これが基本I

 釈尊の本意


 また、釈尊みずからが『大無量寿経』のなかに、この経こそ真実の教えであることを語っておられます。

すなわち釈尊は、この経を説かれるとき、そのお顔がよろこびに輝き、いままでに見たこともない尊いおすがたであったので、弟子の阿難がおどろいてそのわけをたずねると、「如来が無上の大悲をもって迷いの衆生を哀れみ、世に出て広くいろいろの教えを説くわけは、衆生を救うためにまことの利益を恵みたいと思うからである」とこたえられているのであります。

これは、釈尊ご自身の口をもって、この世に出生せられた本意をあきらかにされたのであり、おすがたが常と異なって光り輝いていることは、いまやその本意をとげようとしておられることを、すがたでもって示しておられるのであります。


 さらに釈尊は、この経を結ぶにあたって、「やがて後の代になれば、もろもろの教えの道は、みなすたれてしまうであろうが、わたくしは哀れみの心をもって、特にこの経だけをいついつまでもとどめておこう。
そしてこの経に値うものは、いついかなるものでも、みな望みのままにかの国に往生して、迷いを離れることができるであろう」と、説かれるのでありました。

『大無量寿経』が、永遠に真実の教えであることは、ほかならぬ釈尊の宣言であります。

   つづく

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