必至無量光明土
浄土真宗のお念仏の教えを、よく聞いておられる
中溝文治さんという方が、お寺の近くに住んでおられます。
最近では、勧学の稲城選恵先生や深川倫雄先生を、
呼んで法座を開いていただきました。
書かれる文字の多くは仏教の言葉です。
という言葉を書かれるそうですが、展示する時に、
言葉の意味を解説する短い文章が必要だそうで、
「必ず無量光明土に至る」でいいだろうかとの質問を受けました。
見ると、24ページに必至無量光明土とあります。
「ひかりの国にいたりては」、と書かれ、
次に「あまたの人を救うべし」と続きます。
「まどえる身にも信あらば、まよいのままに救いあり、
ひかりの国にいたりては、あまたの人を救うべし」と
書かれています。
『解説礼拝聖典』によりますと。
あり、続いて「一切衆生に利益を施す仏の身となる」と書かれています。
諸有の衆生みなあまねく化すといへり」と、あります。
「 命終わって、光明無量の浄土に生まれて仏となるや、
必ずこの世に還って、あらゆる人々を教化して救うのである 」 と、
書かれています。
お浄土に生まれることは、私が喜びや楽しみを得るためでは
ないようです。
お浄土に生まれることで終わってしまうのでもなく、
お浄土に生まれ、あらゆる人びとを教化し救う働きをする仏に
成ることが目的であるように説かれています。
遥か彼方の遠いところにいるだけではなく、
この世に還って、仏さまと全く同じ智慧と力を持って、
精一杯に働くことが出来るのだと、読み取れます。
仏になることが最終目的のように思われていますが、
親鸞聖人が味わわれた阿弥陀如来の願いは、
迷っている衆生を一人残らず救うためであり、
そのために、この私も仏にして働かせていただくのです。
成るのではなく、南無阿弥陀仏を称えさせていただくことで、
仏の仲間にしていただき、やがて命終われば阿弥陀如来と
同じさとりと同じ働きの出来る南無阿弥陀仏の仏様に
していただくのです。
喜びながら働ける南無阿弥陀仏の仏様にしていただけるのです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月31日に新しい内容に変わります。