第578回 私は代表選手

 平成16年 2月 19日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

こんな詩の投書が新聞に出ていたということです。

必要だから
誰かがいった。
あなたは、この世に必要だから
あなたは、この世にいるのです。
もしあなたが、この世に必要なければ
あなたはこの世に、いないのです。
お世辞にも、こんなことを言われたら
なぜか、嬉しくなってくるのではないか。
なぜか、勇気がわいてくるではないか。

こういう詩です。

 忙しく仕事をしている時、仲間と一緒の時には自分が
必要か必要でないかと 考えたこともないでしょうが、
ふとしたときに、自分は果たして、この世に、必要なのかと
悩む人もあることでしょう。


九条武子様の如月忌の時に、聞かせていただいた、
こんな歌を思い出しました。


無憂華という歌集の中に、「幼児のこころ」と題して

  いだかれて ありとも知らず おろかにも
     われ反抗す おおいなるみ手に

  という うたです。
父や母に抱かれているのに、それに気づかず大きな手を
撥ね除け、抵抗している幼子。

無意識な時もあるでしょうし、親の暖かさに反発を感じての
こともあるでしょう。


それは、子供ばかりではなく、大人になっても変わらない
甘えの姿です。


 ところで、この歌から発展して、九条武子様が亡くなられてから
出版された歌集には、


   いだかれて  あるとし知らず 愚かにも
       われ反抗す 大いなる手に

 大いなる手というのは 仏さまの手であろうと思います。
仏さまに、いつも見守られ、支えられ、励ましていただき、
期待され待たれている存在なのに、それに気づかず、
仏さまに反抗し抵抗し、無視し、信じようとしない。


ところが、いつもじっと見守られ抱かれていると気づいたとき、
それが、喜びに変わってくるのだと思います。


南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏の呼び声は、お前ひとりを
救わねばおかぬ、お前のためにと呼びかけていただく
仏さまの呼び声、それがうなずかれると、この私は一人子のように、
必要とされていると思え、私の人生はもう一つ力強く喜びに
満ちてくるのだと思います。 

この私は、多くの先輩の命や、あるとあらゆる生き物の命を
いただいて、いま生きている「命の代表選手」なのです。


この私を生かすために、努力し苦労し、あるいは命を投げ出して
くれた、多くのいきとしいけるものの命を代表する選手なのです。


多くの命に見つめられ、期待されている代表した命なのです。

妙念寺電話サービスお電話ありがとう御座いました。
次回は、2月26日に新しい内容に変わります。

   「必要だから」   産経新聞・朝の歌より
   元花園大学学長・河野太通師講演より