第1000回 遠い目標 〜仏教は壮大な価値観〜

 平成24年 3月22日〜

おかげ様で 1000回を迎えました。皆さまの応援のお陰と感謝しています。

ところで、近頃つくづくと感じることは、現代は 結論をあまりにも
急ぎ過ぎているように思います。
それに、余りにも早くから準備をしすぎているようです。

大人たちの関心は 子どもや孫のことでしょうが、その子どもや孫のためと
小さいときから学習塾や家庭教師などと 大人たちが一生懸命になっている
ケースを 見聞きします。

これは 実は 子どもにとって本当に必要な教育は 誰かにまかせて
自分は責任を逃れているのかもしれません。

人間として生きていくには、学校の勉強や学力だけではなく、幅広い
社会的な見識を学ばせる必要があるのではないか。
点数で評価できるもの 比較して優劣が決められるもの、その評価や優劣に
左右されて、人間誰でも全員が持っている必要がある経験や知識が 
欠落しているようにも 思います。


戦前の貧しい時代は、家庭を助けるために子どもの頃から、働くこと
親を助けること、弟や妹の面倒をみることなど、共同で生活することで
大事なことを、多くの子どもたちが体験し学んでいたと思います。

それが、現代は 生活に余裕が出来、しかも子どもの数が少なくなって
自分が若い頃苦労したために、子どもにだけは 楽をさせたいと甘やかし、
我が儘な片寄った生活をさせているのではないかと、感じています。


 お仏壇のある家では、昔は仏さま中心の生活をしていたようですが、
今は 仏さまに変わって、お子さま 中心の生活になったのではないか。

そのために、年配の人々は 子どもや孫と離れて住まい、同居しても
発言力のないペットの様に 行動を制限されて生きている人も少なくない
ようです。


 子どもの本当の幸せを願うなら、仏教的な壮大な価値観をもっと
受け入れ 伝えていく必要があるようです。
阿弥陀如来は、すべてのものを救う、お浄土へ生まれさせ仏のさとりを
得させて、仏のはたらきをさせる。これが、仏さまの願いであり、救いです。

われわれは、試験に合格させてほしい、健康でいたい、この病気を
治してほしい、いつまでも若さを保ちたい、あれがほしいこれがほしい、
死にたくないと願って生きています。

しかし、そのどれをも 阿弥陀如来の救いではないのです。
結論は もっと遠くにある 今この瞬間に結果を求めてもそれには
応じてもらえないのです。
もっと、末通った人間の究極の幸せ よろこびを 与えるとの教えです。

目先のことに一喜一憂する生活から、もっと遠くを目指した余裕有る
豊かな生活をしてほしいとの願いを、じっくりと味わいたいものです。

南無阿弥陀仏の願いは、身近には多くの苦しみ悲しみ悩みが沢山あるものの
やがて、それが一つとして無駄なことではなかった。

仏として活躍出来るその時のためには みんな有り難い経験だったと
言える 人生を、生き方を与えていただくのだと思います。
南無阿弥陀仏の教えは どんどんどんどん 喜びが増してくる教えです。

年を取れば取るほど、病気をすればするほど、いのちが終わりに近づけば
近づくほど 悲しみ苦しみが増えてくれば来るほど、喜びが増してくる
教えだと味わえます。

すばらしい人生だった、無駄なことは一つもなかったと 味わえる
喜びを与えていただく、それが南無阿弥陀仏のはたらきであり、
お念仏の教えだと感じています。

妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は、328日に新しい内容に変わります。


         


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