第343回 蝉の一生

平成11年8月19日〜25日まで

 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
お盆も過ぎて、お寺の境内は静けさを取り戻しましたが、
蝉の声だけは一層にぎやかです。
ところで、この蝉は、「春も秋も知らない」という言葉が
あります。

蝉は夏に生まれて、夏に死んでいくのですから、春も秋も
知りません。もちろん、今が夏だということも知らずに、命の
かぎり鳴いて、やがて死んでいきます。

人間はそれを見て、哀れな虫であると思っています。
しかし、そういう人間も、神経をすりへらしながら毎日働いて
一生を終えていく、夏だけ生きている蝉と、どれほどの違い
があるのでしょうか。

「人間である、あなたは何のため、この世に生れてきたので
すか 」 こう尋ねられると、とたんに返事に困ります。
そういう尋ねが聞こえてくるか否かということは、その人が
浅く生きているのか、深く生きていこうとしているのか、その
姿勢にかかっていると思います。

人生を深く生きた一人の詩人、竹部勝之進という方の詩集
「まるはだか」の中に

 この世に生れてきたのは
 仏法を聞きに生れて来たのです
 仏法を聞いてはじめてわが身に満足できる
 ああ、ありがたい、ありがたい
と詠んでおられます。

現代、一番大切なことは、生きることの意義、方向性を問うと
いうことだと思います。
自己の姿勢に気づかないで生きていくということは、生きる
方向性を見失っているということだと云えましょう。

一度しかない人生をあまりにも、無駄に使っていないか。
毎日をごまかして生きていないだろうかということです。
そういう私に気づくには、光りに遇うということです。
光りに遇ってはじめて私の闇が知らされるのです。
私の内にある闇は、仏の光りによってはじめて
知らされるということです。

南無阿弥陀仏に遇ってはじめて、人間に生れてきた意味が
味わえるのです。
声高に鳴く蝉と同じ人生ではなく、南無阿弥陀仏とともに、
人間としての意味のある喜びの人生を送りたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、8月26日に新しい内容に変わります。 

                  (大乗 11年8月号一部参照)