第356回 感謝しているから幸せ


  平成11年 11月 18日〜 24日まで

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
妙念寺の秋の法座にはたくさんの方に参詣いただき
まことにありがとうございました。

ご講師の片江先生のお話しは、分かりやすく楽しく
有り難かったと大変好評をいただきました。

さて、本願寺新報という新聞に、
「感謝しているから幸せ」という文章がありました。

『 行きつけのガソリンスタンドにお衣姿で
 行った時のことです。

ショッキングピンクのブルゾンと短パン姿の見慣れない
数人の若い女性店員がいてガソリンを入れてくれました。

 「 お坊さんですか? ずーと気になる、聞きたいことが
  あるんです。人生って、何のために生きているんですか? 」

髪をきれいなソバージュの茶に染めた彼女でした。

いや、外見などより、この問いかけです。

「 僕はね、生きることを実感するため生きて
  いくのだと思っていますよ」

「 はぁ? 」

「 つまりね、私の人生は何かのためにあると
 仮に目的を決めたとするね。
 すると、人生は目的を達成するための手段や道具に
 なってしまうね 」
「 ええ 」
「 たとえば、今やっているこの仕事も、何かの目的のため
  だとするとつらくても仕方がないとか、嫌でもやらなきゃ
  ならないということになるね。

  でも、仕事に真剣に取り組んでいる時は、仕事を
  することがやりがいになっているね 」 
「 はい 」
「 ちょうど、子どもが遊びに没頭しているのと同じだよ。
  遊びは何かのために嫌々しているのじゃないから、
  子どもに向かって、もう時間がきたからやめてもいいよ
  と言っても、ハイそうですかとやめないね。

  僕たちも、生きているそのことが実感できるように
  なるといいね。

幸セダカラ感謝スルノデナイ

感謝シテイルカラ幸セナノダ

という言葉があるよ。

 思い通りにしようとしてもなかなかそうならないけれど、
 感謝できることが実は幸せじゃないかな。

 つまり、生きているからこそ本当は感謝する実感が
 あるのじゃないかな 」

「 よーくわかりました 」

素直な返事に少し拍子が抜けましたが、お坊さんに声を
かけてくれた彼女の開かれた生き方に、私も心開かれました。

 本当に不思議な、有り難い会話でしたが、
実は日常生活の中にこそ、自分自身を知らされる仏法に
出遇えるのですね。 』

 という文章です。

若い人たちの問題意識に答えられる仏教で
ありたいと思います。

南無阿弥陀仏を口にして聞くとき、遊びのように
夢中になって、毎日を生活しなさい。

間違いなく、お浄土に生まれさせるから、何の心配もなく、
精一杯生きなさいとの呼び声と味わいたいものです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

次回は、11月25日に新しい内容に変わります。

      お寺に行こう無宗教からの出発

       本多 静芳 武蔵野女子大助教授


              


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