第502回 造りだした世界

 平成14年 9月5日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

「宗教」という月刊の雑誌に、武雄の谷川理宣先生が、
こんなことを書いていただいています。

「ある講座の折りに『究極のところ、仏教は何を
目指しているのですか?』
という端的な質問をいただいた。
いろんなお答えがあると思いますが、私は次のように
お答えをしました。


『仏教の究極の目的、目指すところは、私たちが
今生きている、自分の思いで造り上げた世界(世間・
シャバ・生死の世界・此岸)を出て、
真実の世界、私たちの思いを超えた世界、次元を
異にした世界(出世間・浄土・真実の世界・彼岸・
不可思議の世界)があることに目覚め、その世界を
自己の立脚地として生きる私に成ることです』と。


従来の仏教の表現で言えば『解脱』すること、
浄土教の表現では『往生浄土』ということです。
その目的を私の上に如何にして実現するかという
道筋が『仏道』として説かれ、明らかにされてきたのです。

その目的が私の上に成就したということが『成仏』
(仏に成る)ということであり、『真実の救い』でもあるのです。


 親鸞聖人はこの『仏教の究極の目的』を私たちが
成就する道を、晩年のお手紙の中で、師の法然上人の
お言葉を引かれて『浄土宗の人は、愚者になりて往生す』と
いわれています。
これが親鸞聖人が明らかにされた『浄土真宗』ということです。


 最近、十代の子供達がおこす『考えられないような』
事件が連続しています。
今『考えられないような』と言いましたが、そう言った裏には、
私たちの頭の中に『考えられる』世界というものが無意識の
内にあります。
『考えられる』世界とは、自分の思いが通じる世界、
人間の思いの範囲内ということです。

 私たちは、そういう『人間の思い(理性)が造り出した世界』を
生きています。
そういう世界を仏法では『世間』或いは『シャバ』(忍苦の世界)
といいます。
それは、人間の頭の中で考え造り出した世界です。


そのことを教えてくれる小学生の言葉があります。

運動場

休み時間には
狭い狭いと言って遊んでいる
朝礼の時に
石を拾うときには
広い広いと言って
拾っている

私たちが生きている世界は、人間の思いで作り上げた
世界です。
私たちはその世界だけが実存だと考えています。
そこは人間の思いが作りあげた世界ですから、
絶対的な世界ではありません。


人間の思い思いの都合で変わる世界です。
仏法はそのような自分に気づけと教えているのです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、9月12日に新しい内容に変わります。    


 月刊  宗教 平成14年9月号 
わかりやすい実演法話集(288)
愚者になりえて往生す 谷川理宣師の一部抜粋