第457回 勇気を与える言葉

  
平成 13年 10月25日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
先日こんな話を聞きました。

腰が痛い、膝が痛いと文句ばかり言っていましたが、
よくよく考えると、何十年もの間、一言の文句もいわず、
だまってこの体を支えてくれていたためだと気づきました。


痛みを感じたときに感謝するどころか、腹を立てている
ことにも気づきました。


と言う話です。

人間は自分が誰かにしてやったことはよく覚えています。
ところが、自分がお世話になったことは、すぐに忘れて
しまいます。


よく聞く例え話としては、お金を貸したのは覚えているが、
借りたことはすぐに忘れると言われます。


人間と人間との関係でもこうですが、まして自分の
体の中で考えてみると、重い体を長い間、だまって
支えてくれている足や腰や膝のことは、当たり前の
ことと思って、まったく感謝の気持ちも持っていません。


ところが、思うように動かなくなったり、痛かったりすると、
文句ばかりいっているのが現実です。


この足がこの膝が、この腰が、この首がこの手が、私を、
もくもくと黙って支えつづけてくれているお蔭で、歩いたり
走ったり、食べたり考えたり、仕事をしたり、人間としての
生活が出来ているのです。


それを気づかずに当たり前になって毎日を送って
いるのが現実です。       


私が気づいていない、支えによって、お蔭によって
生かされているのです。


それとともに、魚も牛も豚も鶏もその命を投げ出して
この私を、生かしてくれているのです。動物だけではなく、
野菜も果物も自分の命を投げ出して、この私を生かして
くれていることを、はっきりと再確認したいものです。 

今この時ばかりではなく、遠く過去を振り返っても多くの方々、
多くのものに支えられていたこと、私が手を差し出す前に
既に与えられていることを、しっかりと味わいたいと思います。


 南无阿弥陀仏は、私が気づかずにいる多くの人びと、
多くの生き物、そして私の体のすみずみ、阿弥陀如来様、
すべて私のために働いてくださっていることに、深く感謝する
言葉だと思います。


南无阿弥陀仏は、報恩感謝の言葉であり、この私に
勇気を与える、生きることの喜びを味わわせて下さる
言葉でもあるのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、11月1日に新しい内容に変わります。