お取り次ぎ (宅急便ですヨー)
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
専称寺さんでの巡番報恩講のご講師、京都女子大学の
瓜生津先生のお話を聞きながら、考えました。
一般の仏教では、布教というと、
よく知っている人が、知らない人に対して教えて
上げるように、思われています。
しかし、浄土真宗の場合には、そうではありません。
浄土真宗では、布教を専門にされる布教使さんでも、
教えて上げる先生という意味ではなく、
お法を取り次ぐ人と言う意味で、布教使さんの「シ」を、
お師匠さんの「師」ではなく、お使いをするという、
使うという「使」の字を使い、布教使といいます。
これが、親鸞聖人の教えの特徴と言えましょう。
親鸞聖人も、自分は弟子を一人も持たない、
みな御同朋御同行である、共に仏様の同じ弟子、
仏弟子であると言われました。
ところで、取り次ぐと言えば、月忌参りの途中に、
たまたま玄関先で宅急便の方と出会うことがあります。
こんなとき、「宅急便ですヨー」と。
家の中の方に向かって大きな声を出して、
取り次ぎをいたします。
また、電話を取り次ぐと言うこともいいます。
このように、取り次ぐというのは、気づいた人が、
他の人に取り次ぎ知らせることでしょうが。
辞書をみますと、取り次ぐとは、双方の間に立って物事を伝える。
特に、上位の人に用件を伝える。
例えば、伝言を取り次ぐといった例が出ています。
先程の例で、宅急便ですヨーと、大きな声で取り次ぎますと、
ハーイとその家の人が印鑑を持って出て来られます。
特に、上位者に取り次ぐという言葉があることに、
とても有り難く感じられるものです。
私はよく分かっているから、
教えてやろうと言うのではなく、上位者に取り次ぐという言葉に、
お法をお伝えする、その本質が見えるようです。
では、いったい何を取り次ぐのか、
それは、親鸞聖人がたまたま出会われて喜ばれた、
お念仏の教えです。
すべての人を救わねばおかぬとの願いがかなって
出来上がったお浄土へ生まれさせていただく喜びです。
その浄土は、地獄や餓鬼や畜生のもののいない、
平等の世界。私だけが幸せであればそれでよいという世界ではなく。
すべての人が心から喜べる世界でなければ、私は喜べないという世界です。
私たちは、自分がまず最初で、自分の後に他の人が続かないと、
私が一番でなければ、喜べないものです。
そして、みんなが持っているものを持っていても、喜べません。
みんなが持っていない特別のものを、自分だけ持っていると
喜べるものです。
今持っているものの有り難さは忘れてしまい、新らたなものが
手に入らないと喜べない私。
仏様の世界は、こうした私の勝手な望みをかなえられる世界ではなく。
皆が同じように平等であることを、もっとも喜べる
仏様とともに働く世界です。
こうしたお浄土があることを、そして、必ずその浄土に
生まれさせていただけることを、確かにお取り次ぎしていただき、
ハーイありがとうございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、
味合わせていただきたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、4月3日に新しい内容に変わります。
( 平成 9年 3月27日〜 第218回 )