第426回 十  悪

  平成13年 3月 22日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

この妙念寺の開基さん小倉局が、佐賀の葉隠にどのように
影響を与えたかをお話ししておりますが、「葉隠」全11巻の中で、
五巻目は、小倉局に育てられた光茂候の年譜と言動が記録
されています。

この巻には、お年寄のように慈悲深い光茂候の姿が、
並べ書かれているのです。


死罪の者の罪を軽くする(五−9)過失は罪にしない(五−16)、
慈悲小屋を建てる(六−94)など、優しさが強調されている反面、
密通事件や主人を訴え出た者などには、即刻死罪を命ずる
厳しさがあります。


特に、湛然和尚が赦免嘆願をしたのを無視して、直訴した
僧侶を斬罪にする(六−17)など、行動に一貫性がなく、
多くの解説書や小説は、光茂候が粗野で衝動的であったと
見なしているようです。


 ところが、一つ一つ記述をじっくりと見て行くと、実は
はっきりとした判断の基準があることを発見しました。


乳母の小倉局が所持していたと思われる蓮如上人の
ご文章のあちこちには、「十悪・五逆」の言葉が再三出て来ます。



 十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す、とくに著しい
十の悪い行為のことです。

@殺生(せっしょう・命あるものを殺す)、A偸盗(ちゅうとう・ぬすみ)、
B邪婬(じゃいん・みだらな男女関係)、
C妄語(もうご・うそいつわり)、
D両舌(りょうぜつ・人を仲たがいさせる言葉)、
E悪口(あっく・きたないののしりのことば)、
F綺語(きご・まことでないかざった言葉)、
G貧欲(とんよく・むさぼり、我欲)、H瞋恚(しんに・いかり)、
I愚痴(ぐち・おろかさ、真理に対する無知)など。



 これらの「十悪」に、光茂候の言動を当てはめていくと、
例えば、悪口や告げ口を嫌った(五−11、12、42、六−一五〇)
ことも、道理にかなっており、矛盾がないように思えてきます。


小倉局のしつけ、教育方針には、こうした善悪の具体的な
判断基準があり、それを藩主になっても忘れていないのでは
ないかと、推察されます。



 禄高を世襲制にした新政策は、藩の財政的な面ばかり
ではなく、激しい禄高争奪戦で、藩士同士が相争い、
要らぬ悪事を犯してしまうのを、光茂候が嫌ったという一面も
あるのではないでしょうか。



 日頃気づかず犯している悪、小倉局はそれを具体的に示し、
光茂候を育てた効果なのでしょうが、この十悪の項目を
見ていると、テレビのワイドショーのテーマそのものに
思えてきます。


現代は、悪事を抑制するどころか、助長しているようにさえ
思えてなりません。
子供には、この大人たちの姿はどのように映っているのでしょうか。


良いこと悪いことを、あいまいにするのではなく、具体的に
伝える必要があるようです。


それは、小倉の局と同じように、南无阿弥陀仏を口にし
耳に聞く生活で、おのずから、うなずくことが出来るもの
だと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月29日に新しい内容に変わります。