第350回 いのちの尊さ

       平成11年10月7日〜14日まで

 妙念寺電話サービスお電話有難うございます。

佐賀組の無憂華仏教婦人会では、毎年秋に、
いのちの尊さの研修会を開いています。
今年は10月14日に、願正寺さんで開かれますが、
その研修会を担当させていただくことになリ、考えて
みますと、いのちということは、大変難しくまた重要で
あることに改めて気付かせていただきました。

浄土真宗でもっとも馴染みのあるお勤め、正信偈の
最初は、帰命無量寿如来 南無不可思議光 です。

意訳では、ひかりといのちきわみなき、阿弥陀ほとけを
仰がなん です。

限りないいのちの阿弥陀さまに,帰依しますと
最初に説かれているのが正信偈です。

また、しんじんのうたの、礼讃文には、
 われ今幸いに まことのみ法を聞いて
 限りなきいのちをたまわり
 如来の大悲にいだかれて
 やすらかに日日をおくる
 謹んで 深きめぐみをよろこび
 尊きみ教えをいただきまつらん

と、ここでも、限りなきいのちをたまわるとあります。

また、正信偈の曇鸞大師のところでは、
 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦 とあり

赤いお経の本では、22頁にあります。

 5〜6世紀の半ばに、中国五台山の近くに生まれた
曇鸞大師は、龍樹菩薩の中観思想 「空」 の
研究家だったといいます。

六十巻もある大集経(だいじつきょう)の翻訳中に
病気となリ、病気では、この翻訳は完成できないと
不老長寿の薬や処方を求めて、道教の道士を訪ね、
不老長寿を説く神仙の術を明かす十巻の書物を、
手に入れました。

ちょうど、そのころインドから来ていた菩提流支に
「自分は不老長生の仙経を手にしたが、仏教でも
不老長寿を説く、それ以上のお経がありますか」
と問われました。

これに対して、三蔵流支は「何をいうのか、観無量寿経
こそ、一番優れた不老長生のお経だ」と、これを聞いて、
曇鸞大師は、折角手に入れた仙経を焼き捨てて、
阿弥陀仏の安楽浄土に往生する教(お浄土に生まれ、
無量のいのちをたまわる教え)に、帰依された。
とあります。

こう考えてくると、浄土真宗は、最も「限りないいのち、
長生き」の教えであるわけです。

曇鸞大師が焼き捨てた仙経は、この肉体がある
間だけの話、こうなると、病院に行くのでお寺は、
失礼しますという人には、
「何をいっているのですか、病院でどんなに
治療してもらっても、わずか、10年や、20年、いのち
を長らえるだけ、もっと長生き出来る教えを聞きに
お寺に、来なさい 」 と言わねばならないのですが、
つい目先のことだけを考えるのが、現代です。

お念仏の教えは、限りないいのちを賜る教えである
わずか百年のいのちではなく、限りのないいのちを
賜る教えであることを、もう一度味わって
みたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、十月十四日に新しい内容に変わります。


              
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