生きるということ
(願いに応える人生)
皆さま方は、一般に、お寺というと、どんなところとお感じになっていらっしゃるでしょうか。
ちょっと、頭の中で思いめぐらしていただきたいと思います。
私の個人的なことを申しますと、生まれたのは京都の近郊でございますが、すぐに戦争が終わりましたので、それ以降ずっと、この本願寺の中で育ちました。
つまり、お寺の中で育ったわけでありますが、いわゆる本堂・ご影堂といわれますこの両堂とはつながってはおりません。
家庭のお内仏での朝晩の礼拝はいたしておりましたが、こちらへは、子どもの時代には、特別なご法要、報恩講、その他何かのご縁のときに、お参りするだけでした。
得度いたしますまでは、自分の住んでいる同じ敷地にありながら、ちょっとよそいきの感じがしておりました。
成人いたしましてからは、さまざまな行事、あるいはお晨朝(おあさじ)に出るようになりまして、お寺に対する、すなわち本願寺に対する気持も変わってまいったわけであります。
皆さま方の中にも、お寺で生まれ育った方、あるいはお寺の近くで鐘の音を聞きながら成長なさった方もおいでになるでしょうが、それぞれお寺についての印象も異なることと思います。
また、同じ仏教でありましても、宗派によって、寺についての考え方は、ずいぶん違っているようであります。
真宗のお寺は、こうして畳の間である外陣が広く出来ておりますけれど、宗派によっては、ほとんど一般の参詣席のない、専門のお坊さまだけが勤行する場所しかない建物もあるわけです。
そうした違いは、やはり、それぞれお寺というものについての考え方に差があるからだろうと思います。
ですが、ご本尊に向かって礼拝をするということにおいては、宗派を越えて共通したものがあるのではないでしょうか。
そうした中で、私たち浄土真宗のお寺の特徴は、聞法の道場であるという点にありましょう。
聞法、すなわち法を聞かせていただく場所、聞かせていただく私が、み仏の道に導かれていくという場所でなければならないと思います。
今後、特にそういった面のお寺の活動が、重要な意味をもってまいります。
そして、私たちが、力を入れなければならない点でもありましょう。
ただ、聞法といいましても、必ずしも本堂に座って法を聞くだけが聞法ではありません。
僧侶がおらなくても、一人でみ仏の前に座って、あれこれと思いをめぐらすことも、私は、聞法につながる大切なものだと思います。
あるいは、みんなで輪になって座って、お互いの意見を交わしながら、味わいを深めていくのも、大切な聞法であろうと思うのであります。
こうした聞法の道場ということが、浄土真宗におけるお寺の一番の特徴ということがいえましょう。
さらに、本山・本願寺についてつけ加えますと、同じ教えを聞かせていただく者として、宗門の同朋としての心のつながりを感じていただく、横のつながりを深めていただく場所にしていただきたい。
さて、世の中には、人間が生きておりますかぎり、さまざまな苦しみや悩みがあることは、申すまでもないことです。
しかし、今日のように科学・技術が進歩しますと、たいていの悩みは解決されるのではないかなどと思われる方も、多くあるようです。
確かに、ここ二〜三百年前、あるいは二〜三十年前の方々に比べまして、今日の私たちは、科学・技術の恩恵で、たいへん過ごしやすい生活が出来るようになりました。
病気にしましても、まだ治りにくい病気はたくさんありますが、三十年前、五十年前に比べれば、はるかにその数は減ってきたといわねばなりません。
結核という病気が治るようになったため、文学作品の深みがなくなってきた、という方もあるほどです。
そのほか、食糧にいたしましても、技術の進歩で、ずっと収穫が増えてまいりました。
飢えに苦しむという機会は、ぐんと減ってきたことも事実です。
そういう意味で、昔の人が、単純に描いていた、豊かな食べ物のある時代をという理想は、今日の日本では、一応、見かけの上で解決してしまったようにも見うけられます。
しかし、それだけではないということも、皆さまよくご承知の通りであります。
九月一日は、皆さまよくぼ承知の関東大震災の記念日であります。
私は、東京の築地本願寺の分院という形をとっております、慈光院というところにまいりましたが、ここは関東大震災で多くの方々が亡くなられたのを悼んで建てられたお堂であります。
その記念堂が出来て五十年ということで、ご法要を勤めました。
地震そのものは、今日の科学をもってしても、とどめることのできない、私たちの大きな恐怖でありますが、それだけではなくて、地震の被害を大きくしているものは、私たち人間のこころではないか、と思ったのであります。
関東大震災から五十五年たちまして、科学・技術はずいぶん進歩したのでありますが、今日、同じ地震が起こったらどうなるかということは、専門家にもあまり自信のある答えができないようでありますが、危険は、むしろ増しているかと思われます。
それは、おそらく人間の考え方の根本にかかわっていると思うのです。
端的に申しますと、人間の欲望ということがからんでいると、お金を少しでも節約したいがために、柱を一本減らしたり、鉄筋コンクリートを少し薄くすると言うことになりがちで、こうしたことが被害を一層大きなものにするように思われます。
あるいは、家が壊れた後、素手で逃げ出せば助かったかも知れないものが、残してきたものに執着して、取りにかえっている間に取り返しのつかないことになる、ということも多々あることと想像します。
私自身も、そういう状態に直面しましたら、どうなっているかは、とてもいまから自信をもってお答えできませんが、そうした人間の欲望が、地震の被害を何倍にも大きくしていくことは、十分に考えられると思うのです。
こうした意味で、解決できないことの上に、さらに人間の問題がからんでいるということを、忘れてはならないと思ったことでありました。
そのほかにも、科学・技術で解決できないことは、さまざまにあります。
人間の命が限りあるものである、ということも解決できないことであるし、
また解決すべきでないことかも知れません。
人間が死ななくなれば、たいへんなことになります。
しかし、死なねばならないということは、この人生を生きていく上で、たいへん大きな問題でありまして、その解決のしかたによっては、この人生の意味がまったく逆になってくる、ということを感じさせられます。
今日、問題とされるものの中で、特に取り上げねばならないものに、人間の問題があると思います。私たち人間は、平和な世の中、平等な世の中を願っている、と口では申しております。
しかし、深く振り返ってみますと、むしろ、自分だけの平和な世の中、自分だけが差別されない世の中を願っているのであって、それは、ともすれば、ほかの人はどうなってもいい、ほかの人には少々苦しみがあろうとしようがない、といったたいへん危険なこころがその裏にはあるように感じられるのです。
それは、すべて、私中心に人生を生きていこうとしているからでありましょう。
そうした自分中心のこころ、自分の欲望中心の人生であるかぎり、この有限な人生は、実に悩み多いものとなり、混乱したものとなっていくだろうと思うのであります。
そこで、私たちは、み仏の真実の教えを聞かせていただき、人間の欲望中心の人生から、み仏の真実を中心とした人生に転じていかなければならないと思うのです。
しかし、先ほどから申しておりますように、私たちのこころの中には、さまざまな問題があり、一口に真実に導かれた人生といっても、それは、はなはだ困難なことでありましょう。
みなさまとともに拝読いたしました 『 お正信偈 』 の中にも「 難中の難これに過ぎたるはなし 」 というおことばがありましたように、真実に生きるということは、実に難しいことであります。
しかし、それをみ仏から賜ることによって、私にその人生が開かれてくると思います。
すべてをみ仏におまかせすることによって、かえって真実に導かれた人生をおくらせていただくことができるのです。
自分自身のなかに、頼るべきものがない、み仏のみが依りどころであるということは、日常生活の一つひとつに代償を求めないということではないかと思うのであります。
自分の行ったことに価値がある、値うちがあると考えますからこそ、それにふさわしい感謝のことばを期待したり、人にまさる報酬を期待したり、あるいは、地位や名誉を期待することになるわけであります。
もし、そのようなものを期待しないようになれば、それはそのまま、み仏のみこころに従った人生になっていくと思います。
もちろん、人間でありますから、過ちを犯すことがあるわけですが、そうしたことも、そのままみ仏のみこころに抱かれて、人生を送らしていただけるのであります。
そうした真実に導かれた人生、南無阿弥陀仏をただひたすら仰いでいく人生、そこにこそ、人間として限りある生命を生きるものが、謙虚な気持ちをもって、常に自らを振り返り、懴悔していく人生が、開かれてくると味わっております。
昭和53年9月6日
浄土真宗本願寺派
大谷 光真 門主述
本願寺出版社刊 「願いに応える人生」より
(内容転用の場合は、本願寺出版社の了承をお取りください)