お粗末なものですが
 
妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございます。
阿弥陀如来は、すべての人を本当の幸せにするために、
今も働き続けておられます。
 
と法要の席で申しましたら、後の席で、幸せとは何でしょうね。
との質問を受けました。
 
私たちは、幸せとは物質的な豊かさや地位や名誉などが
充分に満たされることが、もっとも幸せであると思っています。
少しでも多くのものが手に入ると嬉しく感じています。
しかし、本当に、物の豊かさや地位や名誉が得られれば幸せなのでしょうか。
お釈迦様は、私たちが望んでいる豊かさをすべて捨てて、
本当の豊かさを求められました。
家族の絆や親子の愛情までも、振り捨てて、
求められたモノは、現代の私たちが信じている幸せとは、
大きな違いがあるようです。
 
第二次世界大戦が終わってから、日本人は
モノを中心にした考え方、唯物史観を基準にして来ました。
 
何事もモノに置き換えることで、豊かさや幸せを計り、
感じようとして来ました。
 
例えば、働くこと、労働することも、イヤなこと、
苦痛なことと理解して、出来るだけ多くの報酬を期待する

生活をしてきました。
 
ところが、日本人は、もともと働くことは、
ハタを楽にする、周りの人を楽にするために、仕事をする。
ハタを楽にする。働くと理解して来ました。
 
しかし、この50年、働くことはイヤなこと、だから報酬を
もらうのが当然だと思い込み、得になること、儲かることだけは
動きますが、損をすること自分が頼まれないことには、
一切、手を出さなくなってしまいました。
立派な仕事、つまらない仕事と、
働いた対価である賃金の金額で計ろうとしています。
 
出来るだけ楽をして多くの収入を得ることが、
すばらしいことと理解してしまったようです。
 
一昔前までは、ご近所にモノを届ける時に、
お粗末なものですがと、声をかけていました。
 
これは、日頃お世話になっているお礼としては、
こんなものではすみませんがと、相手の恩の大きさに比べ、
品物の小ささを恥じた言葉だったと思います。
 
しかし、現代では、品物の内容だけに目が行き、
つまらない物とか、お粗末な物とは言わなくなってきたのも、
モノを中心にした考え方の一つの現れだと思います。
 
南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀如来の大きな働きによって、
本当の喜びが味わえるお浄土へ生まれさせていただけることを
喜ぶ言葉だと思います。
 
南無阿弥陀仏を聞くことで、いままで味わえなかった
喜びを感じられ、モノの豊かさや、収入の多さではなく、
お釈迦様が、親鸞聖人が、蓮如上人が、身をもって
教えていただいた本当の喜びを、本当の幸せを味わうことだと思います。
 
本当の幸せとは、比較をして喜ぶことでもなく、
ものの豊かさを喜ぶのでもなく、この私が自分で出来ることを
精一杯ハタラクことで味わえることです。
 
口にお念仏を称え、耳にお念仏を聞きながら、
こんなことでは相済みませんと精一杯、活躍させていただきたいものです。
 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、4月23日に新しい内容に変わります。  
 
                       ( 平成10年 4月16日〜 第273回 )