陶器と磁器の区分(2)
−分類の普遍性について考えてみよう− |
しかし、ここでもう一度、頭の中をリセットして考えてみていただきたい。 “卵が先か?にわとりが先か?”ってのは、かなり難問かもしれないが、“磁器の誕生が先か?理科学的な理論付けが先か?”なんて、言われなくても答えは明白である。磁器という言葉はともかく、理科学的論理付けの方が後に決まっている。 実に、曖昧模糊として分かったような、分からないような説明であるが、今回も駄目押しで、その辺をもう少し具体的、かつ、分かりやすく説明しとくことにしようか。 |
陶器の原料は粘土、磁器は陶石ってことになっているが、そんなこといったい誰が決めたんだろうか?粘土で作る磁器があったらいけないのだろうか? “陶石を使うからこそ、焼くと磁器になるんだ!” なんて答えが帰ってきそうだが、まあ、慌てない。 じゃー、19世紀にはじまった瀬戸の磁器も、原料は陶石なのか? 景徳鎮では、たしかに耐火度を下げる目的で一部陶石が混ぜられるが、むしろ磁器の主原料と言えば、カオリン質の粘土というのが、世界の常識である。
陶器も粘土、磁器も粘土?そうすると、ちょっと勝手が違ってくる。 粘土と陶石の違いって言われれば、何となく分かったような気分にもなるが、粘土と粘土じゃすっきりこない。今まで原料はミカンとリンゴの違いだと思っていたのが、いきなりおなじミカンの中の種類ってことになったようなものである。 こうした新種の場合、本当のミカンだったら新しい名前が付けられるところだが、やきものミカンの場合は、もうちょっと乱暴である。陶器ミカンか磁器ミカンかどちらか近い方に無理やりくっつけるという方法が取られるのだ。いや、場合によっては、ミカンという分類で一括りにする場合だってある。
この、どちらに入れるか判断する場合、いわばミカンの味に当たるのが、原料の性質などということになるだろうか。 そこで、別な判別基準が必要になるが、それが外見から区分する方法であり、これこそ前回“〜〜”なんてもったいぶった、“生産技術”というものである。
生産技術については、また次から詳しく説明して行くが、その前に陶磁器ミカンの分け方の基本をおさらいしておくことにしよう。ここで頭が十分にリセットできていないと、生産技術についても理解することが、ちょっと難しいからである。
一般的に、やきものは“土器”、“陶器”、“磁器”に分類される……、と、実は今日のわたし達は強烈に意識付けされている。ところが、これがどこででも通じる普遍的なものだと思ったら、大きな間違いである。今皆さんのイメージされる分類は、基本的にあくまでも現代の日本でしか通用しないものであることは強く認識する必要があるのだ。
時代によっても、分け方は異なる。 だいたい日本磁器形成の骨格を担った肥前でさえ、本来磁器は陶器と対比されるものではなく、陶器の一種だったのである。もちろん近世には磁器という名称すら存在しておらず、現在の“陶磁器”の同意語として、“陶器”の語が用いられていたのだ。
次に地域差を知るために、磁器の生みの親、中国を見てみよう。 実は、中国のやきものの区分は、本来“陶”と“瓷”の2区分しかない。現代の日本は先に示した3区分、つまり、当然のことながら、日本の“陶器”は中国の“陶”とは指し示す範囲が異なるし、“磁器”と“瓷”も同様なのである。
“じゃー、あの普遍的であるはずの理科学的な区分ってどうなるの?って言いたくもなるでしょう。”
次に、もう一つの日本磁器の祖、朝鮮半島。ここではどうなっているのか? 少なくとも韓国では、やきものは“土器”、“陶器”、“磁器”の3区分である。 たとえば、有田あたりで初期に作られている灰釉陶器。これなどは、韓国流に言えば、陶器ではなく、白磁の仲間である。でも、当然、胎土は灰色、釉色も灰白色や青緑で、理科学的区分では、こんなこと断じて許されない。 しかし、 韓国でいう陶器とは、原則的には粉青沙器、日本でいう「三島手」や「刷毛目」などが主な範囲である。これなら一目瞭然、象嵌や刷毛目などがあるから、簡単に分けられるのだ。やっぱり日本とは区分の基準は異なるのである。
このように国や地域、時代等によっても分類基準が違うことが認識できれば、原料の性質などだけでは、陶器と磁器は分けられないということが、一層はっきりお分かりいただけたと思う。 |
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