第567回 焼いてしまうより

 
平成15年 12月 4日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな文章に出会いました。
「焼いてしまうより」という文章です。

『お葬式のおつとめが終わり、柩のふたが開けられ、親族や
知人たちが故人に別れを告げています。出棺の悲しい光景です。


 九十歳をはるかに越す長寿を全うされたとはいえ、こみあげて
くるものがあるのでしょう。柩を取り巻く人たちは一様に涙に
くれています。


私も人の輪から少し離れた場所で、お念仏を喜ばれた老婦人の
生涯を思い、手を合わせていました。すると、私の姿に気づいて、
故人の孫娘にあたる方が近づいてこられました。
そしてこう尋ねられました。


「これを祖母のお棺にいれたいんですが、いけないでしょうか?」
そう言ってみせられたのは、一冊の薄い聖典でした。
相当に古いものらしく、表紙の色はあせ、ボロボロになっています。
それは亡くなったおばあちゃんが、朝な夕なにお仏壇の前に
座って、おつとめするのに使われていたものだったのです。


だから、それをお棺に入れてあげたいという気持ちは
よく分かります。

けれども私はこう答えました。

「柩の中に入れて焼いてしまうより、あなたがおばあちゃんの
形見として持っていて下さい」


 なぜなら、お念仏を喜ばれたこのおばあちゃんの願いは、
間違いなく救われていくこの尊い教えを、子や孫に伝えたい
ということであったはずだからです。


ですから、おばあちゃんが大切にされていた聖典を通して、
仏さまの世界に触れていただきたいと思ったからです。


 ありがたいことに、孫娘さんは私がお参りする度に、
おばあちゃんの聖典を手に、一緒におつとめして
くださっているのです。』


という文章です。

大阪の御堂筋にある本願寺津村別院から出版されている
「御堂さん」とう月刊誌の最初に書かれていた文章です。


お浄土に生まれられた方が、一番喜んでいただくのは、
この私がお念仏する人生をおくること、お祖母ちゃんの
一番大事にされたお念仏を受け継ぐことだと思います。


お金や財産だけではなく、もっと大事なものを受け取って、
受け継いでいきたいものです。妙念寺お電話ありがとうございました。


次回は、12月11日に新しい内容に変わります。

   御堂さん平成15年12月号     仏事の小箱より