み教えに聞くJ  (願いに応える
   人生)i モード


また同じような例として、小さな子どもさんがピンポン台にぶつかってころんだところ、このピンポン台が憎らしいと言って台を手でなぐった、というような出来事が述べてありました。

私たちの社会は、こういうふうに、自分で取るべき責任と、自分以外のところにある原因とを区別することもできなくなる傾向にあり、ただ、そこにある自動車が、私を攻撃しているかのように受け取る人間に育ちつつあるのではないでしょうか。

物ですらそのようなことですから、もし人がそこに立っておりまして、よそ見をしながら歩いてぶつかったら、私たちはどういう態度を取るでしょうか。
「 こんな道のまん中に立っておってけしからん 」 と、先ほどの子どもさんと同じような態度に出かねない。
そういった風潮が世の中に広がりつつあるのではないか、と非常に恐ろしく思ったのです。

そして、これは 「新報」 に書かれていた一つの出来事として受け取ったのではなく、そういうよく似た場面に出くわしたら、私はどうなのであろうかというふうに考えると、大変恐ろしい気がいたしました。

 つづく

浄土真宗本願寺派大谷 光真門主述

本願寺出版社刊 「願いに応える
   人生」より

(内容転用の場合は、本願寺出版社の了承をお取りください)


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