第1018回 キーワードは 恩 〜感じる心 喜びの心が〜

 平成24年 7月26日〜

浄土真宗で 最も大事にする法要は 報恩講です。
親鸞聖人のご和讚の中で、最も口にするのが 恩徳讃です。

「恩」という言葉が 浄土真宗のキーワードではないでしょうか。

  如来大悲の恩徳は 身を粉にしても 報ずべし
   師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

 これが恩徳讃の内容です。まさに「粉骨砕身」の
報謝、報恩のお念仏こそが、浄土真宗の教えです。

善導大師の「観念法門」に、「敬ひて白す。一切の往生人等、

若しこの語を聞かば、即ち声に応じて悲しみて涙を雨ふらし、
連劫累劫身を粉にし骨を砕きて、仏恩の由来を報謝して、
本心に称すべし・・・・・」や、
聖覚法印が、法然上人の恩徳をたたえた吉水嘆徳文などによると言われます。

 如来とは 弥陀如来を指しますが、釈迦如来も
十方諸仏もおさめられていると思われます。
釈迦は弥陀の浄土へ往生することを、第17願の成就によって

弥陀の名号を讃嘆して勧めて下さる如来であり、

十方諸仏は、その釈尊の説法が真実なること、すなわち弥陀の名号が

よく衆生を救済することを証明して勧める如来であるからです。


 師主知識とは 七高僧を指し、知識とは 善友という意味より、
教授の師との意味が強いと思われます。
私たちは 髪の毛一本抜いても痛がり、火の粉がとんで来ても熱くて

耐えがたい人間です。
「身を粉にして、骨を砕きても・・」とは、とても不可能なことですが、
これは阿弥陀如来さまからの強い呼びかけなのです。

私の方から決意であると共に、阿弥陀如来さまの「如来大悲の報謝は

身を粉にしても報ぜよ」との呼びかけなのです。

親鸞聖人は、阿弥陀如来の善しとされる

ことには、断乎として立ち向かわれ、阿弥陀如来さま、仏陀釈尊、
七高僧、聖徳太子に象徴される本願他力の法を、ただただ誉め讃える
90年でした。

そして、お念仏の人には 現生に十の利益があることも教えて

いただいています。「心多歓喜の益」もその一つです。

「如来大悲」とは 見返りを求めない大きな はたらきのことです。
如来のはたらきをはじめ、自然や、多くの人々のはたらき、
そのはたらきを、ほんの少しでも気づくことができれば、
また、「師主知識」とは そのことを教えて下さった 人々です。


数々の はたらきと、私のために働きかけてくれる人々に支えられ
生かされていることに気づき、感謝の気持ちが芽生えてくると
人生は今までとまるで違って、誠に素晴らしいものに 味わえて

くるものですよと、親鸞聖人がご自分の体験を読んでいただいたのが
恩徳讃でしょう。

当たり前、口先だけの有り難うではなく、よくよく考えてみると、
すべてがこの私のため、私一人のために 多くのご苦労を掛けたと

喜びの心がわき起こってくるものです。

ご法話は、その数々のはたらきや、私のために努力いただく多くの人に
気づかせよう、感じ取ることの出来る人間に、育てようとのはたらきかけです。

知ることで、感じることで、喜びの心が わき起こってくるものです。
心多歓喜の益とは そのことを 教えてくださっているのでしょう。

妙念寺電話サービス次回は、8月2日に新しい内容に変わります。

         


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