第506回 讃嘆

 
平成14年 10月3日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

 阿弥陀さまは、すべての衆生、生きとし生けるものを
救いたいと、二百一十億もの仏の国を覩見し、五劫という
長い間思惟し、永劫の修行をして、お浄土を完成されました。


そのお浄土へは、「南无阿弥陀仏」のお念仏で誕生させて、
一人残らず必ず救おうというのが弥陀の本願です。


南无阿弥陀仏のお名号は「こっち、こっちだよ、こっちへ
おいで」との親の呼び声でもあります。
その「南无阿弥陀仏」に呼ばれて、お浄土への道を、
歩ませて頂くのが、私の人生です。


 お念仏の人は、もう仏の仲間です。
喜びや楽しみを得るために、お浄土へ往生させて
いただくのではありません。


衆生を救うために四六時中、働きづめの仏さまを
お手伝するために、お浄土へは生まれさせていただくのです。

この世でも南无阿弥陀仏、お浄土でも南无阿弥陀仏。
阿弥陀さまの声に合わせて南无阿弥陀仏です。


ところで、南无阿弥陀仏は、阿弥陀さまを讃嘆する言葉、
仏さまの仏徳を褒め讃える言葉です。


ところが、人間が得意なのは、褒め言葉ではなく悪口、
両舌、綺語、妄語ばかりです。


言葉は他人を害し、すべての争いの原因でもあります。

そこで、仏教では、逆に褒め讃えることに重要な意味を
もたせ、特に仏徳を讃嘆することを行とされています。


しかし、末法の凡夫にはそれは不可能であると
龍樹菩薩は「大智度論」にいわれている。


自らが相手に対し、好意的であれば十のものは二十に
倍増し、また逆に悪意的であれば十のものはマイナス十と
値下げすることになる。
煩悩のある限りは十のものを十のままに讃嘆することは
不可能である。


したがって貧欲瞋恚具足の凡夫では不可能な
ことだといわれています。   


ですから私の称える念仏は、私が讃嘆しておりながら、
私の手柄ではありません。


そこでお念仏は、おねだりする願望のお念仏ではなく、
報恩感謝のお念仏です。


仏さまと一緒になって、阿弥陀さまを讃嘆する生活、
仏様の仲間としての人生を歩ませていただきたいものです。   


美しい花、香しいお香、明るいお灯明、金箔で
お荘厳をしますが、南无阿弥陀仏のお念仏こそが、
何にも増して最高最上のお荘厳であろうと思います。 


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、10月10日に新しい内容に変わります。