほぼ満たしているものがある。少なくとも、楠木谷窯跡と柿右衛門窯跡などでは、その製品幅内の接点付近では重なりがあることは確実である。楠木谷窯跡も「酒井田家に関係の深いと考えられる」窯であり、そうした面では、言葉上では「楠木谷窯跡で萌芽した「乳白手」の技術が柿右衛門窯跡で完成した」という、ちょっとごまかされてしまいそうな説明も可能である。ところが、現実的な製品に則して考えれば、では、そのどこから「乳白色の素地」ではなく「乳白手」となり、その範囲はどこまでとするのかという具体的な基準や、それが妥当である客観的な根拠を、「様式」という概念を介在させずに提示する必要がある。ようするに一連の技術の中での線引きは、まだできていないのである。あるいは、南川原の素地に限るという捉え方もできるかもしれないが、それはやはり素地ではなく、単なる生産地区での分類に過ぎなくなってしまう。

 楠木谷窯跡の場合は、時期的な関係から、上絵が付されれば基本的に「古九谷様式」である。「柿右衛門様式」は、これに続く柿右衛門窯跡の操業期間内に完成している。よって、現状の基準で「柿右衛門様式」に収めることとは、やはり素地の問題ではなく、おおむね完成品の様式にたよることになのである。したがって、今後「柿右衛門様式」にこだわるならば、さらに詳細な基準設定が必要となるし、こだわらない場合でも、「乳白手」の用語を用いるとすれば、新たに明確な基準を確立する必要がある。


 以上、「乳白手」という用語の位置付けや問題点などを指摘してきたが、ご理解いただけただろうか。ようするに、現状では、歴史用語としては共通認識は存在しないし、ほとんど矛盾なく使うこともできない言葉なのである。とりあえず、この程度のものと認識したおいていただければ、さまざまな記述に触れる際などには、多少お役にたつかもしれない。

 




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