第475回 アリガトウ

 
平成 14年2月28日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
こんな文章に出会いました。

千代田町の貞包哲朗先生がお書きになった御法話、
その一部分です。


私たちの生活は「こと、ひと、もの」で成り立っていると
教えられます。

「こと」とは、毎日の世事一切の出来事、「ひと」とは、
周りの人のこと、「もの」は物品です。


周りの人への感謝の表現はなかなか難しいものです。
そこで、先ず身近な「もの」つまり「道具」に「アリガトウ」と
いうことから始めようと思いました。


人は笑うかも知れませんが、ここは理屈なしに何にでも
「アリガトウ」ということから始めようと思い立ちました。


 先ず朝、起き上がり毛布をたたむ時「一晩暖めてくれて
アリガトウ」、足を通すパンツにも「アリガトウ、一日たのむよ」、
スリッパにも「足を包んでくれてアリガトウ」。


とにかく手、足が触れるもの全てに「アリガトウ」を言う。
そのうち殊勝な自分がおかしくなって、つい笑ってしまう。
つまりひとりの時に笑顔が出ることになりました。


「これはいいなあ」とやっていると、自然に「わが身」にも
「アリガトウ」が出る。


手や足、目や耳に「70年間よく助けてくれたのに今まで
一度もお礼をいわなかった。スミマセン、アリガトウ」。


そのうち「他の人」へ、身のまわりに起こる「こと」にも、
時にはアリガトウが出るようになりました。


その結果、自然に分かって来たことが幾つかあります。
先ずは、「イライラ、セカセカ」がなくなってくることです。
何をやるにも無意識にせかせかする癖があったのが、
「アリガトウ」を言いながらすると自然にそれが消えています。

二つに、何故か心が和んで来る。すると、やることが
失敗なくスムーズにできる。

三に、言っているうちに分かって来たことは「アリガトウ」と
言うのがアタリマエということ。
何故ならそれらの力添えで私の生活は成り立っている。


だから感謝の言葉はなにも特別の善い行為でも何でもない。
むしろ言うことで、自分が幸せな気分になる作用をもって
いることに気付きます。


四に、不思議に、周りの人を責める気持ちが少なくなっている。
五に、何よりも面白いことは、考え方が積極的になる。
例えば、朝目覚めて神経痛で右足が痛い。
今までは「ああ、イタイ、ツライ、朝からイヤダナ」の気分で、
のそのそ起きていたのが「痛いのは、人一倍?、私の為に
働いてくれたのだ。それなのにいままで一言の礼もいわなかった。
すまなかった、アリガトウ」すると、
「痛いと言っても身体のごく一部じゃないか。
手も動く、目も見える、歩くことはできる。
それなら結構じゃないか」という思い方になっている自分に
気付きます。


そして前よりも気分あかるく起きていくことが出来るようになりました。・・・・

という体験談をを元にしたご法話です。

 アリガトウと同じように、南无阿弥陀仏も感謝の言葉、
南无阿弥陀仏を口にする生活をしてみると、アリガトウと
口にする生活と同じく、徐々に変わっていく自分が見えて来て
有り難いものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月7日に新しい内容に変わります。


          宗教 (教育新潮社)平成十四年 二月号