第516回 わがものは一つもない
平成14年 12月 12日〜
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
旅行でホテルに泊まると、机の引き出しに聖書が入っているのを
ご存じですか。
キリスト教の聖書だけではなく仏教の聖典も準備すべきであると、
仏教伝道協会という組織では仏教聖典を、41ケ国語に翻訳し、
すでに630万冊配布されているそうです。
今回形を小さくされた本の見本を、送っていただきました。
その中にこんな所がありました。
人はだれでもその家計のことについては、専心に蟻のように励み、
蜜蜂のように努めなければならない。いたずらに他人の力をたのみ、
その施しを待ってはならない。
また努め励んで得た富は、自分ひとりのものと考えて自分ひとりの
ために費してはならない。
その幾分かは他人のためにこれを分かち、その幾分かはたくわえて
不時の用にそなえ、また国家のため、社会のため教えのために
用いられることを喜ばなければならない。
一つとして「わがもの」というものはない。
すべてはみな、ただ因縁によって、自分にきたものであり、しばらく
預かっているだけのことである。
だから、一つのものでも、大切にして粗末にしてはならない。
アーナンダ(阿難)が、ウダヤナ王の妃から、五百着の衣を
供養されたとき、アーナンダはこれを快く受け入れた。
王はこれを聞いて、あるいはアーナンダが貪りの心から
受けたのではあるまいかと疑った。
王はアーナンダを訪ねて聞いた。
「尊者は、五百着の衣を一度に受けてどうしますか。」
アーナンダは答えた。
「大王よ、多くの比丘は破れた衣を着ているので、彼らにこの衣を
分けてあげます。」「それでは破れた衣はどうしますか。」
「破れた衣で敷布を作ります。」「古い敷布は。」「枕の袋に。」
「古い枕の袋は。」「床の敷物に使います。」「古い敷物は。」
「足ふきを作ります。」「古い足ふきはどうしますか。」
「雑巾にします。」「古い雑巾は。」「大王よ、わたしどもは
その雑巾を細々と裂き、泥に合わせて、家を造るとき、
壁の中に入れます。」
ものは大切に使わなければならない。
生かして使わなければならない。
これが「わがもの」でない、預かりものの用い方である。
仏教聖典の中に、こういう文章がありました。
物が豊になった現在、これは自分のものなのだと粗末に使い、
必要ないとどんどん捨てていますが、本当は仏様からの預かり物、
一つとして「わがもの」というものはない。
すべてはみな、ただ因縁によって、自分にきたものであり、
しばらく預かっているだけのことである。
だから、一つのものでも、大切にして粗末にしてはならない。
との言葉を味わいたいものです。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月19日に新しい内容に変わります。