第1005回 心は 六つに変わる 〜少年のための仏教問答〜
平成24年 4月 26日〜
「少年のための仏教問答」という 小さな冊子を見つけました。
高校の先生やスカウト、日曜学校、少年連盟の先生方が
昭和50年代に編纂されたものです。その中に こんなところがありました。
〇 人の心は どんなに変わりますか。
A およそ、六つのちがった心に変わります。
〇 六つの心とは、どんな心ですか。
A 天、人、あ修ら、畜生、餓鬼、そして、地獄という
〇 天の世界の心とは、どんな心ですか。
A うれしい気持ちがいっぱいで、自分のこと以外は 考えない心です。
だから、すっかり得意になって、夢中でいる時のことを「有頂天」
とも言います。
〇 人の世界の心とは、どんな心ですか。
A ふつうの人間の心のことで、苦しいことがいっぱいの心です。
〇 どんな苦しいことがありますか。
A ふつう、四苦八苦と言われています。
〇 四苦八苦とは、どんなことですか。
A 1,生まれる苦 2,年老いる苦 3,病気の苦 4死ぬ苦
5,すきな人や物に別れねばならない苦 6,大きらいなことに
会わねばならない苦 7,ほしいものを得られない苦
8,思うようにならない身体の働きの苦、の八つです。
〇 あ修らの世界の心とは、どんな心ですか。
A 争うことに夢中になる心で、けんかや戦争をして、他人に
法律にそむき、社会のきまりを破り、自分の
このことから「我無修ら(がむしゃら)」と
〇 畜生の世界の心とは、どんな心ですか。
A 犬やねこのように、恥を知らない心です。
〇 恥を知らないとは、どんなことですか。
A 自分がうけた親切を忘れ、他人に迷惑をかけても平気でいる、
わがままなことを「恥しらず」と言います。
〇 餓鬼の世界の心とは、どんな心ですか。
A いつも、何かほしいと、うえている心です。
〇 地獄の世界の心とは、どんな心ですが。
A 他の人の欠点を探して、それをさばき、責めいじめ、そして、
自分自身も責めいじめられ、いつまでも苦しんでいる心です。
〇 地獄には、鬼がいるというではありませんか。
A そうです。その鬼とは、私が他人を責めいじめる時の心の姿の
〇 地獄は、土地の深い所にあるというではありませんか。
A そうです。深いところにあります。でも、その土地とは、
地球のことではなく人の心のことです。
〇 人の心のことを、土地というのですか。
A そうです。お釈かさまの話の中で、国、土、地、境、世界などと、
言うことばは、山や川のある国や土地、地球のことでなく、心の
感じる広さをあらわすことが多いのです。
〇 私たちは、日ごろ、どの世界の心にいますか。
A あるときは、餓鬼(何かほしい)の心、あるときは、天(うれしい)
の心と、朝から晩まで、たえず変わって、六つの世界をぐるぐる回っています。
親鸞さまは「地獄は住みかである」と言われました。
このような人の世を「シャバ」とも「迷いの世界」にいるとも言います。
〇 シャバとは、どんな意味ですか。
A インドの古いことばで、六つの世界の心のものが、ごっちゃに、
いっしょにいることを意味しています。苦しみ、悲しみが、いっぱいですから、
たえしのんで生きねばならないわけです。
〇 迷いとは、どんな意味ですか。
A 自分が、今、どのような心であるか、気がつかず、また、
どのようなことが、本当の幸福なのか、わからないので迷っていると言います。
〇 天(うれしい)の世界の心が、幸福なのではありませんか。
A いいえ、自分では、楽しいと思っていますが、長くは続かず、
いつか破れます。そして、後には、かえって苦しみの原因となります。
また、うれしい心といっても自分だけで、みんな別々の世界に住んで
いるので、さびしい思いです。
〇 私たちは、みんな一つの世界に住んでいるのではありませんか。
A いいえ、身体は、一つの世界に住んでいますが、心は、同じ世界では
ありません。百人おれば、百人の心は、みなちがう世界を作って、
別々に住んでいます。
〇どうして人間は、同じ地球に住んでいながら、心は、別々の
違う世界を作るのですか。
A 兄弟でも性格がちがうように、人は、それぞれ生まれた所がちがい、
育てられた生活がちがうため、行いや心も、大変ちがう働きをするからです。
こんな内容です。大きな項目では 人の世のこと、私のすがた、仏さまのこと
心がけたい行いと、大きく四つに分けてありました。
妙念寺電話サービス お電話ありがとうございました。
次回は 5月3日に新しい内容に変わります。