第1030回 毎日が 表現の舞台 〜待っていてくださるご門徒と一緒に〜

 京都の仏教学院を卒業して、20年が経ちました。

このごろ「本願力にあひぬれば むなしくすぐるびとぞなき・・・・」の
ご和讚が有り難く味わうことが出来るようになりました

年忌法要などで親戚の方とお話すると、お釈迦さまが捨てられた
地位や名誉、財産にこだわり、老病死から如何に努力して逃れればよいかと
悩み苦しんでおられる姿に、よく出会います。

お念仏にご縁のある方と、世間の常識だけで生活しておられる方とが、
こんなにも違うものかと驚いています。

書きためたノートに「本物の宗教は、その教えに出会ったことで、
生きていることが、どんどん嬉しく、楽しくなるもの、それが本物・・・」
お念仏の人は、まさに、むなしくない生きがいある人生、
歳を重ねても重い病気になっても、喜べる人が多いものだと。


 仏教学院にお世話になったのは 50歳を過ぎてから、若い人々に
混じっての勉強でした。それまで接した若者たちが、夢や希望を持ち、
いかに個性を発揮し、自分をどう大きく表現するか、チャンスを
如何に奪い取るかと、ギラギラしていたのに対して、
どこか大きな荷物を背負い込んで、個性をそぎ落とす努力をしているような
若者に接することがありました。

教えはまずは言葉で伝わるもの、話術を鍛えることが重要でしょうが、
不器用な人の方が大成していることが多いもの、素質があるなしより、
努力がすべてのようです。しかし、表現方法は大きく変わってきています。

言葉中心のラジオから映像が加わったテレビ、今は数多くの新しい表現方法が
氾濫する時代です。
白髪一杯の結構な年齢になっても、どうすれば教えが届くのか、インターネットや
パワーポイントを使った視覚的な方法での勉強会などに挑戦し楽しんでいます。

毎年春秋、数多く法要が勤まりますが、登礼盤作法など拝見すると、
その姿勢所作のすがすがしさから仏教学院出身者は、すぐ分かるものです。
京都で学び体験したことを元に、得意なことに挑戦し、個性的な自己表現をする人生は、
楽しく生きがいあるものです。
そして、その舞台は 小さくとも,毎日毎日いつも準備されているもの。
待っていてくださるご門徒と一緒にお勤めをし、自分らしさで味わいを表現し、
お念仏を共に喜ぶ、有り難い人生を頂いたものだと味わう毎日です。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月25日に新しい内容に変わります。



         


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