第460回 取り扱い説明書


平成13年 11月 15日〜

妙念寺電話サービスお電話いただき有り難うございます。

「戦争の元は宗教のようだし、こわいものですね。
 宗教とは弱い者のためにあるのでしょうかね」との
質問がありました。

その裏には、自分は強いので宗教などは必要ない、
関係ないとおっしゃっているようです。


そこで、こんなお話をしました。

イスラム教では一日に5回もお祈りをするようですが、
浄土真宗でも親鸞聖人の時には、一日6回のお勤めを
なさっていたようです。


ところが、蓮如上人の時代に、申し訳ないが、朝と夕方、
それも仕事を始める前と、仕事が終わってから、
正信偈六首引きと御文章拝読にさせていただこうと、
一日に二回のお勤めとされたようです。


それぞれの家庭で、朝夕のお勤めをはじめた頃から、
お念仏の教えが全国に広がっていったようです。


現代のように、医学が進歩していたわけではなく、
平和でも安全でもない時代には、苦しみや悩みを
持つ人びとが、全国各地で、欠かさずにお勤め
していたのでしょう。


ところが、現代はどうもそうした悩み苦しみが感じ
られなくなり、自分には、宗教など必要ないもののように
思われているようです。


しかし、よくよく考えると、現代こそ宗教が最も必要な
時代のように思えます。


近頃、電気製品を新しく購入すると、どこをどう触って
いいのか、説明書をみないと良く分からないことばかりです。


どこをどう押すと時間が合わせられ、どこを触ると、
新しい機能が使えるのか、分厚い説明書を読んで
はじめて分かることばかりです。

ことによると、これと同じように、この私の体も心も、
自分のものですから、自分が一番良く分かっている、
知っているつもりでいますが、うれしいと思えば突然
悲しくなったり、苦しかったり、辛くなったり、刻々と
感情が変化してしまうのは何故か。


どうすればこの心は、喜ぶのか、また苦しむのか、
その原理を教えてくださるのが、仏法であり、
お念仏であるように思います。


南无阿弥陀仏のお念仏の生活をはじめ、お聴聞を
させていただくと、自分のことはよく分かっていたと
思っていたが、何にも知らなかったことに、気づかせて
いただけるのです。


宗教は、この私を、もっとも人間らしく生きがいを持って、
喜びの中に生きる智慧を与えていただくものだと、感じます。


この私の取り扱い説明書、折角の能力を思う存分発揮し、
活躍させていただく教えです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月21日に新しい内容に変わります。