第413回 いかに生きるか
平成12年 12月 21日 〜
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
ところで、仏教は、仏の教えと書きますし、法事や葬式などで
お勤めをしますので、亡くなった過去の人、この世にいない人の
為の教えであるように誤解されています。
しかし、仏教はお釈迦様が、生きている人間のために説かれた
教えです。
活きている人間のためですから、この私のためであり、
現に生きている人間すべてのために、「人生はいかに
あるべきか」が説かれているのが仏教です。
人間としての理想を見出し、その理想に向かって、
どう進んで行ったらよいか、幸福に到達するため、
もっとも合理的な手段方法が説かれているのです。
今日のように社会が競争することや、闘うことに明け暮れ、
人間性を失っている、不幸な状態であればこそ、人間性を
回復させ、心に平和と安らぎを持たせるものが宗教であり、
仏教であります。
仏教が理想的なのは、一部の人だけではなく、人間全体を
向上させ、心に平和を与えようとするものだからです。
といっても、それは主観的な自分の心だけが満足すれば、
それでよいというものではありません。
真の幸福は個人の精神や肉体が満足な状態に
あるだけではなく、周囲の政治や経済などの状態も、
理想的なものとなってはじめて得られるものです。
周囲の社会環境とは、小さくは家庭や隣近所、職場や
学校などから、大きくは一つの国家から国際社会に
いたるまで、文化・芸術・政治・経済などあらゆる面に
わたって、調和や協調が得られなければ、本当の
平和は望まれません。
人間というものは、このような具体的な複雑な社会環境の
中にあって生活を営み、楽しんだり苦しんだりしているからです。
この意味において、「社会・人生はいかにあるべきか」と
いうことを正しく知り、「人はいかに活きるべきか」、
人間である以上は、誰でもそうなければならないことを
説くものが仏教であります。
ですから、仏教という名前でなくても、世界共通の人間が
人間として守らねばならない規範であって、法といわれるのは
このためであります。
その法を説かれたのが仏教であり、南无阿弥陀仏を聞かせて
いただくことで、人間としてどう生きればよいかを教えて
いただくのがお念仏の教え、浄土真宗なのです。
南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏と口にし、そのいわれを
聞かせていただくことで、人間として生きて行く法を教えて
いただけるのが、お念仏の教えです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月28日に新しい内容に変わります。
お電話ありがとうございました。
仏教の基礎知識 水野弘元著 春秋社発行
「仏教は人間学である」を参照