第496回 いつも一緒に

 
平成14年7月25日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
前回、お念仏の味わいを、歌にしていただいたものを
紹介しました。


親鸞聖人が、和讚にしていただいたように歌になると、
こころに響いてくものです。


そこで一つ物まねをして作ってみました。

阿弥陀さま 今ここにいて 嬉しくも
   得難きいのち お念仏の声

あり余る いのちをいただき 受け継ぎて
    永遠のいのち 大いなる願い

出来上がったものを読むのは簡単ですが、いざ自分で
作るとなるとなかなか難しいものです。
みなさんも是非挑戦してみてはいかがですか。



 ところで、お念仏の味わいを深く喜ぶには、こうした歌に
して味わうことも一つでしょうが、これまで体験した喜びを
再確認することも、一つの手立てではないかと、思います。


子供の頃、ほめられた時の喜び、大人になって工夫し努力して
思い通りに仕事が運んだとき、結婚し始めての子供が誕生したとき、
回りの人の親切に気づいたとき、などなど思い出してみると、
さまざまな感動、沢山の喜びがあるものです。


そして、その共通点は、自分がこの世の中に生きている、
その存在が確かだと感じられたとき、自分が必要とされて
いると気づいたとき、しっかりと見守ってくれる人がいることを
知った時などではないかと、思います。



 阿弥陀さまの願いは、お念仏の教えは、こうした私たちの
喜びをちゃんと知った上で、私のそばで、いつも見守り励まし、
ともに歩いていただく方、仏が一緒だとの気づきだと思います。


南无阿弥陀仏のお念仏の声となり、ここにいるぞ、一緒にいるぞ、
頑張っているのを知っているぞ、苦労しているのは良く分かって
いるぞ、お前が喜び多い人生を歩んでゆけるように、ちゃんと
見守っているぞと、いつもいつも一緒にいて呼びかけてくださって
いるのです。



そして、お前と同じように、お前の回りの人も遠くの人も、
知っている人も知らない人も、一人残らずみんな、一生懸命に
努力し苦労してお前のために頑張っていてくれることに
気づいてくれよと、呼びかけてくださっているのだと思います。

人間だけではなく自然も植物も動物も、この私の身体の中でも、
みんなこの私を生かすために、命を投げ出し、自分を犠牲にして、
それぞれに働いてくれているのだと。


そして、それは、親切にしている人だけが、回りの親切を
感じることが出来るように、努力している人だけが努力している人の
苦労が味わえるようなものだよと、呼びかけてくださっているのだと
味わいます。


南无阿弥陀仏の声を聞きながら、一日一日を力一杯
生きていきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、8月1日に新しい内容に変わります。