第540回 自然と

平成15年 5月 29日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

宗祖降誕会と門信徒総会多数の方にお参りいただき
ありがとうございました。


ちょうど小学校の運動会や、地域自治会の行事、
農家の方はモミ蒔きの時期と重なり、ご苦労ご心配を
かけました。


モミ蒔きと言えば、5月にモミを蒔き6月に田植え、
秋には刈り取りと、稲の成長はとても早いものだと感じます。


これは田圃だけではなく、境内地の雑草をみても
ほんの数日のうちに見違えるほどに伸びているのには
驚かされます。


太陽と水と空気と栄養とで育っていくのでしょうが、
その成長力の強さには驚異を感じます。


ところで、お参り先のお仏壇の花を見ていると
変わった珍しい花が、近ごろ多く見られるように
なってきました。

また、お供えしてある果物を見ても、季節感が
感じられないようになってきました。


今が、春なのか夏なのか秋なのか、冷暖房が完備した
部屋では、全く季節を感じなくなっています。


花の新しい種類が出来て来たのは、バイオ技術など
人間の智慧と力を加えて新しい品種、変わった品種を
作り出すことが出来るようになったためだと思います。


またビニールハウスや温室の中では、理想の環境が
作り出せるために、自然の厳しさ自然の恐ろしさが
忘れられつつあるようです。


田圃や畑などでは、暑さ寒さ水不足日照不足などで、
その収穫量は大きく左右されるのでしょうが、人間が
作り出した環境では、もう自然を征服出来たようにも
感じられてしまい、人間に不可能なことはない、努力
すれば工夫すれば、人間に出来ないことはないような
錯覚を覚え始めているようです。


 お念仏の教えを他力の教えといいます。

人間の力を超えた力、大きな力、広い世界が
あることを、日々実感していた時代には、他力の
教えは良く理解できていたのだと思います。
それが自然と接することが少なくなって、自然の
偉大さがだんだんと分からなくなって他力も理解
出来なくなってきたようです。


「成せばなる」世界だけではなく、努力しても
どうすることも出来ない世界があることを知って
いた時代は、お念仏の教えは、よく理解できて
いたものの、自然の驚異を知らず自然と接することが
無くなった人びとには、他力の味わいはなかなか
難しく理解出来なくなったのだと感じます。


この私が、もっとも人間らしく生きがいを持って生きて
行けるようにとの多くの力の計らいを感じられる生活と、
人間中心の人間至上主義の生活。


どちらが幸せな一生であるのだろうかと考えて
見たいものです。


南无阿弥陀仏を味わうことの出来る人生と、
私中心で思いのままの独断的一生とでは、
どちらが豊かな人生か、その違いを考えて
みたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、6月5日に新しい内容に変わります。