第1015回 桧舞台と味わう 〜日常の平凡な生活こそ〜

 平成24年 7月 5日〜

 

ご法話を 検索しておりましたら、熊本教区教務所の法話で
こんなお話に 出会いました。


衣類の整理をしていて、ふと考えたことがあります。

それは、普段着る服とよそ行きの服で、その扱いは随分違うものだ、
という事です。
よそ行きの服は誰もがお手入れに気を使いますが、これが普段着と

なると殆どお手入れもしません。

人生の中で、着る機会も少ないはずの余所行きは大事にしても、

人生の大半を着て過ごすはずの普段着には気を使わない…。

これは私達の日々の味わい方がそのまま表れているように思うのです。
人生の大きな節目のような出来事に出会った時は、誰もが様々な
思い出その出来事を受け止めます。

それは嬉しい事であったり、腹が立ったり、時には涙する事であったり…。
しかし、そんな「大事件」の間には、私達が日頃、あたりまえ、いつもの事だ、

とついつい通り過ぎてしまっている大切な日々があるのではないでしょうか。

阿弥陀如来という仏様は、常に私達を照らして下さっている仏様です。

「照らされる」とは、光があたって気付かされるという意味であります。
お念仏を拠り所とする生活は、まさに気付かされていく人生であります。

あるお寺の掲示板で「日常の平凡な生活こそ、人生の桧舞台である」
という梅原真隆先生の言葉に出遇いました。

桧舞台というと、それこそ人生の大きな場面のようでありますが、
常日頃の人生の歩みそのものを人生の桧舞台と味わっていけるならば、
その瞬間から「私の日々の暮らしに無駄な事なんてないのだなぁ」と、
新たな味わいの中での人生が始まります。

お念仏をお称えしながら、桧舞台の日々を歩ませて頂きましょう。
    「日々を桧舞台と味わう」 (正寿寺 旭啓寿師)より

 

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次回は、712日に新しい内容に変わります。

         


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