自然、自然
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
お寺の境内にある柿の木の葉が、日に日に色づいてきました。
そして、風に舞い散っていき、いつの間にか青空をバックに、
柿の実がはっきりと姿を現してきました。
毎年毎年間違いなく秋が来て、柿の葉は色づき、そして散り、
柿の実も赤く熟していきます。誰に教えられた訳でもないのに、
毎年同じように季節の変化にあわせて、自然に色づき、
ひとりでに散っていくものです。
季節の変わり目には、自然の偉大さ、不思議さを感じます。
この自然という言葉は、お釈迦様の教え、浄土三部経の中にも
数多く説かれておりますし、親鸞聖人も、この自然ということを
度々述べておられます。
八十八歳の時に、お書きになったといわれる正像末和讚の末尾には
「自然(じねん)、自然と書いてジネンと読みますが、自然といふは、
自はおのづからといふ。
行者のはからひにあらず、しからしむということばなり。
然といふはしからしむといふことば、行者のはからひにあらず、
如来のちかひにてあるがゆへに。」と述べておられます。
また、親鸞聖人のお手紙の中でも
「自然といふは、自は、おのずからといふ、
行者のはからひにあらず、然といふは、
しからしむといふことばなり。しからしむといふは、
行者のはからひにあらず、如来のちかひにて
あるがゆゑに法爾といふ。」 とおっしゃています。
お念仏の人がお浄土に生まれることは、柿の実が熟していくように
自然のことであり、お念仏を称える人間の努力の力ではない
ということでしょう。
柿の葉が季節とともに色づくように、柿の実が赤く熟して、
渋みがとれていくように、お念仏の人がお浄土に往生することは、
自然の現象、真実であるとおっしゃっているのだと思います。
それなのに私たちは、自分の力を信じて、自分だけは誰よりも
幸せになりたい。誰よりも得をしたいと、自分の都合の良いことだけが
実現し、自分に不都合なことは、遭遇しないようにと、
勝手な期待をして、あくせくと生活しているのが現実です。
柿の実が熟れるように、念仏する人は、自然にお浄土へ生まれることは、
自然の現象です。
これまで長い長い間、自分勝手な思いで地獄餓鬼畜生の迷いの世界を
巡っていた私が、この度、初めてお念仏に出会い。
お浄土へ生まれさせていただく身となったのです。
そして、阿弥陀如来と全く同じ悟りと力を得て、
阿弥陀如来と同じ働きができるのです。
大無量寿経に説かれているとおり、お念仏一つで、
この私を救うという法蔵菩薩の誓い、その働きによって、
今このままで、阿弥陀様と同じ仏様の仲間にならせていただくのです。
お念仏の生活は、お浄土へ通じる道、真実の道、
力強く毎日の日暮を送らせていただきたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、10月16日に新しい内容に変わります。
( 平成 9年10月 9日〜 第246回 )