第493回 どう生きるか

 
平成14年 7月 4日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
NHKの教育TVで梅原猛という方が、中学生に宗教の教育を
しておられるのを見ました。
そして,、その授業の内容が出版されていることを知り、求めました。

その一部をご紹介しますと。

「私は数年前から、小学校か中学校で授業をしたいと思っていました。
どうしてかと言いますと、どうも小学生、中学生で、もっとも重要なことが
教えられていない。それはなにかというと、道徳ということです。

道徳とは、人間はどう生きたらよいか、ということです。
それが日本の教育では教えられていないんです。
小学校で、道徳教育の時間はあるけれども、たいてい形だけでして、
実質的な道徳の教育がない。算数をしたり国語をしたり、そういうことも
大事ですけれども、人間がどう生きたらよいか、何をしたらよいか、
何をしてはいけないか、そういうことが学校教育で教えられていないんです。
これは日本の教育の大きな欠陥です。

 昔はちゃんと教えられていました。
修身という科目がありまして、人間はどうやって生きたらよいかを教えられた。
けれども、戦前の修身は他律的な道徳でした。
他律というのは、人からしばられている道徳です。
天皇陛下に忠義をつくして、親に孝行せよ。そういう外からの道徳が、
戦前の学校ではずっと教えられてきた。

しかし、戦後になって、他律的な道徳の修身教育をやめたあと、
自律的な道徳が教えられなくちゃいけなかったのです。
それがまったくない。

最近、ちょうど皆さんの年ごろの子供たちの起こした犯罪事件がテレビや
新聞をにぎわせています。そういう人たちはかわいそうです。
どうやって生きたらよいかを教えられていないんですね。
政治家やお役人にも、賄賂をもらったり、公金をごまかしたりして、
人間としてよくないことをしている人がある。
そういう人たちも私は、気の毒だと思う。
そういう人たちも人間がどのように生きるべきかが教えられなかった。

自律的な道徳というものがなくてはいけないんです。
人はただ生きているだけではなく、人の道というものがあるんです。
してはいけないことがあり、すべきことがあるんです。
そういうことが、ちゃんと教えられてないのが、いまの日本の教育の
大きな欠陥です。

もっと昔、江戸時代も教育の基本はやっぱり道徳の教育だった。
武士は儒教の藩の塾や私塾へ。
一般の人は、お寺などの寺子屋へ行って仏教と道徳を習ったんです。
よく考えてみると、道徳というものと宗教には、どうも密接な関わりがある。
道徳を教えるためには宗教を教えなくちゃならない。
宗教を教えなかったら、道徳教育も充分ではないということになります。

 すぐれた神学者と話した時、その場に花が生けてあったんですが、
その神学者は、現代の道徳はちょうどこの生け花のようなものだ、
宗教という根があれば、花は咲きつづけるけれども、宗教という根が
なかったら、花はやがて枯れてしまう。

われわれは宗教を失った時代に生きている。
宗教を失ってもいいんですが、心配なのは、それによって道徳も
失っているんじゃないか。
道徳がなかったら何をしてもよい、という時代に入っているんじゃ
ないかと思います。」


梅原猛さんは、子供たちにこうしたことをおっしゃっています。
みなさんは、どのようにお考えになりますか。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月11日に新しい内容に変わります。

梅原猛の授業 「仏教」 著者 梅原猛

2002年5月20日発行、第七刷より
発行所 朝日新聞社 (03-3545-0131代表) 編集・書籍編集部 販売・出版販売部
定価 1300円+税