第532回 法を聞かぬと

 平成15年 4月 3日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

この電話サービスで先日、「寺に参らぬ人は虫になる」。
「法を聞かぬと虫になる」と、昔の人は言っていたと
紹介しました。


これに対して、いろいろなご意見をいただきました。

一つは、虫が余りにも可哀相、その虫を救うのが
宗教ではないか。

また、お寺に参れないのは忙しいためである。
まじめに仕事をしている人が救えないというのなら、
それは本物の宗教ではないのではないかという
ご意見です。


確かに人間は害虫を嫌っていますが、虫も生きる
ために穀物を食べているだけで、悪気があるわけ
ではないのです。


しかし、農家にとっては大変困る存在です。

一度害虫が発生すると、それは火災と同じように
近所にも広がり、迷惑をかけてしまうもので、
恐れられ嫌われていたのです。


虫が精一杯生きているのと同じく、人間も生きて
いくためには、他の生き物の命を平気で奪って
生きています。


人間は、他の生き物にとっては大変やっかいな
困った存在だと思います。


 人間が人間を殺すことは、許されないことですが、
人間が他の生き物を殺すことも同じように、
許されないことだと思います。


今、テレビでは、イラクで多くの人たちが
亡くなっているのを毎日伝えています。


親も兄弟も子供もあっただろうに、一瞬のうちに
多くの人の命が奪われています。


人間のことには、悲しみや怒りを持っていますが、
田圃の虫や人間に食べられた魚や牛や豚の
悲しみは、ほとんど感じてはいません。


ところが仏様の目から見れば、人間も生き物、
虫も魚も同じ生き物です。


自分が被害を受けると怒っている人間も、
自分が犯した罪については、ほとんど痛みも
悲しみも持っていません。


私の小さな常識だけではなく、地球的な
規模の視野、宇宙的な視野の発想をすることが
出来たとき、人間として一番大事なものが
味わえてくるのだと思います。


それが宗教であり、仏教です。

ところがこれは法を聞かねば、お寺に参らなければ
知ることができないことなのです。


私たちの日常は、人間中心、自分中心で
あるために、悩み苦しみが多いのだということを
はっきりと教えようと、先輩たちが工夫して
伝えてきたのだと思います。


まじめに仕事をしていると思っても、実は
人間のわがままな生活をしているだけではないのか。

それに気づかされ、意識したときに、この人生で
最も大事なもの、意味あるものに気づかされる
のだと思います。


私たちの先祖たちは、墓を作り、仏壇を求め、
お寺を維持し人間として一番大事なことを
伝えようとしたのだと思います。


法を聞くことが出来ぬと救われぬ。残念ながら
法を聞くことの出来ない虫は、この世では救われず、
また人間に生まれていながら、法に出会わないと
空しい人生である。


真理にであって、法を聞いてはじめて、
人間らしい生き方が出来る。救われるということを
言いたかったのだと思います。


法を聞かねば人間も虫も救われない。
本当の生き甲斐ある人生は受け取れないと
いうことでしょう。


それを、南无阿弥陀仏の教えで一番大事な
人びとに、知らそうとされたのだと思います。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、4月10日に新しい内容に変わります。