第372回 涙なんかも見せやしない


      平成12年 3月8日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
こんな文章に出会いました。

昨年の夏に肝臓ガンの手術をして闘病をしておいでの
広島のご住職の文章です。


病床で繰り返し読んでいるのは、28年前に出会った、
15歳で人生を終えた少年が書き残した詩です。



 よろこびを感じたら

 ほかの人にもわけてあげよう

 人生なんて短いから

 自分なんて点のようだから

 一人でも 多くよろこばして

 あげよう

 わけてあげよう

 ちりのような 空気の分子のような

 小さなよろこびを

 一人ひとりにわけてあげよう

 ああ早くしないと

 人生がつきてしまう

 今感じているよろこびを

 むだにできない


15歳の少年が死を前にしながら、どんな小さな
ものにも喜びを感じ、更にそれを自分だけのものに
しないで、多くの人たちに 「 明るさ 」 「あたたかさ 」 を
分かち与えたいという願いをもって生きてきたのでした。


彼は寝たきりの病床で、訪ねてくる人や周囲の
人たちに、いつも優しい言葉をかけ、笑顔を絶やさ
なかったそうです。



私たちは今、どんな喜びを感じ、感じているとしたら、
どのように分けてあげているでしょうか。

また、こんな詩も


 さくらの花が咲いていた

 一つ一つの花が重なって

 もりあがるように咲いていた

 短い命だけれど

 散る悲しみも 涙なんかも見せやしない

 ただひたすらに 力いっぱい咲いている

私たちは桜の満開の時には、その美しさに
感嘆しますが、ところがその桜が散っていく時は、
誰もがはかなさを感じるのです。


しかし、この少年はそうではありません。

あの散っていく桜には、涙も悲しみもないのだぞ、
本当に自分の力を出しきった喜びがあるのだぞと
受けとめているのです。


そして「ぼくの人生は短くても、あの桜のように
力いっぱい生きるのだ」と、声高らかに詩って
いるのです。




お念仏の喜びに生きられた一人のご住職が、
共感された15歳の少年の詩、これこそ、
南無阿弥陀仏とともに、限られた人生を、
精一杯生きる生き方、お念仏の教えに出会った
人の生き方だろうと思います


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月16日に新しい内容に変わります。


  大乗 平成12年3月号 法味随想
 「病床に思う」広島県・南林寺住職
 滝本誠海師著
 (執筆者の滝本氏は、発刊前
   2月14日に逝去されました。)