第1062回 かえると一茶 と あみださま  〜いつも見ています〜

平成25年 5月30日〜

大阪で 「ワークルーム」という会社を立ち上げておられる
塚村真美さんという方の こんな文章に 出会いました。

  小林一茶は 信濃の人で、浄土真宗の信心が篤い人だと聞きます。
一茶に 「やせがえる負けるな一茶これにあり」 という句があります。

ちょうどかえるが鳴く季節、この句が読まれた地を訪ねる機会に
恵まれました。

そこは信州小布施のお寺の池で 「かえる合戦の池」と呼ばれています。
一茶は このころ、生まれてすぐの息子を亡くしています。
その病弱な子供への思いをやせがえるに寄せて詠んだのがこの句です。

 やせがえるに向かって、一茶が 「負けるな」 と言っているのは、
同時に自分の子どもに対する応援でもあるのです。

  この句の中で、一茶は 「一茶」 と自分で自分の名前を
名告っています。
自分で自分の名前を名告るといえば、そう阿弥陀さまです。

「阿弥陀さまは ここにいるよ。『南無阿弥陀仏』 と 私の名前を

称えなさい」 と、いつもどこでも私に声をかけてくださっているのと
同じように、一茶は 「一茶これにあり。一茶はここにいるよ」 と
かえるに、そして息子に呼びかけているのです。

 やせがえるは呼びかけられても、一茶が何者なのかわかりません。
応援してくれていることなど、かえるの方ではちっともわから

ないのでしょう。

それでも一茶は 「ここにいるよ」 と 一方的に呼びかけているのです。

それはそのまま阿弥陀さまのお声と重なって聞こえてきます。
私は がんばっている。

負けそうになっている。

もう何も見えない。

でも阿弥陀さまは 「ここにいるよ」 と一方的に呼び続けているのです。
「負けるな」というのも、決して相手に 「勝て」 と言っているのではないと
いうところも、心にしみます。

 やせがえる、それを見まもる一茶がいて、死にそうになっている
息子がいて、ただ 「負けるな」 と念じるよりほかなく、
それでも 「ここにいるよ」 と声をかける一茶がいます。

そして、そんなかえるを、子どもを、一茶を見守る

阿弥陀さまがいるのです。

 「一茶これにあり」 は、そのまま 「阿弥陀これにあり」 と
置き換えることが出来ます。

阿弥陀さまはいつも見まもってくださっているからです。

 「はじめてのおつかい」というテレビ番組で、
一人で歩き出したものの、母親の方を振り返っては

「見ててね」 と泣き叫ぶ子どもがいました。

見ていてほしいのです。何をするにも、誰かに見ていて
ほしいのです。 大人でもそうでしょう。

 「これにあり」 という言葉は、子どもにとって、また大人にとっても、
いちばんうれしく心強い言葉になります。
ただ見まもってくれる存在がある、ということが、心の支えになるのです。


 もし、辛いことがあったら、「やせ○○負けるな阿弥陀これにあり」 と
○の中に自分の名前を入れるのもよいかもしれません。
阿弥陀さまはいつも見まもってくださるからです。

  家庭教育誌「ないおん」 25年6月号掲載 塚村真美さん著 

妙念寺電話サービス 次回は 6月6日に新しい内容に変わります。

 

         


           私も一言(伝言板)